『渋沢研究』 一覧
16号2003年10月
渋沢栄一と道徳教育−高等商業学校における講話・修身講義からの考察− |
影山礼子 |
梅蘭芳訪日公演考−大正期の二回の公演について− |
袁英明 |
15号2002年10月
渋沢栄一と中国−その対中姿勢を中心として−(1) |
片桐庸夫 |
鶴見祐輔の「宣伝」活動−戦間期のアメリカを舞台として− |
上品和馬 |
14号2001年10月
在米日本人移民からみた日米人形交流−移民法改正運動から国際文化交流へ− |
是澤博昭 |
ジョン・B・コンドリフ、ウィリアム・L・ホランドと「太平洋問題調査会」の調査と出版計画 (英文) |
ポ−ル・F・フ−パ− |
戦後日本財界の国際社会への復帰−国際商業会議所 (ICC) 東京総会を中心として− (英文) |
木村昌人 |
研究ノート: 社会福祉関係資料の保存をめぐって−滝乃川学園の場合− |
中村修 |
13号2000年10月
明治前期会社組織の充実と渋沢栄一 |
高田あづみ |
太平洋問題研究会をめぐる朝鮮支会の動向−朝鮮事情調査研究会との関係を中心として− |
高 珽烋 |
養育院から慰廃園へ−ハンセン病「政策」前夜の一挿話− |
平井雄一郎 |
ウッドロー・ウイルソンの対フイリピン政策−ウィルソン主義の理想と現実− |
澤内里佳 |
米中関係史における失われた断面−太平洋問題調査会と南開経済研究所− (英文) |
周 銑 |
日本の文化人類学と太平洋問題調査会−民族研究所設立(1943)とアジアの脱植民地化をめぐって− (英文) |
浅野豊美 |
研究ノート: 渋沢栄一のフランス訪問−1902年を中心に− |
原 輝史 |
研究ノート: 東アジアの近代化における渋沢栄一の役割 (英文) |
ビン・シン |
12号1999年10月
英国救貧防貧事業の、調査、紹介、導入、展開に対する渋沢栄一の貢献 |
大谷まこと |
田園調布の生活施設整備過程と田園調布会による環境改善活動 |
福島富士子 |
帝国日本と「文明国標準」−大正期南洋群島問題を中心に− |
酒井一臣 |
11号1998年10月
日本国民性論をめぐる対立−澤柳政太郎と井上哲次郎の場合− |
伊藤雄志 |
「満州国」における治外法権問題と国籍法 |
浅野豊美 |
徂徠学・水戸学の規範化−渋沢栄一思想研究の前提− |
坂本慎一 |
国際連盟成立後のウィルソニアン国際主義と太平洋問題調査会 1925-1945 (英文) |
赤見友子 |
研究ノート: 太平洋問題調査会と私 (英文) |
ウィリアム・L・ホランド |
10号1997年10月
ル−ヴァン大学図書館への日本語書籍寄贈事業 |
小山 騰 |
養育院慈善会の<語り>と<読み>−「慈善事業の時代」再考− |
平井雄一郎 |
ジョン・ネルソンと戦間期カナダ民間外交の再発見 (英文) |
ロウレンス・T・ウッズ |
9号1996年10月
渋沢栄一の鉄道会社外資募集交渉−1902年の欧米旅行− |
小山 騰 |
1930年代前半期 日英関係の一側面−英外務省の日本経済認識と対日政策の変容− |
佐藤 晋 |
東アジアの地域主義と中国・日本の地域アイデンティティ (英文) |
彭 大進 |
研究ノート: 歴史としてのIPR−その栄光と悲惨− |
長尾龍一 |
8号1995年10月
一九二七年日米人形交流にみられる国民意識−「一等国」日本のコンプレックス− |
是澤博昭 |
地域主義再考−アジア太平洋地域指導者に対する組織をめぐる提案− (英文) |
ロウレンス・T・ウッズ |
7号1994年10月
東京市養育院感化部の成立と渋沢たち |
長沼友兄 |
渋沢栄一の「論語算盤説」と日本的な資本主義精神 |
王 家驊 |
掲疑二則−「信為万事本」と「義利両全」− |
塚田孝雄 |
「太平洋意識」の興隆と衰退−太平洋問題調査会 (Institute of Pacific Relations) の実験 1925-1930 (英文) |
赤見友子 |
研究ノート: 渋沢栄一と静岡商法会所 |
佐々木聡 |
6号1993年10月
明治後期日本の対米陶磁器輸出と森村市左衛門の経営理念 |
大森一宏 |
日本人移民と社会事業−アメリカ救世軍日本人部の活動を中心に− |
坂口満宏 |
渋沢栄一・国民外交の行方−日本における「世界児童親善会」への認識とその後の展開− |
是澤博昭 |
田園都市株式会社の田園郊外住宅地−戦前の郊外住宅地開発− |
福島富士子 |
太平洋問題研究会における日米関係委員会の活動 (英文) |
山岡道男(大城ジョ−ジ訳) |
明治前期日本における「会社」のイメージ (英文) |
高田あづみ |
研究ノート: 1920年代・1930年代における太平洋問題調査会と太平洋の平和問題 (英文) |
片桐庸夫 |
5号1992年10月
「青い目の人形交流」誕生の背景とその波紋−日米関係改善に向けての一つの試み 或いは渋沢栄一、L・ギューリックの見た夢− |
是澤博昭 |
朝鮮問題における日本財界と大陸浪人−日露戦後期を中心として− |
李 廷 江 |
太平洋問題調査会(IPR)小史 (英文) |
ポ−ル・フ−パ− |
研究ノート: 太平洋問題調査会(IPR)と日本1925−1936 (英文) |
片桐庸夫・大城ジョージ |
4号1991年10月
明治期の東京養育院−「公設」の原型をめぐる− |
山名敦子 |
サンフランシスコ大地震(1906年)と日本の対応−積極的な対米イメージつくり− |
賀川真理 |
研究ノート: 明治女学校の実像−「女学雑誌」誌上の広告を中心に− |
武石朋子 |
研究ノート: 渋沢栄一研究のフロンティア (英文) |
渋沢雅英 |
2号1990年10月
民間経済外交指導者としての渋沢栄一(2) |
木村昌人 |
成瀬仁蔵と渋沢栄一−その交流と教育思想における接点− |
影山礼子 |
創刊号1990年 3月
渋沢栄一と国民外交−米国に於ける日本人排斥問題への対応を中心として− |
片桐庸夫 |
民間経済外交指導者としての渋沢栄一(1) |
木村昌人 |
渋沢栄一の労使観と協調会 |
島田昌和 |
研究ノート:「太平洋問題調査会」研究への取組み方について |
山岡道男 |
キリスト教による国際化と渋沢栄一−20世紀初期の国際キリスト教運動に対する戦前日本エリートの思想と活動− (英文) |
大城ジョ−ジ |
研究ノート: 「太平洋問題調査会」研究への取組み方について |
山岡道男 |