社会の主なできごと : 慶応4年1月 戊辰戦争始まる。 3月 五箇条の誓文。 4月 江戸開城/ 明治2年6月 版籍奉還。 9月 徳川慶喜謹慎解かれる/ 12月 府・藩・県製造紙幣通用禁止。 東京・横浜間に電信開通 |
身 辺 : 明治元年12月23日 静岡へ。旧主慶喜に拝謁。静岡藩勘定組頭に/ 明治2年11月4日 新政府に仕官 |
この詳細年譜は、『渋沢栄一伝記資料』綱文を年月日順に配列したものです。(⇒凡例)
▼ 慶応4~明治元年(1868) | 明治2年(1869) / 凡例 ▼
慶応4~明治元年 (1868) 〔28歳〕 |
事 項 | 『伝記資料』 |
1月-- | [幕府仕官時代] 幕府瓦解の報相踵いで到り、衆皆愕然たり。尋いで三月二十一日附朝廷の帰朝命令到る。栄一予め期する所あり。外国奉行栗本安芸守と謀り、昭武の滞仏留学継続・幕府留学生帰朝の件を決し、其の資金の調達に任ず。然れども七月帰朝に決し、栄一等其準備を為す。 |
第01巻 p.612-p.696 【DK010049k】 |
2月14日 | [幕府仕官時代] 外国奉行支配調役を命ぜらる。 |
第01巻 p.697 【DK010050k】 |
5月23日 | [幕府仕官時代] 是より先、官軍東征す。尾高惇忠・渋沢喜作等徳川氏の寃を鳴らし、同志を糾合して彰義隊を組織し、江戸東叡山に拠りて之に抗せんとす。故あり、幾もなく之を脱して別に振武軍を組織し、武州飯能に屯す。栄一の義子平九郎亦之に加はる。是日戦敗れ、奔りて入間郡黒山村に到りて自殺す。 |
第01巻 p.697-p.704 【DK010051k】 |
6月-- | [幕府仕官時代] 開成所奉行支配調役に任ぜらる。 |
第01巻 p.704 【DK010052k】 |
明治元 11月3日 |
[幕府仕官時代] 是より先九月四日徳川昭武マルセーユを発して帰朝の途に就き是日横浜に着す。栄一も亦随ひて帰り尋いで十二月朔日血洗島に帰省す。文久三年郷関を出でてより此に至りて実に六年なり。 |
第02巻 p.3-p.67 【DK020001k】 |
11月18日 | [幕府仕官時代] 尾高長七郎逝く。 |
第02巻 p.67-p.69 【DK020002k】 |
12月23日 | [静岡藩仕官時代] 是より先十二月八日帰京の後凡そ十日公私の用務を整理し、同月十九日徳川昭武の親書並に渡仏一行の費用の勘定書を持して静岡に到る。是日前将軍徳川慶喜に静岡宝台院に謁して帰朝の復命を為し、昭武の親書を上る。慶喜内命を下して栄一を静岡に留まらしめ、勘定組頭となし、尋で勘定頭支配同組頭格御勝手懸り中老手附を命ず。 |
第02巻 p.70-p.93 【DK020003k】 |
▲ 慶応4~明治元年(1868) | 明治2年(1869) / 凡例 ▼
明治2年(1869) 〔29歳〕 |
事 項 | 『伝記資料』 |
1月16日 | [静岡藩仕官時代] 是より先、前年十二月静岡藩勘定頭平岡準蔵に商法会所の設立を建議して容れられ、是日静岡紺屋町に商法会所を開く。栄一其頭取たり。 |
第02巻 p.93-p.109 【DK020004k】 |
2月-- | [静岡藩仕官時代] 商法会所の用務を帯びて東京に出で、妻子を伴ひて三月十二日静岡に帰る。 |
第02巻 p.109-p.115 【DK020005k】 |
3月18日 | [静岡藩仕官時代] 勘定頭小栗尚助及び商法会所頭取たる栄一等列座して商法会所事務取扱方の刷新を諭告す。尋で四月二十日栄一清水港に出張し、五月十日帰府す。栄一出張の前後殆ど連日出勤して事務を統轄す。 |
第02巻 p.115-p.133 【DK020006k】 |
6月6日 | [静岡藩仕官時代] 外国官の召に応じ、是日静岡を発して東京に出で、或は書面を以て或は出頭して、徳川昭武仏国滞在中の家屋賃貸料 什器売却代等に付説明す。八月十五日静岡に帰着す。其間商法会所に於て紛擾あり。栄一書翰を以て之が対策を指示す。 |
第02巻 p.133-p.178 【DK020007k】 |
7月27日 | [静岡藩仕官時代] 通称篤太夫を改め篤太郎と為す。 |
第02巻 p.178-p.179 【DK020008k】 |
8月27日 | [静岡藩仕官時代] 是より先、商法会所を改革し、常平倉を設立せんとの議あり。栄一意見書を提出して容れられ、是月二十五日会計掛付常平倉掛を命ぜられ中士と心得可しと達せられしが、是日商法会所を廃止す。 |
第02巻 p.179-p.184 【DK020009k】 |
9月1日 | [静岡藩仕官時代] 常平倉を開設し、旧商法会所用達等に常平倉取扱方用達肝煎及び用達を命ず。 |
第02巻 p.184-p.199 【DK020010k】 |
10月3日 | [静岡藩仕官時代] 常平倉役所を静岡常慶町教覚寺に徒し、尋いで呉服町旧目付屋敷に移す。 |
第02巻 p.199-p.207 【DK020011k】 |
11月4日 | [民部大蔵両省仕官時代] 是より先本年十月十八日附太政官の弁官より出京す可き旨の命あり。乃ち常平倉の事務を整理し、同月二十六日静岡を発して東京に出で、是日民部省の租税正に任ずる宣旨を拝す。栄一辞意を抱きしも、是月十八日大蔵大輔兼民部大輔大隈重信の説得により其辞意を飜す。 |
第02巻 p.208-p.274 【DK020012k】 |
11月20日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省各地方米穀時価書を録申せしむる様式を民部省より府県に頒示す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.274-p.275 【DK020013k】 |
11月下旬 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省内に改正掛を置く。栄一の建議する所にして、栄一其の掛長たり。 |
第02巻 p.275-p.289 【DK020014k】 |
11月-- | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省府藩県をして全国道程の実里数を計査して之を録上せしむ。栄一改正掛長として之に与る。 |
第02巻 p.289-p.290 【DK020015k】 |
12月2日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部大蔵両省租税司の立案に基き府県常備金規則の二項を詳解して之を追示す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.290-p.291 【DK020016k】 |
12月3日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省清酒、濁酒、醤油醸造税則を改定す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.291-p.292 【DK020017k】 |
12月3日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省北海道産物を料理する規則を設定す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.292-p.293 【DK020018k】 |
12月5日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省諸藩管轄地の彼此に隔絶する者を還納せしむる方法を議定す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.293-p.294 【DK020019k】 |
12月8日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省旧幕府の慣用せし稟米張紙直段法を廃止し、租米石代金納法を施行す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.294-p.295 【DK020020k】 |
12月8日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省罹災窮民の済恤方規を設定す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.295 【DK020021k】 |
12月12日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省関東諸国各藩管轄地内に在る清酒、濁酒、醤油醸造戸の提理を其の各藩に委任す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.295-p.296 【DK020022k】 |
12月17日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省夫食米、仮〓資、耕具資、種稲麦を済貸する規例を議定す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.296 【DK020023k】 |
12月18日 | [民部大蔵両省仕官時代] 是より先栄一居を湯島天神中坂下に定め、家族を静岡より呼寄せたりしが、是日家族着京す。 |
第02巻 p.297-p.305 【DK020024k】 |
12月20日 | [民部大蔵両省仕官時代] 禄制を立定せるに因り士族の采地は悉皆之を還納せしめ、明年庚午以後は官領郡村に比準して租税を徴収す可きを民部省より府県に達す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.306 【DK020025k】 |
12月22日 | [民部大蔵両省仕官時代] 民部省府県に申達して三年正月を期し元年額の取箇目録書を録上せしむ。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.306 【DK020026k】 |
12月27日 | [民部大蔵両省仕官時代] 太政官府県に令し本年凶荒歳入欠減するを以て予備米金の儲蓄を停罷せしむ。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.306-p.307 【DK020027k】 |
12月-- | [民部大蔵両省仕官時代] 民部外務両省西洋形商船の税則を設定す。尋で翌三年一月二十七日太政官蒸気郵船規則中に該税則を規定し頒布す。栄一租税正として之に与る。 |
第02巻 p.307-p.308 【DK020028k】 |
この詳細年譜は、『渋沢栄一伝記資料』綱文を年月日順に配列したものです。