『渋沢栄一伝記資料』第48巻

公開日: 2006.03.20 / 最終更新日: 2018.08.17

「目次詳細(綱文)」の各【ページ】をクリックすると、デジタル版『渋沢栄一伝記資料』の本文ページが表示されます。

目 次

第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年-昭和六年 (十九)
- 第1部 社会公共事業
- - 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業(承前)
- - - 第4節 編纂事業(承前)
- - - - 第2款 楽翁公伝編纂 付 楽翁公関係資料刊行 【p.5-】
- - - - 第3款 合衆国製鋼会社之由来及同社取締役会長ゲーリー氏の略伝 【p.25-】
- - - - 第4款 ルーズヴェルト氏の日本観 【p.26-】
- - - - 第5款 アンドルー・カーネギー自叙伝 【p.34-】
- - - - 第6款 欧洲の将来 【p.37-】
- - - - 第7款 日本に於けるタウンセンド・ハリス君の事績 付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞 【p.39-】
- - - - 第8款 明治商工史 【p.41-】
- - - - 第9款 維新史料編纂会 付、彰明会 【p.44-】
- - - - 第10款 明治憲政経済史論 【p.63-】
- - - - 第11款 三日の大和路 【p.65-】
- - - - 第12款 渋沢栄一滞仏日記 【p.67-】
- - - - 第13款 鼎軒田口卯吉全集刊行会 【p.72-】
- - - - 第14款 世外井上公伝 【p.76-】
- - - - 第15款 其他 【p.86-】
- - - - 第16款 栄一ノ演説・談話ヲ編集刊行セルモノ 【p.111-】
- - - - 第17款 栄一ノ序文・跋文 【p.145-】
- - - - 第18款 栄一ノ題言 【p.179-】
- - - 第5節 新聞・雑誌・通信・放送
- - - - 第1款 新聞・雑誌 【p.208-】
- - - - 第2款 通信・放送 【p.260-】
- - 第7章 行政
- - - 第1節 自治行政
- - - - 第1款 自治協会(承前) 【p.266-】
- - - - 第2款 東京市参与 【p.267-】
- - - - 第3款 東京市長銓衡 【p.269-】
- - - - 第4款 東京市関係 【p.328-】
- - - - 第5款 深川区関係 【p.335-】
- - - - 第6款 大阪市公会堂 【p.345-】
- - - - 第7款 滝野川町関係 【p.359-】
- - - - 第8款 埼玉県関係 【p.394-】
- - - 第2節 内務行政
- - - - 第1款 財団法人消防義会 【p.405-】
- - - - 第2款 社団法人道路改良会 【p.409-】
- - - - 第3款 帝都復興審議会 【p.428-】
- - 第8章 軍事関係諸事業
- - - 第1節 第一次世界大戦関係
- - - - 第1款 対独開戦 【p.482-】
- - - - 第2款 聯合国傷病兵救援会 【p.498-】
- - - - 第3款 凱旋将士歓迎会 【p.501-】
- - - - 第4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会 【p.519-】
- - - - 第5款 聯合国軍隊慰問協賛会 【p.578-】
- - - - 第6款 世界大戦休戦祝賀会 【p.585-】
- - - - 第7款 講和会議特派実業家送別会 【p.590-】
- - - - 第8款 世界大戦講和成立祝賀会 【p.593-】
- - - - 第9款 西比利亜俘虜救護会 【p.603-】
- - - - 第10款 ドイツ国難民救助 【p.607-】
- - - 第2節 軍事関係諸団体
- - - - 第1款 社団法人帝国軍人後援会 【p.608-】
- - - - 第2款 財団法人帝国在郷軍人会 【p.616-】
- - - - 第3款 社団法人海軍協会 【p.623-】
- - - - 第4款 社団法人大日本国防義会 【p.628-】
- - - - 第5款 財団法人報効会 【p.642-】
- - - 第3節 軍事関係諸問題
- - - - 第1款 師団増設問題 【p.677-】
- - - - 第2款 青島陥落後ノ対策問題 【p.684-】
- - - - 第3款 対支問題 【p.686-】
- - - - 第4款 シベリア出兵問題 【p.690-】
- - - - 第5款 日英同盟更新問題 【p.692-】
- - - - 第6款 軍備制限問題 【p.697-】

目次詳細(綱文)

第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年-昭和六年 (十九)
- 第1部 社会公共事業
- - 第6章 学術及ビ其他ノ文化事業(承前)
- - - 第4節 編纂事業(承前)
- - - - 第2款 楽翁公伝編纂 付 楽翁公関係資料刊行
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治44年5月13日
(1911年)
是日栄一、天明八年正月、松平定信ガ本所吉祥院ノ歓喜天ニ捧ゲタル願文ヲ書写シ、東京市養育院内ニ祀ル処ノ同公ノ神位ニ充ツ。 【p.5-6】
- - - - -   大正14年6月11日
(1925年)
是ヨリ先栄一、松平定信(楽翁)ノ伝記編纂ノ志アリ。是日、穂積陳重、栄一ニ三上参次ヲ推ス。後、三上参次ニ監修ヲ、平泉澄ニ編纂ヲ委嘱ス。 【p.6-8】
- - - - -   昭和6年7月-8月
(1931年)
是ヨリ先、三上参次・平泉澄・中村孝也ニヨル「楽翁公伝」ノ稿成ル。是頃栄一、自序ヲ口述ス。 【p.8-14】
- - - - -   昭和12年11月11日
(1937年)
是日、栄一ヲ著者、財団法人楽翁公遺徳顕彰会ヲ著作権者トシテ、岩波書店ヨリ当伝記発行セラル。 【p.14-15】
- - - - - .付、楽翁公関係資料刊行/1.古々呂双紙複製 大正8年12月
(1919年)
是月栄一、松平定晴所蔵ノ竹沢養溪画松平定信(楽翁)詞書ノ「古々呂双紙」一巻ヲ玻璃版ニ複製シテ、知人ニ頒布ス。 【p.15-17】
- - - - - .付、楽翁公関係資料刊行/2.むら千鳥編集 大正15年5月
(1926年)
是月栄一、松平定信(楽翁)著、宇下人言巻首一節、自教鑑、座右銘、花月草紙中ノ小品文三篇ヲ書写シ、「むら千鳥」ト題シテ石版印刷ニ付シ、知人ニ頒布ス。 【p.17-18】
- - - - - .付、楽翁公関係資料刊行/3.楽翁公住吉奉納百首和歌書写 昭和2年5月
(1927年)
是月栄一、松平定信(楽翁)ノ詠草「住吉神社奉納百首」ヲ書写シ、「楽翁公住吉奉納百首和歌」ト題シテ石版印刷ニ付シ、知人ニ頒布ス。 【p.19-20】
- - - - - .付、楽翁公関係資料刊行/4.楽亭壁書解説編纂 昭和4年6月
(1929年)
是月栄一、松平定信(楽翁)ノ百周年忌記念ノタメ、中村孝也ニ嘱シテ、定信ノ座右銘「楽亭壁書」ニ解説ヲ付シ、「楽亭壁書解説」ト題シテ刊行シ、知人ニ頒布ス。 【p.20-23】
- - - - - .付、楽翁公関係資料刊行/5.楽翁公自教鑑複製 昭和6年5月
(1931年)
是月栄一、松平定信(楽翁)自撰自筆ノ「自教鑑」ヲ影写シ、石版印刷ニ付シテ、知人ニ頒布ス。 【p.23-24】
- - - -
- - - - 第3款 合衆国製鋼会社之由来及同社取締役会長ゲーリー氏の略伝
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正5年8月
(1916年)
是年九月、アメリカ合衆国鋼鉄会社取締役会長エルバート・エッチ・ゲーリー夫妻ノ来訪ニ先立チ、是月栄一、アルンデル・コッタ著「合衆国製綱会社ノ由来」ノ摘訳ヲ刊行シテ知人ニ頒布ス。 【p.25】
- - - -
- - - - 第4款 ルーズヴェルト氏の日本観
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正9年9月
(1920年)
是月栄一、前アメリカ合衆国大統領故セオドル・ルーズヴェルトノ著「世界大戦争に於ける日本の態度」ヲ、小畑久五郎ニ依嘱シテ翻訳セシメ「ルーズヴェルト氏の日本観」ト題シ、原文ト併セテ刊行シ、知人ニ頒布ス。 【p.26-33】
- - - -
- - - - 第5款 アンドルー・カーネギー自叙伝
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正11年5月
(1922年)
是月、栄一ガ小畑久五郎ニ依嘱シテ翻訳セシメタル「アンドルー・カーネギー自叙伝」冨山房ヨリ発刊セラル。 【p.34-36】
- - - -
- - - - 第6款 欧洲の将来
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正11年8月
(1922年)
是月栄一、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップノ著「欧洲ノ将来」ヲ、小林丑三郎監修ノ下ニ、弓家七郎ニ翻訳ヲ依嘱シ、竜門社ヨリ刊行セシム。 【p.37-38】
- - - -
- - - - 第7款 日本に於けるタウンセンド・ハリス君の事績 付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和2年10月1日
(1927年)
是日栄一、タウンセンド・ハリス記念碑除幕式ニ際シ、ソノ事蹟ヲ編纂刊行頒布ス。次イデ昭和三年二月、右除幕式ニ於ケルマクヴェー大使ノ式辞ニ序文ヲ付シテ刊行頒布ス。 【p.39-40】
- - - - - .付、ハリス君記念碑除幕式に於けるマクヴェー大使の式辞 -- -- 【p.40】
- - - -
- - - - 第8款 明治商工史
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治43年12月
(1910年)
是ヨリ先、報知新聞社、同紙一万二千号発刊記念トシテ、栄一ヲ撰者ニ依嘱シ、名士ノ論説・講話ヲ集メ、「明治商工史」ト題シテ刊行ス。是月栄一、同書再版ノ題言ヲ撰ス。大正七年、同紙一万五千号ヲ発刊ニ際シ、「最近商工史」ト改題シテ発行ス。 【p.41-43】
- - - -
- - - - 第9款 維新史料編纂会 付、彰明会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治44年5月10日
(1911年)
是ヨリ先明治四十三年末、井上馨等発起人トナリ、御下賜金一万円ヲ基本トシテ維新史ノ調査ヲ目的トセル彰明会ヲ設立ス。栄一委員ニシテ会計主任タリ。是年、山県有朋・大山巌等是ヲ政府ノ事業トシ、文部省直轄ノ維新資料編纂会ヲ設立セントス。是日ソノ官制発令セラレ、当会総裁ニ井上馨、顧問ニ山県有朋・大山巌・松方正義外四名仰付ケラレ、栄一外二十一名、総裁ヨリ委員ニ推薦セラル。尚、彰明会ハ当会設立後モ存シ、栄一ソノ委員トシテ当会委員ト共ニ在任歿年ニ及ブ。 【p.44-62】
- - - -
- - - - 第10款 明治憲政経済史論
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正8年4月
(1919年)
是月、国家学会ハ創立満三十年記念トシテ、「明治憲政経済史論」(全一冊)ヲ発行ス。栄一「維新以後ニ於ケル経済界ノ発達」ト題スル実歴談ヲ寄稿ス。 【p.63-64】
- - - -
- - - - 第11款 三日の大和路
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和2年1月
(1927年)
是月栄一、長女穂積歌子自筆ノ歌集「三日の大和路」ノ巻首ニ、序文及ビ旧作詩三首ヲ撰書シ、竜門社ニ依托シテ「竜門雑誌」第四百六十号付録トナシ、和綴一冊ニ印刷(石版)製本シテ頒布ス。 【p.65-66】
- - - -
- - - - 第12款 渋沢栄一滞仏日記
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和2年7月11日
(1927年)
是月、栄一ノ評議員タル日本史籍協会ハ、同会刊行ノ叢書中ニ、栄一ノ著述「巴里御在館日記」及ビ「航西日記」ヲ収録出版センコトヲ希望ス。是日栄一、是ヲ承諾ス。後、更ニ同ジ著述「御巡国日録」ノ追加ヲ許ス。 【p.67-70】
- - - - -   昭和3年1月25日
(1928年)
是日、日本史籍協会ヨリ同会叢書ノ一部トシテ、栄一ノ著述「航西日記」「巴里御在館日記」及ビ「御巡国日録」ヲ菊版一冊(四百九十頁)ニ合本シ、「渋沢栄一滞仏日記」ト題シテ発行ス。 【p.70-71】
- - - -
- - - - 第13款 鼎軒田口卯吉全集刊行会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和2年
(1927年)
是年「鼎軒田口卯吉全集」ノ刊行企劃セラルルヤ、栄一、阪谷芳郎・佐々木勇之助等ト共ニ、当会ノ顧問トナリテ援助ス。 【p.72-75】
- - - -
- - - - 第14款 世外井上公伝
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和3年1月11日
(1928年)
是日、益田孝・有賀長文等飛鳥山邸ニ来訪シ、栄一ト井上馨伝記編纂ニ関スル協議ヲナス。同十八日、東京銀行集会所ニ於テ同伝記編纂ニ関スル協議会開カレ、栄一編纂ノ趣旨ヲ述ブ。席上栄一、顧問ニ選バル。同三十日、栄一、日本工業倶楽部ニ於ケル第一回委員会ニ出席ス。 【p.76-79】
- - - - -   昭和3年4月17日
(1928年)
是日栄一、第二回委員会ニ出席、会長ニ推サレ、堀田璋左右ヲ編纂主任ニ決ス。栄一在任歿年ニ及ブ。 【p.79-81】
- - - - -   昭和5年10月
(1930年)
是月栄一、当伝記ノ序文ヲ撰ス。 【p.81-85】
- - - -
- - - - 第15款 其他
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.日本百科大辞典完成会 大正4年7月
(1915年)
是ヨリ先、三省堂書店ニ於テ編纂刊行中ノ「日本百科大辞典」ハ経営頓挫ノタメ、第六巻ニ至リテソノ刊行ヲ中止ス。是月、阪谷芳郎等コレヲ遺憾トシ、同辞典第七巻以下第九巻及ビ索引補遺一巻計四巻ヲ続刊セントノ趣旨ノ下ニ、日本百科大辞典完成会ヲ組織シテ資金ヲ募集ス。栄一、協賛員トナリ、岩崎小弥太等ト協議シ出資援助ス。 【p.86-88】
- - - - - 2.大僧正天海伝 大正5年9月20日
(1916年)
是ヨリ先栄一、当伝記ノ編纂ニ関シテ尽力ス。是日、当伝記冨山房ヨリ刊行セラル。 【p.88-90】
- - - - - 3.公爵桂太郎伝 大正6年3月1日
(1917年)
是ヨリ先、故桂公爵記念事業会、記念事業ノ一トシテ、徳富猪一郎ニ編纂ヲ依嘱セル、「公爵桂太郎伝」成リ、是日栄一、同会常務委員長トシテ、桂家ヲ訪問ノ上、当伝記ヲ贈ル。 【p.91-92】
- - - - - 4.小松原英太郎君事略 大正10年6月
(1921年)
是ヨリ先、岡山青年会及ビ同県人茶話会ニ於テ、故小松原英太郎伝記編纂ノ議起リ、阪谷芳郎推サレテ実行委員長トナリ、是月賛成勧誘状ヲ発ス。栄一ソノ趣意ニ賛シ金百円ヲ寄付ス。同十三年十一月「小松原英太郎君事略」成ル。 【p.92-94】
- - - - - 5.大隈侯八十五年史編纂会 昭和2年1月
(1927年)
是ヨリ先大正十一年、大隈重信伝記編纂会設立セラレ、栄一ソノ顧問トナル。是月栄一、数日推敲シテ「大隈侯八十五年史」ノ序文ヲ撰ス。 【p.94-100】
- - - - - 6.田尻先生伝記及遺稿編纂会 昭和3年10月25日
(1928年)
是ヨリ先、田尻稲次郎伝記及遺稿編纂ノ議起ル。是日、当会ヨリ発起人候補者ニ対シ依頼状ヲ発ス。栄一ソノ趣旨ニ賛シ発起人トナル。 【p.100-104】
- - - - - 7.故大森男爵事歴編纂会 昭和4年1月
(1929年)
是ヨリ先、大森鍾一遺稿編纂ノ企アリ。是月、栄一発起人トナリ、且ツ同遺稿集ニ追憶文ヲ寄稿ス。 【p.104-107】
- - - - - 8.後藤新平伯伝記編纂会 昭和6年4月
(1931年)
是ヨリ先、後藤新平伯伝記編纂会設立セラル。是月、栄一ソノ発起人トナル。 【p.107-109】
- - - - - 9.雑 -- -- 【p.109-110】
- - - -
- - - - 第16款 栄一ノ演説・談話ヲ編集刊行セルモノ
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.渋沢男爵百話 明治42年8月
(1909年)
是月、岩崎勝三郎、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「渋沢男爵百話」ト題シテ、東京・大学館ヨリ発行ス。大正六年三月再版発行。(四六版・一冊・四一九頁) 【p.111】
- - - - - 2.富源の開拓 明治43年12月
(1910年)
是月、立石駒吉、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「富源の開拓」ト題シテ、東京・文成社ヨリ発行ス。(菊版・一冊・四九六頁) 【p.112-113】
- - - - - 3.青淵百話 明治45年6月
(1912年)
是月、森山章之丞、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「青淵百話」ト題シテ、東京・同文館ヨリ発行ス。(菊版・乾坤二冊・全一〇五二頁) 【p.113-122】
- - - - - 4.青淵先生世路日記雨夜物語 大正2年8月
(1913年)
是月、玉利伝十、栄一ノ論説談話ヲ編集シ「雨夜物語」ト題シテ、東京・択善社ヨリ発行ス。(四六版・一冊・一五四頁) 【p.122-123】
- - - - - 5.渋沢男爵実業講演 大正2年8月
(1913年)
是月、井口正之、栄一ノ講話演説ヲ編集シ「渋沢男爵実業講演」ト題シ、東京・帝国図書出版株式会社ヨリ発行ス。(菊版・二冊・乾七五六頁・坤八三六頁) 【p.123-125】
- - - - - 6.至誠と努力(名家講演集第一編) 大正4年7月
(1915年)
是月、修養団本部、栄一講話ヲ編集シ「至誠と努力(名家講演集第一編)」ト題シテ、東京・栄文館書房ヨリ発行ス。(袖珍版・一冊・七六二頁) 【p.125-126】
- - - - - 7.村荘小言 大正5年10月
(1916年)
是月、実業之世界社、栄一ノ談話ヲ編集シ「村荘小言」ト題シテ、同社ヨリ発行ス。(四六版・一冊・五四九頁) 【p.126-128】
- - - - - 8.青淵実業講話 大正12年1月
(1923年)
是月、蘆川忠雄、栄一ノ実業ニ関スル講演談話ヲ編集シ、「青淵実業講話」ト題シテ、東京・大日本図書株式会社ヨリ発行ス。(四六版・一冊・四六一頁) 【p.129-130】
- - - - - 9.実践商業道徳講話 大正12年1月15日
(1923年)
栄一、実業之日本社経営ノ帝国実業講習会総裁トシテ、同会ノ実業講習録中ノ一科目「実践商業道徳講話」ヲ担当シ、是日ソノ原稿ノ一部ヲ送致ス。 【p.130-132】
- - - - - 10.青淵回顧録 昭和2年8月
(1927年)
是月、小貫修一郎・高橋重治、栄一ノ談話ヲ筆記編集シ「青淵回顧録」ト題シ、青淵回顧録刊行会ヨリ発行ス。(菊版・二冊、上巻・下巻計一七〇四頁) 【p.132-134】
- - - - - 11.青淵先生訓話集 昭和3年5月
(1928年)
是月、竜門社、栄一ノ訓話ヲ編集シ「青淵先生訓話集」ト題シテ刊行、東京・刀江書院ヨリ発売セシム。(四六版・一冊・四〇〇頁) 【p.134-135】
- - - - - 12.渋沢栄一全集 昭和5年7月
(1930年)
是月ヨリ十二月ニ亘リ、山本勇夫ヲ編纂者トシテ、東京・平凡社ヨリ「渋沢栄一全集」発行セラル。(菊版・六冊・計三七五九頁) 【p.135-137】
- - - - - 13.渋沢翁は語る 昭和7年10月
(1932年)
是月、岡田純夫、栄一ノ談話ヲ編集シ「渋沢翁は語る」ト題シテ発行、東京・斯文書院ヨリ発売ス。(菊版・一冊・三四一頁、年譜一〇頁) 【p.137-140】
- - - - - 14.青淵論叢 昭和8年2月
(1933年)
是月、小貫修一郎、栄一ノ演説談話ヲ編集シ「青淵論叢」ト題シテ刊行、統計資料協会ヨリ発行ス。(菊版・一冊・一七四頁) 【p.140-141】
- - - - - 15.渋沢栄一自叙伝 昭和12年12月
(1937年)
是月、小貫修一郎・高橋重治、昭和二年刊行ノ、「青淵回顧録」ヲ増補改訂ノ上「渋沢栄一自叙伝」ト改題シ、偉人烈士伝編纂所ヨリ発行ス。(菊版・一冊・本文一〇一九頁、年譜五九頁) 【p.141-142】
- - - - - 16.青淵先生演説撰集 昭和12年11月
(1937年)
是月、竜門社、栄一ノ演説ヲ撰集シテ「青淵先生演説撰集」ト題シ、「竜門雑誌」第五百九十号付録トシテ刊行ス。(四六版・一冊・三七〇頁) 【p.142-144】
- - - -
- - - - 第17款 栄一ノ序文・跋文
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.一般図書ノ部 明治42年-昭和6年
(1909年)
栄一、コノ期間ニ各種ノ著書ニ寄セタル序文・跋文三十余篇ニ及ブ。 【p.145-165】
- - - - - 2.個人伝記ノ部 明治44年-昭和6年
(1911年)
栄一、コノ期間ニ個人ノ伝記ニ寄セタル序文十七篇ニ及ブ。 【p.165-178】
- - - -
- - - - 第18款 栄一ノ題言
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治42年-昭和6年
(1909年)
栄一、コノ期間ニ題言ヲ寄セタル図書百七十余冊ニ及ブ。 【p.179-207】
- - - -
- - - 第5節 新聞・雑誌・通信・放送
- - - - 第1款 新聞・雑誌
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.実業之世界(承前) 大正3年6月1日
(1914年)
是日発行ノ「実業之世界」新活動記念号ニ、栄一推讃ノ辞ヲ寄ス。 【p.208-209】
- - - - - 1.実業之世界(承前) 昭和2年6月5日
(1927年)
是日栄一、青山会館ニ於テ開カレタル「実業之世界」創刊二十周年記念講演会ニ臨ミ、演説ヲナス。 【p.209-219】
- - - - - 2.東京経済雑誌(承前) 大正8年6月16日
(1919年)
是日栄一、「東京経済雑誌」創刊四十周年記念号ノタメニ祝文ヲ撰ス。 【p.220】
- - - - - 3.中外商業新報(承前) 大正13年4月14日
(1924年)
是日栄一、当社記念事業「復興の実情」展覧会ヲ参観シテ感想ヲ述ブ。
大正十五年七月、当社五十年記念「産業文化博覧会」ノ副総裁トナル。 【p.220-224】
- - - - - 4.中央新聞二十周年祝賀会 明治43年6月4日
(1910年)
是日、中央新聞二十周年祝賀会、有楽座ニ於テ開カル。栄一、出席スルヲ得ズ、祝辞ヲ代読セシム。 【p.224-225】
- - - - - 5.福岡日々新聞三十五周年記念祝賀会 明治44年6月7日
(1911年)
是日栄一、帝国劇場ニ於テ開催セラレタル、福岡日々新聞社三十五周年記念祝賀会ニ出席シテ祝辞ヲ述ブ。 【p.225-227】
- - - - - 6.新日本 明治44年
(1911年)
是年栄一、大隈重信ノ主宰セル雑誌「新日本」ノ顧問トナル。 【p.227-228】
- - - - - 7.博文館二十五周年記念祝賀会 明治45年6月15日
(1912年)
是日栄一、帝国劇場ニ於テ開催セラレタル、博文館創業二十五周年記念祝賀会ニ臨ミテ祝辞ヲ述ブ。 【p.228-231】
- - - - - 8.実業報知新聞五周年祝賀会 大正2年10月9日
(1913年)
是日、上野精養軒ニ於テ、実業報知新聞社五周年記念祝賀会開催セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。 【p.231-234】
- - - - - 9.国民新聞二十五年記念祝賀会 大正4年5月10日
(1915年)
是日栄一、上野精養軒ニ於テ催サレタル、国民新聞二十五年記念祝賀会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.234-236】
- - - - - 10.日本魂社 大正5年4月
(1916年)
是月、後藤武夫、雑誌社「日本魂社」ヲ設立ス。栄一ソノ賛助員トナル。 【p.236-237】
- - - - - 11.報知婦人講演会 大正7年4月8日
(1918年)
是日報知新聞社、第十回報知婦人講演会ヲ飛鳥山邸ニ於テ開催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.237-238】
- - - - - 12.博報堂二十周年記念祝賀会 大正7年4月21日
(1918年)
是日、帝国ホテルニ於テ、雑誌新聞広告取次業博報堂創立二十周年記念会開催セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。 【p.238】
- - - - - 13.実業公論社 -- -- 【p.238-239】
- - - - - 14.埼玉及埼玉人社 大正14年4月12日
(1925年)
是日、当社創立三周年記念園遊懇親大会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。栄一、病気静養中ニツキ在邸スルモ出席セズ。尚、栄一当社ニ援助スル所アリ。 【p.239-240】
- - - - - 15.実業之日本 大正15年1月
(1926年)
栄一、「実業之日本」一月号ニ感想ヲ寄ス。 【p.240-242】
- - - - - 16.読売新聞社屋落成祝賀会 大正15年3月19日
(1926年)
是日読売新聞社、歌舞伎座ニ於テ、社屋落成祝賀会ヲ開催ス。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ。代理ヲ派遣シテ祝辞ヲ代読セシム。 【p.242-244】
- - - - - 17.中等教科書出版協会 大正15年7月
(1926年)
是月栄一、頭本元貞設立ノ中等教科書出版協会ノ顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。 【p.244-245】
- - - - - 18.崇文院 大正15年
(1926年)
是年小室翠雲、我国ノ先哲遺書刊行ノタメ、崇文院ヲ設立シテ崇文叢書ヲ刊行ス。栄一ソノ協賛員トナル。 【p.245-246】
- - - - - 19.報知新聞社社長披露会 昭和3年1月26日
(1928年)
是ヨリ先昭和二年十二月、大隈信常、報知新聞社長ニ就任ス。是日栄一、東京会館ニ開カレタルソノ披露会ニ出席ス。 【p.246-247】
- - - - - 20.修養全集 昭和4年7月
(1929年)
是月、栄一ノ寄稿「重用される人物」ヲ収メ、修養全集第九巻訓話説教演説集、大日本雄弁会講談社ヨリ刊行サル。 【p.247-251】
- - - - - 21.婦女新聞後援会 昭和5年8月
(1930年)
是ヨリ先栄一、福島貞子ノ経営ニ係ル、婦女新聞社ニツキ尽力スル所アリシガ、是月、当後援会ノ相談役トナル。 【p.251-254】
- - - - - 22.ヘラルド・オブ・エイシヤ 昭和6年6月
(1931年)
是月栄一、頭本元貞主宰ノ英文雑誌「ヘラルド・オブ・エイシヤ」再刊ニツキ紹介ノ労ヲ執ル。 【p.254-255】
- - - - - 23.外国新聞関係 -- -- 【p.255-257】
- - - - - 24.其他(雑) -- -- 【p.257-259】
- - - -
- - - - 第2款 通信・放送
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.日本電報通信社二十年記念祝賀会 大正10年4月7日
(1921年)
是日栄一、帝国劇場ニ於テ開催セラレタル日本電報通信社二十年記念祝賀会ニ出席シ、祝辞ヲ述ブ。 【p.260】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 大正15年8月6日
(1926年)
是日、社団法人日本放送協会設立セラレ、栄一、顧問ニ就任シ、在任歿年ニ及ブ。 【p.260-264】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 大正15年11月11日
(1926年)
是日栄一、東京中央放送局ニ於テ「平和記念日に就て」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.264-265】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 昭和2年11月11日
(1927年)
是日栄一、東京中央放送局ニ於テ「休戦記念日に就て」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.265】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 昭和3年11月11日
(1928年)
是日栄一、東京中央放送局ニ於テ「御大礼に際して迎ふる休戦記念日に就て」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.265】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 昭和4年11月11日
(1929年)
是日栄一、東京中央放送局ニ於テ「休戦記念日ニ就テ」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.265】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 昭和5年6月29日
(1930年)
是日栄一、東京中央放送局ニ於テ「平和に対する努力」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.265】
- - - - - 2.社団法人日本放送協会 昭和6年9月6日
(1931年)
是日栄一、飛鳥山邸ノ病床ヨリ「中華民国の水害に就て」ト題スル講演ヲ放送ス。 【p.265】
- - - -
- - 第7章 行政
- - - 第1節 自治行政
- - - - 第1款 自治協会(承前)
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治43年1月27日
(1910年)
栄一、明治四十二年八月十九日渡米実業団ヲ率イテ渡米シ、十二月十七日帰国ス。是日栄一、交詢社ニ於テ開カレタル当協会招待会ニ出席シ、米国旅行談ヲナス。 【p.266】
- - - -
- - - - 第2款 東京市参与
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正2年3月
(1913年)
是月栄一、東京市参与ニ就任シ、重任シテ歿年ニ及ブ。 【p.267】
- - - - -   昭和6年11月15日
(1931年)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、東京市長永田秀次郎ハ、市会ノ議決ヲ経テ弔詞ヲ贈ル。 【p.267-268】
- - - -
- - - - 第3款 東京市長銓衡
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正4年6月22日
(1915年)
是年二月、阪谷芳郎東京市長ヲ辞任シ、六月奥田義人市長ニ就任ス。是日、東京商業会議所ニ於テ新旧市長招待会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.269-270】
- - - - -   大正7年3月
(1918年)
是ヨリ先大正六年八月二十一日、東京市長奥田義人逝ク。是月栄一、東京市会議長中野武営ノ依頼ニ応ジ、上山満之進ニ市長就任ヲ勧説セシモ、上山辞退ス。四月五日田尻稲次郎市長ニ就任ス。 【p.270-273】
- - - - -   大正9年12月12日
(1920年)
是年十一月、田尻稲次郎東京市長ヲ辞任ス。是日栄一、銓衡委員ノ依頼ニヨリ、後任市長候補者後藤新平ト会見シテ市長就任ヲ勧誘ス。又、床次内相・原首相ヲ訪問シテ尽力ヲ依頼ス。十二月十五日、後藤新平市長就任ヲ内諾ス。同月二十三日、東京商業会議所主催新市長歓迎会催サレ、栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。 【p.273-295】
- - - - -   大正12年5月16日
(1923年)
是年四月、後藤新平、東京市長ヲ辞任ス。五月十三日、銓衡委員懇談会ニ於テ、栄一ヲ市長ニ推薦スルノ議起リ、越エテ十五日ノ同会ニ於テ、市会各派ノ意向一致ス。是日、柳沢市会議長、市会各派代表五名ト共ニ、渋沢事務所ニ来訪、栄一ニ会見シテ市長就任ヲ懇請ス。十七日、栄一之ヲ辞退ス。後、永田秀次郎市長ニ就任ス。 【p.295-316】
- - - - -   大正13年9月20日
(1924年)
是月、永田秀次郎、東京市長ヲ辞任ス。是日栄一、市会全員協議会ノ依頼ニヨリ、市長候補者井上準之助ヲソノ邸ニ訪問シテ、市長就任ヲ懇請ス。井上辞退ス。
十月一日、栄一再ビ市会議員ノ依頼ニ応ジテ、市長候補者後藤新平ヲソノ邸ニ訪問シテ、市長就任ヲ懇請セルモ、後藤マタ受諾セズ。後、中村是公市長ニ就任ス。 【p.316-323】
- - - - -   大正15年7月1日
(1926年)
是ヨリ先六月、東京市長中村是公辞職ス。
是日栄一、市長候補者伊沢多喜男ニ書翰ヲ送リテ市長就任ヲ懇請シ、且内務大臣浜口雄幸ニ説得ヲ依頼ス。二日、市会議員大橋新太郎ヲ、伊沢ノ旅行先熱海ノ宿所ニ派遣シテ勧誘ス。後、伊沢多喜男市長ニ就任ス。 【p.323-327】
- - - -
- - - - 第4款 東京市関係
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.東京市講演会 明治42年6月26日
(1909年)
是日、東京高等商業学校講堂ニ於テ、第七回東京市講演会開カル。栄一「済貧恤窮に就て」ト題シテ演説ヲナス。 【p.328-329】
- - - - - 1.東京市講演会 明治42年12月26日
(1909年)
是日、東京高等商業学校講堂ニ於テ、第九回東京市講演会開カル。栄一、渡米実業団ニ関スル演説ヲナス。 【p.329-330】
- - - - - 1.東京市講演会 大正3年11月20日
(1914年)
是日、東京高等商業学校講堂ニ於テ、東京市講演会開カル。栄一演説ヲナス。 【p.330-331】
- - - - - 2.東京市公会堂 明治43年5月16日
(1910年)
是ヨリ先明治四十年、東京市ハ公会堂ノ必要ヲ感ジ、上野公園又ハ芝公園内ニ、ソノ敷地ヲ求ム。是日栄一、東京商業会議所ニ於テ、同会頭中野武営ソノ他ト、公会堂設立ノ件ヲ協議ス。 【p.331-332】
- - - - - 3.東京市長ヨリノ表彰 大正8年5月10日
(1919年)
是日、東京市制三十年記念式ニ際シ、栄一、東京市長ヨリ表彰セラル。 【p.332-333】
- - - - - 3.東京市長ヨリノ表彰 昭和3年11月10日
(1928年)
是日、大正天皇[今上天皇]即位礼ニ際シ、栄一、東京市ノ公務ニ従事シ勤労尠カラザルニヨリ、東京市長ヨリ表彰セラル。 【p.333-334】
- - - - - 4.市役所献灯設計費協賛 大正元年8月24日
(1912年)
是日栄一、東京商業会議所会頭中野武営等ト明治天皇大葬当夜、御道筋照明ノタメ灯火ノ献納ヲ議ス。後、有志ノ銀行・会社ヨリ金二万五千円ヲ募リテ、東京市ノ献灯設計費中ニ寄付ス。 【p.334】
- - - -
- - - - 第5款 深川区関係
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.深川鴎盟会(承前) -- -- 【p.335-336】
- - - - - 2.浅野セメント深川工場降灰問題 明治44年3月27日
(1911年)
是ヨリ先、深川区民、浅野セメント合資会社深川工場ノ降灰ニヨル被害ニ抗議シテ同会社ニ工場ノ移転ヲ迫ル。栄一、会社側ノ代表者トシテ区民代表者ト協議ヲ重ネタルモ解決ヲ見ズ。仍テ浜口吉右衛門・河野広中・中野武営・柿沼谷蔵仲裁者トナリテ斡旋ス。是日、仲裁人ニ対スル双方ノ無条件委任ニ依リ作成セラレタル仲裁事項ヲ承認シテ、当問題解決ス。 【p.336-341】
- - - - - 2.浅野セメント深川工場降灰問題 大正5年12月20日
(1916年)
浅野セメント株式会社深川工場降灰問題再燃シ、深川区民、明治四十四年三月二十七日付仲裁書ニ仍リテ工場移転ノ履行ヲ要求ス。栄一等会社代表者之ト折衝シ、是日工場撤廃期限ヲ大正六年十二月二十五日迄ニ延期スル旨契約ヲ締結ス。 【p.341-342】
- - - - - 2.浅野セメント深川工場降灰問題 大正6年12月25日
(1917年)
是ヨリ先、浅野セメント株式会社、深川工場ノ降灰防止施設ヲ完備セシメタルヲ以テ、前年ノ誓約ヲ解消シ、工場移転ヲ中止ス。是日栄一等立会人トナリテ深川区民代表者ト今後一層其防止ニ努ムベキ旨契約書ヲ交換シテ懸案解決ス。 【p.342-344】
- - - - - 3.深川消防義会 明治45年6月15日
(1912年)
是日、深川消防義会成立シ、栄一金二千円ヲ寄付ス。 【p.344】
- - - -
- - - - 第6款 大阪市公会堂
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治44年3月7日
(1911年)
是日栄一、岩本栄之助ノ請ニヨリ大阪市ニ赴キ、同人ヨリ大阪市ニ対スル百万円ノ寄付行為ニ関シ斡旋ス。後、協議ノ上、同市公会堂ヲ建設寄付スル事ニ決シ、同年八月財団法人ノ認可ヲ得、栄一其顧問トナル。 【p.345-351】
- - - - -   明治45年4月16日
(1912年)
是日栄一、関西銀行大会ヘ出席ノ為メ下阪ノ機会ニ、大阪市公会堂建築事務所ニ立寄ル。 【p.351】
- - - - -   大正4年10月8日
(1915年)
是日栄一、関西・九州地方旅行ノ途次、大阪市ニ至リ、中之島公園内ニ建設ノ大阪市公会堂ノ定礎式ニ列シ、栄一揮毫ノ文字ヲ刻セル礎石ヲ鎮メ、祝辞ヲ述ブ。 【p.351-353】
- - - - -   大正7年11月17日
(1918年)
是ヨリ先、大正五年十月岩本栄之助逝ク。是日、大阪市公会堂落成奉告祭挙行セラル。栄一祝辞ヲ送ル。 【p.353-358】
- - - -
- - - - 第7款 滝野川町関係
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正4年2月
(1915年)
是月栄一、滝野川町公園設備費トシテ金千円ヲ寄付ス。依ツテ是年七月二十八日賞勲局総裁ヨリ銀杯一個ヲ下賜セラル。 【p.359】
- - - - -   大正4年3月17日
(1915年)
是日栄一、滝野川町民総代ノ希望ニ応ジ、東京市役所ニ高橋助役ヲ訪レテ、市電速通ノ件ヲ談ズ。 【p.359】
- - - - -   大正7年11月3日
(1918年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ催サレタル、滝野川町在住者招待園遊会ニ臨ミ、演説ヲナス。 【p.359-368】
- - - - -   大正7年12月
(1918年)
是月栄一、滝野川町役場新築費トシテ金五千円ヲ寄付ス。仍ツテ同八年十一月十一日紺綬褒章ヲ下賜セラル。 【p.368-371】
- - - - -   大正8年11月2日
(1919年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ催サレタル、西ヶ原青年会発会式ニ臨ミ、演説ヲナス。 【p.371-376】
- - - - -   大正10年3月7日
(1921年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ滝野川町有志者ヲ招キ、当町ノ自治制整備及ビ社会政策推進ノ方法等ニ関シテ協議ス。 【p.376-377】
- - - - -   大正11年11月12日
(1922年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ催サレタル、滝野川町在住者招待園遊会ニ臨ミ、演説ヲナス。 【p.377-380】
- - - - -   大正12年9月
(1923年)
是月栄一、滝野川町震災救援ノタメ、飛鳥山邸ヲ食糧配給本部ニ宛テ、埼玉県ヨリ白米ヲ取寄セテ供給シ、布団三百枚ヲ寄付ス。 【p.380-383】
- - - - -   大正13年11月23日
(1924年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ、滝野川町在住者招待園遊会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。 【p.383】
- - - - -   大正15年5月23日
(1926年)
是日栄一、飛鳥山邸ニ於テ催サレタル、西ヶ原互親会創立二十週年記念祝賀会ニ臨ミ、祝辞ヲ述ブ。 【p.383-387】
- - - - -   昭和2年11月28日
(1927年)
是ヨリ先、滝野川警察署庁舎新築落成セルヲ以テ、栄一ソノ協賛会長トナル。是日ソノ祝賀園遊会、飛鳥山邸ニ於テ挙行セラル。栄一金五百円ヲ寄付ス。 【p.387-390】
- - - - -   昭和6年11月15日
(1931年)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、町長有馬浅雄、滝野川町民ヲ代表シ、弔詞ヲ贈ル。 【p.390-391】
- - - - -   昭和7年1月
(1932年)
是月、栄一ノ遺志ニヨリ、渋沢家ヨリ金三千円ヲ、滝野川町社会事業協会ニ寄付ス。 【p.391-393】
- - - -
- - - - 第8款 埼玉県関係
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.埼玉県大里郡八基村 大正4年12月24日
(1915年)
是ヨリ先十一月、栄一、郷里埼玉県大里郡八基村ニ、基本金トシテ金千円ヲ寄付ス。是日、右寄付ニツキ賞勲局ヨリ銀杯一個ヲ下賜サル。 【p.394】
- - - - - 2.埼玉県入間郡豊岡町公会堂 大正12年12月9日
(1923年)
是ヨリ先栄一、埼玉県入間郡豊岡町公会堂建設費トシテ金千円寄付シ、是日、開堂式ニ際シ、祝辞ヲ送ル。昭和二年十月二十七日、栄一、右寄付ニツキ賞勲局ヨリ表彰セラル。 【p.394-398】
- - - - - 3.埼玉会館 大正15年11月6日
(1926年)
是ヨリ先、摂政宮殿下ノ御成婚ヲ表慶記念センガタメ、埼玉県下並ニ県関係者有志ノ寄付金及ビ県費ヲ以テ、埼玉会館建設ノ議決セラレ、栄一、埼玉県知事斎藤守圀ト共ニ寄付金募集ニ尽力ス。是日埼玉会館開館式行ハレ、栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
昭和二年十月二十七日、栄一、右寄付ニツキ賞勲局総裁ヨリ表彰セラル。 【p.398-404】
- - - -
- - - 第2節 内務行政
- - - - 第1款 財団法人消防義会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治45年6月15日
(1912年)
首都東京市ノ消防施設ノ整備改善ヲ目的トシ、財団法人消防義会設立セラレ、是日、九段偕行社ニ於テ発会式行ハル。栄一出席シ、推サレテ会長トナル。爾後基金募集等ニ尽力セシガ、後之ヲ辞ス。 【p.405-408】
- - - -
- - - - 第2款 社団法人道路改良会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正8年1月24日
(1919年)
是日栄一、当会設立準備ノタメ、水野錬太郎外十三名ヲ渋沢事務所ニ招キテ協議ス。栄一外六名設立準備委員トナリ、一月二十九日・二月十二日及ビ二十二日委員会ヲ開ク。 【p.409】
- - - - -   大正8年3月1日
(1919年)
是日、東京銀行倶楽部ニ発起人会開カレ、当会成立ス。栄一顧問トナリ、在任歿年ニ及ブ。 【p.409-414】
- - - - -   大正9年6月2日
(1920年)
是日栄一、当会会長水野錬太郎ト連署シテ、東京府知事阿部浩外九府県知事並ニ東京市長田尻稲次郎外五都市市長ニ宛テ、道路改良ノタメ技術者ヲ海外ニ派遣センコトヲ建議シ、十日文部大臣中橋徳五郎並ニ東京帝国大学総長外十九学校長ニ宛テ、道路工学ノ振興ニ関シ建議ス。 【p.414-419】
- - - - -   大正11年2月10日
(1922年)
是日栄一、アメリカ合衆国シアトル道路改良協会名誉顧問サミュール・ヒルヲ東京銀行倶楽部ニ招待ス。当日内務省ヨリ栄一並ニヒルニ記念ノ鋤ヲ贈ル。 【p.419-420】
- - - - -   大正13年5月16日
(1924年)
是ヨリ先、当会ハ理事会ノ決議ニヨリ、関東大震災後ニ於ケル東京市ノ道路改良ニツキ政府ニ建議シ、是日栄一、当会会計監督山田英太郎ト共ニ大蔵大臣勝田主計ヲ訪ヒ、東京市路面改良国庫補助ノ件ヲ陳情ス。更ニ九月十五日、栄一再ビ山田ト共ニ総理大臣加藤高明、十六日大蔵大臣浜口雄幸ヲ訪ヒ、大正十四年度道路改良費ニツキ陳情ス。 【p.420-426】
- - - - -   昭和6年11月15日
(1931年)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会会長水野錬太郎、弔詞ヲ贈ル。 【p.426-427】
- - - -
- - - - 第3款 帝都復興審議会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正12年9月19日
(1923年)
是日栄一、内閣ヨリ当会委員ヲ命ゼラル。 【p.428-436】
- - - - -   大正12年11月24日
(1923年)
是日栄一、総理大臣官邸ニ於ケル当会ニ出席ス。政府提出ノ議案ニ対シ、種々反対意見アリ、栄一之ヲ調停センガタメ協議会ヲ開カンコトヲ提議ス。山本総理大臣ノ取計ヒニヨリ特別委員会ヲ設クルコトニ決シ、栄一同委員会ノ閣外委員ノ一人ニ指名セラル。 【p.436-458】
- - - - -   大正12年11月25日
(1923年)
是日及ビ翌二十六日、栄一、当会特別委員会ニ出席ス。復興計画案討議ノ結果調停的妥協案成立ス。 【p.458-468】
- - - - -   大正12年11月27日
(1923年)
是日栄一、当会本会議ニ出席ス。二十五・六両日ノ特別委員会ニ於テ成立シタル協定案ノ報告アリ。可決セラル。 【p.468-480】
- - - - -   大正13年2月23日
(1924年)
是日、当会官制廃止セラレ、栄一同委員ヲ解カル。 【p.480-481】
- - - - -   大正13年3月5日
(1924年)
是日、摂政宮、赤坂離宮ニ、雍仁親王及ビ閑院宮載仁親王ヲ召サレ、元帝都復興審議会総裁清浦奎吾及ビ元同会委員一同ニ御陪食仰付ケラル。栄一参向ス。 【p.481】
- - - -
- - 第8章 軍事関係諸事業
- - - 第1節 第一次世界大戦関係
- - - - 第1款 対独開戦
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正3年8月16日
(1914年)
是日、総理大臣大隈重信、都下ノ実業家ヲ官邸ニ招キテ、ドイツ国ニ最後通牒ヲ発シタル事情ヲ説明ス。栄一出席シテ答辞ヲ述ブ。 【p.482-489】
- - - - -   大正3年8月19日
(1914年)
是日、東京・大阪・京都・横浜・神戸及ビ名古屋市ノ実業家、総理大臣大隈重信及ビ内閣諸大臣ヲ築地精養軒ニ招待シテ晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ、主人側ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。 【p.489-490】
- - - - -   大正3年9月10日
(1914年)
是日、大蔵大臣若槻礼次郎、官邸ニ銀行家ヲ招キ晩餐会ヲ開催ス。栄一出席シテ意見ヲ述ブ。十一月二十日、総理大臣大隈重信、栄一・中野武営・益田孝ヲ官邸ニ招キ懇談ス。 【p.490-496】
- - - - -   大正4年2月16日
(1915年)
是日、駐日ベルギー国代理公使ド・ラ・ファイユ、麹町区三年町同国公使館ニ、朝野ノ人仕ヲ招待シテ、ドイツ軍ニヨル被害ノ状況ヲ示ス幻灯会ヲ催ス。栄一出席ス。 【p.496-497】
- - - -
- - - - 第2款 聯合国傷病兵救援会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正3年10月8日
(1914年)
是日、駐日フランス国大使及ビベルギー国代理公使ノ主唱ニヨリ、当会設立セラレ、栄一、評議員ニ推薦セラル。 【p.498-499】
- - - - -   大正4年2月22日
(1915年)
是日栄一、フランス大使館ニ開カレタル当会感謝報告会ニ出席ス。 【p.499-500】
- - - -
- - - - 第3款 凱旋将士歓迎会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正3年12月18日
(1914年)
是ヨリ先、栄一、東京市長阪谷芳郎・東京商業会議所会頭中野武営等ト共ニ発起人トナリ、東京駅開業祝賀会ヲ兼ネ、青島ヨリ凱旋スル陸軍中将神尾光臣・海軍中将加藤定吉一行ノ歓迎会ヲ挙行センコトヲ議ス。是日午前、東京駅前広場ニ於テ、東京駅開業祝賀会、神尾中将一行入京歓迎ト共ニ挙行セラル。栄一、発起人総代トシテ祝辞ヲ述ブ。同日夜、帝国ホテルニ於テ、神尾中将一行ノ凱旋歓迎祝賀会挙行セラル。栄一出席シテ歓迎文ヲ朗読ス。 【p.501-513】
- - - - -   大正4年1月25日
(1915年)
是日、小石川後楽園ニ於テ、陸軍大臣岡市之助主催凱旋将士歓迎会開カレ、栄一陪賓トシテ出席ス。 【p.513-514】
- - - - -   大正4年1月28日
(1915年)
是日、帝国ホテルニ於テ東京市及ビ市内実業家共同シテ、青島ヨリ凱旋セル陸海軍将士ノ歓迎会ヲ開ク。栄一出席ス。 【p.514-518】
- - - -
- - - - 第4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正5年12月10日
(1916年)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル日米関係委員会ノ席上、聯合軍慰問使派遣ノ件ヲ提議シ、一同ノ賛成ヲ得。仍ツテ栄一、総理大臣寺内正毅・外務大臣本野一郎・貴族院議長徳川家達・衆議院議長島田三郎ト会見シテ当会ノ設立ニ尽力ス。 【p.519-522】
- - - - -   大正6年1月17日
(1917年)
是日、総理大臣寺内正毅ハ主ナル各界ノ代表者ヲ首相官邸ニ招キテ当会創立ヲ諮ル。栄一出席シテ発起人代表トシテ趣旨ヲ説明ス。当会成立シ、栄一副総裁ニ推サル。 【p.522-529】
- - - - -   大正6年1月20日
(1917年)
是日当会、東京ノ各新聞・通信社ヲ帝国ホテルニ招待シテ午餐会ヲ開キ、総裁徳川家達当会設立ノ趣旨ヲ説明ス。次イデ栄一、経過ヲ述ベテ其尽力ヲ乞フ。 【p.529-533】
- - - - -   大正6年2月10日
(1917年)
是日栄一、首相官邸ニ開カレタル地方長官会議ニ臨ミ、当会寄付募集ニ関シ懇嘱ス。尚此前後、栄一屡々常務委員会ニ出席ス。 【p.533-536】
- - - - -   大正6年2月12日
(1917年)
是日総理大臣寺内正毅、当会総裁徳川家達以下関係者及ビ実業家ヲ官邸ニ招待シ、第一回発起人会ニ於テ協議セシ慰問ニ関スル希望ヲ述ベ、栄一、其後ノ経過及ビ今後ノ募集ニ関スル希望ヲ述ブ。栄一、金一万円ヲ寄付ス。 【p.536-541】
- - - - -   大正6年3月14日
(1917年)
是日栄一、当会寄付金募集ノ為メ東京ヲ発シテ神戸ニ至リ、次イデ大阪・京都・名古屋ヲ歴巡シ、二十三日帰京ス。 【p.541-550】
- - - - -   大正6年7月23日
(1917年)
是日当会、評議員会ヲ華族会館ニ於テ開ク。栄一出席シテ経過ヲ報告シ、且ツ寄付金処分案ヲ定メ、当初ノ目的タリシ慰問使派遣ノ件ハ中止トス。 【p.551-560】
- - - - -   大正6年10月1日
(1917年)
是日当会、慰問金百九十四万円及ビ当会ノ趣旨ヲ叙述セル小冊子慰問号ヲ、英・仏・伊・露・白及ビセルビア、ルーマニアノ各国ヘ分配送付ス。二日、帝国ホテルニ評議員及ビ都下新聞・通信社代表員ヲ招待シテ、報告会ヲ開キ、栄一報告演説ヲナス。十一月三日当会常務委員会ニ於テ、慰問号二千部及ビ残金四千円ヲ、日本基督教青年会同盟ノ派遣スル慰問使ニ交付シ、該慰問号ヲ聯合国軍隊ニ分配ヲ依頼スル事トス。 【p.560-572】
- - - - -   大正7年12月18日
(1918年)
是日当会、帝国ホテルニ都下新聞・通信社代表者ヲ招待シテ午餐会ヲ催ス。栄一、副総裁トシテ会務終了ノ報告及ビ謝辞ヲ述ブ。 【p.572-577】
- - - -
- - - - 第5款 聯合国軍隊慰問協賛会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正7年11月1日
(1918年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国大統領ウィルソン主唱ノ、聯合国軍隊慰問共同募金ノ計画アルヤ、東京基督教青年会之ヲ東京商業会議所ニ諮ル。是日、同所ニ於テ、当会発起人会開カレ、栄一其副総裁ニ選バル。次イデ同六日、外務大臣官邸ニ於テ当会ノ実業家招待会アリ、栄一、金二千円ノ寄付申込ヲナス。同十三日栄一、宮内省ニ出頭シテ御下賜金ヲ拝受ス。 【p.578-584】
- - - -
- - - - 第6款 世界大戦休戦祝賀会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正7年11月16日
(1918年)
是ヨリ先十一月十一日、世界大戦ノ休戦条約調印セラル。是日、東京交換所ノ発起ニヨル、組合銀行及ビ各代理交換加入銀行主催休戦祝賀会、丸ノ内東京銀行集会所ニ於テ開カル。栄一出席シテ祝賀演説ヲナス。次イデ十八日、フランス代理大使主催休戦祝賀午餐会、二十一日全国商業会議所聯合会主催休戦祝賀会、二十五日六協会主催休戦祝賀会開カレ、栄一ソレゾレ出席ス。 【p.585-589】
- - - -
- - - - 第7款 講和会議特派実業家送別会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正7年12月9日
(1918年)
是ヨリ先、栄一、池田謙三.・郷誠之助・藤山雷太ト共ニ、政府ノ意向ニ応ジ、講和会議全権特使ノ特派随行員トシテ、実業家中ヨリ近藤廉平・深井英五・福井菊三郎・喜多又蔵ヲ推薦ス。是日、東京商業会議所ニ於テ、ソノ送別会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.590-592】
- - - -
- - - - 第8款 世界大戦講和成立祝賀会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.東京市主催平和祝賀会 大正8年7月1日
(1919年)
是ヨリ先、六月二十八日パリニ於テ講和条約調印セラル。是日、帝国ホテルニ於テ東京市主催平和祝賀会開催セラレ、栄一出席ス。 【p.593-594】
- - - - - 2.原首相主催平和祝賀園遊会 大正8年7月7日
(1919年)
是日、総理大臣原敬、同官邸ニ於テ、平和祝賀園遊会ヲ開催ス。栄一出席ス。 【p.594】
- - - - - 3.全権委員西園寺公望歓迎会 大正8年9月8日
(1919年)
是ヨリ先、パリ講和会議全権委員西園寺公望帰国ス。栄一、東京府知事阿部浩・東京市長田尻稲次郎・東京商業会議所会頭藤山雷太等ト共ニ発起人トナリ、是日、東京府市主催ノ下ニ、帝国ホテルニ於テ歓迎祝賀会ヲ開催ス。栄一、発起人総代トシテ歓迎ノ辞ヲ朗読シ且ツ感想ヲ述ブ。 【p.595-602】
- - - -
- - - - 第9款 西比利亜俘虜救護会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正8年11月29日
(1919年)
是日、栄一等ノ首唱ニヨリ当会発起協議会開カレ、栄一其会長トナル。翌九年当会解散ス。 【p.603-606】
- - - -
- - - - 第10款 ドイツ国難民救助
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正11年12月18日
(1922年)
是年九・十月ノ交、栄一、ドイツ国各方面ノ人々ヨリ、窮状ヲ訴ヘテ援助ヲ乞フ旨ノ書百余通寄セラル。仍ツテ是日栄一、ドイツ大使館ニ駐日大使ヴィルヘルム・ゾルフヲ訪ヒ、同情ノ意ヲ表シ、邦貨金千円ヲ贈ル。翌大正十二年三月九日、ドイツ国首相クノーヨリ感謝状ヲ受ク。 【p.607】
- - - -
- - - 第2節 軍事関係諸団体
- - - - 第1款 社団法人帝国軍人後援会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正元年12月25日
(1912年)
是日栄一、当会顧問ヲ嘱託セラル。在任歿年ニ及ブ。 【p.608-615】
- - - -
- - - - 第2款 財団法人帝国在郷軍人会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正2年3月9日
(1913年)
是日栄一、滝野川小学校ニ於テ開カレタル当会記念会ニ出席シ、演説ヲナス。 【p.616-617】
- - - - -   大正3年11月16日
(1914年)
是日栄一、九段偕行社ニ於テ挙行セラレタル、当会勅語伝達式ニ臨ミ「在郷軍人会ノ一使命」ト題スル講演ヲナス。 【p.617-620】
- - - - -   昭和5年10月
(1930年)
是月栄一、当会名誉会員ニ推薦セラル。 【p.620-622】
- - - -
- - - - 第3款 社団法人海軍協会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正6年10月3日
(1917年)
是日栄一、築地精養軒ニ於テ挙行セラレタル当会創立発会式ニ際シ、名誉会員ニ推薦セラル。 【p.623-625】
- - - - -   昭和2年6月27日
(1927年)
是日栄一、芝公園水交社ニ於テ挙行セラレタル、元当会会長故徳川頼倫追悼記念講演会ニ臨ミ、追悼演説ヲナス。 【p.625-626】
- - - - -   昭和6年11月15日
(1931年)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。 【p.626-627】
- - - -
- - - - 第4款 社団法人大日本国防義会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正7年10月
(1918年)
是ヨリ先、大正三年当会組織セラレ、栄一会員トナル。同七年会長中野武営ノ死去ニヨリ、是月栄一、推サレテ当会会長ニ就任ス。 【p.628-632】
- - - - -   大正8年1月17日
(1919年)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ開カレタル、当会講演会ニ出席シ、演説ヲナス。 【p.632-636】
- - - - -   大正12年2月
(1923年)
栄一、当会会長ヲ辞シ、是月名誉顧問ニ推サレ、在任歿年ニ及ブ。 【p.636-640】
- - - - -   昭和6年11月15日
(1931年)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当会ヨリ弔詞ヲ贈ル。 【p.640-641】
- - - -
- - - - 第5款 財団法人報効会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正8年12月23日
(1919年)
是年十月十二日陸軍大臣田中義一、栄一外実業界ノ有力者ヲ後楽園ニ招キテ、傷痍軍人並ニ軍人遺家族ノ保護援助ノ必要ヲ説ク。来会者ソノ意ニ賛同シ、茲ニ当会ノ創立ヲ決ス。栄一設立委員トナリ、数次ノ協議ヲ経テ、是日、東京銀行倶楽部ニ田中陸相・栃内海軍次官及ビ実業家五十余名ヲ招待シテ協議会ヲ開ク。栄一出席シテ当会創立ノ趣旨ヲ演説ス。
大正九年五月十九日、当会成立シ、栄一会長ニ推サル。 【p.642-649】
- - - - -   大正9年2月5日
(1920年)
是日栄一、早稲田大隈重信邸ニ開カレタル軍人後援会役員会ニ出席シ、当会設立ノ経過ヲ説明シ、当会トノ合同ニ就キ言及ス。合同ヲ見ズ。 【p.649-655】
- - - - -   大正9年12月21日
(1920年)
是日栄一、当会会長トシテ宮内省ニ出頭、当会ヘノ御下賜金御沙汰ヲ拝受ス。 【p.655-656】
- - - - -   大正10年9月4日
(1921年)
是日栄一、帝国在郷軍人会聯合分会代表者会同席上ニ於テ、当会ヲ代表シテ演説ヲナス。 【p.656-660】
- - - - -   大正12年11月20日
(1923年)
是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当会幹事高梨慶三郎ト面接シ、関東大震災ニヨル帝国在郷軍人会ノ活動援助ノ件ヲ協議ス。 【p.660-669】
- - - - -   大正15年3月17日
(1926年)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル、当会主催聯隊区司令官招待会ニ出席シ、当会ノ沿革ヲ演説ス。
爾後、栄一歿年ニ至ルマデ当会ノ会長・理事・評議員トシテ尽力ス。 【p.669-676】
- - - -
- - - 第3節 軍事関係諸問題
- - - - 第1款 師団増設問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正元年
(1912年)
是年、二個師団増設問題ニ関シ国論沸騰ス。栄一民力休養ノ見地ヨリ増設反対ノ意見ヲ表明ス。 【p.677-681】
- - - - -   大正3年12月
(1914年)
是ヨリ先、大正四年度政府予算中ニ、二個師団増設費計上セラル。是月栄一、都下各新聞記者ニ対シ、右ニ関スル意見ヲ述ブ。 【p.681-683】
- - - -
- - - - 第2款 青島陥落後ノ対策問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正3年11月12日
(1914年)
是日栄一、東京商業会議所ニ於ケル、時局調査会ニ出席シテ、青島陥落後ノ対策ニ就キ協議ス。 【p.684-685】
- - - -
- - - - 第3款 対支問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正4年5月7日
(1915年)
是ヨリ先、日支交渉不調ニ帰シ、中華民国政府ニ対シテ最後通牒ヲ発スルコトニ閣議決定ス。是日大隈首相、栄一外八名ノ銀行業者ヲ官邸ニ招致シ、日支事件ニ関スル軍費調達方ヲ予備的ニ交渉ス。 【p.686-689】
- - - -
- - - - 第4款 シベリア出兵問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正7年7月18日
(1918年)
是日栄一、総理大臣寺内正毅ヲ官邸ニ訪問シテ、シベリア出兵問題ニ就キテ意見ヲ述ブ。 【p.690-691】
- - - -
- - - - 第5款 日英同盟更新問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正9年7月1日
(1920年)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ、東京新聞記者団ニ会見ヲ求メ、日英同盟更新ニ関シテ意見ヲ述ブ。 【p.692-696】
- - - -
- - - - 第6款 軍備制限問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正10年1月21日
(1921年)
是ヨリ先政府、軍備制限ニ就キ、国際聯盟総会ニ提出スベキ議案ノ作成ニ着手ス。是日、同問題ニ関スル栄一ノ談話、「中外商業新報」ニ掲載セラル。 【p.697-699】
- - - -