公開日: 2008.03.10
渋沢栄一は、文久3(1863)年旧暦11月8日、渋沢喜作とともに故郷血洗島を出立、伊勢神宮参拝を名目に京都に赴きます。一橋慶喜に仕官し、京都に定住の後、ヨーロッパへ派遣されました。帰国後、短期間、静岡に住み、明治2(1869)年に上京後は、湯島天神中坂下、神田小川町裏神保小路に住みましたが、それ以後の住居は以下のように移りました。
1916(大正5)年の渋沢栄一の言葉によると・・・・
甘味や脂肪分の多い食べ物を好み、時々お菓子をいただくこともあったそうで、晩餐では、天ぷらや鰻、けんちん汁、野菜(ナスやお芋)を食べていたそうです。
朝昼晩のお食事を紹介すると・・・・
朝は、オートミール(ミルク、砂糖入り)とスープ、半熟卵2個、トースト2枚、紅茶と果物を食べます。昼は、洋食。晩は、日本食であれば、常盤、新喜楽、瓢家の料亭で、洋食であれば、帝国ホテル、築地・上野の精養軒、中央邸で会食をされていたそうです。