わがまちの渋沢栄一

4 旧黒須銀行 ~埼玉県・入間市~

『青淵』No.880 2022年7月号|情報資源センター

 日差しに温かさを感じ始めた4月上旬、埼玉県入間市にある旧黒須銀行を見学しました。西武池袋線入間市駅で電車を降りて国道299号に入り霞川を渡った先に、明治時代に建てられた2階建て土蔵造りの銀行建築が見えてきます。当日は特別公開日で「渋沢栄一ゆかりの旧黒須銀行」というのぼりが立っていました。普段は内部を見ることができないため、午前中から複数の見学の方がおり、関心の高さを感じました。

 現在見ることのできる旧黒須銀行の建物は1909(明治42)年に本店営業所として建てられたもので、1960(昭和35)年までは後身の埼玉銀行豊岡支店として使用されました。1965(昭和40)年に郷土民芸館となったのち、現在は入間市博物館が管理する市指定文化財となっています。内装は郷土民芸館時代に手が加えられていますが、1階受付カウンターや2階会議室に銀行当時の面影を感じることができます。

 株式会社黒須銀行は繁田(はんだ)満義(注1)と息子の発智庄平、繁田武平(翆軒)ら地元有力者が中心となって、1900(明治33)年に設立した銀行です。1922(大正11)年に武州銀行と合併、その後は埼玉銀行、あさひ銀行などを経て、現在の埼玉りそな銀行へとつながります。栄一は同行設立を支援、 設立後は顧問となりました。栄一の日記によると1899(明治32)年6月、幕末の飯能戦争で亡くなった渋沢平九郎の弔いのため従兄弟の尾高惇忠とともに越生町に向かう途中、繁田家に立ち寄ったと記録されています。この時、満義から銀行設立の相談を受け、栄一は賛意を示して助言しました。黒須銀行はその道徳的経営で知られ、栄一は設立15周年の記念に同行の別名である「道徳銀行」を揮毫し贈りました。この扁額は現在、埼玉りそな銀行本店に掲げられています。複製は旧黒須銀行や入間市博物館で見学できます。

 栄一は若き日より商売で同地を訪れていました。一説には繁田満義とは尾高惇忠の下で勉学を共にしていたといわれ、早くから繁田家とのつながりがあったようです。またのちに栄一の仕事仲間になる赤松則良は満義の甥でした。さらに栄一は、満義の息子たちや衆議院議員の粕谷義三ら同地出身者と同行以外にも様々な事業でともに名を連ねています。武平が地元で推進した豊岡公会堂の建設も支援しました。入間市内には栄一が揮毫した「三輪神社本殿改築記念碑」も残されており、同地と強い結びつきがあったことをうかがい知ることができます。

 建築から100年以上が経つ旧黒須銀行では、入間市博物館が中心となって復元と活用のためのプロジェクトが進められています。特別公開日には活動支援のための募金箱の設置や特製手ぬぐいなどオリジナルグッズの販売も行われています(注2)。興味のある方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

【注】
1.「満義」は「みつよし」と読むが地元では「まんぎ」とも呼ばれる。繁田家では代々「武平」という名を継いでおり、特に武平として知られる満義の息子翆軒は13代目。
2.2022年8月現在。

旧黒須銀行外観(左)とそろばん裏面(右)

旧黒須銀行外観そろばん裏面

時代を経て今も当時の面影を残しています。かつて銀行の裏手には融資の担保として預かる繭を保管する倉庫があり、屋根には地元産の小谷田瓦が葺かれていました。得意先に配られたそろばんの裏には「信用は資本なり」と刻まれています。銀行の行章は「丸に信」。行章は瓦にもつけられました。そろばんと瓦の一部は銀行内で展示されています。(写真は2022年4月9日撮影)



三輪神社本殿改築記念碑

三輪神社本殿改築記念碑

入間市中神にある三輪神社の境内に立つ碑で、1912(大正1)年9月に建立されました。正面に「三輪神社本殿改築記念碑 従三位勲一等男爵渋沢栄一書」とあって、渋沢栄一による揮毫とわかります。栄一と同神社のかかわりや揮毫の経緯は、詳しい史料が見つかっておらず判明していません。(写真は2022年4月9日撮影)



【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第1巻、第5巻、第48巻
『青淵』第756号、第801号
『黒須銀行十五年史』(黒須銀行、1914年)
『黒須銀行史』(黒須銀行、1920年)
『埼玉の先人渋沢栄一』(さきたま出版会、1983年)
『入間市史調査集録』第五号(入間市史編さん室、1986年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第5巻|株式会社黒須銀行
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?05#a2101010418

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・銀行:関東B〔金融〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/71

※本記事は『青淵』2022年7月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。


一覧へ戻る