わがまちの渋沢栄一

2 青淵先生の水戸旅行 ~茨城県・水戸市~

『青淵』No.853 2020年4月号|情報資源センター

 1916(大正5)年5月28日、渋沢栄一は講演のため汽車に乗り、茨城県水戸市を訪れました。『竜門雑誌』第337号(1916年6月)には「青淵先生の水戸旅行」として、当日および翌29日までの様子が紹介されています。栄一の2日間の足取りについて、文献を参考に下記の通りまとめてみました。

 5月28日
 午前8時10分 上野駅発 土浦・石岡を経て水戸駅着。
        公会堂にて昼食。物産陳列館を観覧。
        弘道館へ移動。孔子廟拝観ののち、園内を巡覧。
 午後1時    感化院長協議会にて講演。
        市内巡覧(彰考館、常盤公園、好文亭等)
 午後7時    公会堂にて歓迎会。
        常磐公園付近の清香亭に宿泊。
 5月29日
 午前9時   県立商業学校にて演説。
 午前11時半  水戸駅発。帰京。

物産陳列館・公会堂
 栄一が水戸に到着してまず訪れた物産陳列館は、県内物産の販路拡大と生産奨励などを目的として、栄一来訪の前年1915(大正4)年7月に開館しました。栄一が昼食と歓迎会に臨んだ公会堂は、物産陳列館の2階で、1000人を収容できたほか、貴賓室や食堂なども備えていました。

弘道館
 弘道館は1841(天保12)年、水戸藩の藩校として開かれました。弘道館を中心に「水戸学」が発展し、幕末の日本に影響を与えていきます。弘道館は栄一が仕えた徳川慶喜が幼い頃学んだ場所でもあります。栄一は講演で、「元来私は水戸派の学問を多く修めた人から多少漢籍を学び」「一ツ橋家に於て慶喜公に数年御奉公を致し」「水戸と云ふ土地には甚だ深い感情を有つて居ります」と水戸への思いを披露しています。(注1)

感化院長協議会にて講演
 栄一の講演は、茨城県主催で開催された「第2回関東・東北・北海道感化院長協議会」において、中央慈善協会(現・全国社会福祉協議会)の会長として招待されたものです。栄一は、自身が設立、運営に深く関わった養育院における感化事業について、院に収容した子ども達の「将来をどう云う風にしてやったならば良いか、養う事は出来ますが(中略)これを教えると共に将来の立身方法も講ぜねばならぬ」と話しています。
 栄一は養育院院長として、東京・井の頭公園内に土地を借り受け、非行少年や孤児のための学校を設立しています(養育院感化部井の頭学校、現・東京都立荻山実務学校)。学校では子ども達を保護するだけでなく、将来生活ができるように教育や職業訓練も行いました。

常磐公園
 水戸の偕楽園として知られる景勝地に栄一も訪れました。この旅で宿泊した清香亭は、常磐神社下にあった料亭です。残念ながら戦災で焼失してしまいました。なお、常盤公園内に義公・水戸光圀の銅像を建立する話が持ち上がった際、栄一は水戸市長や建設中心者らと会見、相談しています。(注2)

県立商業学校にて演説
 「感化院長協議会」での講演の翌日、栄一は県立商業学校(現・県立水戸商業高等学校)を訪れます。同校講演部による講演依頼を受けての事でした。題目は「経済と道徳」で、経済と道徳の一致による真の国力の発揮や商人の人格修養について話しました。
 商業学校での演説ののち、栄一は水戸駅を出発。1泊2日の旅を終え、東京へ戻りました。

【注】
1.『渋沢栄一伝記資料』第30巻、p.856
2.同上第49巻、p.232

弘道館

弘道館

第9代水戸藩主の徳川斉昭による藩政改革の一つとして開設。藩校としては日本最大の規模を誇った。写真は弘道館の中心施設である正庁の玄関(2020年1月29日撮影)。奥に徳川慶喜が幼少期に学んだ至善堂がある。正庁、至善堂および正門は国の重要文化財に指定されている。



【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第30巻、第49巻、別巻第2
『竜門雑誌』337号
『茨城県物産陳列館年報』(茨城県物産陳列館、1917年)
『慈善』第8編第2号(中央慈善協会、1916年)
『水商百年史』(茨城県立水戸商業高等学校創立百周年記念事業実行委員会、2002年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第30巻|関東・東北・北海道感化院長協議会
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?30#a31010304
・第49巻|水戸光圀銅像建設
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?49#a3109021301

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・社会福祉A〔社会事業〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/380

※本記事は『青淵』2020年4月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。


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