渋沢栄一、タフト大統領演説(1909年9月19日)

 以下は、1909(明治42)年9月19日、ミネトンカ湖畔ラファイエット倶楽部においてアメリカ大統領ウィリアム・タフトと会見した際に渋沢栄一とタフトが行った演説を、増田明六が『竜門雑誌』掲載にあたってその概要をまとめたものです。

青淵先生の演説大要

予は日本実業家の代表的団体の代表者として、世界最大共和国の大統領閣下の如き名誉ある且高貴なる人格が、万機鞅掌の際、且御旅行中に係らず、特に予等に会見の光栄を与へられたるを衷心より感謝の意を表し、尚本席の主人たるミネアポリス市の商業倶楽部の諸君に対して、諸君の厚意、及び予等日本人が現代の大人物として、又特に日本の親厚なる友人として、最大の尊敬を捧げる貴国の大統領閣下に拝謁し得る機会を与へられたることを感謝す、七年前予が当国に来遊したる際、幸にして当時の大統領ルーズベルト氏の引見を得たりしが、其際氏は我国の陸軍及美術に関し幾多の讚辞を与へられたるも、商工業に至りては何等言及せらるゝ所なかりき、惟ふに当時日本に於ける商工業の進歩また大に注意に値せざりしが為ならん、故に予は其席に於て、次回謁見の際には我経済上の進歩に付き、予等実業家の努力に対し多少の批評を蒙るに至らんことを期待する旨を述べたり。

七年間に於ける我国商業の発達はまた以て誇るに足らずと雖ども、今回再度貴国に来遊するに当り、日本有史以来先例なき商業団体の団長として、貴国の最も尊敬すべき大統領閣下が隣席を此宴席に占め、而して我国経済上に関し、熱誠にして真摯なる商業倶楽部会頭の意見に認識を与へられたるが如きは、予に取りて少からざる愉快にして、又衷心感謝に堪へざる処なり、予等の使命は本来社交的のものにして、礼譲の交換、友誼の興新及び開拓に外ならずと雖ども更に商業上の意味を有す、蓋し日米両国々際の商業をして、鞏固にして永久的のものたらしめんには、之を相互的のものたらしめざる可らず、換言すれば予等は貴国の工場・銀行・農場、其他経済的活動の諸方面に亘りて十分研究調査を遂げ、以て現今の両国貿易よりも大に貴国に対して売らんとすると共に、又更に大に貴国より買はんと欲するものなり、此の目的此の趣意に対し、貴国民は十分なる用意を以て予等を迎へ、貴政府及び各地商業会議所が予等一行に代表者及び専門家を附属せしめ、貴国の商工業に対する予等の研究に十分の便宜を与へらるゝのみならず、而かも是等の代表者並に専門家諸君は、其の所属の範囲に於て、顕著なる地位を有する人にして予等一行の旅行を愉快に且有益ならしむる為に全力を尽して惜まざるは、中央政府及各商業会議所に向て厚く謝意を表する処とす。

予等が貴国に上陸して以来已に三週間、到る処行く処として何れも双手を開いて迎へられ、質問調査に対しては有らゆる便宜を与へられたりき、予等は已に諸方面より米国を観察するを得たり、太平洋沿岸に立ては森林のアメリカを見、スポケーン、フアーゴ、グランド・フオークスに於ては、驚くべき大農場のアメリカを見、アナコンダ、ビユーテ、ヒツビングに於ては、雄大なる鉱業のアメリカを見たり、行くに連れ進むに従て、予等は貴国の天然の富源の偉大なるに驚き、更に此の富源を開発すべき貴国人の精力及び智識に対して、衷心嘆美の声を発するを禁ずる能はざるなり。

日本が、米国に依りて輓近の文明社会に紹介せられてより爰に半世紀、両国民を聯絡する交情は年々歳々鞏固を加ふ、嘗て我災厄ありし時、貴国は欣然として我に同情を表し援助を与へられたり、我が全国民は之に対し永久渝らざるの好感情を抱持す、此友誼を益々深厚に且鞏固ならしめん事は、日本国民全体の熱心なる希望にして、而かも同様の希望が米国民全体に依つて抱持さるゝ事は、予等の団体が経過する各地方に於て到る処に受けたる歓迎を蒙りたる厚情に依りて、之を証し得べきなり。
予等は何等官職を帯びて来りたるに非ざるも、之を広義に解釈すれば、日本国民が貴国民に対して派遣したる平和の使節なりと云ふを得べし。

今回吾等の本国を出発するに際し、我が 天皇陛下は、国史あつて以来曾て無き殊遇を我が一行に与へられ、特に離宮の一に於て宴を賜はりたり、是れ我国に於ては、官職を帯びずして外国に赴く者に対しては、空前の名誉と云ふべきなり、此の記憶すべき場合に於て宮内大臣は勅旨を奉じて吾等実業団の渡米は深く聖旨に副へる旨を伝へられ、尚予等実業団の成功は 陛下衷心の希望なる旨をも宣べられたり、叡意已に斯くの如し、而して我国民の意志も亦之に異ならず、上下一致吾等に対して熱誠なる送別の意を表する事、尚、武勲ある勇士の遠征を送るが如きものありき、之を以て諸君は、予等一行に対し日本に於て国民が表はしたる賛成熱心が、如何に強く如何に大なるかを推知せらるべく、又之を以て日本国民が、此の文明なる共和国の人民に対し已に懐き、又現に懐きつゝある特殊の情誼の有力なる例証と認め得べし。

終りに臨んで、両国間に存在せる親善なる友誼、輯睦なる交情は、年と共に鞏固を加へ、正義平和の基礎の上に、天壌と共に長へに渝らざらんことを希望す。

大統領タフト卿演説

斯る勢力あり識見に富み、且つ最も愉快なる日本紳士諸君と茲に会することは、欣喜に堪へざる所なりと言はゞ、此席にある聴衆諸君の思うて言はんとする所を言ひ得たりと信ず、然れども予が此の席の日本紳士諸君に対し抱持する同情は、米国人諸君よりも遥に優越せり、日本の紳士諸君は米国を縦横して二箇月以上に渉る大旅行を為しつゝあり、現に此席の如きも、即ち諸君が此二箇月間に日々受くべき饗応の一例に外ならず、予も亦二箇月を同様に過すべき途中にあり、故に予の同情は日本の紳士諸君に対して殊に切なるものあり、今や米国人諸君が此国の凡百の事物(製造・農業・商業、其他各種の形式に於ける歓迎上の注意)を彼等に示すに吝ならざれども是れ固と吾国人が日本に遊びし時に、日本人が我に向つて表したる好意と歓迎の、僅に一少部分を酬ひつゝあるに過ぎす。

然れども此一行には、即ち五十人の最も敏捷なる実業家、遠謀深慮に富み商業上の経験に富みたる人士を包含するを以て、予は我米国の商人及び製造家に対し、その日本実業家の一行に示す所のものは此一行が将来両国民間の友誼的討議及び友誼的商業競争に利用さるることあるべきを警告せんとす。

日本の実業家の一行は、今や観光漫遊の客たり、然れども彼等は用意周到なる国民なれば、斯る方面に於て得らるゝ丈の教訓を得て去らずんば已まざるべし、然れども予は毫も之れを悲しまず、予は諸君が能ふべき丈けの教訓を持去らんことを希望し、而して其教訓が日本を裨益せんことを希望して已まず、若し吾人にして日本を裨益し得べくんば、現在よりも繁栄ならしめ、現在よりも活溌ならしめ以つて日本商工業の利益を開発するに資する所あらんことを希望して已まざるなり、予は世上の近眼者流が信ずるが如く、自己の進歩を図らんが為めには隣人の進歩を防止するを良策とすと信ずるものにあらず、之に反して予の信ずる所によれば、我等米国民は日本より学ぶ所多かるべく、又た、日本人も吾人より学ぶ所なかるべからず、吾人は相互に教訓を交換し親交の増進に努むると同時に、一方が商工業に於て発達すると共に、他方に一層有利なる華主となるべきものにして、此関係は互に相酬ゆる次第なり、往昔殖民政略の時代に於て、殖民地及属領を常に幼稚なる状態に置き、属地属領の民には売るべき貨物の市価も、又買ふべき真の市価も知らしむることなく、以つて本国政府は属地属領よりの産物を極めて廉価に買ひ、属地属領に売込む貨物を極めて高価に売らんとするの政略を取りしもの尠なからず、此の如き商略は暫時は有効なるが如しと雖も、畢竟母国にも属領にも彼我共に利益あるものにあらざるなり、同様の関係は対等の国民間にも存す、一方の発達は他方の利益なり、若し友隣国民間に存すべき友誼の関係にして常に維持され、又商業的の約束にして常に存在すべくんば、一国の発達は其の隣国の利益に外ならず。

斯る日本の実業的代表者に会することは、予の極めて深厚なる愉快を感ずる処なり、最近数年間に於て六・七回日本を訪問し其驚くべき国民の歓待を受けたることは、予の顧みて幸福とする所なり、一回たりとも日本を訪問したるものは深き印象を抱かずして日本を去る能はず、而して予の如きは六回も訪問し、殊に其内の二回若しくは三回は日本皇帝及び国民の賓客として待遇せられたるものゝ抱く印象の如何なるべきやは、諸君の想見し能ふ所なるべしと信ず。

我米国人は不可思議なる国民にして、而も新聞事業も営利の商業に外ならざれば、其の販路を拡めんが為には、時々読者の感情に訴へて煽動的の記事を掲ぐるの必要を感ずる事あり、而して之れを為さんとするに於ては、単に誤りなき事実を記載するのみにては成功する能はず、時としては想像より画き出したる記事を捏造するの必要あり、而して其記事たるや、事実に於ては全然無稽の事なるも、何等かの新聞種を読者に供給し、以て販路を維持し、若くは増進せんことを得べくんば、新聞営業の本能足れりとすべし。

現に近き過去に於て、米国人の一部は大いに煽動されたるものあるも勿論一部に外ならず、何となれば吾人の中真の事実を知るものは決して日本と米国との間に国際的面倒ありなどゝ云ふ記事に依つて煽動さるゝこと、決してあらざる可ければなり---予が信ずる所によれば斯る記事を掲ぐることを敢てせし新聞紙さへも、今に於ては最早日米間の紛擾等毫も筆にせざるに至れり。

米国人にして嘗て日本に赴き、而して日本国民の国是及び理想を理解し、又其の偉人傑士等に親しく会合し緩話したる輩は、決して両国間に這般の面倒などあるべしとは考へ及ばず、日本は一の競争に加入し居れり、一の紛擾にも従事し居れり---予は之を殆んど戦争に参加し居り、且つ其用意をなしつゝありと言はんとしたり、然れども予は斯く言はざるべし、何となれば戦争若くは其準備を為すと云ふが如きは、大に語弊あればなり---其紛擾又は競争は、日本自体の富源を開発し、及び日本国民をして商業国民として大なる成功をなさしめんとする努力競争に外ならず、日本は其技倆と手腕を兵馬の戦場に於て示したり、日本は周到なる準備及び勇気、注意深く且つ熟練したる手段を以つて、国家としての野心、自国権利の防禦及び国際的地位の維持の為めに、其技倆を戦場に示したり、然れども日本が今従事せる所の者は最早兵馬の戦争にあらず、日本国民は今や平和の戦争に向つて用意せり、而して吾人米国民は日本が此平和の競争に於ても又成功せんことを信ず、勿論我米国民は、能ふべくんば此国際的競争に於ても日本に屈服すべきにあらず、吾人は此競争に加はり之れに因つて一部人士間に抱かるゝ無稽の思想(即ち米国は今日迄極東若くは亜細亜に於て為したるよりも、更に聊かにても地歩を進めんが為に、此競争に加はれりとの無稽の思想)を打破せんことを希望す、実の所若し予にして言ふを得べくんば、我米国の実業家は自国内に於ける商業上の、所謂成功を以て自ら誇り自ら満足し、聊か自ら欺ける所なきに非ず、随て国内の需用に満足して、未だ大なる注意を国外にある華主の希望及趣味に対して、払ふことを忘るゝを常とし、為めに他の諸外国者に後れを取ること尠からず。

例へば外国よりの注文を受くる場合に於て、米国製造家は言はん、我製造場に於て製するものは此寸法此模様に外ならずと、若し外国者の注文にしてこれらの寸法・形様、及び模様に甘んじて購入すれば則ち止む、然らざれば、華主は余儀なく去つて、他国に供給を仰ぐに至らん、而して若し外国の華主にして、自己の意に満てるものを他国に於て購ひ能はずんば即ち可なり、而も事実は之に反して外国商人及製造家は頻りに其華主の趣味及び要求に迎合することを努む、其結果は米国商品は常に外国需要地に於て第二位・第三位、或は四位に置かるゝことを免れざるなり。

然れども吾人は追々此方面に心付き、今や鋭意外国の市場を開拓せんとす、されば我等米国人は、我実業上の利益を進めんが為めに漸次啓発する所あるを以て、予はこゝに日本国よりの友人に向つて一言警戒する所あらんとす、即ち我等米国人は競争の出発点以前に於て聊か遅慢なるを免れず、又如何にして自己の利益を啓発すべきやを会得するには聊か迂なりしと雖も、其間に着々準備をなしつゝありしものなれば、諸君日本人は、自今米国人との競争に対し、大いに警戒せざるべからざることを告げんとす。

今予はこゝに一の乾杯辞を提唱するの大なる愉快を有す---其寿盃は或る高貴なる人格---終始渝らず其民衆の福祉を慮ること誠実にして、国家臣民を愛さるゝ熱情に富み、且つ適材を適所に置くに巧妙なる手腕を示し、以て輓近日本の驚くべき進歩を成就したる、(蓋し国家を治むるの術に於て、適材を適所に置くよりも以上に必要なる手段なければなり)---高貴なる人格に対して、茲に寿盃を挙げんとす、予は今米国の親友にして予が親しく知遇を辱ふするを以て光栄とし愉快となし、而して予を遇するに懇篤到らざる処なく、其治下の人民の利益及其成功の為に、畢生の力を仮して惜まざる賢明なる君主の為めに、茲に謹んで寿盃を挙げんとす、予の挙げんとする寿盃は 大日本 皇帝陛下の為なり


出典:『渋沢栄一伝記資料』第32巻 (東京 : 渋沢栄一伝記資料刊行会, 1960.07) p.143-147
原文:『竜門雑誌』第266号 (東京 : 竜門社, 1910.07) p.31-36

行程概要

更新日 2009年8月14日