公開日: 2008.03.10 / 最終更新日: 2016.12.27
渋沢栄一が関わった会社は500と言われていますが、それらの会社をすべて「作った」わけではありません。自ら設立することもあれば、設立する人に助言したり、資金や人材を集めるのを助けたり、時には揉め事の仲裁をしたりしました。栄一が設立や経営に関わった会社が約500ある、ということです。さらに社会公共事業として、約600の団体に関わっています。
渋沢栄一が関わった約500社のうち約6割の会社は、合併・国有化等を経て何らかの形で現在も事業を継続しています。例えば王子製紙、東洋紡績、石川島造船所、帝国ホテルなどの会社は、社名が変遷している場合もありますが現在も存続しています。また約3割の会社は解散又は不成立、残りの1割は設立後の経過不明(おそらく消滅)です。詳しくは渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図をご覧下さい。
第一銀行は現在のみずほ銀行に継承されています。渋沢栄一により1873(明治6)年日本最初の商業銀行として設立された第一国立銀行は、1896(明治29)年に株式会社第一銀行と改称しました。その後の変遷を経て1971(昭和46)年に日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となりました。更に富士銀行と日本興業銀行との合併を経て2013(平成25)年に現在のみずほ銀行となりました。詳しくは渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図の銀行:第一・勧業・興銀をご覧ください。
竜門社は渋沢栄一を慕って、東京・深川福住町の渋沢邸に寄寓していた書生たちの始めた勉強会が起源となり、1886(明治19) 年に生まれました。竜門社は渋沢栄一がつくったものではありません。「竜門社」の名づけ親は、栄一の学問の師である尾高惇忠で、代表である社長は栄一の長男・篤二が務めました。当初は親しい者同士の勉強会でしたが、その後「社則」を定め、機関誌『竜門雑誌』(現在、『青淵』と改題)を発行して、自分たちの意見を社会に発信していきます。その後、渋沢栄一の指導のもと会員が共に歩み、会員数も増加していき、1924(大正13)年には財団法人となりました。
戦後には、渋沢青淵記念財団竜門社となり、そして2003(平成15)年には財団法人渋沢栄一記念財団と名称を変え、2010(平成22)年に公益財団法人となりました。
竜門社の名称変遷は渋沢栄一記念財団沿革図をご覧ください。