世界/日本のビジネス・アーカイブズ

企業を変える、戦略を生む:ビジネス・アーカイブズとデジタル社会

企業を変える、戦略を生む:ビジネス・アーカイブズとデジタル社会

公益財団法人渋沢栄一記念財団 情報資源センター 松崎裕子
2017年3月14日発行
[PDF版 (955.5KB)]


<目次>

企業アーカイブズ(BA)とは?
今、なぜ企業アーカイブズ(BA)か?
デジタル社会におけるBA事例
ビジネス・アーカイブズとデジタルアーカイブ:「道徳経済合一説」との関係
[注]


 本稿は2017年2月11日に岐阜市内で開催された「デジタルアーカイブin岐阜」(主催:NPO法人日本デジタル・アーキビスト資格認定機構、共催:岐阜女子大学)でのパワーポイント講演資料の内容をもとに論旨はそのまま新たに書き起こしたものです。冒頭の講師自己紹介の部分、その他当日の講演での冗長な部分は省略しました。また加筆修正した部分があります。

 当日の講演に当たりましては、下記のみなさまにご協力いただきました。記して感謝いたします。

・花王株式会社 花王ミュージアム・資料室
・株式会社帝国データバンク 帝国データバンク史料館
・清水建設株式会社 コーポレート・ コミュニケーション部 アーカイブ担当
・株式会社資生堂 企業文化部 資生堂企業資料館
・森永製菓株式会社 史料室
・一般財団法人森永エンゼル財団
・トヨタ自動車株式会社 社会貢献推進部歴史文化室アーカイブズグループ
・キリン株式会社 CSV本部ブランド戦略部アーカイブ室
・株式会社リクルートホールディングス 広報部 グループ社内広報グループ

・東京大学文書館准教授 森本祥子氏


企業アーカイブズ(BA)とは?

 企業活動のなかで作成されたり、社外とのやり取りで蓄積した記録資料を企業アーカイブズ、もしくはビジネス・アーカイブズと呼びます。そのような資料は、50年史や100年史といった社史・年史を作成するときの基礎資料となるだけでなく、社内のさまざまな機能や事業をサポートするものです。図1にあるように、これを公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センター企業史料プロジェクトでは、「企業アーカイブズの多様な価値」と呼んできました。2007年5月に東京で「日米アーカイブ・セミナー」を開催して以来、当センターでは海外の企業アーカイブズ関係者とのネットワークづくりに取り組んでおり、ここで得たさまざまな海外の事例と日本国内の企業アーカイブズから得られた知見に基づく考え方です。

図 1 - 企業アーカイブズの多様な価値

企業アーカイブズの多様な価値

 本日、「デジタルアーカイブin岐阜」で「デジタル」という観点から企業アーカイブズ、ビジネス・アーカイブズを考えてみようと思います。そこでサブタイトルを「ビジネス・アーカイブズとデジタル社会」にしました。そして、あらためて図1を見直し、本日の講演に向けて作成してみたものが図2です。企業アーカイブズが持つ要素を大きく単純化したものです。単純化してみると、「意思決定(決断)の記録/資料」、「事実を証明するエビデンス」、「企業文化を伝達するメディア」、この3つになるのではないか、ということです。

図 2 - ビジネス・アーカイブズの3要素

ビジネス・アーカイブズの3要素

 本日ご参加くださっているみなさまは企業関係者の方々ばかりではないとうかがっておりますので、近年刊行された社史を二つほど取り上げて、図2の意味を説明するところからはじめたいと思います。

 最初に取り上げるのは、本日講演を行っております岐阜県出身の長瀬富郎が創業者にあたる花王株式会社の『花王120年』です。これは2012年に創業120周年を記念して編纂・刊行された社史で、本文・資料編を併せて1,000ページを超えるものです。

 長瀬富郎は1887年、花王株式会社の前身にあたる長瀬商会を設立しました。この事業が引き継がれて今日の花王につながります。今日の花王の企業文化を考えるとき、同社の企業理念を確認してみる必要があります。同社の理念である「花王ウェイ」の基本となる価値観は、「よきモノづくり」「絶えざる革新」「正道を歩む」です。これは同社アーカイブズに残る長瀬富郎の次のような遺言に由来するものです 1

人ハ幸運ナラザレバ
非常ノ立身ハ至難ト知ルベシ
運ハ則チ天祐ナリ
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ
総テ何事モ順序ヲ誤ルベカラズ

 図2の「企業文化を伝達するメディア」としてのアーカイブズと考えられます。

 一方、同書581ページから596ページの「花王の情報事業への進出と撤退」の章は、アーカイブズが持つ別の側面(要素)をよく示しています。ヘルスケア製品など消費財の生産・販売を事業の柱とする同社は1980年代初頭から1990年代末にかけて3.5インチフロッピーディスク(FD)の生産・販売など情報関連事業を行っていました。この部分の記述を『花王120年』から拾ってみます。

1981年3月  栃木工場に応用物理研究室設置(3人) 2
1982年7月  常務会で総額5,000万円の磁気メディア開発設備設置承認 3
1984年2月  研究戦略会議で3.5インチFD開発と同事業への参入を正式決定 4
1985年10月 栃木工場に3.5インチFD月産100万枚生産プラント完成 5
1986年4月  3.5インチFD発売 6
1990年代前半 記憶メディアの主流はFDからCD-ROMへ 7
1992年初頭 マイクロソフト社等からCD-ROM事業への参入求められる 8
1992年5月  スペイン・バルセロナでの経営委員会で基本方針決定 9
1994年以降 情報事業赤字転落 10
1995年時点 収益悪化、資産の未償却残高累積500億円超 11
1997年5月  経理担当副社長、ボストンとニューヨークで機関投資家向け決算報告、厳しい反応 12
1998年4月  情報事業から全面撤退表明(97年度約800億円売り上げ規模あり) 13

 1981年に始まった3.5インチフロッピーディスクの生産・販売は、1997年度においても約800億円の売り上げがあったのですが、結局1998年にはこの事業から全面撤退する決定を行い、それを社内外に表明したのでした。この社史の一連の記述で明らかなことは、どのような会合があり、どのような意思決定がおこなわれたのか、ということです。本文ではさらに詳細な説明が行われています。

 アーカイブズには、社史の記述の典拠・根拠となるさまざまな会合における意思決定の記録があることがわかります。そのような典拠なしに、責任ある記述を行うことはできないからです。いつ、どのような状況で、どういう判断をしたのか、こういったことの証拠としてのアーカイブズということです。アカウンタビリティ(説明責任)が問われたとき、必要なのは、「分かりやすく説明してあげる」というようなことではなく、「いつ、だれが、なぜ、どのような意思決定をしたのか、それは適切であったのか」といったことに対して、質問者が納得できるように、エビデンス(証拠・根拠)とともに説明することです。そして、このような意思決定の記録は、これからの意思決定における参考資料にもなります。

 もうひとつの事例を見てみましょう。『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』(2000年)は株式会社帝国データバンクの創業以来の初めての本格的社史です(967ページ)。本書には福岡出身の創業者後藤武夫(1870-1933)が1900年に帝国データバンクの前身である帝国興信社を起業した経緯とともに、創業者の信条とそれが今日どのような形で経営の信条となっているのかが述べられています。創業者は1933年3月3日の創業第34回記念式で次のような経営理念を発表しています 14

至誠努力主義
家族主義
脱俗主義

 この理念は今日にも同社の中に引き継がれ、ウェブサイトには、「経営の信条」としてつぎのように表明されています 15

脱俗主義 = 最高の質の、最高のサービスを
至誠努力主義 = 知恵と真心を尽くして
大家族主義 = すべての人々のために

 本書には、会社の歴史の"光"の部分のみならず、"影"の部分に関する記述をいくつかみつけることもできます。ひとつは労働争議問題であり、もう一つは人事調査事業にかかわる記述です。それぞれ次のような記述があります。

労働争議の歴史
 1953年6月から8年間、ロックアウト断行等で会社業績低迷 16
 複数の労組結成、統合、全社的労組組織結成など複雑な経過をたどる 17
 各種規則・規定の制定と、その適正な運用など経営の近代化に結果として結びつく 18
人事調査事業
 明治末年ごろまでには出現 19
 1931年6月には水平社による糾弾会が行われ、所長名で社内通達 20
 1960年 身元調査に関わり女性自殺 21
 1960年代~70年代にかけて人権意識高まる 22
 1979年 結婚調査に関わり自治体より事情聴取 23
 1981年12月 社長の決断により人事・雇用調査廃止 24

 「社史にはよいことしか書かれていない」という考え方は皮相な見方であるということが上の二つの事例からわかります。100年を超え継続発展してきた企業の足跡には、イノベーションといった光の部分もあればそうでない部分もあるでしょう。さまざまな困難や壁を乗り越えて、社会に貢献する財やサービスの生産者・提供者として今日存在していることを、この二つの社史はよく示しています。

 そしていずれの場合も、この社史の記述には根拠・証拠となるアーカイブズ資料が存在する、ということが重要です。アーカイブズが会社のアカウンタビリティと企業文化を支えるということができます。


今、なぜ企業アーカイブズ(BA)か?

 このようなアーカイブズがなぜいま必要なのかを考えるために、ここで、いくつかのグラフを見てみます。図3から図8までは、1976年1月1日から2016年12月31日までの41年間を対象に、日本経済新聞の朝刊と夕刊に「アカウンタビリティ/説明責任」「コンプライアンス/法令順守」「ガバナンス/企業統治」「リスク/危険/危険性」「セキュリティ」「自己責任」の語彙がどれだけ利用されたかを表したものです。同社データベース(日経テレコン)を利用して当センターが調査したものです。

図 3 - 「アカウンタビリティ/説明責任」

アカウンタビリティ/説明責任

図 4 - 「コンプライアンス/法令順守」

コンプライアンス/法令順守

図 5 - 「ガバナンス/企業統治」

ガバナンス/企業統治

図 6 - 「リスク/危険/危険性」

リスク/危険/危険性

図 7 - 「セキュリティ」

セキュリティ

図 8 - 「自己責任」

自己責任

 「アカウンタビリティ/説明責任」、「コンプライアンス/法令順守」、「ガバナンス/企業統治」といった言葉は、1970年代から1980年代にかけて、ビジネスに携わる人を主たる読者とする同紙でほとんどまったく目にすることのなかった言葉であることがわかります 25。これらの語彙は1990年代に使われるようになり、特に1990年代後半に紙面でしばしば利用されることになりました。1990年代後半は、金融機関の不良債権問題が明らかになり、それまでのバブル経済から一転して不況に転換した時期です。この時期にとくに使用された言葉に「自己責任」がありました(図8)。また、2005年6月には会社法(それまでの商法旧第2編会社=旧会社法に対する新会社法)制定、2006年5月施行や、同じく2006年の9月には、それまでの証券取引法等が改正され金融商品取引法となるなど、企業に関わる法制度も大きな変化を遂げました。この時期に、「アカウンタビリティ/説明責任」、「コンプライアンス/法令順守」は過去40年間ではもっとも日経新聞紙上に登場しています。

 一方、図6は「セキュリティ」を同様の方法で検索してみた結果です。これは1980年代前半から少しずつ利用されるようになり、その後はコンスタントに増え続けてきました。

 ビジネスにおける規範に関わる意識の変化がここから読みとれます。1990年代以降の経済のグローバル化の時代は、ビジネスの方法、経営の在り方に関連して、上の図に上げたような考え方・意識がもたらされた時代です。企業は「アカウンタビリティ/説明責任」、「コンプライアンス/法令順守」、「ガバナンス/企業統治」を経営の仕組みの中に制度化することが求められており、そのためのさまざまな組織改革、経営改革が行われてきたのが過去20年の企業社会の姿です。

 このような文脈を考えてみるとき、企業アーカイブズに着目し、これを整備することには、とても現代的な意義があることがわかるでしょう。


デジタル社会におけるBA事例

 1990年代以降、それまでなじみのなかった言葉=考え方が経営に、また企業関係者のコミュニケーションの中にあらわれてきたことを見てみました。そしてこの時期は、本日のテーマである「デジタル」、とくにネットワーク化という意味での「デジタル化」が日本で本格的にはじまった時期にあたります。1980年代までのオフィス・オートメーション化としての電子化との違いはネットワーク化という点にあります。

 企業のアーカイブズといえば、社史編纂が想起されてきました。社史の電子化(電子機器での閲覧を可能にするDVDやCDといった媒体での刊行)の試みもあります。しかし、デジタル化による最大の変化は、企業アーカイブズがそれまでの狭い意味での社史の材料から、多様な価値を実現しうる材料になったことにあります。とくに「企業文化を伝達するメディア」あるいはその材料として、企業アーカイブズの用途が多様化し、電子ネットワークの中で、社内外の情報発信に用いられることがとても多くなっています。ここではそのなかから、優れた取り組みであるものをご紹介したいと思います。(講演当日は各社のウェブサイト、またご提供いただいた画像をご覧になっていただきました。)

(1)清水建設
  同社ウェブサイト「創業200年『清水建設の歴史』」
  同社ウェブサイト「清水建設200年作品集」

(2)資生堂
  同社イントラネット「SHISEIDO HISTORY」
  マサチューセッツ工科大学講義情報公開サイト(OCW)
  「資生堂が伝える : 20 世紀初期の日本の化粧品広告とデザイン」
  (Selling Shiseido : Cosmetics Advertising & Design in Early 20th-Century Japan)

(3)森永製菓、森永エンゼル財団
  同社ウェブサイト「森永の歴史」
  同財団ウェブサイト「講演会『ミルクキャラメルの物語』」

(4)トヨタ自動車
  同社ウェブサイト「トヨタ自動車75年史」
  同社ウェブサイト「グローバルニュースルーム『カローラ50周年特設サイト』」

(5)キリンビール
  同社ウェブサイト「キリングループの歴史」
  同社ウェブサイト「キリン歴史ミュージアム」

(6)リクルートホールディングス
  同社ウェブサイト「沿革・歴史」
  同社ウェブサイト「経営理念ができるまで(リクルート事件~経営理念の制定)」
  同社ウェブサイト「リクルートの企業文化」

(7)花王
  同社ミュージアムでのデジタル画像利用


ビジネス・アーカイブズとデジタルアーカイブ:「道徳経済合一説」との関係

 最後にビジネス・アーカイブズとデジタルアーカイブの関係について考察して終わりたいと思います。

 東京大学文書館准教授の森本祥子氏は、アーカイブズ(史料保存)とデジタルアーカイブ、そしてアーカイブズに至る以前の現用文書管理について、"これまで三者がばらばらな方向を向いていたように思われる、今後はより良い現用文書管理に基づいたアーカイブズ管理と、デジタルアーカイブとしての活用を図9のように考えるべきであろう"と提唱しています 26図9は2016年7月15日ARMA東京支部総会講演会 「レコード・アーカイブズ一貫システム構築の視点」における森本氏のスライドです 27

図 9

 文書記録の作成からアーカイブズとしての管理、さらにデジタルアーカイブとしての活用まで一貫した視点から把握し、専門知識と高度な情報通信技術を用いることによって、無駄を省いた管理を目指すということです 28。きちんと組織化され整理された過去の記録は、「アカウンタビリティ/説明責任」、「コンプライアンス/法令順守」、「ガバナンス/企業統治」といった現代の企業経営の課題に必ず寄与するはずです。なぜなら、リスクやセキュリティに敏感にならざるを得ない今日、文書記録やアーカイブズ、さらに広い概念である情報を適切に管理し、アカウンタビリティを確保することは、自らを守ることに通じるからです。

 またデジタル化して活用することにより、企業アーカイブズ資料は企業文化を伝達するメディアとして、これまで以上に多様な利用のされ方が可能となり、その力を発揮するでしょう。つまり、企業アーカイブズは「将来にわたって継続発展しつづけるための経営戦略とその実行」を支えるものであり、デジタル社会は、そのような経営のためのエビデンスの継続的蓄積と多様な活用を、紙の時代にくらべ、より効果的に行う可能性を持っているのです。

 そして、現用文書管理からアーカイブズへ文書記録・情報を引き継ぎ、アーカイブズをデジタルアーカイブとして多様な形で活用する仕組みを整えることは、渋沢栄一の「道徳経済合一説」にもつながっていきます。エビデンスを残せない(アカウンタブルでない)ビジネスには、永続的に企業が発展していくための基盤がありません。逆に、ステークホルダーから託されたリソースを適切・効果的に用い、戦略を決定し、実行した事実をエビデンスとともに説明できる(アカウンタブルな)経営を行うことは、その企業が財やサービスの生産者・提供者として事業を継続的に発展させ、社会に貢献しつづける強固な基盤を手にすることを意味するでしょう。このように、デジタル社会はビジネスにおける道徳と経済を一致させる力も持っているのです。


[注]

* 詳しくは、企業史料協議会編『企業アーカイブズの理論と実践』(丸善プラネット、2013年)の第1章をご参照ください。

1 花王ミュージアム・資料室 編纂『花王120年』2012年、48ページ。

2 同上、581ページ。

3 同上、582ページ。

4 同上、583ページ。

5 同上、584ページ。

6 同上。

7 同上、591ページ。

8 同上。

9 同上。

10 同上、595ページ。

11 同上。

12 同上。

13 同上、596ページ。

14 帝国データバンク創業百周年記念プロジェクト百年史編纂室 編『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』2000年、551ページ。

15 同社ウェブサイトトップページ http://www.tdb.co.jp から「信条」をキーワードに検索をお願いします。

16 『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』316、341~342ページ。

17 同上、316~344ページ。

18 同上、342ページ。

19 同上、71~72ページ。

20 同上、395ページ。

21 同上。

22 同上、392ページ。

23 同上、395ページ。

24 同上、397、475~476ページ。

25 1976年から1989年までの間、1983年に一度だけ「アカウンタビリティー」が登場します。1983年6月6日朝刊17ページの記事「抜本的な学校改善策探る─先進諸国と共同研究、CERIの新規事業に参加」というもので、内容はOECDの内部組織のひとつである教育委員会に付置されている教育研究革新センター(CERI)の新規事業=学校改善の研究プロジェクトに日本も参加することになった、という趣旨の記事です。「アカウンタビリティー」はこのなかで、「最近の欧米各国においては、・・・(中略)・・・特に財政不況の深刻さから教育に費やす経費に目が向けられ、学校教育は金をかけている割りにその成果が上がっていないのではないかと指摘され、つまりアカウンタビリティーの考え方で学校の経営を見直すべきであると考えるようになった」というふうに使われています。その後、1990、1992、1994、1995年に一度ずつ登場し、1996年以降登場回数が急増するとともに、「説明責任」という言葉で代替されていきます。
「アカウンタビリティ」「説明責任」の用語の利用例を調査した先行研究である、山本清『アカウンタビリティを考える : どうして「説明責任」になったのか』(NTT出版、2013年)では1947年5月以降の国会議事録を用いています。同書によると「アカウンタビリティ」の最も早い利用例は1961年3月31日の参議院商工委員会における「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規則に関する法律の一部を改正する法律案」に関する政府委員説明の中です(同書15ページ)。その次に出現するのは、時代が下って、1975年3月25日の参議院文教委員会での大学入試制度の在り方に関する参考人意見陳述中です(同書17ページ)。

26 この講演は森本氏が代表として編集翻訳にあたった『レコード・マネジメント・ハンドブック : 記録管理・アーカイブズ管理のための』(日外アソシエーツ、2016年)出版にあたり開催されたもので、本書刊行の意義を中心にお話されています。そのためスライド上部に「1『レコード・マネジメント・ハンドブック』 1.1本書の意義」という見出しがあります。

27 同講演録はARMAの会誌に掲載されています。森本祥子「定例会報告 レコード・アーカイブズ一貫システム構築の視点」『Records & information management journal : the information management professionals』ARMA東京支部, (32):2017.1

28 日本生産性本部が毎年発表している調査(労働生産性の国際比較2016年版) によると、日本における労働生産性は過去20年あまり、OECD諸国中で低位(20位前後)で推移しています。http://www.jpc-net.jp/intl_comparison/
労働生産性の低さとの関連では、日本におけるICTへの投資の少なさもかねてより識者から指摘されてきました(独立行政法人経済産業研究所「「失われた20年」の構造的原因」2010年5月)。http://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/058.html

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