『渋沢栄一伝記資料』に掲載されている渡米実業団の日々の動きを、カレンダー形式でまとめました。
カレンダー内の黄緑色の日付や各日の出来事をクリックすると、渋沢栄一の日記などをまとめた「渡米実業団」日録(http://d.hatena.ne.jp/tobeijitsugyodan/)のエントリーが別ウィンドウで開きます。
●1908(明治41)年10月16日(金)
●1909(明治42)年4月12日(月)
●1909(明治42)年4月13日(火)
●1909(明治42)年4月15日(木)
●1909(明治42)年5月4日(火)
●1909(明治42)年5月7日(金)
●1909(明治42)年5月10日(月)
●1909(明治42)年6月5日(土)
●1909(明治42)年6月8日(火)
●1909(明治42)年6月9日(水)
●1909(明治42)年6月11日(金)
●1909(明治42)年6月18日(金)
●1909(明治42)年6月20日(日)
●1909(明治42)年6月21日(月)
●1909(明治42)年6月22日(火)
●1909(明治42)年6月23日(水)
●1909(明治42)年6月24日(木)
●1909(明治42)年6月30日(水)
●1909(明治42)年7月5日(月)
●1909(明治42)年7月6日(火)
●1909(明治42)年7月7日(水)
●1909(明治42)年7月8日(木)
●1909(明治42)年7月9日(金)
●1909(明治42)年7月14日(水)
●1909(明治42)年7月15日(木)
●1909(明治42)年7月19日(月)
●1909(明治42)年7月22日(木)
●1909(明治42)年7月23日(金)
●1909(明治42)年7月24日(土)
●1909(明治42)年7月25日(日)
●1909(明治42)年7月27日(火)
文部大臣、外務大臣からの7月25日付照会に同意
外務大臣、ニューヨーク駐在領事に夫人とともに一行に同行するよう訓令
報道『東京日日新聞』第11719号(1909.07.27)
「増田明六を召し連れらるる事に決す」
●1909(明治42)年7月30日(金)
●1909(明治42)年7月31日(土)
●1909(明治42)年8月2日(月)
●1909(明治42)年8月4日(水)
●1909(明治42)年8月5日(木)
●1909(明治42)年8月7日(土)
●1909(明治42)年8月8日(日)
●1909(明治42)年8月9日(月)
●1909(明治42)年8月10日(火)
●1909(明治42)年8月11日(水)
●1909(明治42)年8月12日(木)
●1909(明治42)年8月13日(金)
●1909(明治42)年8月14日(土)
●1909(明治42)年8月15日(日)
●1909(明治42)年8月16日(月)
●1909(明治42)年8月17日(火)
●1909(明治42)年8月18日(水)
●1909(明治42)年8月19日(木)
●1909(明治42)年8月20日(金)
●1909(明治42)年8月21日(土)
●1909(明治42)年8月22日(日)
●1909(明治42)年8月23日(月)
●1909(明治42)年8月24日(火)
●1909(明治42)年8月25日(水)
●1909(明治42)年8月25日(水)
●1909(明治42)年8月26日(木)
●1909(明治42)年8月27日(金)
●1909(明治42)年8月28日(土)
●1909(明治42)年8月29日(日)
●1909(明治42)年8月30日(月)
●1909(明治42)年8月31日(火)
●1909(明治42)年9月1日(水)
●1909(明治42)年9月2日(木)
〔シアトル〕
滞米第2日 - 防署見学の後、シアトル領事邸で園遊会。夜は日米合同打ち合わせ
〔カンザスシティ〕
アメリカでの報道「When Jap emissaries come」(Kansas City Star)
●1909(明治42)年9月3日(金)
●1909(明治42)年9月4日(土)
●1909(明治42)年9月5日(日)
●1909(明治42)年9月6日(月)
●1909(明治42)年9月7日(火)
●1909(明治42)年9月8日(水)
●1909(明治42)年9月9日(木)
●1909(明治42)年9月10日(金)
●1909(明治42)年9月11日(土)
●1909(明治42)年9月12日(日)
●1909(明治42)年9月13日(月)
●1909(明治42)年9月14日(火)
〔アナコンダ〕〔ビュート〕
滞米第14日 - アナコンダで銅鉱精煉所、ワショー公園で養魚、ビュートで銅鉱採掘を見学
〔ポートランド〕〔バンクーバー〕
日本での報道「一行はポートランドに到着。短い滞在ながら米国官民の熱烈な歓迎を受ける」(東京日日新聞)
●1909(明治42)年9月15日(水)
〔ビュート〕〔ビリングス〕
滞米第15日 - 荒漠たる原野を通過、砂塵舞い込み「旅情索然たり」
●1909(明治42)年9月16日(木)
●1909(明治42)年9月17日(金)
●1909(明治42)年9月18日(土)
●1909(明治42)年9月19日(日)
〔ミネアポリス〕
滞米第19日 - ミネトンカ湖畔ラファイエット倶楽部でタフト大統領と会見
渋沢栄一、アメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトと会見
太平洋聯合商業会議所会頭ローマン、タフト大統領へ特製徽章を捧呈
●1909(明治42)年9月20日(月)
●1909(明治42)年9月21日(火)
〔セントポール〕
滞米第21日 - セントポール到着、大午餐会でグレート・ノーザン鉄道会長ジェームズ・ヒルより歓迎の演説
ミネソタ州知事ジョンソン未亡人に宛てた渋沢栄一からの弔電
渡米実業団一行、セントポールに到着
〔ミネアポリス〕
アメリカでの報道「大統領の演説は、友誼貿易の共同及産物の交換保証に、最後の印章を刻したるものなり」(ワシントン・ポスト)
〔ミネアポリス〕
アメリカでの報道「日本人に対し好意を表したることは、両国間の福祉幸福の為めに、適当なる手段」(ニューヨーク・トリビューン)
〔ミネアポリス〕
アメリカでの報道「異人種の一般的に混合することは、亜細亜・亜米利加両人種の何れに取りても、必ずしも利益にあらざればなり」(サンフランシスコ・クロニクル)
●1909(明治42)年9月22日(水)
●1909(明治42)年9月23日(木)
●1909(明治42)年9月24日(金)
●1909(明治42)年9月25日(土)
●1909(明治42)年9月26日(日)
●1909(明治42)年9月27日(月)
●1909(明治42)年9月28日(火)
●1909(明治42)年9月29日(水)
●1909(明治42)年9月30日(木)
●1909(明治42)年10月1日(金)
●1909(明治42)年10月2日(土)
〔クリーブランド〕
滞米第32日 - クリーブランド到着、ロックフェラー邸庭園等を見学。渋沢栄一、元国務長官ジョン・ヘイの墓前に献花
〔セントポール〕〔マディソン〕〔ミルウォーキー〕〔シカゴ〕
日本での報道「一行は、米国第二の大都会での歓迎に頗る満足。使命全うせるを信ず」(東京経済雑誌)
●1909(明治42)年10月3日(日)
●1909(明治42)年10月4日(月)
●1909(明治42)年10月5日(火)
●1909(明治42)年10月6日(水)
●1909(明治42)年10月7日(木)
〔ロチェスター〕
滞米第37日 - ロチェスター到着。イーストマン・コダック社、婦人靴製造所、銅版石版会社、花卉栽培園等を見学
〔ナイアガラ〕
在カナダ領事より外務大臣宛に報告「一行に対する加奈多側の態度」
●1909(明治42)年10月8日(金)
●1909(明治42)年10月9日(土)
〔オーバーン〕〔シラキュース〕
滞米第39日 - シラキュース到着。発電所、タイプライター製造会社、運河築造、シラキュース大学等を見学。歓迎委員にフルベッキ(William Verbeck?)
〔サウスベンド〕〔グランドラピッズ〕〔デトロイト〕〔クリーブランド〕〔バッファロー〕
日本での報道「9月28日から10月7日までの動向」(東京経済雑誌)
●1909(明治42)年10月10日(日)
●1909(明治42)年10月11日(月)
●1909(明治42)年10月12日(火)
〔ニューヨーク〕
滞米第42日 - ニューヨーク到着、コロンブス米国発見の日および前年同日の米国実業団訪日を記念して午餐会開催。夜は三井物産の招待で純日本式宴会
渡米実業団一行、ニューヨークに到着
オクラホマ市三井物産会社出張所より招聘の電報
●1909(明治42)年10月13日(水)
●1909(明治42)年10月14日(木)
●1909(明治42)年10月15日(金)
〔ニューヨーク〕
滞米第45日 - 昼はハドソン川・イースト川より沿岸を視察、夜は在ニューヨーク領事主催晩餐会。渋沢栄一は風邪のため晩餐会のみ出席
〔シアトル〕
日本での報道「我渡米実業団の一行に如斯奇談あり」(実業之日本)
●1909(明治42)年10月16日(土)
●1909(明治42)年10月17日(日)
●1909(明治42)年10月18日(月)
●1909(明治42)年10月19日(火)
〔ニューヨーク〕
滞米第49日 - 自由行動。渋沢栄一は絹織物工場視察のためホールヨークに赴く
渋沢団長よりサンフランシスコ商業会議所会頭宛に電報
〔モントリオール〕〔オタワ〕
カナダ分遣隊、モントリオールを経てオタワ着。カナダ総理大臣ローリエ卿、午餐会を開催して歓迎
●1909(明治42)年10月20日(水)
〔ニューヨーク〕
滞米第50日 - 自由行動。渋沢栄一はエクイタブル生命社長主催午餐会の後、タウンゼント・ハリスの墓へ
団長宛、サンフランシスコ商業会議所会頭からの返電
〔オタワ〕
渡米実業団員を歓迎し、カナダ農商務大臣フィッシャーが晩餐会開催
●1909(明治42)年10月21日(木)
●1909(明治42)年10月22日(金)
〔ニユーヘブン〕〔プロビデンス〕
滞米第52日 - イエール大学(ニューヘブン)で紀念章を、ゴーハム銀器製造会社(プロビデンス)で紀念銀牌を贈られる。岩本栄之助、父の訃報で帰国
渋沢栄一と渡米実業団一行、ニューヨークを出発
〔トロント〕
カナダ分遣隊、トロント到着。製造場、学校、水道などを見学
●1909(明治42)年10月23日(土)
〔ボストン〕
滞米第53日 - ボストン到着。フォアリバー造船所、ウォルサム時計会社、ハーバード大学などを見学。晩餐会ではモースらによる歓迎の辞
〔モントリオール〕
カナダ分遣隊、モントリオール到着。マギル大学、交通機関などを見学
〔ニユーヘブン〕〔プロビデンス〕
日本への発電「ペルリ紀念祭」(竜門雑誌)
〔バッファロー〕〔ナイアガラ〕〔ロチェスター〕〔ニューヨーク〕
日本での報道「渡米実業団の紐育歓迎」(東京経済雑誌)
●1909(明治42)年10月24日(日)
〔ボストン〕〔ニューポート〕
滞米第54日 - 渋沢栄一ほか4名、ペリー墓参のためニューポートへ。夕方よりジャパンソサエティー、浪速倶楽部合同開催のレセプション
巌谷小波「ニューポートの雨の一日」(『太陽』第16巻第1号)
カナダ分遣隊、ボストンに帰着
日本への発電「工場・学校の参観」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年10月25日(月)
〔ボストン〕
滞米第55日 - ゼネラルエレクトリック社、紡績会社(ローレンス)、女子大学等を見学。夜は平和協会の晩餐会、観劇
〔ニューポート〕
日本への発電「ペルリ提督の墓に詣づ」(竜門雑誌)
〔ニューポート〕
日本への発電「別報」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年10月26日(火)
〔ウースター〕〔スプリングフィールド〕
滞米第56日 - ウースターで公共事業等、スプリングフィールドで兵器製造所や公園を視察。伊藤博文訃報に一行驚倒、弔意を示し晩餐会を辞退
渋沢栄一、伊藤博文の訃報に接する
伊藤博文の訃報に対する弔電
日本への発電「兵器製造所参観」(竜門雑誌)
日本への発電「伊藤公凶変と一行の哀悼」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年10月27日(水)
〔ニューアーク〕〔レディング〕
滞米第57日 - ニューアーク到着、エジソン電気会社でエジソン夫妻と会見など。レディングの停車場では一行を歓迎する群集で大混雑
伊藤博文の訃報に対する弔電
日本への発電「伊藤公凶変に就て)」(竜門雑誌)
日本への発電「弔旗を掲げて迎ふ」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年10月28日(木)
●1909(明治42)年10月29日(金)
●1909(明治42)年10月30日(土)
〔フィラデルフィア〕
滞米第60日 - デラウェア川を下り工場等を見学。夜は製造業者倶楽部主催の晩餐会
伊藤博文を悼み、太平洋沿岸商業会議所聯合会から渡米実業団長渋沢栄一宛に哀悼の書状
日本への発電「独立閣を観る」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年10月31日(日)
●1909(明治42)年11月1日(月)
〔ワシントン〕
滞米第62日 - ワシントン到着。公園を巡り、国務省で国務長官と会見。ホワイトハウス等を見学後、ワシントン大統領所縁の地を訪問。夜に議会図書館、議事堂の見学
伊藤博文の訃報にカンサス市商業倶楽部会頭より弔電
日本への発電「華盛頓に着す」(竜門雑誌)
〔ミネアポリス〕
日本での報道「渡米団は大統領と如斯趣味ある談話を交換せり」(実業之日本)
〔ミルウォーキー〕
日本での報道「渡米団一行中に如斯愛嬌ある失策と手柄とあり」(実業之日本)
●1909(明治42)年11月2日(火)
〔ワシントン〕
滞米第63日 - アーリントン墓地や要塞フォートマイヤを見学後、国務次官主催の午餐会。国立博物館、市庁等を巡り、夜はコルコラン美術館でレセプション
実業団渡米紀念金牌の贈呈
日本への発電「華盛頓の紀念金牌」(竜門雑誌)
〔ニューヨーク〕〔ワシントン〕
1909(明治42)年11月2日(火) 日本への発電「別報」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月3日(水)
〔ワシントン〕
滞米第64日 - 在米大使館を訪問。自由見学の後、夜は松井臨時代理大使主催の天長節祝賀会に列席
渋沢栄一、太平洋聯合商業会議所会頭ローマンより天皇陛下への献上品を預かる
渋沢栄一、佐々木勇之助に宛てて書簡を出状
●1909(明治42)年11月4日(木)
〔ボルティモア〕
滞米第65日 - ボルティモア到着。スパロー・ポイントでメリーランド製鋼会社、牡蠣缶詰工場を見学。商業会議所の午餐会出席後、ジョンズ・ホプキンス大学等を見学。伊藤博文の国葬日につき、弔意を表して夜は静粛を旨とする
日本への発電「遥に弔意を表す」(竜門雑誌)
〔ワシントン〕〔ボルティモア〕
日本への発電「国務卿の弔ひ演説」(竜門雑誌)
〔ワシントン〕
渋沢栄一と渡米実業団一行、ワシントンを出発
●1909(明治42)年11月5日(金)
●1909(明治42)年11月6日(土)
〔ピッツバーグ〕
滞米第67日 - ピッツバーグ板硝子製造所、ハインツ社等を見学。夜は商業会議所主催レセプション。ニューオーリンズとテキサスへ向け分遣隊出発
日本への発電「カーネギー製鋼所参観」(竜門雑誌)
南博士および多木氏夫妻、米作状況視察のためテキサスへ向かう
●1909(明治42)年11月7日(日)
〔シンシナティ〕
滞米第68日 - シンシナティ到着。団員総会を開催し帰国後の解団式などについて決議。商業会議所主催午餐会の後、貯水池等の見学
日本への発電「シンシンナチーの歓迎」(竜門雑誌)
〔セントルイス〕
南博士および多木氏夫妻、米作状況視察のためテキサスへ向かう
〔カンザスシティ〕
アメリカでの報道「The Commerical Club to Dine Oriental Leaders in Business and Education」(Kansas City Star)
●1909(明治42)年11月8日(月)
〔シンシナティ〕
滞米第69日 - 公園、動物園等の巡覧後、商業会議所でレセプション。午後は児童音楽隊に先導され市庁舎へ行き、警察および消防隊の演習見学など。渋沢栄一は過労により両手先が麻痺
〔セントルイス〕〔ダラス〕
テキサス地方視察記(南博士報告)
●1909(明治42)年11月9日(火)
〔インディアナポリス〕
滞米第70日 - インディアナポリス到着。工場、水道などを視察。渋沢栄一は体調不良のため見学は不参加
渋沢栄一、佐々木勇之助に宛てて書簡を出状。グリーン氏送別会について「至急御手配有之度」
〔シンシナティ〕〔インディアナポリス〕
日本への発電「特に熱誠なる歓迎」(竜門雑誌)
〔ヒューストン〕
テキサス地方視察記(南博士報告)
●1909(明治42)年11月10日(水)
〔セントルイス〕
滞米第71日 - セントルイス到着。銀行、金物会社、株式取引所などを訪問。午後、米国国務省派遣接伴委員R.S.グリーンの送別会開催。夜はレセプションと晩餐会
渋沢栄一、J.D.ローマンに宛て伊藤博文訃報への弔意に対する礼状
〔ヒューストン〕
テキサス地方視察記(南博士報告)
●1909(明治42)年11月11日(木)
〔セントルイス〕
滞米第72日 - 呉服店、製靴会社、印刷会社、小中学校、図書館などを見学。夜はオリンピック座で観劇
日本への発電「セントルイ市の歓迎」(竜門雑誌)
〔ヒューストン〕
テキサス地方視察記(南博士報告)
●1909(明治42)年11月12日(金)
●1909(明治42)年11月13日(土)
〔オマハ〕
滞米第74日 - オマハ到着。マッキーン・モーター・カーで鉄道関連設備、車輛製造会社を見学。午後は水道会社等を訪問。夜に商業会議所主催の晩餐会
〔カンザスシティ〕〔オマハ〕
日本への発電「カンサス市の歓迎」(竜門雑誌)
〔デンバー〕
テキサス地方視察記(南博士報告)
〔ボルティモア〕〔カンザスシティ〕
アメリカでの報道「A dinner at the Baltimore」(Kansas City Times)
〔ニユーヘブン〕〔プロビデンス〕〔スプリングフィールド〕〔フィラデルフィア〕〔ワシントン〕〔ボルティモア〕〔シンシナティ〕
日本での報道「渡米実業団消息」(東京経済雑誌)
●1909(明治42)年11月14日(日)
〔デンバー〕
滞米第75日 - 降雪の中、午後7時半にデンバー到着。日本人会主催演説会には聴衆八百余名。渋沢栄一、新聞社などのために揮毫。テキサス方面を視察していた南、多木両夫妻が合流
〔オマハ〕〔デンバー〕
日本への発電「ブライアン氏の演説」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月15日(月)
〔デンバー〕
滞米第76日 - コロラド州庁、消防署、公共浴場、学校等を見学。夜はホテルで晩餐会。カリフォルニア分遣隊出発
日本への発電「デムバー市の歓迎」(竜門雑誌)
日本での報道「渡米団一行中の失策は趣味益々津々たり」(実業之日本)
●1909(明治42)年11月16日(火)
●1909(明治42)年11月17日(水)
●1909(明治42)年11月18日(木)
〔サクラメント〕〔サンノゼ〕〔デルモント〕
滞米第79日 - サクラメント停車場で、渋沢栄一は邦人に対し演説。サンノゼでは現地在留邦人と会談。デルモントで海岸線をドライブ後、ホテルで入浴と晩餐。テキサス分遣隊は一行に再び合流
〔サクラメント〕〔オークランド〕〔サンフランシスコ〕
加州分遣隊視察記(渡瀬農学士稿)
●1909(明治42)年11月19日(金)
〔ロサンゼルス〕
滞米第80日 - サンタバーバラを経てロサンゼルス到着。停車場でのレセプションの後、サンペドロ湾の港内施設を見学。渋沢栄一は風邪のためホテルで休養。日本よりテロ警戒の信書が届く
渋沢栄一、佐々木勇之助宛に書簡を出状。東京帰着時の扱いについて手配を依頼
渋沢栄一、穂積陳重宛に書簡を出状
〔デルモント〕
加州分遣隊視察記(渡瀬農学士稿)
〔ソルトレークシティ〕〔サクラメント〕〔サンノゼ〕〔デルモント〕〔ロサンゼルス〕
日本への発電「モルモン宗の歓迎」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月20日(土)
〔ロサンゼルス〕
滞米第81日 - 登山電車に乗りマウントローの見学。商業会議所で接見会の後、商品陳列場を見学。カリフォルニアクラブで午餐の後、ハリウッド、油田を巡覧
〔インディアナポリス〕〔セントルイス〕〔カンザスシティ〕〔オマハ〕
日本での報道「渡米実業団消息」(東京経済雑誌)
●1909(明治42)年11月21日(日)
〔ロサンゼルス〕
滞米第82日 - パサデナの農園見学、伊藤博文追悼会、エルクス・ホールにおける日本人演説会等。インペリアルバレー視察の一団出発
インペリアル・ヴアレー視察記(高辻奈良造氏報告摘要)
日本への発電「伊藤公追悼会」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月22日(月)
〔サンディエゴ〕
滞米第83日 - サンディエゴ到着。ロマ岬で神智教附属学校ラジャ・ヨガ学院を訪問。ホテル・デル・コロナドで商業会議所の午餐会
〔インペリアルバレー〕
インペリアル・ヴアレー視察記(高辻奈良造氏報告摘要)
日本への発電「伊藤公追悼会」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月23日(火)
〔リバーサイド〕〔サンバーナーディノ〕〔レッドランズ〕
滞米第84日 - リバーサイドでは現地邦人との接見の後、特別電車に分乗してシャーマン・インスティテュートを見学。レッドランドでは馬車に分乗し、スマイリー氏の私園を訪問後、商業会議所による午餐会
〔リバーサイド〕
インペリアル・ヴアレー視察記(高辻奈良造氏報告摘要)
●1909(明治42)年11月24日(水)
〔グランドキャニオン〕
滞米第85日 - エルトバー・ホテルを拠点にグランドキャニオン見学、ホピ・ハウスでは現地の舞踏を見る。ニューオーリンズ分遣隊、地方視察から戻り合流
渋沢栄一、特別列車の従業員に宛て感謝状を出状
●1909(明治42)年11月25日(木)
〔グランドキャニオン〕〔バーストー〕〔ベーカーズフィールド〕
滞米第86日 - バーストー駅で現地邦人より絵葉書が贈られ、ベーカーズフィールドでは雨の中を数十名の邦人が訪れる。車中で在サンフランシスコ永井領事による講演
在サンフランシスコ領事永井松三による講演「加州に於ける排日問題」
●1909(明治42)年11月26日(金)
〔オークランド〕〔サンフランシスコ〕
滞米第87日 - オークランドで特別列車に別れを告げる。バークレーのカリフォルニア大学見学後、フェリーに乗ってサンフランシスコ到着。体調不良で欠席していた渋沢栄一、接見会などに出席
渡米実業団、サンフランシスコに到着
太平洋両岸聯合商業会議所、貿易振興の具体化策について協議(第一委員総会)
●1909(明治42)年11月27日(土)
●1909(明治42)年11月28日(日)
〔サンフランシスコ〕
滞米第89日 - ホテルで在米日本人会主催の茶話会。午後はY.M.C.A.で歓迎会。日本倶楽部主催晩餐会の後、在米日本人会主催演説会。各地より来電多数
太平洋両岸聯合商業会議所、貿易振興の具体化策について協議(特別委員会開催)
日本への発電「凱旋門開門式」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年11月29日(月)
〔サンフランシスコ〕
滞米第90日 - 午前は各自視察と帰国準備、午後は一同で商業会議所、取引所を訪問。夜はセント・フランシス・ホテルで正式晩餐会
太平洋両岸聯合商業会議所、貿易振興の具体化策について協議(第二委員総会開催)
渋沢栄一、アメリカ大統領宛に謝礼の電報
太平洋聯合商業会議所、ローマン、随行米国委員に対し感謝の決議
渋沢栄一による声明書
●1909(明治42)年11月30日(火)
〔サンフランシスコ〕
滞米第91日/渡航初日 - 船内で留別朝餐会開催。午後1時、サンフランシスコ港を出航し帰国の途に就く
渋沢栄一ら渡米実業団一行、帰国にあたり留別の宴を開催
留別朝餐会でのローマンの演説原稿
日本への発電「最終の歓迎夜宴」(竜門雑誌)
日本への発電「地洋丸の告別宴」(竜門雑誌)
●1909(明治42)年12月1日(水)
●1909(明治42)年12月2日(木)
●1909(明治42)年12月3日(金)
●1909(明治42)年12月4日(土)
●1909(明治42)年12月5日(日)
●1909(明治42)年12月6日(月)
●1909(明治42)年12月7日(火)
●1909(明治42)年12月8日(水)
●1909(明治42)年12月9日(木)
航海第10日 - 風波やや激しく、船酔いをする者あり
アメリカでの報道「伊藤博文訃報に際し、渡米実業団と現地実業家の往復通信」(Commercial Club)
アメリカでの報道「Entertainment of the Honorary Commercial Commissioners of Japan」(Commercial Club)
●1909(明治42)年12月10日(金)
●1909(明治42)年12月11日(土)
航海第11日 - 無事
〔オマハ〕〔デンバー〕〔ソルトレークシティ〕〔デルモント〕〔ロサンゼルス〕〔グランドキャニオン〕〔オークランド〕〔サンフランシスコ〕
日本での報道「渡米実業団帰途に着く」(東京経済新聞)
●1909(明治42)年12月12日(日)
●1909(明治42)年12月13日(月)
●1909(明治42)年12月14日(火)
●1909(明治42)年12月15日(水)
航海第15日 - 開催が予定されていた総会は、激しい船の揺れで中止
地洋丸に対する感謝の決議
渋沢同族会開催、渋沢栄一帰朝の歓迎順序等について評議
日本での報道「米国一の富豪ロツクフエラー氏と会見す」(実業之日本)
●1909(明治42)年12月16日(木)
●1909(明治42)年12月17日(金)
〔横浜〕
航海第17日 - 渡米実業団一行、横浜に上陸
渋沢栄一を団長とする渡米実業団一行、横浜に帰着
横浜上陸後、横浜商業会議所による歓迎会に出席
東京に移動し、東京商業会議所で帰朝歓迎会。渋沢栄一は宮内省へ参内
東京商業会議所で歓迎会に続き解団式開催
渋沢栄一の演説「巧妙ニシテ、小村外相ノ歓迎演説ノ余リニ簡単冷淡ナルニ対シ、当意即妙、鋭利ニシテ然カモ円満ナル批評ノ如キ」
日本での報道「実業団の帰来」(東京日日新聞)
●1909(明治42)年12月18日(土)
●1909(明治42)年12月19日(日)
●1909(明治42)年12月20日(月)
●1909(明治42)年12月21日(火)
●1909(明治42)年12月24日(金)
●1909(明治42)年12月25日(土)
●1909(明治42)年12月26日(日)
●1909(明治42)年12月28日(火)
●1910(明治43)年1月1日(土)
●1910(明治43)年1月4日(火)
●1910(明治43)年1月5日(水)
●1910(明治43)年1月10日(月)
●1910(明治43)年1月14日(金)
●1910(明治43)年1月17日(月)
●1910(明治43)年1月22日(土)
●1910(明治43)年1月27日(木)
●1910(明治43)年2月1日(火)
●1910(明治43)年2月2日(水)
●1910(明治43)年2月22日(火)
●1910(明治43)年2月25日(金)
●1910(明治43)年3月1日(火)
●1910(明治43)年3月5日(土)
●1910(明治43)年3月19日(土)
●1910(明治43)年3月20日(日)
●1910(明治43)年3月21日(月)
●1910(明治43)年3月27日(日)
●1910(明治43)年3月28日(月)
●1910(明治43)年4月4日(月)
●1910(明治43)年4月8日(金)
●1910(明治43)年4月9日(土)
●1910(明治43)年4月10日(日)
●1910(明治43)年4月11日(月)
●1910(明治43)年4月12日(火)
●1910(明治43)年4月23日(土)
●1910(明治43)年4月30日(土)
●1910(明治43)年5月3日(火)
●1910(明治43)年5月15日(日)
●1910(明治43)年7月2日(土)
●1910(明治43)年7月18日(月)
●1910(明治43)年8月1日(月)
●1910(明治43)年8月23日(火)
●1910(明治43)年10月12日(水)
●1910(明治43)年12月17日(土)
●1910(明治43)年12月24日(土)
●1911(明治44)年1月25日(水)
●1911(明治44)年1月30日(月)
●1911(明治44)年2月11日(土)
●1911(明治44)年7月1日(土)
●1911(明治44)年7月3日(月)
●1911(明治44)年7月4日(火)
●1911(明治44)年12月7日(木)
●1911(明治44)年12月16日(土)
●1911(明治44)年12月17日(日)
●1911(明治44)年12月18日(月)
●1912(大正元)年12月17日(火)
●1913(大正2)年6月14日(土)
●1913(大正2)年12月17日(水)
●1914(大正3)年1月17日(土)
●1914(大正3)年12月19日(土)
●1914(大正3)年12月20日(日)
●1917(大正6)年4月20日(金)
●1917(大正6)年5月31日(木)
●1917(大正6)年9月24日(月)
●1918(大正7)年1月17日(木)
●1918(大正7)年12月17日(火)
●1919(大正8)年2月24日(月)
●1920(大正9)年9月7日(火)
●1920(大正9)年12月24日(金)
●1921(大正10)年1月20日(木)
●1922(大正11)年12月17日(日)
●1923(大正12)年12月7日(金)
●1925(大正14)年6月26日(金)
●1925(大正14)年12月10日(木)
●1926(大正15)年3月17日(水)
●1927(昭和2)年1月24日(月)
●1927(昭和2)年11月14日(月)
●1928(昭和3)年2月7日(火)
更新日 2014年2月7日