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『青淵』No.893 2023年8月号|情報資源センター 若狭正俊
情報資源センターでは渋沢栄一の代表的著述『論語と算盤』のデジタル化プロジェクトを進めています。このプロジェクトでは単に書籍のページ画像やテキストをインターネット公開するだけではなく、本書を総合的に理解し、研究や教育にも役立てられるよう、編者や出版社など関連情報についても詳しく調査を行っています。本センターだよりでは初出の出版者である東亜堂書房について、これまで調査した内容をまとめて報告いたします。
1903(明治36)年12月6日 | 東京市本郷区本郷1丁目9番地に創業。社名、東亜堂書店。代表、伊東芳次郎。 |
1904(明治37)年8月 | 出版業兼営。 |
1905(明治38)年10月頃 | 自社出版物に「東亜堂書房」と記すようになる。 |
1910(明治43)年12月2日 | 神田区鍛冶町8番地に移転。書籍小売業を廃止、出版専業となる。 |
1914(大正3)年4月頃 | 牛込区神楽町1丁目1番地に新築移転。 |
1914(大正3)年7月29日 | 「東亜堂」登記完了。 |
1916(大正5)年9月13日 | 『論語と算盤』初版刊行。「縮刷名著叢書」シリーズ第37編。 |
1916(大正5)年9月15日 | 『論語と算盤』再版刊行。 |
1918(大正7)年12月28日 | 『論語と算盤』3版刊行。 |
1919(大正8)年1月29日 | 株式会社東亜堂に改組。代表、伊東芳次郎、木村定次郎。 |
1920(大正9)年6月5日 | 麹町区紀尾井町3番地に移転。 |
1920(大正9)年6月10日 | 伊東芳次郎、代表を辞任。 |
1920(大正9)年8月10日 | 神田区西小川町2丁目1番地に移転。 |
1920(大正9)年9月10日 | 『論語と算盤』4版刊行。 |
1922(大正11)年8月15日 | 株主総会の決議により解散。 |
1922(大正11)年12月22日 | 清算結了。 |
1903(明治36)年に伊東芳次郎(いとう・よしじろう)によって他社書籍の小売を行う東亜堂書店として創業。翌年より出版業を兼営します。そして、1905(明治38)年10月頃から同社からの出版物には「東亜堂書房」と記されるようになります。さらに1910(明治43)年、神田区鍛冶町8番地に移転すると小売業をやめ、出版専業となりました。移転後から出版点数が飛躍的に増加しています。1914(大正3)年4月頃には牛込区神楽町1丁目1番地に本店を新築し移転。大きな店舗であったようで「同業者間に於いても屈指の書肆」と呼ばれるほど繁盛していたようです。登記上の商号はこの年から「東亜堂」となったようですが、出版事業では「東亜堂書房」を継続しています。この頃から『論語と算盤』を含むシリーズ「縮刷名著叢書」(全48編)の刊行を始めます。『論語と算盤』は1916(大正5)年9月13日、同シリーズの第37編として刊行されました。同月15日に再版、後述の会社改組の直前、1918(大正7)年12月28日に3版を刊行しています。
1919(大正8)年1月29日、東亜堂は株式会社東亜堂に改組しますが、社員の木村定次郎(きむら・ていじろう。筆名:木村小舟)を代表に据え、伊東芳次郎は経営から退きます。折からの出版不況に加え、伊東が大して儲からない出版業に対して熱意をなくしてしまったのだと木村は後に回顧しています。翌年6月には伊東が本店を売却、同社は木村の友人宅がある麴町区紀尾井町にいったん移ったのち、神田区西小川町へ再び移転、営業を続けています。西小川町へ移って間もない1920(大正9)年9月10日、『論語と算盤』4版が刊行されています。以後、同社は借金のための借金を繰り返した末、1922(大正11)年8月15日、株主総会の決議により解散が決定。同年末に清算結了して株式会社東亜堂は消滅しました。
東亜堂創業者、伊東芳次郎は1881(明治14)年11月29日、東京市京橋区三十三間堀の薪炭商、紅屋伊東安兵衛(霞光)の三男として生まれました。伊東は若くして家業と異なる出版界に身を置き、また親族の会社の役員に就くなど非凡な経営手腕を振るう商売人であったようです。株式会社東亜堂から離れた後は製薬事業を行う合資会社東亜商行の代表となって「アンチソラチン」という日焼け止めを製造販売しています。この会社は1933(昭和8)年10月まで続きました。1938(昭和13)年の『痴遊雑誌』に伊東の寄稿が見られますが、その後の足取りは不明です。
木村定次郎は、1881(明治14)年9月12日、岐阜県の生まれ。出版社博文館で主に少年誌を手掛けた作家兼編集者でしたが、自ら少年誌専門の出版社設立を志し退職。1915(大正4)年に東亜堂書房へ移り、主に営業の仕事をするようになりました。株式会社改組後は伊東から同社を引き継ぎますが、悪化した経営を立て直す事はできませんでした。東亜堂解散後もその借金返済に年月を要しています。借金の完済が成ったのは、ちょうど『論語と算盤』が別の出版社の忠誠堂から刊行される1927(昭和2)年のことでした。
株式会社東亜堂が解散するにあたり、同社の出版物の紙型は他社へ譲渡されています。その一部が忠誠堂に譲渡され、再版されたことがわかっており、『論語と算盤』もそこに含まれていたのではないかと考えられます。なお、忠誠堂に譲渡された紙型は1923(大正12)年の関東大震災で焼失したといわれており、その後刊行された忠誠堂版『論語と算盤』には、初出の東亜堂書房版と掲載内容に異なる部分が見られます。この忠誠堂版は1927(昭和2)年2月5日刊行の初版と1928(昭和3)年1月15日刊行の改版を確認しています。
現在、忠誠堂の初版は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、インターネット上で自由に読むことが可能となっていますが、東亜堂書房版は同サイト上にはありません。情報資源センターの『論語と算盤』デジタル化プロジェクトでは、この東亜堂書房版をインターネットでいつでもどこでもだれでも利用できるようにするべく今後も開発を進めてまいります。
『論語と算盤』デジタル化プロジェクトについては以下も参考になさってください。
・『論語と算盤』の源流を探る|情報資源センターだより
https://www.shibusawa.or.jp/center/newsletter/854.html
・『官報』第611号、第1985号、第2532号、第2545号、第2609号、第3059号、第3210号
・『足跡:木村小舟君生誕五〇年記念出版』(桐花会出版部、1930)
・『痴遊雑誌』第4巻第11号(話術倶楽部出版部、1938)
・国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/
・デジタル版「渋沢栄一伝記資料」
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php
※本記事は『青淵』2023年8月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。