第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年-昭和六年 (二十七) |
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第2部 実業・経済 |
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第7章 経済団体及ビ民間諸会 |
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第1節 商業会議所 |
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第1款 東京商業会議所(承前) |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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明治42年12月17日 (1909年) |
是ヨリ先、当会議所及ビ大阪・京都・横浜・神戸ノ各商業会議所ノ招待ニヨリ、アメリカ合衆国太平洋沿岸商業会議所代表者一行来日ス。之ニ対シ、是年五月、先方ヨリ招請アリ、之ニ応ジテ渡米実業団ヲ結成シ、栄一ヲ団長トシテ、八月十九日横浜ヲ発シ、アメリカ合衆国各地ヲ歴訪シテ、是日帰国ス。同日、当会議所ニ於テ、東京外五商業会議所聯合主催ニヨル帰国歓迎式催サル。外務大臣小村寿太郎等ノ祝辞ニ対シ、栄一、渡米実業団ヲ代表シテ答辞ヲ述ブ。次イデ十九日、日本橋倶楽部ニ於テ、当会議所主催歓迎会催サル。栄一出席シ、馬越恭平ノ歓迎ノ辞ニ対シ謝辞ヲ述ブ。 【p.5】 |
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明治43年6月21日 (1910年) |
是日、当会議所ニ於テ、東京商業会議所懇話会ノ発会式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.5-11】 |
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明治43年7月19日 (1910年) |
是日、当会議所ニ於テ、東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋ノ六商業会議所共催ニヨリ、渡清観光実業団ノ帰国歓迎式挙行セラル。栄一出席シテ、歓迎演説ヲナス。 【p.11-15】 |
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大正3年9月7日 (1914年) |
是日、当会議所ニ於テ、濠洲方面ニ商業視察員派遣ノ件等ニ関スル臨時調査会開カレ、栄一臨席ス。次イデ二十八日、印度棉花輸入問題等ニ関シ、十月十二日、戦時海上保険ニ関シ、十一月十二日、青島経営ニ関シ、十二月十四日、遠洋航路補助問題ニ関シ、臨時調査会開カレ、栄一、ソレゾレ臨席ス。 【p.15-18】 |
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大正4年6月22日 (1915年) |
是ヨリ先、阪谷芳郎東京市長ヲ辞任シ、奥田義人同市長ニ就任ス。是日、当会議所ニ於テ、送迎午餐会開催セラル。栄一、来賓トシテ出席ス。 【p.18】 |
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大正4年7月27日 (1915年) |
是ヨリ先、日中協約ノ締結成ル。当会議所ニ於テハ、関係当局者ノ労ヲ慰スルト共ニ、両国ノ親善ヲ図ランガタメ、是日、内閣総理大臣大隈重信以下各大臣、駐日中華民国公使陸宗輿・参事官劉崇傑等、及ビ栄一・近藤廉平・大倉喜八郎等ノ実業家ヲ上野精養軒ニ招待シテ、晩餐会ヲ開ク。栄一、実業家ヲ代表シテ演説ヲナス。 【p.18-21】 |
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大正4年9月13日 (1915年) |
是日、当会議所ニ於テ、ブラジル共和国外務省欧亜政務局長ナポレオン・レース夫妻ヲ招待シテ午餐会ヲ開ク。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.21-24】 |
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大正4年10月16日 (1915年) |
是日、当会議所ニ於テ、栄一等ノ渡米送別午餐会開カル。栄一出席シ、会頭中野武営ノ送別ノ辞ニ対シテ謝辞ヲ述ブ。 【p.24】 |
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大正5年8月3日 (1916年) |
是日、当会議所ニ於テ、時局調査委員会開カレ、パリニ於ケル聯合国経済会議ノ決議ニ関シ、臨時商業会議所聯合会開催ニ賛同スルニ決ス。栄一、請ハレテ出席ス。 【p.24】 |
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大正5年9月12日 (1916年) |
是日、当会議所主催ニテ、先ニ来日セルアメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリノ講演会、当会議所ニ於テ開カル。栄一出席シ、ゲーリー来日以来歓迎委員トシテノ感想ヲ述ブ。 【p.24-25】 |
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大正5年11月9日 (1916年) |
是日、当会議所ニ於テ、聯合国経済会議特派委員長阪谷芳郎帰国歓迎晩餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席ス。 【p.25-28】 |
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大正6年2月13日 (1917年) |
是ヨリ先、前駐日中華民国公使陸宗輿来日ス。是日、当会議所ニ於テ、其歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 十九日、陸宗輿及ビ駐日中華民国公使章宗祥ハ、栄一及ビ日本銀行総裁三島弥太郎等本邦実業家二十九名ヲ、同国公使館ニ招待シテ、晩餐会ヲ催ス。栄一出席シ、来賓ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。 【p.28-33】 |
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大正6年7月23日 (1917年) |
是ヨリ先、栄一、当会議所会頭中野武営ノ辞意表明ニ伴ナヒ、後任者ノ選考ニツキ、藤山雷太・郷誠之助・和田豊治等ト協議シ、又、内閣総理大臣寺内正毅・農商務大臣仲小路廉ヲ訪ヒテ要談スル等、種々奔走スルトコロアリ。是日、当会議所臨時総会ニ於ケル選挙ニヨリ、藤山雷太当選シ、第三代会頭ニ就任ス。 【p.33-37】 |
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大正7年4月6日 (1918年) |
是日、当会議所ニ於テ、中華民国前総理唐紹儀一行招待午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.37-40】 |
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大正7年10月7日 (1918年) |
是日、当会議所ニ於テ、副会頭山科礼蔵ノ渡米送別午餐会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。 【p.40-46】 |
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大正7年10月11日 (1918年) |
是日、当会議所ニ於テ、内閣総理大臣原敬外各大臣招待午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.46-52】 |
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大正7年10月12日 (1918年) |
是日、当会議所前会頭中野武営ノ葬儀行ハル。栄一、葬儀委員長トナリ、斎場ニ於テ告別ノ辞ヲ述ブ。 【p.52-53】 |
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大正7年12月9日 (1918年) |
是日、当会議所ニ於テ、第一次世界大戦講和使節随員近藤廉平・深井英五・福井菊三郎ノ渡欧送別会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.53-56】 |
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大正8年2月7日 (1919年) |
是日、当会議所ニ於テ、当会議所議員添田寿一ノ渡欧送別午餐会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。 【p.56-62】 |
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大正8年7月1日 (1919年) |
是日、当会議所会議室ニ於テ、当会議所主催、東京市内銀行・会社・商店満二十五年以上勤続者表彰式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.62-68】 |
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大正8年10月2日 (1919年) |
是日、当会議所ニ於テ、フランス共和国陸軍航空団フォール大佐一行ノ送別会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.68-72】 |
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大正8年10月6日 (1919年) |
是日、当会議所ニ於テ、国際労働会議出席ノタメ渡米ノ鎌田栄吉・武藤山治等ノ送別午餐会開カル。栄一、来賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.72-81】 |
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大正9年2月16日 (1920年) |
是ヨリ先、国際労働会議ニ出席セル鎌田栄吉・武藤山治・枡本卯平・ヴェルサイユ講和会議ニ出張セル近藤廉平・深井英五・福井菊三郎、欧米各国ノ経済・社会事情視察ニ赴キタル当会議所副会頭山科礼蔵及ビ議員添田寿一、ソレゾレ帰国ス。是日、帝国ホテルニ於テ、当会議所・東京府・東京市ノ共同主催ニヨリ、右八名ノ歓迎午餐会開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。 【p.81-88】 |
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大正9年3月17日 (1920年) |
是月十六日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会会長ウォレス・エム・アレグザンダー一行来日ス。是日、華族会館ニ於テ、当会議所主催ノ歓迎午餐会開カル。栄一出席シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。 【p.88-89】 |
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大正9年4月22日 (1920年) |
是日、当会議所ニ於テ、イタリヤ国ゼノアニ開カルベキ海員労働総会ニ出席ノ政府代表委員内田嘉吉・松岡均平等一行ノ送別午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.89-93】 |
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大正9年4月26日 (1920年) |
是月二十四日、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ一行来日ス。是日、当会議所楼上ニ於テ、当会議所主催ノ歓迎午餐会開カル。栄一出席シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。 【p.93-94】 |
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大正9年10月7日 (1920年) |
是日、当会議所ニ於テ、栄一ノ子爵陞爵祝賀午餐会開カル。会頭藤山雷太ノ祝辞ニ対シ、栄一、既往ノ事歴ト所感ヲ述ベテ謝辞トナス。 【p.94】 |
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大正9年12月23日 (1920年) |
是日、当会議所ニ於テ、新東京市長後藤新平歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.94-98】 |
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大正10年4月29日 (1921年) |
是日、当会議所ニ於テ、アメリカ合衆国シアトル及ビタコーマ実業家一行ノ、歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.98-103】 |
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大正10年5月2日 (1921年) |
是日、当会議所ニ於テ、前会頭故中野武営ノ銅像除幕式挙行セラル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.103-106】 |
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大正10年9月3日 (1921年) |
是日、皇太子殿下、欧洲巡遊ヲ了ヘ帰国セラレタルニツキ、当会議所ニ於テ、祝賀会開催セラル。栄一出席ス。 【p.106-108】 |
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大正10年10月3日 (1921年) |
是日、当会議所ニ於テ、近ク渡米セントスル栄一一行並ニ英米訪問実業団一行ノ送別会開催セラル。栄一出席シ、謝辞ヲ述ブ。 【p.109】 |
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大正11年2月2日 (1922年) |
是日、帝国ホテルニ於テ、全国商業会議所及ビ京浜実業家聯合主催ニヨリ、フランス共和国特派使節ジョセフ・ジャーク・セゼール・ジョッフル元帥歓迎晩餐会開カル。栄一出席シ、乾杯ノ辞ヲ述ブ。 【p.109】 |
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大正11年2月27日 (1922年) |
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会議所及ビ日本工業倶楽部聯合主催ニヨリ、栄一及ビ徳川家達等ノ帰国歓迎晩餐会開カル。栄一、病気ノタメ出席セズ。 【p.109】 |
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大正11年5月16日 (1922年) |
是日、当会議所ニ於テ、英米訪問実業団帰国歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席ス。副会頭山科礼蔵、実業団ニ対スル歓迎ノ辞ヲ述ブルト共ニ、先ニ渡米シテ日米親善ノタメ尽瘁セル栄一ニ対シ、感謝ノ意ヲ表ス。栄一、謝辞ヲ述ブ。 【p.109-116】 |
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大正11年7月15日 (1922年) |
是日、当会議所ニ於テ、南米視察実業団一行ノ送別午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.117-120】 |
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大正11年10月6日 (1922年) |
是日、当会議所ニ於テ、汎太平洋商業会議出席者一行、並ニ、来日中ノアメリカ合衆国人ジョン・ピー・アイリッシュ、濠洲人マクマホンノ送迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席ス。 【p.120-121】 |
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大正11年11月20日 (1922年) |
是日、東京会館ニ於テ、当会議所主催、東京市内会社・銀行・商店満二十年以上勤続者表彰式挙行セラル。栄一、来賓トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.121-126】 |
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大正12年2月27日 (1923年) |
是日、東京会館ニ於テ、当会議所主催ニヨリ、南米視察実業団山科礼蔵一行、第三回国際労働会議出席ノ星野錫及ビ汎太平洋商業会議出席ノ服部文四郎・阿部吾市等ノ帰国歓迎会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。 【p.126-132】 |
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大正12年3月15日 (1923年) |
是日、当会議所主催ノ下ニ、東京会館ニ於テ、欧米視察旅行ニ赴カントスル、当会議所会頭藤山雷太一行並ニ東京府産業部長遠藤柳作ノ送別午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、送別ノ辞ヲ述ブ。 【p.132-136】 |
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大正12年5月24日 (1923年) |
是日、当会議所、商業会議所聯合会第三十回定時会出席ノ大阪・神戸・京都・名古屋・横浜等各地商業会議所議員ヲ、東京会館ニ招待シテ晩餐会ヲ開ク。栄一、陪賓トシテ出席シ、演説ヲナス。 【p.136-140】 |
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大正12年6月25日 (1923年) |
是ヨリ先、栄一、日華実業協会会長トシテ、中華民国ニ於ケル排日問題ニ関シ、種々尽力スルトコロアリ、是日、当会議所ニ於テ開カレタル当会議所・日華実業協会・東京実業組合聯合会ノ合同協議会ニ出席シ、座長トシテ、其対策ニ関スル議事ヲ司ル。 【p.140-141】 |
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大正12年6月29日 (1923年) |
是日、当会議所、東京会館ニ於テ、新駐支公使芳沢謙吉並ニ新東京市長永田秀次郎及ビ助役馬渡俊雄・田島勝太郎・吉田茂ノ送迎午餐会ヲ開ク。栄一、陪賓トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。 【p.141-148】 |
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大正12年10月22日 (1923年) |
是日、当会議所議員ヨリ成ル東商倶楽部主催ノ下ニ、当会議所ニ於テ、会頭藤山雷太ノ帰国歓迎会開カル。栄一、陪賓トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。 【p.148-156】 |
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大正13年5月14日 (1924年) |
是日、当会議所ニ於テ、仏領印度支那総督メルラン一行歓迎午餐会開カル。栄一、陪賓トシテ出席ス。 【p.156-159】 |
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大正13年9月1日 (1924年) |
是日、東京商工奨励館ニ於テ、当会議所及ビ東京府・東京市・東京実業組合聯合会ノ共同主催ニヨル、震災一週年記念講演会催サル。栄一、微恙ヲ押シテ出席シ、講演草稿ヲ代読セシム。 【p.159-164】 |
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大正14年4月18日 (1925年) |
是ヨリ先、栄一、当会議所会頭問題ニ関シ、井上準之助・大橋新太郎・指田義雄及ビ会頭藤山雷太等トソレゾレ会談ス。是日、当会議所総会ニ於テ、会頭選挙行ハレ、指田義雄当選ス。 【p.164-166】 |
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昭和6年11月13日 (1931年) |
是月十一日栄一歿ス。是日当会議所、特ニ臨時総会ヲ開キ、満場一致ヲ以テ、弔詞及ビ香料ノ贈呈ヲ議決ス。十五日葬儀ニ際シ、全国商工会議所連合体タル日本商工会議所ヨリモ弔詞ヲ贈ル。 【p.166-170】 |
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昭和6年12月11日 (1931年) |
是日、東京市公会堂ニ於テ、当会議所及ビ日本経済聯盟会・日本工業倶楽部・日華実業協会・東京銀行集会所合同主催ニヨル「故渋沢子爵追悼会」開カル。 【p.170】 |
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第2節 其他ノ経済団体及ビ民間諸会 |
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第1款 財界振興会 |
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和暦(西暦) |
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明治42年6月25日 (1909年) |
是ヨリ先、総理大臣兼大蔵大臣桂太郎ハ、栄一外、銀行・貿易・工業・運輸交通ノ各業界実業家ヲ官邸ニ招キ、我財界ノ振興ニ関シ懇談スルトコロアリ、是日及ビ七月三十日、実業家側ニ於テ、政府当局者ヲ日本銀行集会所ニ招キ、右ニ関シ種々意見ノ交換ヲナス。栄一、ソレゾレ出席ス。 【p.171-178】 |
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第2款 東京商工懇話会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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明治44年1月26日 (1911年) |
是日、築地精養軒ニ於テ、当会講話会催サル。栄一、請ハレテ出席シ、講演ヲナス。 栄一、当会名誉会員ニ推サル。 【p.179-186】 |
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第3款 東北振興会 |
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和暦(西暦) |
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大正2年7月31日 (1913年) |
是日、内務大臣原敬、有力実業家約三十名ヲ官邸ニ招キテ、東北振興ニ関シ懇談ス。栄一出席シ、益田孝・大倉喜八郎・根津嘉一郎・大橋新太郎ト共ニ、調査委員ニ挙ゲラル。次イデ十月二日、同官邸ニ於テ、実業家招待晩餐会開カレ、栄一出席ス。当会ノ設立成ルヤ、栄一、推サレテ会頭トナル。 【p.187-189】 |
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大正2年12月26日 (1913年) |
是年、東北地方凶作ノタメ被害甚ダシク、是日栄一、当会委員益田孝・大橋新太郎等ト共ニ、日本橋三友倶楽部ニ於テ、凶作救済会設立準備委員十数名ト会シ、窮民ノ救済ニ関シ協議ス。 【p.189-191】 |
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大正3年11月6日 (1914年) |
是日栄一、日本橋三友倶楽部ニ於テ、原敬・益田孝・新渡戸稲造・大橋新太郎等ト会シ、東北振興ノ具体案ニツキ協議ス。 【p.191】 |
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大正4年10月20日 (1915年) |
是日、大日本蚕糸会館ニ於テ、当会協議会開カレ、栄一出席ス。 【p.191-194】 |
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大正5年2月19日 (1916年) |
是日栄一、東北六県在京代表者ノ来訪ニ接シ、東北振興ニツキ助力ヲ請ハレタルニ対シ、応諾ノ旨挨拶ス。 五月二十二日、大日本蚕糸会館ニ於テ、東北六県知事発起ノ東北振興ニ関スル懇談会開カレ、栄一、当会委員益田孝等ト共ニ出席ス。 【p.194-195】 |
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大正6年4月30日 (1917年) |
是年五月一日ヨリ、日本橋三越呉服店ニ於テ、当会主催ノ東北六県名産品陳列会開催セラレタルガ、之ニ先立チ、是日当会、朝野ノ名士百余名ヲ右会場ニ招待ス。栄一、会頭トシテ挨拶ヲ述ブ。 【p.195-196】 |
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大正6年7月 (1917年) |
是月発刊ノ雑誌『東北之研究』ニ「東北民奮起の秋」ト題スル、栄一ノ談話掲載セラル。 【p.196-197】 |
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大正6年10月6日 (1917年) |
是日栄一、東北地方巡回ノ途ニ就キ、十八日間ニ亘リ、各方面ノ視察ヲナスト共ニ、各地ニ於テ、東北振興ニ関シ演説ヲナス。 【p.197-243】 |
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大正8年1月21日 (1919年) |
是日、渋沢事務所ニ於テ、当会委員会開カレ、栄一出席ス。 三月五日ヨリ十六日間、日本橋三越呉服店ニ於テ、当会主催第二回東北名産品陳列会開催セラル。其前日、当会、総理大臣原敬・農商務大臣山本達雄及ビ早川千吉郎・団琢磨等朝野ノ名士ヲ同会場ニ招待ス。栄一、病気ノタメ出席セズ。 【p.243-244】 |
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大正8年5月 (1919年) |
是ヨリ先、「食糧問題の解決」ト題シ、雑誌『東北日本』ニ寄セタル栄一ノ一文、是月発行ノ『竜門雑誌』ニ転載セラル。 【p.244-245】 |
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大正10年9月3日 (1921年) |
是日、日本橋三越呉服店ニ於テ、当会主催第三回東北名産品陳列会ノ披露会催サレ、栄一出席ス。 【p.245-246】 |
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大正12年5月25日 (1923年) |
是日当会、東北六県知事ヲ東京銀行倶楽部ニ招キテ、協議会ヲ開ク。栄一出席シ、当会ノ存続及ビ機構改革ニ関シ協議ス。 【p.246-249】 |
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大正13年2月2日 (1924年) |
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会協議会開カレ、栄一出席ス。 【p.249-251】 |
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大正13年8月8日 (1924年) |
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、当会協議会開カレ、翌九日、委員総会開カル。栄一、ソレゾレ出席シ、議長トナリテ議事ヲ司ル。 【p.251-255】 |
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大正13年10月27日 (1924年) |
是日、福島市ニ於テ、当会支部聯合第一回大会開カル。栄一、議事終了後市公会堂ニ於テ開カレタル、市主催ノ招宴ニ出席シ、演説ヲナス。 【p.255-259】 |
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大正14年5月12日 (1925年) |
是日当会、東北六県知事ヲ招キ、東京銀行倶楽部ニ於テ、委員会ヲ開ク。栄一、病気ノタメ出席セズ。 【p.259-262】 |
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大正15年7月23日 (1926年) |
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、志村源太郎・大橋新太郎・吉池慶正等ト会シ、当会ノ存続問題ニ関シ、種々協議ヲ重ネタル結果、昭和二年三月末日ヲ以テ解散スルニ決ス。 【p.262-263】 |
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昭和2年6月17日 (1927年) |
是年三月三十一日ヲ以テ、当会ハ解散シ、其直後東北六県有志ノ発起ニヨリ、新タニ東北振興会設立セラル。是日、東京会館ニ於テ、其第一回理事会ヲ開キ、栄一ヲ名誉顧問ニ推スコトヲ議決ス。二十二日、理事植松良三・高橋虎吉・浅野源吾、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、名誉顧問就任ヲ懇請ス。栄一、之ヲ受諾シ、在任歿年ニ及ブ。 【p.263-267】 |
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第4款 日本実業協会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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大正2年10月10日 (1913年) |
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ、当協会発起人郷誠之助等ト会見シ、当協会会長就任ヲ請ハレ、之ヲ受諾ス。 十一月二十一日、帝国ホテルニ於テ、当協会協議会開カル。栄一出席シ、当協会ノ目的及ビ方針ニツキ演説ス。 【p.268-269】 |
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大正2年12月22日 (1913年) |
是日当協会、総理大臣山本権兵衛・文部大臣奥田義人・大蔵大臣高橋是清外各大臣及ビ次官等ヲ生命保険協会ニ招待シ、晩餐会ヲ開ク。栄一出席シ、会長トシテ当協会設立ノ趣旨ヲ説述ス。 【p.269-273】 |
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大正3年7月18日 (1914年) |
是日当協会、中華民国旅行ヲ了ヘテ帰国セシ栄一ヲ、築地精養軒ニ招待シテ、慰労晩餐会ヲ催ス。栄一出席シテ、旅行談ヲナス。 【p.273】 |
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大正4年1月8日 (1915年) |
是ヨリ先、栄一、当協会ノ総意ニ基キ、総理大臣大隈重信及ビ政友会総裁原敬ヲソレゾレ訪問シテ、政府及ビ在野党間ノ政府調停ニ尽力セシモ成ラズ、遂ニ衆議院ノ解散ヲ見ルニ至ル。是日、東京商業会議所ニ於テ、当協会幹事会開カル。栄一出席シ、右顛末ヲ報告ス。 【p.273-278】 |
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大正4年1月14日 (1915年) |
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ、当協会副会長中野武営及ビ大橋新太郎・朝吹英二・藤山雷太・添田寿一等ト会シ、実業家ノ衆議院議員立候補ニ関シ協議ス。次イデ二十日、同所ニ於テ開カレタル当協会幹事会ニモ、栄一出席シ、右ニ関シ重ネテ協議ス。 【p.278-279】 |
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第5款 財団法人国産奨励会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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大正3年10月15日 (1914年) |
是ヨリ先、栄一、中野武営・武井守正ト共ニ、当会設立準備委員トシテ、政府当局トモ屡々会シ、会則及ビ趣意書ノ審議ヲナス等、当会設立ニ関シ種々尽力スルトコロアリ。是日、農商務省会議室ニ於テ、当会創立総会開カル。栄一出席シ、設立準備委員総代トシテ経過ヲ報告シ、且ツ推サレテ座長トナリ、議事ヲ司ル。 尚、栄一、当会顧問タリ。 【p.280-292】 |
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大正3年10月19日 (1914年) |
是日及ビ三十日、農商務省ニ於テ、当会幹事会開カル。栄一、ソレゾレ出席シ、国産展覧会ノ開催及ビ会員ノ募集方法等ニ関シ協議ス。 【p.292-293】 |
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大正3年11月12日 (1914年) |
是日当会、築地精養軒ニ都下ノ新聞通信社員ヲ招キテ披露会ヲ催ス。栄一出席シテ、設立ノ経過ヲ述ブ。 【p.293-295】 |
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大正4年1月21日 (1915年) |
是日及ビ二月十三日、農商務省ニ於テ、当会幹事会開カレ、栄一、ソレゾレ出席ス。 四月二日、栄一、関西旅行ノ途ニ就キ、六日京都商業会議所、七日大阪商業会議所、八日神戸商業会議所ニ於テ、当会ノタメ、講演ヲナス。 六月二十二日、上野精養軒ニ於テ、当会主催ノ全国商業会議所会頭招待会開カル。栄一出席シテ、演説ヲナス。 【p.295-298】 |
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大正7年10月24日 (1918年) |
是年二月二十六日、当会組織ヲ改メ財団法人トナル。是日、当会総裁伏見宮貞愛王、副総裁・顧問・会長・副会長以下理事・評議員等ヲ宮邸ニ招キテ、午餐会ヲ開ク。栄一出席ス。 【p.298-299】 |
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大正10年3月31日 (1921年) |
是日当会、財団法人博覧会協会ト合併シ、財団法人日本産業協会トナル。栄一、引続キ顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。 【p.299-300】 |
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第6款 社団法人日本工業倶楽部 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正6年3月10日 (1917年) |
是日、帝国鉄道協会ニ於テ、当倶楽部創立総会開カル。総会終了後ノ評議員会ニ於テ、栄一、当倶楽部名誉会員ニ推挙セラレ、在任歿年ニ及ブ。 【p.301-302】 |
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大正10年9月9日 (1921年) |
是ヨリ先、栄一、屡々総理大臣原敬ト会シ、我国実業団ノ英米訪問ニ関シ要談スルトコロアリ、是日、当倶楽部員ヲ中心トスル英米訪問実業団結成セラレ、十月十五日出発ス。 【p.302-309】 |
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大正11年2月27日 (1922年) |
是ヨリ先、十年十月十三日、栄一、横浜ヨリ乗船渡米ノ途ニツキ、是年一月三十日帰国ス。是日、当倶楽部ニ於テ、東京商業会議所及ビ当倶楽部聯合主催ニヨリ、栄一及ビ徳川家達ノ帰国歓迎晩餐会開カル。栄一、病気ノタメ出席セズ。 【p.309】 |
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大正11年5月10日 (1922年) |
是ヨリ先、英米訪問実業団帰国ス。是日、栄一等発起シテ、当倶楽部ニ於テ其歓迎会ヲ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。次イデ宮中賜餐、及ビ総理大臣高橋是清ノ招宴アリ、栄一、之ニ陪席ス。 尚、引続キ数次ニ及ブ歓迎会アリ、栄一出席、演説ヲ重ネ、是月三十日ニ至リ更ニ飛鳥山邸ニ歓迎午餐会ヲ催ス。 【p.310-311】 |
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大正11年6月30日 (1922年) |
是日、英米訪問実業団、フランス共和国滞在中、同国民ヨリ寄セラレタル好意ヲ謝センタメ、同国特命全権大使ヲ当倶楽部ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。次イデ七月一日、同趣旨ヲ以テアメリカ合衆国特命全権大使ヲ当倶楽部ニ招待ス。栄一ソレゾレ出席ス。 【p.311】 |
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大正12年3月17日 (1923年) |
是日、当倶楽部ニ於テ、当倶楽部有志主催ノ東京商業会議所会頭藤山雷太渡欧送別晩餐会開カル。栄一出席シ、主催者ヲ代表シテ送別ノ辞ヲ述ブ。 【p.311-313】 |
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大正13年1月25日 (1924年) |
是日、当倶楽部ニ於テ、当倶楽部及ビ日本経済聯盟会合同主催ニヨリ、前大蔵大臣井上準之助渡欧送別晩餐会開カル。栄一、出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。 【p.313-316】 |
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昭和6年11月15日 (1931年) |
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当倶楽部ヨリ弔詞ヲ贈ル。 【p.316-317】 |
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昭和6年12月11日 (1931年) |
是日、東京市公会堂ニ於テ、当倶楽部及ビ日本経済聯盟会・日華実業協会・東京銀行集会所・東京商工会議所合同主催ニヨル「故渋沢子爵追悼会」開カル。 【p.317】 |
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第7款 東京商工奨励館設立期成会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正6年10月 (1917年) |
是ヨリ先、東京府ニ於ケル商工業助長機関設置ノ機運昻リ、是月、当期成会組織セラル。栄一、推サレテ会長トナリ、爾後、其建設資金ノ募集ニツキ、尽力スルトコロ少ナカラズ。七年十月、当期成会ハ右醵金ヲ東京府ニ寄付シ、之ニヨリ十年十月、府立東京商工奨励館ノ建設成ル。栄一、其顧問ニ挙ゲラレ、在任歿年ニ及ブ。 【p.318-326】 |
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第8款 大日本米穀会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正7年4月7日 (1918年) |
是日、飛鳥山邸ニ於テ、当会第十一回大会開催セラル。栄一、臨席シテ演説ヲナス。 【p.327-336】 |
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第9款 万国工業会議 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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昭和3年6月12日 (1928年) |
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、明年我国ニ開カルベキ万国工業会議ノ第二回評議員会開カレ、栄一、当会議名誉副会長ニ推サル。 【p.337-343】 |
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第10款 日本経済聯盟会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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昭和5年4月30日 (1930年) |
是日、日本工業倶楽部ニ於テ、当会第八回定時会員総会開カレ、栄一、名誉会員ニ推薦セラル。 【p.344-346】 |
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昭和6年12月11日 (1931年) |
是日、東京市公会堂ニ於テ、当聯盟会及ビ日本工業倶楽部・日華実業協会・東京銀行集会所・東京商工会議所合同主催ニヨル「故渋沢子爵追悼会」開カル。 【p.346】 |
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第11款 博覧会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正10年9月8日 (1921年) |
是日、帝国ホテルニ於テ、当会発起人会開カル。栄一出席シ、推サレテ会長トナル。 【p.347-349】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正10年10月18日 (1921年) |
是日、上野公園ニ於テ、平和記念東京博覧会上棟式挙行セラル。栄一、渡米中ナルヲ以テ、当会副会長藤山雷太祝辞ヲ代読ス。 【p.349-350】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正11年3月10日 (1922年) |
是日、平和記念東京博覧会開会式挙行セラル。栄一、病気ノタメ出席セズ、当会副会長桐島像一、祝辞ヲ代読ス。 【p.350-353】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正11年7月6日 (1922年) |
是日、平和記念東京博覧会主催、アメリカ合衆国海軍卿エドウィン・デンビー一行招待午餐会、会場内ノ迎賓館ニ於テ開カル。栄一、当会会長トシテ出席シ、歓迎ノ辞ヲ述ブ。 【p.353】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正11年7月10日 (1922年) |
是日、平和記念東京博覧会第二会場外国館前広場ニ於テ、褒賞授与式挙行セラル。栄一、当会会長トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.353-354】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正11年7月31日 (1922年) |
是日、平和記念東京博覧会第一会場平和館ニ於テ、閉会式挙行セラル。栄一、当会会長トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.354-355】 |
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1.平和記念東京博覧会協賛会 |
大正11年8月31日 (1922年) |
是日栄一、当会会長トシテ、博覧会会長東京府知事宇佐美勝夫ヨリ感謝状ヲ贈ラル。 【p.355】 |
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2.中外商業新報社創立五十週年紀念産業文化博覧会 |
大正15年9月15日 (1926年) |
是日、上野公園ニ於テ、当博覧会開会式挙行セラル。栄一、副総裁トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。 【p.356-359】 |
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2.中外商業新報社創立五十週年紀念産業文化博覧会 |
大正15年10月18日 (1926年) |
是日、上野精養軒ニ於テ、当博覧会総裁伏見宮博恭王主催晩餐会開カル。栄一、副総裁トシテ出席シ、謝辞ヲ述ブ。 【p.359-360】 |
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2.中外商業新報社創立五十週年紀念産業文化博覧会 |
大正15年11月11日 (1926年) |
是日、当博覧会会場内演芸館ニ於テ、国際聯盟デー催サル。栄一出席シテ、講演ヲナス。 【p.360】 |
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3.大礼記念国産振興東京博覧会協賛会 |
昭和2年12月24日 (1927年) |
是日、東京会館ニ於テ、当協賛会発会式催サレ、栄一推サレテ総裁トナル。 三年三月二十四日、博覧会開会式挙行セラル。栄一、当協賛会総裁トシテ出席シ、祝辞ヲ述ブ。尚、一月十六日ノ上棟式及ビ五月十九日ノ褒賞授与式ニ際シ、ソレゾレ祝辞ヲ贈ル。 【p.360-363】 |
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4.東北産業博覧会 |
昭和3年2月11日 (1928年) |
是ヨリ先、栄一、当博覧会総裁ニ推サレ、是日、其上棟式ニ際シ、祝辞ヲ寄ス。 四月十五日ノ開会式、五月二十日ノ褒賞授与式、及ビ六月八日ノ閉会式ニ際シ、栄一、総裁トシテソレゾレ告辞ヲ寄ス。 【p.363-365】 |
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5.其他ノ博覧会関係資料 |
大正4年7月29日 (1915年) |
是日、上野不忍池畔ニ於テ、江戸記念博覧会開会式催サル。栄一、顧問トシテ出席シ、式後同博覧会ヲ一覧ス。 【p.365-366】 |
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5.其他ノ博覧会関係資料 |
大正6年10月19日 (1917年) |
是日栄一、電気博覧会顧問ニ推サル。 【p.366】 |
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第12款 雑 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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1.報知新聞主催実業懇話会 |
明治44年1月21日 (1911年) |
是日栄一、当会ニ出席シテ演説ヲナス。 【p.367-368】 |
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2.東京商工業者大会 |
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-- 【p.368】 |
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第8章 政府諸会 |
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第1節 諮問会議 |
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第1款 生産調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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明治43年4月30日 (1910年) |
是年三月二十四日、当会ノ官制公布セラレ、是日栄一、当会副会長ヲ仰付ケラル。 【p.369-372】 |
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明治43年6月20日 (1910年) |
是日ヨリ五日間ニ亘リ、農商務省会議室ニ於テ、当会第一回会議開カル。是日、栄一出席ス。議案「蚕糸業ノ発達及改善ニ関スル件」ハ特別委員付託トナル。 【p.372-387】 |
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明治43年6月21日 (1910年) |
是日栄一、農商務省会議室ニ於ケル当会会議ニ出席シ、議長トシテ議事ヲ司宰ス。議案「外国貿易助長ノ方法及施設ニ関スル件」及ビ「不正競争ノ取締ニ関スル件」ハ共ニ特別委員付託トナリ、栄一、前者ノ特別委員ニ推サル。 【p.387-400】 |
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明治43年6月24日 (1910年) |
是日栄一、農商務省ニ於テ開カレタル当会特別委員会及ビ本会議ニ出席シ、翌二十五日モ、同特別委員会ニ出席ス。当会ニ対スル諮問事項「蚕糸業ノ発達及改善ニ関スル件」及ビ「不正競争ノ取締ニ関スル件」ニツイテハ、七月二十八日、農商務大臣小松原英太郎ニ答申セラル。 【p.400-417】 |
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明治43年11月1日 (1910年) |
是日ヨリ五日間ニ亘リ、農商務省会議室ニ於テ、当会第二回会議開カル。是日、栄一出席シ、諮問事項「工場法案」ニ関スル特別委員長ニ推サル。 【p.417-423】 |
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明治43年11月5日 (1910年) |
是日栄一、農商務省会議室ニ於ケル当会会議ニ出席シ、外国貿易助長ノ方法及ビ施設ニ関スル特別委員会委員長トシテ、委員会審議ノ経過及ビ結果ヲ報告シ、且ツ、議長トナリテ議事ヲ司ル。 【p.423-443】 |
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明治43年11月30日 (1910年) |
是月二十九日ヨリ、農商務省会議室ニ於テ、当会第三回会議開カレタルモ、栄一、病気ノタメ欠席ス。先ニ特別委員付託トナリタル工場法案ニツイテハ、是日、委員浅田徳則、委員長栄一ニ代リテ、委員会審議ノ経過及ビ結果ヲ報告ス。 右ハ報告通リ可決セラレ、十二月一日、農商務大臣大浦兼武ニ答申セラル。 【p.443-458】 |
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大正元年9月24日 (1912年) |
是日ヨリ、農商務省会議室ニ於テ、当会第四回会議開カル。是日、栄一出席シ、政府当局ニ対シ、当会ノ答申事項ニ関スル実行状況ノ説明ヲ求メタル後、諮問事項「工業ノ発達助長ニ関スル件」等ヲ審議ス。 【p.458-467】 |
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大正元年9月25日 (1912年) |
是日栄一、農商務省会議室ニ於ケル当会第四回会議第二日目ニ出席シ、諮問事項「魚市場法制定ニ関スル件」ノ特別委員長ニ推挙セラル。次イデ、委員山本悌二郎ヨリ、栄一及ビ益田孝・大岡育造等委員十名ノ賛成ヲ得テ、当会ノ調査範囲拡張等ニ関スル建議案提出セラレ、栄一、賛成意見ヲ述ブ。 【p.467-485】 |
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大正元年9月28日 (1912年) |
是日栄一、農商務省会議室ニ於ケル当会第四回会議最終日ニ出席シ、魚市場法制定ニ関スル特別委員会委員長トシテ、委員会審議ノ経過ニツキ中間報告ヲナス。 【p.485-491】 |
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大正元年11月26日 (1912年) |
是月二十五日ヨリ、農商務省会議室ニ於テ、当会第五回会議開カル。是日、栄一出席シ、議長トナリテ議事ヲ司リ、且ツ魚市場法制定ニ関スル特別委員会委員長トシテ、委員会審議ノ経過及ビ結果ヲ報告ス。 右ハ委員長報告ノ通リ可決セラレ、十二月二日、農商務大臣牧野伸顕ニ答申セラル。 【p.491-525】 |
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第2款 パナマ太平洋万国博覧会臨時博覧会事務局 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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大正3年6月23日 (1914年) |
是ヨリ先、政府ハ、アメリカ合衆国政府ノ要請ニ応ジ、パナマ太平洋万国博覧会ニ参同スルコトヲ決定シ、是年五月、臨時博覧会事務局ヲ設置ス。是日栄一、同事務局評議員ヲ仰付ケラル。爾後栄一、桑博観覧協会ノ名誉賛助ニ就任スル等、右博覧会ノタメ種々尽力シ、四年十月二十三日、博覧会観覧ヲ兼ネ渡米ノ途ニ就ク。 【p.526-536】 |
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第3款 米価調節調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正4年10月7日 (1915年) |
是月六日、当会ニ関スル官制公布セラレ、是日栄一、当会副会長ヲ仰付ケラル。 【p.537-549】 |
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大正4年10月25日 (1915年) |
是日栄一、当会第一回会議ニ於テ、農商務大臣諮問ノ恒久的米価調節審議ノタメノ特別委員ニ指名セラル。 【p.549-551】 |
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大正5年7月21日 (1916年) |
是日ヨリ五日間、農商務省会議室ニ於テ、恒久的米価調節策特別委員会開カレ、栄一出席ス。 【p.551-554】 |
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大正5年9月6日 (1916年) |
是日栄一、農商務省ニ於ケル当会第二回会議第三日目ニ出席シ、議長トシテ議事ヲ司ル。 尚、当会ハ是月三十日限リ廃止セラル。 【p.554-576】 |
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第4款 経済調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正5年4月25日 (1916年) |
是月二十四日、当会ニ関スル官制公布セラレ、是日栄一、当会委員ヲ仰付ケラル。 【p.577-583】 |
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大正5年4月29日 (1916年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会第一回総会開カレ、栄一出席ス。 【p.583-584】 |
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大正5年5月1日 (1916年) |
是日、当会会長大隈重信、各委員ノ部属ヲ指定ス。栄一、金融部委員トナル。 【p.584-585】 |
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大正5年11月4日 (1916年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会総会開カレ、新任会長寺内正毅ノ訓示演説アリ。栄一出席ス。 【p.585-586】 |
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大正5年11月30日 (1916年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会総会開カレ、委員阪谷芳郎ヨリパリニ於ケル聯合国経済会議ノ経過及ビ結果ニ関シ報告アリ。栄一出席ス。 尚、当会ハ六年十一月三十日廃止セラル。 【p.586-587】 |
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第5款 臨時国民経済調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正7年9月18日 (1918年) |
是月十七日、当会ニ関スル官制公布セラレ、是日栄一、当会委員ヲ仰付ケラル。 【p.588-591】 |
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大正7年9月21日 (1918年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会第一回会議開カレ、会長寺内正毅ヨリ当会設置ノ趣旨ニツキ訓示アリタル後、議事規則案ヲ可決ス。栄一出席ス。 【p.591-595】 |
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大正7年11月12日 (1918年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会第二回会議開カレ、新任会長原敬ノ訓示アリ。栄一出席ス。 尚、当会ハ八年七月九日廃止セラル。 【p.595-598】 |
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第6款 臨時財政経済調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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大正8年7月10日 (1919年) |
是月九日、当会ニ関スル官制公布セラレ、是日栄一、当会委員ヲ仰付ケラル。 【p.599-603】 |
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大正8年7月18日 (1919年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会第一回総会開カレ、会長原敬、当会設置ノ趣旨ニツキ演示ス。栄一出席ス。 【p.603-604】 |
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大正8年11月10日 (1919年) |
是日、総理大臣官邸ニ於テ、当会会議開カレ、諮問第三号「製鉄業ノ振興ニ関スル根本方策如何」及ビ第四号「造船業ノ維持発達ニ関スル根本方策如何」ニツキ審議シ、両案一括特別委員付託トナル。栄一出席ス。 【p.604-608】 |
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大正12年1月9日 (1923年) |
是日栄一、当会委員ヲ免ゼラル。 【p.608】 |
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第7款 製鉄鋼調査会 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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大正14年1月12日 (1925年) |
是ヨリ先、栄一、経営不振ニ陥リタル本邦製鉄鋼業ノ振興ニツキ、尽力スルトコロアリ。是日、当会設置セラレ、栄一、委員ヲ嘱託セラル。爾後当会ハ、諮問事項「我国製鉄鋼業ノ将来ニ対スル方針」ニ関シ、数次ノ調査会ヲ開キ、四月十一日、商工大臣高橋是清ニ答申ス。栄一、病気ノタメ右調査会ニ出席セズ。 【p.609-623】 |
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大正14年11月7日 (1925年) |
是日、商工大臣片岡直温、当会委員ヲ官邸ニ招キ、製鉄鋼業振興ニ関スル政府案ヲ説明ス。栄一出席ス。二十日、右政府案ハ、当業者側ニモ掲示セラル。十二月四日、東京銀行倶楽部ニ於テ、之ニ対スル当業者側答申ノ内示会開カル。栄一出席シ、同会合開催ノ趣旨ヲ述ブ。 【p.623-630】 |
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第9章 財政経済問題 |
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第1節 財政整理意見書提出 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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明治44年11月20日 (1911年) |
是日栄一、井上馨ト共ニ経済界有志者ヲ代表シテ総理大臣西園寺公望ヲ訪ヒ、内務大臣原敬・大蔵大臣山本達雄ノ参会ヲ求メシ上、時局打開策トシテ、栄一等ノ起草セル、財政整理ニ関スル意見書ヲ提出ス。 【p.631-643】 |
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補遺・追補 |
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補遺 |
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番号 |
和暦(西暦) |
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1.東洋護謨株式会社 |
明治33年8月22日 (1900年) |
是日栄一、日本橋倶楽部ニ於ケル当社ノ創立総会ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。 [編入先:第2編 / 第1部 / 第3章 商工業 / 第29節 其他] 【p.647-649】 |
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2.社団法人静岡県出獄人保護会社 |
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3.善那氏種痘発明百年紀念会 |
明治29年5月 (1896年) |
是月十四日ハ、イギリス国人エドワード・ジェンナーノ種痘発明後百年ニ当ルヲ以テ、医学関係団体発起者トナリ、善那氏種痘発明百年紀念会ノ開催ヲ企画ス。栄一、金五十円ヲ寄付ス。 [編入先:第2編 / 第2部 / 第2章 国際親善 / 第2節 国際団体及ビ親善事業] 【p.651-652】 |
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4.ウィリアム・アダムズ記念碑 |
明治39年3月 (1906年) |
是月栄一、イギリス国人ウィリアム・アダムズノ墳墓(俗称按針塚)記念碑建設ノ計画ニ賛成シ、金三百円ヲ寄付ス。 [編入先:第2編 / 第2部 / 第2章 国際親善 / 第2節 国際団体及ビ親善事業] 【p.652-653】 |
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5.豊国会 |
明治29年7月 (1896年) |
是月、京都阿弥陀ヶ峯ノ豊臣秀吉ノ墳墓ヲ修理シ、明治三十一年ヲ期シテ三百年祭ヲ挙行セントノ趣旨ノ下ニ、豊国会設立セラル。栄一ソノ評議員トナル。 [編入先:第2編 / 第2部 / 第8章 其他ノ公共事業 / 第1節 記念事業] 【p.653-656】 |
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6.財団法人朝鮮扶植農園 |
大正7年7月5日 (1918年) |
是日栄一、当農園理事加島敏郎ノ依頼ニ応ジ、当農園顧問トナル。爾後、屡々加島敏郎等ノ来訪ニ接シ、当農園ノ事業等ニツキ懇談ス。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第2章 労資協調及ビ融和事業 / 第3節 内鮮融和] 【p.656-658】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正3年4月2日 (1914年) |
是年三月、栄一ノ主唱ニヨリ、当会社ノ前身タル合資会社国際通信社設立セラル。栄一、相談役トナル。是日、帝国ホテルニ於テ、設立披露午餐会開カル。栄一出席シ、主人側ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。爾後栄一、当会社発展ノタメ尽力スルトコロ少ナカラズ。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.658-666】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正4年5月12日 (1915年) |
是日、帝国ホテルニ於テ、当会社総支配人ニシテ国際新聞協会会長タルジョン・ラッセル・ケネディー主催ノ午餐会開カル。栄一、出席シテ演説ヲナス。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.666-668】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正9年 (1920年) |
是年当会社、其組織ヲ改メテ株式会社トス。栄一、引続キ相談役タリ。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.668-669】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正12年11月12日 (1923年) |
是年十月三十一日、当会社総支配人ジョン・ラッセル・ケネディー其職ヲ辞シ、是日、栄一ニ退職挨拶ノ書翰ヲ寄ス。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.669-671】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正13年3月12日 (1924年) |
是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社協議会開カレ、事業発展ノタメ増資ヲ内定ス。栄一、之ニ与ル。右増資ノ件ハ、四月一日東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当会社臨時株主総会ニ於テ議決セラル。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.671-674】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正15年3月31日 (1926年) |
是ヨリ先、当会社ノ事業ヲ基礎トシ、東京朝日・東京日日・報知等我国八大新聞社ノ参加ニヨリ、新タニ一大通信社設立ノ議進捗ス。右ニ関シ協議ノタメ、是日、東京銀行集会所ニ於テ、当会社重役会開カル。栄一出席シ、之ニ賛意ヲ表明ス。 四月二十三日、当会社ニ於テ、臨時株主総会開カレ、右趣旨ニヨリ当会社解散ノ件議決セラル。当会社ハ四月三十日解散サレ、其業務一切ハ、新タニ設立サレタル日本新聞聯合社ニ継承セラル。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.674-679】 |
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7.国際通信株式会社 |
大正15年10月 (1926年) |
是月、日本新聞聯合社ハ、理事会ノ決議ヲ以テ、国際通信事業ニ対スル栄一ノ多年ニ亘ル援助ヲ感謝シ、併セテ同社ノ成立ヲ記念スルタメ、栄一ニ花瓶ヲ贈ル。 [編入先:第3編 / 第1部 / 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 第5節 新聞・雑誌・通信・放送] 【p.679-680】 |
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8.大倉鉱業・大倉商事両会社対川崎造船所紛議仲裁 |
大正10年8月30日 (1921年) |
是ヨリ先、大倉鉱業・大倉商事両株式会社ヨリ株式会社川崎造船所ヘ売却ノ銑鉄約三万五千噸ノ契約履行ニツキ紛議ヲ生ズ。栄一両者ノ請ニ依リテ和田豊治・藤山雷太ト共ニ仲裁ニ当リタルモ、川崎側ヨリ容認シ難キ条件ノ提出アリタルタメ、斡旋ヲ辞ス。 [編入先:第3編 / 第2部 / 第3章 商工業 / 第8節 鉄鋼] 【p.681-687】 |
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追補 |
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番号 |
和暦(西暦) |
綱 文 【ページ】 |
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1.日本銀行〔第五巻所収〕 |
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2.株式会社六十九銀行〔第五巻・第五十巻所収〕 |
明治38年7月11日 (1905年) |
是ヨリ先六月、第一銀行ハ新潟支店及ビ長岡出張所ヲ廃止シ、業務ヲ当行ニ譲渡ス。是日栄一、新潟行形亭ニ於ケルソノ披露宴ニ出席シ、挨拶ヲ述ブ。 【p.689-692】 |
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2.株式会社六十九銀行〔第五巻・第五十巻所収〕 |
明治43年8月6日 (1910年) |
是日栄一、当行ニ於テ行員ニ訓話ヲナス。 【p.692-695】 |
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3.東洋拓殖株式会社〔第五十四巻所収〕 |
明治41年9月16日 (1908年) |
是ヨリ先、栄一、当会社設立ニツキ尽力シ来リシガ、是年八月二十六日、東洋拓殖株式会社法公布セラレ、是日、ソノ設立委員ヲ仰付ケラル。次イデ二十一日、大蔵大臣官邸ニ於テ第一回設立委員会開カレ、栄一出席シ、定款外一件ノ調査委員トナリ、更ニ同調査委員会ニ於テ委員長ニ選バル。 十二月二十八日、東京商業会議所ニ於テ当会社創立総会開カル。栄一出席シテ、株主代表トシテ謝辞ヲ述ブ。 【p.695-700】 |
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4.海外植民学校〔第三十八巻所収〕 |
大正7年4月27日 (1918年) |
是日栄一、当校落成式ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.700-701】 |
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4.海外植民学校〔第三十八巻所収〕 |
大正9年3月7日 (1920年) |
是日栄一、当校第二回卒業生ヲ飛鳥山邸ニ引見シテ、訓話ヲナス。爾後、屡々当校卒業生等ヲ引見ス。 【p.701-706】 |
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4.海外植民学校〔第三十八巻所収〕 |
昭和6年11月16日 (1931年) |
是月十一日栄一歿ス。是日当校ニ於テ、栄一ノ追悼式ヲ催ス。 【p.706-707】 |
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5.関東大震災ニ対スル外国ノ援助〔第四十巻所収〕 |
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-- 【p.707-708】 |
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