わがまちの渋沢栄一

6 時事新報社 ~東京都・千代田区~

『青淵』No.898 2024年1月号|情報資源センター

 2024年7月、新紙幣発行に伴い1万円札の肖像が渋沢栄一に変わります。これを記念して2024年の「わがまちの渋沢栄一」では、お札の肖像に関する人物と栄一のかかわりについてご紹介します。


 『渋沢栄一伝記資料』別巻第10に、福沢諭吉の肖像が掲げられた展示を眺める栄一の写真が収録されています。同写真のキャプションには「福沢諭吉展にて」「時事新報社」とあり、撮影日は1927(昭和2)年5月24日であることがわかります。時事新報社は、1882(明治15)年3月1日、福沢諭吉が創刊した新聞『時事新報』を発行する出版社です。当時、政党機関紙化する新聞の多かった新聞業界において、いずれの政党にもよらない「独立自尊」を主義とした同紙は好評を博しました。慶応義塾、交詢社と合わせて福沢の三大事業と称されています。時事新報社は関東大震災後の1926(大正15)年12月12日、社屋を八重洲町1丁目1番地(現在の東京都千代田区丸の内2-2-1)に新築移転します。『伝記資料』別巻第2の栄一の日記には、1927(昭和2)年5月24日に「時事新報社諸設備完成ニ付披露(同社)」とあるので、先ほどの写真の「福沢諭吉展」は社屋完成披露の一場面であったようです。

 本誌『青淵』の前身『竜門雑誌』には『時事新報』掲載の栄一関連記事が多数転載されています。時局に関して記者の取材に応じ談話したものや講演会で話した内容を記者がまとめたもの、栄一の動静を報じるものなど、同紙がその時々の栄一の意見や様子を知ることのできる場であったことがわかります。栄一が亡くなった1931(昭和6)年11月の『竜門雑誌』第518号には「澁澤子爵を惜む」という題の社説が転載されています。この記事によると栄一は長年『時事新報』の愛読者であり、同紙記事についてたびたび助言していたこと、時事新報社の企画「義勇表奨会」の評議員、「時事新報名誉章」「時事新報芸術名誉章」の審査委員を務めていたことが記されています。また『伝記資料』には、ほかにも同社主催の「郵便集配人慰労会」「灯台守慰問表彰会」などにも参加していたことが収録されています。

 福沢と栄一の交流はそれほど多くはなかったようですが、のちに栄一は自身の福沢諭吉観を述べて、彼の主義や主張を評価しました。また栄一は、福沢と将棋を指した様子を述懐しています(注1)。その時の勝負は栄一の勝ちだったようです。時事出版社で福沢の肖像を見た栄一は、対戦当時の情景を思い起こしていたかもしれませんね。

【注】
1.『雨夜譚会談話筆記』より。大隈重信邸での対戦時、福沢が「商売人にしては割合強い」と言うと栄一は「ヘボ学者にしては強い」と応酬した。

福沢諭吉展にて 時事新報社(昭和2年5月24日)

535 福沢諭吉展にて1
536 福沢諭吉展にて2

栄一の訪れた「時事新報社ビル」は、1937(昭和12)年に関西の鉄鋼問屋である岸本商店の岸本家に売却、改修され賃貸ビル「岸本ビルヂング」となる。1980(昭和55)年、建て替えのため解体。現在建っている同名のビルは建て替え後のもの。
(画像は「渋沢栄一フォトグラフ」より)



時事新報社主催灯台守慰問表彰会第一回委員会記念撮影 東京会館(昭和3年9月27日)

576 時事新報社主催灯台守慰問表彰会第一回委員会記念撮影

時事新報社の企画した灯台守慰問表彰会について話し合うため、栄一は東京会館で行われ同委員会に出席した。栄一は委員を引き受けた理由について「深く灯台守の孤独の生活に同情する所があつたからである、人間が一人で居ること位つらいことはない(略)時事新報社の今回の計画は誠に情の深い美挙であつて、私もこれを知つてその主旨に賛成もしまた少々ばかり寄附もした次第である」と述べている。
(画像は「渋沢栄一フォトグラフ」より)



【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第7巻、第40巻、第45巻、第49巻、別巻第10
『竜門雑誌』第278号、第308号、第518号
『青淵』第94号、第429号、第430号
『時事年鑑』昭和6年版(時事新報社、1930年)
『丸の内百年のあゆみ』(三菱地所、1993年)
『起業家福沢諭吉の生涯』(有斐閣、2002年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第49巻|時事新報社発起義勇表奨会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?49#a31090502

・第49巻|時事新報社主催郵便集配人慰労会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?49#a31090504

・第49巻|時事新報社主催灯台守慰問表彰会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?49#a31090509

渋沢栄一ダイアリー
・1927年5月24日
https://shibusawa-dlab.github.io/app1/item/DKB20029m-0128

渋沢栄一フォトグラフ
・福沢諭吉展にて 1 時事新報社(昭和2年5月24日)栄一背後の眼鏡をかけたるは波多野承五郎https://denkiphoto.shibusawa.or.jp/annotate/photo/11bb7558-059c-4035-b4eb-33fe4a745bc3/info

・福沢諭吉展にて 2 時事新報社(昭和2年5月24日)
https://denkiphoto.shibusawa.or.jp/annotate/photo/3dcc4a3e-ff44-4c7b-8551-c229e1e5a961/info

・時事新報社主催灯台守慰問表彰会第一回委員会記念撮影 東京会館(昭和3年9月27日)
https://denkiphoto.shibusawa.or.jp/annotate/photo/e11926ac-fcef-4bc8-be75-84922703cbe1/info

※本記事は『青淵』2024年1月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。


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