わがまちの渋沢栄一

3 感染症と栄一 ~東京都~

『青淵』No.856 2020年7月号|情報資源センター

 渋沢栄一の生きた明治・大正の時代、コレラや結核、ペストやスペイン風邪といった感染症が繰り返し猛威を振るい、人びとを苦しめました。栄一の妻、千代も1882(明治15)年に流行したコレラによって、42歳の若さで急逝しています。今回は、栄一が目に見えない病原体の脅威にどのように臨んでいたのか、その事績が現在にどうつながっているのか、コレラと結核に関する事業を例に紹介いたします。

東京地方衛生会
 1879(明治12)年、日本全土でコレラが流行しました。医学博士北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう、1853-1931)の調査報告によると、罹患者の6割以上が死亡する当時最大の流行でした。
 内務省はこの年、衛生行政として中央衛生会を設置。各府県にも地方衛生会が設立されることになり、日本橋区蠣殻町(現・東京都中央区)に東京地方衛生会が開設されました。栄一は同会委員、幹事に就任し、予防費を寄付するなど尽力しています。
  同会は、病気の予防や消毒の方法、検疫、病院の設置など衛生上の事項を協議しました。栄一も各区に衛生掛を置くことを建議しています。同会の決議によって、病院への隔離、軽症者の自宅療養、劇場など人が集まる場所の閉鎖と消毒が行われています。またこうした感染症対策によって仕事ができなくなり困窮する世帯には、一人当たり2、3合の米の供給を行うことが話し合われていたようです。
 また同会は、避病院(ひびょういん)と呼ばれる感染者を収容し治療する専門施設を建設しました。こうした避病院は、感染症流行時に一時的に建設され、流行が収束すると取り壊されていましたが、後年常設化され、地域医療の拠点となりました。

「本会に於てハ患者二万人までの世話を為しその為に避病院を洲崎・大久保・駒込・深川等に設置し、建築その他百端の費用ハ凡そ三十万円の見込にて、是は官の臨時出費を乞ふ積りなりとの事」(注1)

 上記の病院は、現在の公益財団法人東京都保健医療公社大久保病院や、がん・感染症センター東京都立駒込病院、東京都立墨東病院などの前身となっています。

結核療養所・日本結核予防協会
 コレラだけではなく、国民病と呼ばれた結核も、毎年何万人もの人びとが亡くなる恐ろしい病気でした。栄一が生涯にわたり院長を務めた養育院(現・東京都健康長寿医療センター)でも、感染症専門の分院や小児患者のための療養所(のちの養育院安房分院、現・東京都船形学園)を設置しました。
  また栄一は、救世軍の結核療養所の開設にも協力しました。1913(大正2)年には、救世軍機関誌に大隈重信らと連名で「救世軍療養所設立に賛助を仰ぐ状」と題して寄稿しています。同療養所は1916(大正5)年、和田堀町(現・東京都杉並区)に開設され、栄一は祝辞を寄せました。療養所は現在、救世軍ブース記念病院になっています。
 さらに栄一は、北里柴三郎とともに、結核の予防と撲滅を目的にした日本結核予防協会を設立しました。栄一は副会頭となり、機関誌への寄稿や活動資金集めなどに奔走しました。1921(大正10)年には財団法人に改組し、栄一は会頭となりました。同協会は「結核予防デー」を開催するなど、結核の正しい知識の普及と教育に努めました。また「結核予防法」の制定を目指して調査研究や当局への建議を行い、1919(大正8)年同法が制定されるに至ります。その内容は現在の「感染症法」に引き継がれています。同協会は、1939(昭和14)年に財団法人結核予防会(現・公益財団法人結核予防会)が設立されると発展的に解散し、その活動を託しました。

 渋沢栄一は、感染症の予防と撲滅のため、医療施設の設立や公衆衛生の向上に力を尽くしました。そうした事業の中には現在、感染症対策の最前線となっている医療施設もあります。時代が移り、病魔の種類は変わっても、栄一と感染症の戦いは続いているのです。

【注】
1.『渋沢栄一伝記資料』第24巻、p.418

北里柴三郎

北里柴三郎

1853(嘉永5)年、熊本生まれ。破傷風の血清療法確立、ペスト菌の発見などの功績を残す。感染症予防と細菌学の研究を行い、「日本細菌学の父」と呼ばれる。1893(明治26)年、日本初の結核専門病院「土筆ヶ丘養生園」を開園。1914(大正3)年には、感染症研究のため「北里研究所」を設立した。
 渋沢栄一とは、日本結核予防協会のほか、社団法人同愛社、熊本回春病院、恩賜財団済生会、社団法人癌研究会、三共株式会社などの事業でかかわりを持った。(写真出典:国立国会図書館ウェブサイト



【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第24巻、第29巻、第31巻
『医事新聞』第16号(医事新聞社、1879年)
『大日本施薬院小史』(恩賜財団済生会、1911年)
『東京市立本所病院一覧』(本所病院親和会、1941年)
『神の国をめざして』第一巻(救世軍出版供給部、1991年)
『養育院百二十年史』(東京都養育院、1995年)
『養育院・渋沢記念コーナー』(東京都健康長寿医療センター、2014年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第24巻|東京地方衛生会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?24#a22010301
・第29巻|同族
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?29#a23010101
・第31巻|財団法人日本結核予防協会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?31#a31010406
・第31巻|救世軍療養所
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?31#a31010408

※本記事は『青淵』2020年7月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。


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