世界/日本のビジネス・アーカイブズ

日本における社史づくりの長期的動向

日本における社史づくりの長期的動向

公益財団法人渋沢栄一記念財団 情報資源センター 松崎裕子

2018年3月7日発行
[PDF版 (473.3KB)]


<目次>

【解題】
【本文】
はじめに
「社史」とは
書き方の変化:羅列的・業界史的・PR的叙述から経営史学的叙述へ
バブル崩壊とグローバリゼーションの中での社史づくり
おわりに
【注】


【解題】

 本稿は2012~2013年ごろまでを対象とした日本における社史づくりの動向を紹介するもので、2013年4月15~16日にスイス・バーゼルで開催された国際アーカイブズ評議会企業労働アーカイブズ部会(ICA/SBL)(※) 国際セミナー "Crisis, Credibility and Corporate History" (「危機、信頼、そして会社史」)における公益財団法人渋沢栄一記念財団実業史研究情報センター(現・情報資源センター)の発表 "75 Years of TOYOTA: Toyota Motor Corporation's latest shashi and trends in the writing of Japanese corporate history" (「トヨタの75年:トヨタ自動車の最新『社史』と日本における会社史づくりの動向」)のうち、日本における会社史づくりの動向の部分を抜粋し、編集し直したものです。同発表の英文フルテキストは、リバプール大学出版から2014年に発行されたCrisis, credibility and corporate history, ICA Studies, 1(『危機、信頼、そして会社史』、ICAスタディーズ第1巻)に収録されています (※※)

 いっぽう、同発表の日本語原稿の一部(トヨタ自動車株式会社における社史編纂の歴史と同社アーカイブズに関する部分)は加筆・編集の上、当センターウェブページ「世界/日本のビジネス・アーカイブズ」にて2014年9月3日に公開しています (※※※)

 以上のように、本稿はそもそも海外の聴衆を念頭において執筆したものです。そのため、本稿執筆の第一の目的は、諸外国とは異なる日本の事情・慣習といったものを、日本国外の企業アーカイブズ関係者に分かりやすく伝えるということに置いています。

 この発表を行った後、すでに5年近くが過ぎており、この間にも社史づくりには変化がみられます。例えば、本文では発表の頃の社史づくりの動向として「グローバリゼーション時代における企業文化・企業風土の特定とその継承のためのツール」としての社史づくりに言及しています。しかし、最近は社内の特定のグループ(例えば幹部候補生)が、企業戦略を学ぶため、過去の経営判断上重要な事例のみに対象を絞ったような社史づくりも行われているということです。

 また社史づくりを離れ、企業アーカイブズのこれからの方向性として、本ウェブサイトで2018年1月に公開した「〈講演ノート〉つながる世界のビッグデータ:敵か味方か?」にみられるように、インターネットを利用して社外・一般からのアクセスを向上させよう、といった考え方も現れてきています。

 日本では、ビジネス・アーカイブズと社史編纂は切っても切れない関係にあるといえます。本稿がこれからのビジネス・アーカイブズと社史づくりを考えるうえで、参考になることを希望します。

 なお、今回のウェブ掲載にあたっては、協力いただいた方々の肩書きで異同のあるものは、現在の肩書きに修正したほか、現在までの社史発行点数(推定)も新しい数値に修正しています。さらに(注)で言及している日本アーカイブズ学会の登録アーキビスト制度に関しては、該当する注の部分に追記を行っています。

* * *

(※) 国際アーカイブズ評議会企業労働アーカイブズ部会(ICA/SBL)は2014年秋に国際アーカイブズ評議会企業アーカイブズ部会(ICA/SBA)に改組、名称変更しました。

(※※) 本書に関しては当センターの以下のページを参照ください。
https://www.shibusawa.or.jp/center/ba/bn/20141031.html
日本における所蔵機関は下記の通りです。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025700383-00
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB17922961

(※※※)
https://www.shibusawa.or.jp/center/ba/bunken/doc002_toyota.html


【本文】

はじめに

 本稿では日本における「社史」づくりの動向について紹介したいと思います。私の議論の論点は、日本では(1)社内に歴史学やアーカイブズ学を専門に学んだ専門職(アーキビスト)がほとんど存在しないという状況にもかかわらず、「社史」発行が盛んであるという文脈で、学術性がどのように解釈され追求されてきたか、(2)企業活動の拡大に伴ってステークホルダーがグローバル化する一方、情報公開やコンプライアンスが一層求められつつある文脈において、「社史」に期待される役割がどのように変化しつつあるか、という点にあります。

 本稿は、企業史料協議会会員企業のみなさま、武田晴人東京大学名誉教授、由井常彦公益財団法人三井文庫常務理事・文庫長・明治大学名誉教授、河上増雄前一般財団法人日本経営史研究所理事・事務局長、のご協力によって可能となりました。しかし言うまでもないことですが、ここでの意見は全て筆者のものであり、責任も筆者(松崎裕子)に帰するものです。

「社史」とは?

 社史とは文字通りには「会社の歴史」を意味します。社史のエキスパート村橋勝子氏に従うと 1 、社史とは「企業が自社の歴史を、社内資料に基づいて、会社自身の責任において刊行したもの」と定義されます。19世紀末以来、日本では16,000点以上の社史が刊行されており 2 、現在の厳しい経済状況にも関わらず、毎年おおよそ200点の新しい社史が刊行されています。

 ここで注意せねばならないのは、日本の企業史料の世界(business archives community)においては、歴史学やアーカイブズ学の正式なトレーニングを受けた専門のアーキビストは、若干の例外を除き、ほとんど存在してこなかったという点です 3 。欧米の事業会社の社史の場合は(A)例えばイギリスの例ですがCharles WilsonによるHistory of Unileverや、Theodore BarkerによるPilkington Brothers And The Glass Industry、Margaret AckrillとLeslie HannahによるBarclays: The Business of Banking, 1690-1996などのように、アーカイブズを歴史家に開放して、歴史家の責任のもとに商業出版社から出版する、(B)専門的なトレーニングを受け、しばしば修士号・博士号を取得した社内のアーキビストや歴史家が社史を執筆し、会社が発行する(in-house publication)、という二つの場合があると思います。日本企業の場合、多くはそのどちらでもありません。アーカイブズや歴史学の専門的なトレーニングを受けたことのない社員が、大学の研究者やアーカイブズ・社史制作支援サービスを提供する企業外部のサポートを得て、編集・発行などに携わり、ほとんどすべての場合自費出版物(in-house publication)として発行されます。

 一般的には周年記念行事準備をきっかけにアド・ホックな編纂委員会を立ち上げて委員長には役員クラスを置き、実務的には担当の職員 4 を任命し、社内資料を収集し、外部の社史制作支援ベンダーのサポートを受けるという体制によって社史が作られてきました 5 。最終的なプロダクトが書籍という形態をとることから、このベンダーの役割を大日本印刷や凸版印刷といった印刷会社が果たしてきました。いったん社史が刊行されれば編纂委員会は解散し、社史発行のために収集された資料を基に資料室(アーカイブズ)が設置されることもあれば、資料は保管されつつも担当職員は不在のまま、次の周年まで保管されるにとどまるというケースもあります。

 商業出版社からの出版ではなく、企業の自費出版物であるため、流通は一般の商業出版物とは異なります。多くの場合は役員、社員、取引先、図書館等に広く寄贈されることになりますが、刊行物としては一種の灰色文献と位置付けられることも日本の社史の特徴のひとつです。

書き方の変化:羅列的・業界史的・PR的叙述から経営史学的叙述へ

 19世紀末から1960年代初頭までの日本の社史は、年表作成を中心とした事業の羅列的な記述にとどまることが主流であったといえます。また、各業界・産業史の発展を跡付け、その業界史の中に自社を位置付けるという方法もひとつのモデルとされてきました(例えば『花王石鹸五十年史』)。会社の宣伝やPRという側面も強く、社会的にはその内容に対する信頼性は高くありませんでした。

 この状況に変化があらわれるのは1960年代です。1964年に経営史学会が結成され、これをきっかけとして1968年に財団法人日本経営史研究所が設立されます。この財団法人は産業界と大学に所属する経営史学者との共同事業という性格のもので、同財団自体が社史制作支援サービスのベンダーでもあります。この経営史研究所を媒介にして、社史執筆に東京大学経済学部を中心とした日本の経営史研究者(中川敬一郎氏、安藤良雄氏、由井常彦氏、野田一夫氏ら)が関わるようになったことが、社史の内容・記述に大きな変革をもたらしたと言えます。経営史学会設立の中心となったのは、ハーバード大学経営大学院など米国の有力ビジネススクールで経営史を学んだ人々です。

 経営史学者が何より注目し、学術的社史であるために最も重視したのが、企業の「意思決定過程」を明らかにすることでした。「意思決定過程」が明らかな社史とは、取締役会議事録など企業経営の根幹に関わる経営文書を資料とした社史であり、会社全体を対象とするものです。これらの経営史学者たちによる社史では、部門(department or section)ごとの歴史は、否定されるか、あるいは二次的なものとして一段低く評価されることになりました。

 また、その書き方にはある意味で標準化された次のような様式があります。その様式とは、(a) 会社の発展の画期を見極め、時代区分(periodization)を行う、(b) 経営環境(景況、competitorsの動向など)・経営方針を記述する、(c) 経営方針に則って具体的に実行された事業活動(商品開発やマーケティング)、(d) 業績(performance:財務諸表等)が必須の構成要素であると認識されています。このような社史の記述様式は、ビジネススクールにおけるcase methodのためのcaseの書き方との深い類似を示しています。花王株式会社の80年史『花王石鹸八十年史』(1971年刊行)や味の素株式会社の60年史『味の素株式会社社史. 1』 (1971年)、『味の素株式会社社史. 2』(1972年)など、日本を代表する大手企業の社史はこのスタイルを採用することが増えました。経営史学に準拠した社史はしばしば「本格的社史」(full-fledged, serious, or authentic corporate history)などと呼ばれるようになりました。(このような書き方は、さまざまなセミナーを通じて、社史制作支援サービスのベンダーである印刷会社等とも共有されるようにもなりました。)

 企業にとっては、大学所属の研究者が執筆したという事実自体が社史に信頼性を付与するというメリットがある一方、経営史学者側からは通常はアクセスが困難な企業の社内資料へのアクセスが可能となる研究上のメリットがありました 6

 学術的観点から見た場合、企業による自費出版物であり経営陣が最終的には書かれた内容に責任を持つことから、企業の観点とは大きくかけ離れた記述は受け入れられない可能性があるということです 7 。また周年事業という性格から、当該周年までの企業活動までを執筆対象に含めることになることがほとんどです。しかし、現代史における歴史的評価が困難であるのと同様に、関係者が生存していることもまれではない直近の出来事に関する客観的評価は困難であり、事業の羅列的記述になってしまうのもやむを得ない側面があります。

 もう一つの問題は企業側から見た場合、社史執筆のために提供した企業情報を、外部の研究者がその後の自分の研究に利用することを企業が十全にはコントロールできない、という問題もあります 8 。専門家としてのビジネスアーキビストであるならば、固有の職業倫理として、「企業の記録の所有権が企業に帰属するという信念を持つこと」「企業に関わる機密性と取り扱いの難しさに自覚的であること」「その組織が許可したアクセス条件の範囲内で誠実な歴史研究に努めること」「雇用主に知らせることなく会社の情報に基づいた著作を発表すべきでないこと」9 といったことが求められることを承知しているはずです。しかし研究者・経営史学者はこの職業倫理を共有しているわけではなく、研究者によっては企業アーカイブズの公共性を強調する考え方も存在します 10

 経営史学的な社史は経営における意思決定、経営戦略といった点に注目するので、出来上がった社史は経営者にとっては今後の経営方針作成に大いに役に立つものであるでしょう。一方、読みやすさという点で言えば、このような「本格的社史」は社員や一般の読者にとって必ずしも読みやすいものとはいえない面もありました。

バブル崩壊とグローバリゼーションの中での社史づくり

 大学の経営史学者たちは特別に許可されて企業アーカイブズへのアクセスを享受するようになり、このことは学問としての経営史学を発展させました。企業はより信用しうる社史を刊行することができるようになり、それによって自社への信頼を高めてきました。社史づくり、会社の歴史の叙述という部分に限定するならば、経営史学者と企業という2つのグループ間の協力は、多くの場合両者にとって有益なものでした。経営史学者と企業間の、この相互に有益な協力は、日本の経済状況が悪化しグローバリゼーションが加速する1990年初頭ごろまでは比較的順調に機能してきました。1990年代初頭のバブル経済の崩壊、また同時に進んだグローバリゼーションへの対応のために、日本における社史は違ったものを求められるようになってきたのです。

 最も大きな変化は、ステークホルダー、とりわけ社員間での価値観や手法を共有するためのツールと社史が位置付けられるようになった点があげられます。この観点からみると、経営史学的社史は、一般の社員が読んで理解するには、さまざまな面で課題を抱えるものと言えます。例えば、大きな版型、ページ数の多さ、その結果たいへん重量のある文献で手軽に開くことができない、テキスト中心で画像が少なく理解はそれほど容易でない、語り方はあくまで経営史学的視点からのものなので社史の中に同化しうるアイデンティティを感じにくい、などです 11 。このような課題を解決する技術的進歩もあり、1990年代以降はヴィジュアル的に直感的に理解できるような本づくりも盛んになりました。画像を多用したり、多色刷りを用いる、あるいは映像など従来の社史メディアにこだわらない会社史づくりが盛んになってきたのです。

 グローバリゼーションの観点からは、日本国内向け仕様のみならず、海外のグループ会社の役員・従業員等をも読者層と想定して、それに見合うように現地語や英語による社史を同時に刊行するようになった企業も多数あります。

 さらに近年アカウンタビリティ、コンプライアンス、CSRという観点から、歴史に関わる企業情報の積極的な公開も求められるようになりつつあります。自費出版という特殊な刊行物である限り、必ずしも読みたい人すべてがアクセスすることができないという問題点もあります。

おわりに

 PR的社史、信頼されない社史からの脱却を目指して、1960年代以降日本の高度経済成長時代は、経営史学的な方法による社史制作によって学術性を担保することが目指されました。過去20年間のグローバルな競争の激化環境で、社史に期待されるものは経営史学的な学術的信頼性に加え、企業文化・企業風土の特定とその継承のためのツールであることが強く求められるようになってきています。社外への情報開示を求める声への対応と、事実と証拠に基づいた社史作りも大きな課題と意識されてきました。

 トヨタ自動車75年史制作の経緯が明らかにするように 12 、激しいグローバル競争を勝ち抜くために、企業経営上の考え方・価値観・手法を共有するため、あるいは企業文化に根差した商品を開発していくうえで、アーカイブズ資料とアーカイブズ機能の役割の重要性は高まっていると私は考えております。トヨタ自動車は革新的な手法でもって社史づくりやアーカイブズの活用に取り組んでいる最先端の事例です。

 日本の場合、企業アーカイブズがそのような使命を今後さらに果たしていくためには、経営史学的な分析と記述の意義を十分に認めつつも、1)アーカイブズは経営資源であるという共通の価値観が社内で共有され、2)企業のアーカイブズ部門と、アーカイブズ管理の専門的教育を受けた人材、社史セミナーの機会を提供している専門家団体、アーカイブズ管理・社史制作支援ベンダーの間の連携を一層強めつつ社史づくりを進めることが必要であろう、というのが私の結論です。


【注】

1 村橋勝子『社史の研究』、ダイヤモンド社、2002年、12ページ。

2 村橋勝子氏からの筆者宛2017年3月21日付メール。

3 大学の中にはアーカイブズ関係の科目もありましたが(例、東京大学情報学環(学際情報学府))、アーカイブズ学・アーカイブズ管理の専門的な大学院課程は2008年4月になってようやく実現しました(現在学習院大学大学院1校です)。アーカイブズ管理、アーカイブズ学研究、アーキビスト養成を目的として2004年4月に結成された日本アーカイブズ学会による同学会認定アーキビスト制度は、2012年末に初年度の申請受付があり、2013年中に専門的な資格を付与されたアーキビストが誕生する予定です。和菓子製造販売業虎屋では1989年に歴史学専攻の専門の方を中途採用し、このスタッフは20年以上にわたってアーカイブズ管理と社史執筆の専門職として従事しています。これまででは極めて例外的な事例です。(追記:2013年以降、日本アーカイブズ学会によるアーキビストの資格認定と登録が毎年行われています。詳しくは同学会ウェブサイトを参照してください。 http://www.jsas.info/modules/aboutJSAS/index.php?id=13

4 アーカイブズ学や歴史学に関しては基本的に非専門家ですが、任命後に企業史料協議会などによる短期的な研修を受け、資料収集・整理に当たる中でアーカイブズ管理については実務的に学ぶことになります。一方、調査部門などを有する金融機関や大手企業の場合は、専門職として採用されるわけではないのですが、その組織内にエコノミストや経済史の専門家としての資質を備えた適切な人材が存在し、これらのスタッフが社史の執筆・編集で中心的な役割を果たすことがしばしばあります。

5 ベンダーは大学院課程で歴史学やアーカイブズ学を学んだスタッフを抱えることもあります。

6 ハーバード経営大学院の経営史教授Alfred D. Chandlerは生前4回ほど来日しています。財団法人日本経営史研究所を訪問したChandler教授は、日本の経営学者が企業の生のデータを利用することをたいへん羨ましがっていたということです(由井常彦教授による)。この挿話は、日本において(企業所属のアーキビストではない)大学所属の経営史学者が社史執筆を担当することが、社内資料への特権的アクセスの享受につながっていることを示しているでしょう。

7 一般には、日本近代の企業活動に関わる機微に関わる事項(sensitive area)として、同和問題(discrimination against outcast originating pre-modern era)、公害・環境破壊(pollution, environmental destruction)、戦時動員(wartime mobilization)等があると考えられてきました。しかしながら、かつては禁忌とされ、記述の対象とは考えられなかった事項も、時の経過や関連する訴訟の終結によって次第に社史に掲載されることも増えてきました。例えば『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』(2000年)における人事調査に関わる部分など。

8 社外執筆者が執筆する場合は、企業との間で一定の取り決めの下にアーカイブズにアクセスし、社史を執筆します。取り決め内容は通常、(a)納期、(b)対価、(c)守秘義務であるが、実際には明文化されないケースもあると社史執筆経験者は語っています(武田晴人東京大学名誉教授)。

9 Lesley Richmond, 'Balancing Rights and Interests: The Ethics of Business Archives' in Business Archives Principles and Practice, Number 79, May 2000, 29-41. B. Stockford, 'Getting Started' in A. Turton and Business Archives Council, Managing Business Archives, 1991, Butterworth-Heinemann, 84-99.

10 バブル崩壊前の金融機関などの社史にはほとんど企業外部の経営史家が関わることはありませんでした。これはその組織内部にエコノミストや経営史の専門家としての資質を備えた適切な人材を抱えていたためという理由に加えて、社内資料に含まれる顧客情報等機密事項の保護への配慮も大いに関わっていると考えられます。注3も参照。

11 1980年代末までは10年ごとに社史を発行することが普通に行われていた金融機関は、1990年代初頭のバブル経済の破綻以降、調査部門のような管理部門を縮小する一方、金融機関同士の買収合併が激化する環境の中で、社史の発行をほとんど行わなくなりました。

12 本ウェブサイト「トヨタ自動車株式会社の社史編纂の歴史とアーカイブズ」 https://www.shibusawa.or.jp/center/ba/bunken/doc002_toyota.html を参照ください。


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