『渋沢栄一伝記資料』第40巻

公開日: 2006.03.20 / 最終更新日: 2018.08.17

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目 次

第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年-昭和六年 (十一)
- 第1部 社会公共事業
- - 第3章 国際親善(承前)
- - - 第6節 国際災害援助
- - - - 第1款 広東地方水害罹災民救恤義捐金募集 【p.5-】
- - - - 第2款 天津水害義助会 【p.11-】
- - - - 第3款 北支旱魃飢饉罹災民救済 【p.27-】
- - - - 第4款 アルメニア難民救済委員会 【p.47-】
- - - - 第5款 ドイツ国難民救助 【p.59-】
- - - - 第6款 フロリダ大風災義捐金募集 【p.64-】
- - - - 第7款 フランス国西南部水害義捐金募集 【p.70-】
- - - - 第8款 中華民国水災同情会 【p.72-】
- - - - 第9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助 【p.107-】
- - - - 第10款 関東大震災在日罹災外人救済 【p.304-】
- - - 第7節 其他ノ資料
- - - - 第1款 日米交換教授 【p.325-】
- - - - 第2款 日米関係諸資料 【p.342-】
- - - - 第3款 其他外国関係資料 【p.496-】
- - - - 第4款 慶弔 【p.544-】
- - - - 第5款 外国人トノ往復書翰 【p.627-】

目次詳細(綱文)

第3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年-昭和六年 (十一)
- 第1部 社会公共事業
- - 第3章 国際親善(承前)
- - - 第6節 国際災害援助
- - - - 第1款 広東地方水害罹災民救恤義捐金募集
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正4年7月22日
(1915年)
是年六月、中華民国広東地方水害甚シ。是日栄一、帝国ホテルニ中国関係実業家ノ参集ヲ請ヒ、罹災民救恤義捐金募集ノ事ヲ議ス。後、八月金二万円ヲ得テ、外務省ヲ通ジテ中華民国政府ニ贈ル。 【p.5-10】
- - - -
- - - - 第2款 天津水害義助会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正6年11月7日
(1917年)
是年、中華民国天津地方ニ起リタル大洪水ニヨル、天津在住ノ同胞並ニ中国人ノ水害罹災者救済ノタメ、栄一、中野武営等ト図リテ、是日東京商業会議所ニ天津水害義助会設立集会ヲ開キ、ソノ会長ニ就任、次イデ十六日都下新聞・通信社代表ヲ帝国ホテルニ招キテ報告会ヲ開ク。栄一出席シテ当会ノ主旨ヲ述ブ。 【p.11-22】
- - - - -   大正7年3月2日
(1918年)
是日当会、ソノ募集ニ係ル金十四万二百円ヲ、外務省ニ交付シ、処分方法ヲ一任ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。 【p.22-26】
- - - -
- - - - 第3款 北支旱魃飢饉罹災民救済
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正9年9月22日
(1920年)
是日栄一、総理大臣原敬ヲ官邸ニ訪ヒ、中華民国北部ニ発生シタル旱魃飢饉罹災民救援ニツキ進言シ、次イデ二十八日、日華実業協会ニ開カレタル幹事会ニ同協会会長トシテ出席、右ニ関シテ協議ス。 【p.27-33】
- - - - -   大正9年11月6日
(1920年)
是日、日華実業協会首唱シテ、臨時救災委員会ヲ組織シ、北支飢民救恤義捐金募集ニ着手ス。栄一、同協会会長トシテ之ニ与ル。 【p.33-39】
- - - - -   大正10年12月
(1921年)
是ヨリ先、臨時救災委員会募集ノ義捐金、六十四万四千余円ニ達ス。是月、日華実業協会ハ北支旱災救済事業報告ヲ発刊シ、同委員会ヲ解散ス。栄一、日華実業協会会長トシテ之ニ与ル。 【p.39-44】
- - - - - .附 中国災民児童救済及ビ帰国援助 大正10年
(1921年)
是年栄一、栗塚竜子ノ中国災民児童救済ノ件ヲ賛助シ、金百円ヲ寄付ス。 【p.44-45】
- - - - - .附 中国災民児童救済及ビ帰国援助 大正15年8月
(1926年)
是月栄一、東洋婦人会ノ募集スル中国災民児童ノ帰国旅費中ニ金若干円ヲ寄付ス。 【p.45-46】
- - - -
- - - - 第4款 アルメニア難民救済委員会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正11年2月10日
(1922年)
アメリカ合衆国ニ於ケル近東救済委員会ノ申出ニヨリ、是日、国際聯盟協会中心トナリテ、アルメニア難民救済委員会組織サレ栄一委員長トナル。当委員会ハ翌大正十二年ニ亘ツテ寄付金ヲ募集シ、二万余円ヲ得、内九千ドルヲ米国近東救済委員会ニ送付シ、同年五月会務終了ス。 【p.47-58】
- - - -
- - - - 第5款 ドイツ国難民救助
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正11年12月18日
(1922年)
是ヨリ先、今年九月・十月ノ交、栄一ドイツ国各方面ノ人人ヨリ、窮状ヲ訴ヘテ援助ヲ乞フ旨ノ書百余通寄セラル。依ツテ是日栄一、ドイツ大使館ニ駐日大使ヴィルヘルム・ゾルフヲ訪ヒ、同情ノ意ヲ表シ、邦貨金千円ヲ贈ル。翌大正十二年三月九日ドイツ国首相クノーヨリ感謝状ヲ受ク。 【p.59-63】
- - - -
- - - - 第6款 フロリダ大風災義捐金募集
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正15年9月26日
(1926年)
是日栄一、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ市ノ被リタル大風災ニ対シ、中外商業新報社ノ発起ニヨル義捐金募集運動ニ、賛成人トシテ名ヲ連ヌ。尚、栄一金千円ヲ寄付ス。 【p.64-69】
- - - -
- - - - 第7款 フランス国西南部水害義捐金募集
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和5年5月31日
(1930年)
是ヨリ先、フランス共和国西南部ニ水害アリ。栄一理事長タル日仏会館ハ日仏協会ト連合シテ義捐金ヲ募集シ、是日マデニ集レル金三千五百九十六円、仏貨換算金四万五千余フランヲ外務省ヲ通ジテ同国政府ニ送ル。 【p.70-71】
- - - -
- - - - 第8款 中華民国水災同情会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   昭和6年8月24日
(1931年)
是年七・八月両月ニ亘リ中華民国ニ洪水アリ、惨害甚シク饑民一千万人ト称セラル。栄一等相謀リ、是日、当会ヲ設立シ、栄一会長トナル。次イデ九月六日、栄一飛鳥山邸ノ病床ヨリラジオヲ通ジテ義捐金募集ノ演説ヲ放送ス。 【p.72-96】
- - - - -   昭和6年9月17日
(1931年)
是日、当会役員深尾隆太郎、慰問使トシテ、募集ノ金品ヲ携ヘ上海ニ着ス。時ニ満州事変ノ勃発スルアリ、中華民国政府之ガ受取リヲ拒絶ス。依ツテ金品ヲ持チ帰リテ之ヲ各寄付者ニ返却ス。 【p.97-106】
- - - -
- - - - 第9款 関東大震災ニ対スル外国ノ援助
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正12年9月11日
(1923年)
是日栄一、アメリカ合衆国ノ知人ジャッジ・イー・エッチ・ゲーリー外二十四名宛ニ書面ヲ以テ、関東大震火災ノ状況ヲ報ジ、マタ同十三日、ロバーツ・エヌ・リンチ外二十名宛ニ電報ヲ以テ、同震火災ノ状況通報ト共ニ、アメリカ合衆国ノ援助ヲ依頼ス。 【p.107-111】
- - - - -   大正12年9月
(1923年)
是月以降、関東大震火災ニ対シアメリカ合衆国及ビ其他ノ国ノ栄一ノ関係団体及ビ友人ヨリ、栄一ニ見舞及ビ災害救援ノ申出アリ。栄一其都度其好意ヲ謝シ、希望ヲ回答ス。 【p.111】
- - - - - 1.オー・エム・クラーク 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.111-121】
- - - - - 2.ディー・ビー・シュネーダー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.121-125】
- - - - - 3.エス・エッチ・パーマー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.125-126】
- - - - - 4.ダーウィン・ピー・キングズリー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.126-132】
- - - - - 5.ジャッジ・エルバート・エッチ・ゲーリー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.132-140】
- - - - - 6.ティー・コンノ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.140-141】
- - - - - 7.ルイス・エル・クラーク 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.141-145】
- - - - - 8.クラーレンス・イー・ボスウォース 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.145-146】
- - - - - 9.ロドマン・ワナメーカー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.146-155】
- - - - - 10.ギルバート・ボールズ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.155-157】
- - - - - 11.チャールズ・アール・フレージァー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.157-158】
- - - - - 12.マリー・ダヴェンポート 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.158-159】
- - - - - 13.エフ・エヌ・シーア 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.159-161】
- - - - - 14.アーサー・エル・ディーン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.161-162】
- - - - - 15.デーヴィー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.162-163】
- - - - - 16.フランク・シー・アサートン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.163-166】
- - - - - 17.ジェームズ・ディー・ローマン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.166-170】
- - - - - 18.デーヴィッド・エス・ジョルダン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.170-172】
- - - - - 19.トマス・ジェー・オブライエン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.172-173】
- - - - - 20.カロライン・エー・リーチ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.173-175】
- - - - - 21.トマス・ダブリュー・ラモント 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.175-177】
- - - - - 22.アレグザンダー・チソン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.177-178】
- - - - - 23.シドニー・エル・ギューリック 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.178-187】
- - - - - 24.ジェー・ポール・グード 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.187-190】
- - - - - 25.チャールズ・ビー・ビルズ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.190-191】
- - - - - 26.チャールズ・ミッチェル 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.191-197】
- - - - - 27.ジェームズ・エー・ゴールドスミス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.197-198】
- - - - - 28.スターリング・ジェー・ジョイナー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.198-201】
- - - - - 29.チャールズ・エス・コックス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.201-204】
- - - - - 30.トマス・バーク 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.204-206】
- - - - - 31.ジョン・スツルーザス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.206-207】
- - - - - 32.チャールズ・チェニー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.207-208】
- - - - - 33.ドン・シー・サイツ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.208-209】
- - - - - 34.ビー・エム・バトカイ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.209-213】
- - - - - 35.ロバート・エヌ・リンチ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.213-218】
- - - - - 36.ロバート・ダラー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.218】
- - - - - 37.ジュリアン・ストリート 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.218-220】
- - - - - 38.ウィリアム・イー・グリフィス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.220-221】
- - - - - 39.ベンジャミン・ストロング 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.221-225】
- - - - - 40.シーモア・エル・クロムウェル 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.225-226】
- - - - - 41.トイスラー、フェルプス、フレーザー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.226-227】
- - - - - 42.フランク・エー・ヴァンダーリップ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.227-232】
- - - - - 43.シー・エッチ・ムーア 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.232-233】
- - - - - 44.ライマン・ジェー・ゲージ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.233-235】
- - - - - 45.ウォレス・エム・アレグザンダー 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.235-238】
- - - - - 46.シェーラー・マシューズ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.238-239】
- - - - - 47.ハリ・エマソン・フォスディック 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.239-241】
- - - - - 48.エフ・ホワイト 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.241-243】
- - - - - 49.ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.243-244】
- - - - - 50.ヘレン・ジェニングス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.244-245】
- - - - - 51.ドレムズ・スカッダ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.245】
- - - - - 52.ヘンリー・ダブリュー・タフト 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.245-247】
- - - - - 53.チェスター・エッチ・ローエル 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.247-248】
- - - - - 54.ローランド・エス・モリス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.248-250】
- - - - - 55.オースティン・イー・グリフィス 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.250】
- - - - - 56.ジョージ・イーストマン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.251-252】
- - - - - 57.ハワード・ハインツ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.252-255】
- - - - - 58.エー・エッチ・フォード 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.255-256】
- - - - - 59.ジョージ・エフ・キャンフィールド 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.256-257】
- - - - - 60.リリアン・エフ・フィッチ 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.257-258】
- - - - - 61.ウィリアム・カーター 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.259-260】
- - - - - 62.チャールズ・ビー・ウォーレン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.260】
- - - - - 63.ジョン・アール・モット 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.260-261】
- - - - - 64.ロイド・アール・キラム 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.261-263】
- - - - - 65.ウィリアム・ジー・オーウェン 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.263-265】
- - - - - 66.ジェー・ビー・ミレット 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.265-266】
- - - - - 67.李士偉 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.266-267】
- - - - - 68.梁士詒 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.267】
- - - - - 69.金鎔 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.267-268】
- - - - - 70.馬伯援 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.268-272】
- - - - - 71.孫文 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.272】
- - - - - 72.荘〓 大正12年9月
(1923年)
-- 【p.272-276】
- - - - -   大正12年9月15日
(1923年)
是日栄一、山崎ホノルル駐在総領事及ビ大山サン・フランシスコ駐在総領事宛ニ、関東大震火災ニ対スル、アメリカ合衆国側ノ援助方ニ就キ依頼状ヲ発ス。次イデ、サン・フランシスコ、シアトル、ロス・アンジェルス、ホノルル等ノ日本人会長・書記長、日本人商業会議所会頭・書記長ニ対シ、大震災善後会ニ救援費ノ寄付ヲ望ム。 【p.277-291】
- - - - -   大正12年10月1日
(1923年)
是日、日米協会第三十四回執行委員会帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会ヨリ同協会ニ対シ、大震災応急救援ノタメ寄贈セラルル義捐金十万ドルノ処分方法ヲ議シ、栄一発議シテ之ヲ大震災善後会ニ交付セシムルコトニ決ス。十月十一日同協会ヨリ右金員ヲ善後会ニ引渡ス。 【p.291】
- - - - -   大正15年11月26日
(1926年)
偶々東京ニ第二回東洋赤十字総会開カル。是日、右総会ニ出席スル各国代表ヲ帝国劇場ニ招キ、市民各界代表者ニヨル震災救援感謝会開催セラル。栄一発起人総代トシテ感謝ノ辞ヲ朗読ス。 【p.291-296】
- - - - -   昭和5年2月5日
(1930年)
是ヨリ先、時事新報社ニ於テ、大正十二年関東大震火災当時ニ於ケルアメリカ合衆国人ノ厚情ニ対シ、女性遣米答礼使派遣ノ計画アリ。是日栄一、託サレテ其銓衡委員トナル。
右答礼使ハ三月十八日出発、五月三十一日帰国ス。 【p.296-303】
- - - -
- - - - 第10款 関東大震災在日罹災外人救済
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正12年11月26日
(1923年)
是ヨリ先、九月一日ノ関東地方大震火災ニヨリテ住居ヲ失ヘル在日欧米人ノタメニ、仮住宅ヲ建設セントテ、栄一、在日外人有志並ニ藤沢利喜太郎・阪井徳太郎等ト謀ル。是日栄一、南豊島御料地内下渋谷羽沢地区ノ二千九百余坪ヲ三年間無料借用スル件ヲ右藤沢・阪井及ビ黒田清輝・河井弥八トノ五名連署ヲ以テ宮内省ニ出願ス。十二月二十八日許可セラル。 【p.304-324】
- - - -
- - - 第7節 其他ノ資料
- - - - 第1款 日米交換教授
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治44年8月29日
(1911年)
是日栄一、日米交換教授トシテ渡米スル新渡戸稲造及ビ在米同胞問題ノタメ渡米スル島田三郎ヲ、共ニ飛鳥山邸ニ招キテ、送別午餐会ヲ催ス。 【p.325-330】
- - - - -   明治45年6月29日
(1912年)
是日栄一、カーネギー世界平和財団派遣ノアメリカ合衆国ハーヴァード大学名誉総長チャールズ・ダブリュー・エリオットヲ、東京蚕業講習所ニ案内シ、次イデ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ開ク。 【p.330】
- - - - -   大正2年2月7日
(1913年)
是日、日米交換教授トシテカーネギー世界平和財団派遣ノアメリカ合衆国雑誌アウトルック記者ハミルトン・ダブリュー・メービーノタメニ、華族会館ニ於テ晩餐会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.330-331】
- - - - -   大正2年5月4日
(1913年)
是日栄一、日米交換教授トシテ来日セルアメリカ合衆国ハーヴァード大学名誉教授ヘンリー・ダブリュー・ピーボディーヲ飛鳥山邸ニ招キ午餐会ヲ開ク。 【p.331-332】
- - - - -   大正2年8月21日
(1913年)
是日、ハーヴァード大学ノ招聘ニヨリ日米交換教授トシテ、東京帝国大学教授姉崎正治出発ス。 【p.332-333】
- - - - -   大正2年12月10日
(1913年)
是日、ニュー・ヨーク日本協会協賛会ハ、日米交換教授トシテ近クアメリカ合衆国ニ渡航スル、東北農科大学長佐藤昌介ノタメ、帝国ホテルニ於テ送別午餐会ヲ催ス。栄一出席シ主催者ヲ代表シテ挨拶ヲ述ブ。 【p.333-334】
- - - - -   大正4年7月8日
(1915年)
是日、ニュー・ヨーク日本協会協賛会等ノ主催ニテ、海老名弾正及ビ日米交換教授トシテ渡米スル東京帝国大学教授服部宇之吉並ニアメリカ合衆国人マコーレー等ノ送別晩餐会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一出席シテ同協会ヲ代表シテ送別ノ辞ヲ述ブ。 【p.334-335】
- - - - -   大正4年7月18日
(1915年)
是日栄一、日米交換教授トシテ、アメリカ合衆国ハーヴァード大学ニ招聘サレタル姉崎正治ノ帰国及ビ同服部宇之吉ノ渡航送迎晩餐会ヲ飛鳥山邸ニ開ク。 【p.335-336】
- - - - -   大正7年2月25日
(1918年)
是日、日米関係委員会主催姉崎正治渡米送別会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。 【p.336】
- - - - -   大正8年3月17日
(1919年)
是日栄一、日米交換教授トシテ来日セルコロンビア大学教授ジョン・デューイ及ビ栄一ノ勧メニヨリ近ク渡仏セントスル姉崎正治ノ迎送宴ヲ東京銀行倶楽部ニ催ス。栄一病気ノタメ阪谷芳郎代理ス。 【p.336-341】
- - - -
- - - - 第2款 日米関係諸資料
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治43年6月29日
(1910年)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヘーヴン市、ウィリアム・ウドワードノ問合セニ対シ、「米国大学ニ関スル所感」ヲ回報ス。 【p.342-343】
- - - - -   大正2年1月
(1913年)
是月栄一、アメリカ合衆国ハーヴァード大学総長チャールズ・ダブリュー・エリオットノ説トシテ伝ヘラレタル「日本教育論」ハソノ真意ヲ誤レルモノトシテ右エリオットガジェローム・ディー・グリーンニ発シタル書翰ヲ浮田和民及ビ姉崎正治等ト共ニ発表ス。 【p.343-345】
- - - - -   大正2年6月5日
(1913年)
是日、アメリカ合衆国カリフォルニア州フローリンノ婦人アリス・エム・ブラオン、栄一ニ書翰ヲ送リテカリフォルニア州排日土地法案其他ニ関スル意見ヲ述ブ。 【p.345-347】
- - - - -   大正2年8月30日
(1913年)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコニ開催セラルルパナマ太平洋万国博覧会ノ日本出品問題ニ関シ、栄一ノ出品説報知新聞ニ掲載セラル。 【p.347-348】
- - - - -   大正2年9月2日
(1913年)
是日、アメリカ合衆国シアトルノ人イー・エフ・ブレーン、栄一ニ書翰ヲ送リテ、カリフォルニア州排日土地法ニ関スル意見ヲ述ブ。 【p.348-350】
- - - - -   大正4年1月13日
(1915年)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ、アメリカ合衆国ヨリ帰国セル志賀重昻ノ同国事情ニ関スル談話ヲ聞ク。 【p.350】
- - - - -   大正4年9月
(1915年)
是月栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク日本協会ノリンゼー・ラッセルヨリ寄贈ヲ受ケタル、同人編「アメリカ・ツー・ジャパン」ヲ知人ニ頒ツ。 【p.350】
- - - - -   大正5年11月16日
(1916年)
是日、日米無線電信公衆通信開始セラル。栄一、アメリカ合衆国ホノルル商業会議所会頭チャールズ・ダブリュー・スミスト祝電ヲ交換ス。 【p.351】
- - - - -   大正6年5月11日
(1917年)
是日、アメリカ合衆国ミズーリ大学新聞科ニ於テ全米記者大会開カレ、是日ヲ特ニ日本日トス。是ヨリ先、栄一、同新聞科部長ウォールター・ウィリアムズノ請ニヨリ、金子堅太郎・浅野総一郎ト共ニ斡旋シテ、我国ノ美術工芸品ヲ同大学ニ寄贈ス。 【p.351-352】
- - - - -   大正8年8月7日
(1919年)
是日栄一、アメリカ合衆国シアトル市ノ新聞ポスト・インテリジェンサー紙ノ「日本号」ノタメニ執筆セル「日米両国の親善に就て」ト題スル原稿ノ修正ヲナス。 【p.352-360】
- - - - -   大正10年7月29日
(1921年)
是ヨリ先栄一、有志者ト謀リアメリカ合衆国スタンフォード大学ニ、日本歴史及ビ日本文明史講座ヲ開設スル費用トシテ、金七万五千円ヲ寄付スル旨同大学総長ニ申出デタリトノ記事、是日ノ読売新聞ニ掲載セラル。 【p.360】
- - - - -   大正11年4月10日
(1922年)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ノサクラメント・ビー主筆ヴィー・エス・マクラチ、栄一ガサン・フランシスコ日本人学童ノ能力審査ニ援助ヲ与ヘタルヲ誤聞シ、是日、栄一ニ書翰ヲ送リテ日米両国人ノ同化スベカラザルヲ論ズ。七月十五日、栄一返書ヲ送ル。 【p.360-366】
- - - - -   大正11年11月7日
(1922年)
是日栄一、近ク渡米セントスル加藤熊一郎(咄堂)ヲ渋沢事務所ニ招キテ午餐会ヲ催シ、日米問題ニ就キテ懇談ス。 【p.366】
- - - - -   大正11年11月7日
(1922年)
是日栄一、日本工業倶楽部ニ於テ、サン・フランシスコ新世界新聞社主催ノ在米邦人母国観光団員二十八名ト会見ス。 【p.366-367】
- - - - -   大正12年5月3日
(1923年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイ県会ニ於テ、外国語学校取締法案通過シ、是日、同県知事ファーリントン之ニ署名ス。日本語学校代表者ハ之ヲ合衆国憲法違反トナシ、同県高等法院ニ試訴ス。栄一、日米親善ノタメニ之ヲ憂ヒ、ハワイノ有力ナル日本人ヲシテ試訴ヲ阻止セシメントス。及バズ。 【p.367-369】
- - - - -   大正12年10月13日
(1923年)
是日、東京帝国大学教授高柳賢三同大学図書館復興ノタメ、アメリカ合衆国ニ渡航セントシテ来訪ス。栄一同国ノ知友ニ対シテ其紹介状ヲ与フ。 【p.369-373】
- - - - -   大正12年11月12日
(1923年)
是日、アメリカ合衆国大審院ニ於テ審理中ナリシ、邦人提訴ノ外国人土地法借地権制限ニ関スル訴訟ニ対シ、棄却ノ判決アリ。次イデ十六日、カリフォルニア州邦人ヨリ、提訴シタル収穫契約並ニ土地株式会社株券所有禁止ニ関スル訴訟ニ対シ、棄却ノ判決アリ。十二月五日付ヲ以テ米国西北部聯絡日本人会ヨリ右ノ件ヲ栄一ニ通知シ来ル。 【p.373-381】
- - - - -   大正13年8月13日
(1924年)
是日栄一、欧米旅行中ノ友愛会会長鈴木文治ニ対シ、九月二十二日ヨリアメリカ合衆国サンタ・バーバラニ於テ開催サルベキカリフォルニア州労働会議例会ヘノ出席ヲ電請ス。栄一、九月二十七日鈴木文治ヨリ出席ノ報ヲ入手ス。 【p.381-386】
- - - - -   大正14年1月24日
(1925年)
昨二十三日、日本帝国海軍練習艦隊、アメリカ合衆国サン・フランシスコニ寄港シ、是日、同市官民歓迎会催サル。栄一、其前後ニ亘リ斡旋ス。 【p.386-403】
- - - - -   大正14年3月20日
(1925年)
是ヨリ先二月十一日、アメリカ合衆国ハワイ市、日布時事ノ相賀安太郎ハ、四月下旬ハワイ近海ニ挙行セラルルアメリカ合衆国海軍大演習ニ際シ特別記念号ヲ発行セントシ、栄一ニ執筆ヲ乞フ。依ツテ是日栄一、右ニ掲載スベキ一文ヲ執筆ス。 【p.403-408】
- - - - -   大正14年4月7日
(1925年)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ在住安孫子よな子ノ引率スルアメリカ合衆国日系学生日本見学団一行、栄一ヲ飛鳥山邸ニ訪問ス。 【p.408】
- - - - -   大正14年10月28日
(1925年)
是日、アメリカ合衆国ハワイ、ホノルルノ牧師奥村多喜衛、帰米ニツキ暇乞ノタメ栄一ヲ訪問ス。 【p.408-409】
- - - - -   大正15年6月8日
(1926年)
是日、アメリカ合衆国ボルティモア・シティ・カレッジ懸賞論文「日米学生間ニ親密ノ情ヲ深ムベキ理由」ノ当選論文賞金授与式、東京商科大学ニ於テ催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.409-430】
- - - - -   大正15年11月4日
(1926年)
是日栄一、アメリカ合衆国ハワイ、ホノルルノ実業之布哇社社長当山哲夫ニ対シ、世界平和増進号発刊ノ賛助トシテ金百円ヲ送ル。 【p.430-431】
- - - - -   大正15年11月5日
(1926年)
是日、東京朝日新聞社主催日米学生交驩会、早稲田大隈会館ニ催サル。栄一臨席シテ演説ヲナス。 【p.431-432】
- - - - -   昭和2年3月3日
(1927年)
是日、アメリカ合衆国コロンビア大学学生イー・レイモンド・ウィルソン、栄一ヨリノ国内ノ及ビ上海見学旅費支給ニ対スル謝意ヲ表スルタメ、東京帝国大学教授高木八尺ニ伴ハレテ来訪ス。 【p.432】
- - - - -   昭和2年4月8日
(1927年)
是日栄一、アメリカ合衆国ワシントンノポトマック河畔ニ於テ催サレタル観桜会ニ祝電ヲ送ル。 【p.432-435】
- - - - -   昭和3年1月17日
(1928年)
是ヨリ先栄一、ハワイ大学図書館ニ日本ニ関スル図書ヲ寄贈セン為メ、ソノ資金募集ニ尽力セシガ、金五千円ニ達シタルニヨリ、是日之ヲ同大学教授原田助ニ通告ス。 【p.435-445】
- - - - -   昭和3年4月
(1928年)
是月、アメリカ合衆国サン・フランシスコノスターズ・アンド・サン誌、「渋沢子爵米寿記念号」ヲ発行ス。 【p.445-452】
- - - - -   昭和3年6月1日
(1928年)
是日栄一、アメリカン・クラブ会員トナル。同年十二月三十一日退会ス。 【p.452-457】
- - - - -   昭和3年9月17日
(1928年)
是日栄一、鶴見祐輔渡米ノタメ東京銀行倶楽部ニ於テ、送別会ヲ催ス。 【p.457-458】
- - - - -   昭和4年7月8日
(1929年)
是日栄一、島野好平ヲ引見シ、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス市ニ教育館建設ノ計画ヲ聴取シ、日米関係委員会ヲシテ之ガ援助ヲ考慮セシメンコトヲ約ス。 【p.458-459】
- - - - -   昭和4年11月9日
(1929年)
是日栄一、アメリカ合衆国コロンビア大学図書館内ニ設ケラレタル日米文化学会ニ図書ヲ寄贈ス。 【p.459-463】
- - - - -   昭和4年11月13日
(1929年)
是日、アメリカ合衆国ロチェスターノエドワード・ジー・マイナーヨリ、東京ノアメリカン・スクール生徒ヒリップ・ガーマン及ビエリザベス・ガーマンノ懸賞論文ヲ送リ来ル。栄一ソノ翻訳文ヲ通読シテ、文中ノ誤謬ヲ指摘シ、正誤表ヲ送ル。 【p.463-469】
- - - - -   昭和5年5月9日
(1930年)
是日栄一、アメリカ合衆国ボストン市日本協会海外会員トナリ、歿年ニ及ブ。 【p.469-473】
- - - - -   昭和5年5月15日
(1930年)
是日栄一、近ク渡米セントスル鶴見祐輔ニ書翰ヲ送リ、アメリカ合衆国移民法ノ改正問題ニツキテ衷情ヲ述ブ。 【p.473】
- - - - -   昭和5年5月26日
(1930年)
是日栄一、アメリカ合衆国大使館新築定礎式ニ臨ミ祝辞ヲ述ブ。 【p.473-476】
- - - - -   昭和5年9月6日
(1930年)
是日栄一、先ニハワイ、ホノルルノ奥村多喜衛等ヨリ、日米関係委員会ニ依頼シ来レル、桜苗木調達ノ件ニ就キ、移植ハ不適当ナル旨ヲ書通ス。 【p.476-478】
- - - - -   昭和5年10月9日
(1930年)
是日、アメリカ合衆国コダック会社社長ジョージ・イーストマン、栄一ノ万国素人写真コダック競技会賛助員受諾ニ対シテ謝電ヲ寄ス。 【p.478-482】
- - - - -   昭和5年10月31日
(1930年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国サン・フランシスコ商業会議所副会頭ロバート・エヌ・リンチ及ビ元ハワイ州知事ウォレス・ファーリントンヨリ相前後シテ、太平洋沿岸実業家大会ヲ開催センガタメ、栄一ニ協力ヲ希望シ来ル。是日栄一、日本経済聯盟会並ニ日本貿易協会ニ書翰ヲ送リ、我国ノ取ルベキ態度ヲ諮問ス。昭和七年五月、右大会サン・フランシスコニ開カル。 【p.482-490】
- - - - -   昭和6年7月14日
(1931年)
是日尾崎行雄、近クアメリカ合衆国ニ赴カントシ飛鳥山邸ニ来訪シ栄一ト懇談ス。栄一、同国ノ友人ニ紹介状ヲ認ム。 【p.490-495】
- - - -
- - - - 第3款 其他外国関係資料
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治44年6月2日
(1911年)
是日栄一、東京商業会議所ニ於テ外務次官石井菊次郎・日本銀行総裁高橋是清及ビ六大都市商業会議所代表者等ト、清国各省商務総会代表者招待ノ件ニ就キテ協議ス。 【p.496-497】
- - - - -   明治44年12月19日
(1911年)
是日、巴里会、築地精養軒ニ開カル。栄一出席シテ懐旧談ヲ試ム。 【p.498】
- - - - -   大正4年7月27日
(1915年)
是日、東京商業会議所、日支協約当事者並ニ両国実業家ヲ上野精養軒ニ招待シ晩餐会ヲ催ス。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.498-499】
- - - - -   大正5年10月14日
(1916年)
是日、イギリス国ロンドンノロンドン・タイムズ社発行「日本号」ニ『日英ノ国交』ト題スル栄一ノ論文掲載セラル。 【p.499-502】
- - - - -   大正6年10月
(1917年)
是月発行ノ「竜門雑誌」第三五三号ニ、栄一ガ雑誌 "New East" ニ寄稿セル英文『世界平和ノ基礎』ト題スル論説ノ原文掲載セラル。 【p.502-504】
- - - - -   大正10年3月19日
(1921年)
是日栄一、万国議員商事会議ニ出席ノタメ渡欧スル神田乃武ノタメ、飛鳥山邸ニ於テ送別午餐会ヲ開ク。 【p.504】
- - - - -   大正10年3月21日
(1921年)
是日、国際平和協会創立発会式、帝国ホテルニ催サル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。 【p.504-506】
- - - - -   大正10年9月9日
(1921年)
是ヨリ先、駐日イギリス国大使チャールズ・エリオット、及ビ同商務官エドワード・クロー、日英両国ノ経済関係ヲ密接ナラシムル為メ、栄一ニ、日本実業団ノ英国訪問ヲ謀ル。栄一之ニ賛成シ斡旋ス。是日、渡英実業団成立ス。団長ハ団琢磨ナリ。後、名称ヲ英米訪問実業団ト改ム。出発ニ臨ミ各方面ノ送別会アリ、栄一陪賓トシテソノ多クニ出席、送別ノ辞ヲ述ブ。右実業団ハ十月十五日出発ス。 【p.507-514】
- - - - -   大正11年5月10日
(1922年)
是ヨリ先、英米訪問実業団帰国ス。是日栄一等発起シテ、日本工業倶楽部ニ於テ其歓迎会ヲ開ク。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。次イデ宮中賜餐、及ビ内閣総理大臣高橋是清ノ招宴アリ。栄一之ニ陪席ス。尚、引続キ数次ニ及ブ歓迎会アリ、栄一出席演説ヲ重ネ、是月三十日ニ至リ更ニ飛鳥山邸ニ歓迎午餐会ヲ催ス。 【p.514-521】
- - - - -   大正11年6月30日
(1922年)
是日、英米訪問実業団フランス共和国滞在中、同国官民ヨリ寄セラレタル好意ヲ謝セン為メ、フランス共和国特命全権大使ヲ日本工業倶楽部ニ招待シテ午餐会ヲ催ス。栄一出席ス。次イデ七月一日同趣旨ヲ以テアメリカ合衆国特命全権大使ヲ同所ニ招待ス。栄一出席ス。 【p.521-522】
- - - - -   大正11年7月6日
(1922年)
是日、沢柳政太郎、欧米教育視察旅行ノ帰国報告会ヲ丸ノ内中央亭ニ開ク。栄一出席ス。 【p.522】
- - - - -   大正13年2月18日
(1924年)
是日、日本ナショナル・ロータリー・クラブ創立記念祝日晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。 【p.522】
- - - - -   大正13年6月10日
(1924年)
是日藤山雷太、ジャワ在住ドイツ国人実業家ヘルフェリヒヲ自邸ニ招キテ園遊会ヲ催ス。栄一臨席ス。 【p.522-523】
- - - - -   大正14年3月3日
(1925年)
是日栄一、国際労働協会設立計画ヲ聞キ、其発企者浅利順四郎ニ、財界有力者数人ニ対スル紹介状ヲ与フ。 【p.523-524】
- - - - -   大正14年12月15日
(1925年)
是日、内閣総理大臣加藤高明等、千九百二十六年度ノーベル平和賞受領者ノ候補者トシテ栄一ヲ推薦ス。翌年十二月十五日、千九百二十七年度平和賞候補者トシテ再ビ推薦ス。 【p.524-530】
- - - - -   大正15年5月28日
(1926年)
是日、イタリア国総理大臣ムッソリーニヨリ、我国ノ青年男女ニ送ラレタルメッセージノ件ニ付、同国特命全権大使ギュリオ・デッラ・ロレ・ディ・タヴァニャヲ星ヶ岡茶寮ニ招待シテ相談会開カレ、栄一出席ス。次イデ八月七日、栄一、後藤新平・沢柳政太郎連名ニテ感謝状ヲ送ル。 【p.530-534】
- - - - -   昭和2年12月22日
(1927年)
是日栄一、千九百二十八年度ノーベル平和賞授与適任者トシテ、ボーイ・スカウト創始者サー・ロバート・ベーデン・ポウエルヲ推薦シ、其推薦状ニ署名ス。 【p.534-535】
- - - - -   昭和5年7月14日
(1930年)
是日、フランス共和国独立紀念祭、成瀬正行宅ニ於テ開催セラル。栄一出席シテ同国大使ト会見ス。 【p.535-536】
- - - - -   昭和5年
(1930年)
是年栄一、アメリカ合衆国ワシントンニ開催サラレタル婦人戦争防止協会ニ、メッセージヲ贈ル。 【p.536】
- - - - -   昭和6年5月7日
(1931年)
是日栄一、アメリカ合衆国 The Pacific Geographic Society 維持永久会員タルコトヲ承諾ス。 【p.536-539】
- - - - -   -- 其他ノ関係資料 【p.539-543】
- - - -
- - - - 第4款 慶弔
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正元年8月29日
(1912年)
是日、救世軍大将故ウィリアム・ブースノ追悼会、神田区美土代町東京基督教青年会館ニ於テ挙行セラル。栄一臨席シテ追悼演説ヲナス。 【p.544】
- - - - -   大正元年11月1日
(1912年)
是日栄一、ジャパン・メール社社長フランク・ブリンクリーノ葬儀ニ参列ス。 【p.544】
- - - - -   大正3年7月18日
(1914年)
是日栄一、アメリカ合衆国サン・フランシスコノネーサン・ドールマン商会社長エフ・ダブリュー・ドールマン死去ノ報ニ接シ、中野武営ト連名ニテ弔電ヲ発ス。 【p.544】
- - - - -   大正5年11月17日
(1916年)
是日、中華民国人黄興ノ弔祭会、芝区愛宕下青松寺ニ於テ挙行セラル。栄一出席ス。 【p.544-545】
- - - - -   大正6年3月13日
(1917年)
是日栄一、築地三一教会ニ於テ執行セラレタル、故アメリカ合衆国特命全権大使ジョージ・ダブリュー・ガスリーノ葬儀ニ参列ス。 【p.545-547】
- - - - -   大正7年10月1日
(1918年)
是日栄一等、発起人総代トナリテ、芝区愛宕下青松寺ニ於テ、中華民国人湯化竜追弔会ヲ催ス。栄一病気ノタメ出席セズ。 【p.547-548】
- - - - -   大正8年6月2日
(1919年)
是日、アメリカ合衆国人故ヘンリー・ジェー・ハインツノ追悼会、麻布霊南坂教会ニ於テ挙行セラル。栄一出席ス。 【p.548-549】
- - - - -   大正10年3月26日
(1921年)
是日、アメリカ合衆国人故ヘンリー・ブイ追悼会築地精養軒ニ於テ挙行セラル。栄一、発起人トシテ出席シ、追懐談ヲナス。 【p.549】
- - - - -   大正12年1月12日
(1923年)
是日、日本日曜学校協会主催、アメリカ合衆国人故ジョン・ワナメーカー記念追悼会、東京基督教青年会館ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。 【p.549-550】
- - - - -   大正13年10月3日
(1924年)
是ヨリ先、在アメリカ合衆国ノ堀越善重郎ヨリ、増田明六宛ニ、同国ハーヴァード大学総長チャールズ・ダブリュー・エリオットノ満九十歳祝賀会ノ件ニ関スル書類ヲ発送ス。是日栄一、賀状ヲ送ル。 【p.550-551】
- - - - -   大正13年10月15日
(1924年)
是ヨリ先九月十一日、アメリカ合衆国ロバート・ダラー夫妻ノ金婚式挙行セラル。仍ツテ是日栄一、同夫妻宛祝辞ヲ送ル。 【p.552-553】
- - - - -   大正13年10月
(1924年)
是月栄一、ニュー・ヨーク日本総領事館気付ヲ以テ、故ジョン・ピー・アイリッシュ大佐夫人宛ニ、弔電ヲ発ス。 【p.553】
- - - - -   大正14年2月2日
(1925年)
是ヨリ先、大正十三年十月十一日、アメリカ合衆国ペンシルヴァニア州ピッツバーグニ於テヘンリー・ジェー・ハインツ会社労資協調五十五年記念晩餐会催サル。是日栄一、ハワード・ハインツニ祝辞ヲ送ル。 【p.553-556】
- - - - -   大正14年5月29日
(1925年)
是ヨリ先栄一、本月十四日挙行セラレタル、アメリカ合衆国人ジョン・ディー・ロックフェラーノ息女アビートデヴィッド・エム・ミルトントノ結婚披露式ニ招カル。仍ツテ是日栄一、ジョン・ディー・ロックフェラーニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.556-558】
- - - - -   大正14年7月29日
(1925年)
是月二十八日、アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト軽井沢ニ於テ死去ス。仍ツテ是日栄一、同国大統領カルヴィン・クーリッジ宛弔電ヲ発ス。次イデ八月五日、ソノ葬儀、芝区栄町聖アンドリウス教会ニ執行セラル。栄一病気ノタメ参列スルヲ得ズ、霊前ニ花輪ヲ供フ。 【p.558-561】
- - - - -   大正14年12月9日
(1925年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ジャッジ・ティー・バークノ死去ニ対シ、ジェームズ・ディー・ローマンニ宛テ弔電ヲ発ス。次イデ十五年一月十二日同人宛追悼ノ書翰ヲ発ス。 【p.561-562】
- - - - -   大正15年6月26日
(1926年)
是日、アメリカ合衆国人ダーウィン・ピー・キングズリーノ子息、結婚式ヲ挙グ。右通知ヲ受ケタル栄一等日米関係委員会会員、共同シテ祝品ヲ贈ル。 【p.562-567】
- - - - -   大正15年8月26日
(1926年)
是日栄一、アメリカ合衆国人チャールズ・ダブリュー・エリオットノ死去ヲ悼ミテ、同夫人ニ弔電ヲ発ス。 【p.567-571】
- - - - -   大正15年8月30日
(1926年)
是ヨリ先栄一、六月十六日挙行セラレタル、グレンビル・ビー・ウィンスロプノ姪、セレスチン・ジー・ウィンスロプトジョン・エル・モットトノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日栄一、グレンビル・ビー・ウィンスロプニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.571-572】
- - - - -   大正15年10月6日
(1926年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国スタンフォード大学名誉総長デーヴィッド・エス・ジョルダンノ息エリック死去ス。六月一日、栄一ハジョルダンニ供花料金五十ドルヲ贈ル。ジョルダン、之ヲ ERIC KNIGHT JORDAN RESEARCH FELLOWSHIPS IN GEOLOGY ニ寄付セリ。仍ツテ是日栄一、右ニ対シ更ニ金二百ドルヲ寄付ス。 【p.572】
- - - - -   昭和2年8月18日
(1927年)
是日栄一、アメリカ合衆国人エルバート・エッチ・ゲーリー死去ノ報ニ接シ、ニュー・ヨークノ同夫人ニ弔電ヲ発ス。十月二十四日、重ネテ同夫人ニ対シ、追悼ノ書状ヲ送ル。 【p.572-580】
- - - - -   昭和2年10月25日
(1927年)
是日、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップノ二息女結婚式ニ招カレタル栄一等日米関係委員会有志、共同シテ祝辞ヲ送リ、且ツ祝品ヲ贈ル。 【p.580-584】
- - - - -   昭和3年2月7日
(1928年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ウィリアム・イー・グリフィスノ死去ヲ悼ミ、阪谷芳郎ト連名ニテ、同夫人ニ弔電ヲ発ス。 【p.584-586】
- - - - -   昭和3年3月12日
(1928年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ロドマン・ワナメーカー死去ノ報ニ接シ、弔詞並ニ名誉棺側受諾ノ旨ヲ返電ス。 【p.586-587】
- - - - -   昭和3年7月3日
(1928年)
是ヨリ先栄一、六月十三日挙行セラレタルアメリカ合衆国人ダーウィン・ピー・キングズリーノ息女ロイストラルフ・エッチ・ブーツノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日ダーウィン・ピー・キングズリー夫妻ニ対シテ祝辞ヲ送ル。 【p.587-589】
- - - - -   昭和3年8月3日
(1928年)
是ヨリ先栄一、是月四日挙行セラルベキアメリカ合衆国人ハミルトン・ホルトノ息女、リーラ・ステュアートトモーリス・ローティバルノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日ハミルトン・ホルトニ対シ祝電ヲ発ス。 【p.589-590】
- - - - -   昭和3年8月15日
(1928年)
是ヨリ先栄一、是月三十日挙行セラルベキアメリカ合衆国人エドワード・エル・スミスノ息女、エンマ・トンプソントフィリップ・ジー・ストロングトノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日栄一、エドワード・エル・スミス夫妻ニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.590-591】
- - - - -   昭和3年10月20日
(1928年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ベンジャミン・ストロングノ死去ヲ悼ミ、ニュー・ヨーク市中央準備銀行ノケースニ対シ弔電ヲ発ス。 【p.591-592】
- - - - -   昭和3年12月31日
(1928年)
是ヨリ先栄一、五月十五日挙行セラレタル、アメリカ合衆国人ルイス・エル・クラークノ息女、フロレンス・キップトガーンセイ・クーラントノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日栄一、ルイス・エル・クラークニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.592-594】
- - - - -   昭和4年1月31日
(1929年)
是日、アメリカ合衆国シカゴ大学教授ジェー・ポール・グード、栄一ガグード夫人死去ノ際ニ送レル弔辞及ビ弔慰金ニ対スル礼状ヲ送ル。 【p.594-597】
- - - - -   昭和4年3月4日
(1929年)
是日栄一、アメリカ合衆国大統領ハーバート・シー・フーヴァーニ対シ、大統領就任ノ祝電ヲ発ス。 【p.597-598】
- - - - -   昭和4年6月15日
(1929年)
是ヨリ先栄一、是日挙行セラルベキ、アメリカ合衆国人エドウィン・ジー・メリルノ息女、アデル・カットトチャールトン・マクヴェートノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日チャールズ・マクヴェーニ対シ祝電ヲ発ス。 【p.598-599】
- - - - -   昭和4年7月26日
(1929年)
是ヨリ先栄一、六月二十九日挙行セラレタル、アメリカ合衆国人チェスター・エッチ・ローエルノ息女、コーラ・ウィニフレッドトジョン・エー・ギブンス(小)トノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日栄一、チェスター・エッチ・ローエルニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.599-600】
- - - - -   昭和4年11月26日
(1929年)
是日栄一、アメリカ合衆国人オー・エム・クラークノ死去ヲ悼ミ、同夫人ニ弔電ヲ発ス。 【p.600-603】
- - - - -   昭和5年3月10日
(1930年)
是日栄一、元アメリカ合衆国大統領ウィリアム・エッチ・タフトノ死去ヲ悼ミ、同夫人ニ弔電ヲ発ス。 【p.603-606】
- - - - -   昭和5年3月14日
(1930年)
是日栄一、阪谷芳郎ト連名ニテ、アメリカ合衆国人エルマー・エー・スペリニ対シ、夫人ノ死去ヲ悼ミ弔電ヲ発ス。 【p.606-608】
- - - - -   昭和5年5月22日
(1930年)
是ヨリ先、昭和四年十二月二十七日、前駐日アメリカ総領事エドワード・シー・ベローズ死去ス。是日栄一、同夫人ニ対シ弔問ノ書翰ヲ発ス。 【p.608-610】
- - - - -   昭和5年6月2日
(1930年)
是ヨリ先栄一、是日挙行セラルベキ、アメリカ合衆国人ハリー・イー・バイラムノ息女、ヘレントドン・バーディックトノ結婚式ニ招カル。仍ツテ祝電及ビ祝辞ヲ送ル。 【p.610-611】
- - - - -   昭和5年6月18日
(1930年)
是日栄一、アメリカ合衆国人エルマー・エー・スペリノ死去ニ対シ、弔電ヲ発ス。次イデ七月一日東京基督教青年会館ニ開催セラレタル追悼会ニ出席、追悼ノ辞ヲ述ブ。 【p.611-616】
- - - - -   昭和5年6月21日
(1930年)
是ヨリ先栄一、五月十二日挙行セラレタルアメリカ合衆国人ケー・ビー・スキベネッスノ息女、エン・インゲボルジ・マーガリートトジュリアン・ストリートトノ結婚ノ通知ニ接ス。仍ツテ是日栄一、ジュリアン・ストリートニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.616-617】
- - - - -   昭和5年6月21日
(1930年)
是ヨリ先栄一、是月十四日挙行セラレタルアメリカ合衆国人アレグザンダー・エム・リンゼーノ息女、アンネトランレット・マイナートノ結婚式ニ招カル。仍ツテ是日エドワード・ジー・マイナーニ対シ、祝辞ヲ送ル。 【p.617-618】
- - - - -   昭和5年10月27日
(1930年)
是ヨリ先栄一、九月六日挙行セラレタルアメリカ合衆国人ヘンリー・レオナードノ息女、エレン・ダブリュー・ソロントフランシス・ダブリュー・マクヴェートノ結婚ノ通知ニ接ス。仍ツテ是日栄一、チャールズ・マクヴェーニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.618-619】
- - - - -   昭和6年3月7日
(1931年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ジョージ・イーストマンノ喜寿祝賀宴ニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.619-622】
- - - - -   昭和6年6月6日
(1931年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ロバート・エヌ・リンチノ死去ヲ悼ミ、同夫人及ビウォレス・エム・アレグザンダーニ弔電ヲ発ス。 【p.622-623】
- - - - -   昭和6年8月14日
(1931年)
是ヨリ先栄一、七月二十五日挙行セラレタルアメリカ合衆国人チェスター・エッチ・ローエルノ息女、バーバラ・ロイトウィリアム・ディー・ラッフリントノ結婚ノ通知ニ接ス。仍ツテ是日チェスター・エッチ・ローエルニ対シ祝辞ヲ送ル。 【p.623-624】
- - - - -   昭和6年8月14日
(1931年)
是日栄一、是月十五日挙行セラルベキアメリカ合衆国人コーウィン・エス・シャンクノ息女、バージニアトステファン・イー・アンダーソントノ結婚式ニ招カレタルニ対シ、コーウィン・エス・シャンクニ祝電ヲ発ス。 【p.624-625】
- - - - -   昭和6年9月21日
(1931年)
是日栄一、アメリカ合衆国人デーヴィッド・エス・ジョルダンノ死去ヲ悼ミ、同夫人ニ弔電ヲ発ス。 【p.626】
- - - - -   昭和6年10月19日
(1931年)
是日栄一、トーマス・エー・エディソンノ死去ヲ悼ミ、ソノ子息ニ弔電ヲ発ス。 【p.626】
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- - - - 第5款 外国人トノ往復書翰
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   大正5年2月15日
(1916年)
是日栄一、アメリカ合衆国人セオドル・ルーズヴェルトニ、大正四年訪米ノ折、会見記念トシテ離米ニ当リテ贈リタル東照宮絵巻ヲ収蔵スベキ蒔絵ノ箱ヲ送付シタル旨、書通ス。 【p.627-628】
- - - - -   大正6年
(1917年)
是年栄一、イギリス国ロンドン在住アレグザンダー・アーラン・シャンドト書翰ヲ往復シテ旧交ヲ温ム。蓋シシャンドハ明治初頭大蔵省ニ奉職シテ草創期ノ我国銀行業務ヲ指導セル人ナリ。栄一、シャンドト書ヲ交ハスコト晩年ニ及ブ。昭和五年四月ソノ歿スルヤ、弔電ヲ発シテ哀悼ノ意ヲ表ス。 【p.628-642】
- - - - -   大正9年11月8日
(1920年)
是日栄一、在北京 International Anti-Opium Association ノアーサー・サウアビーヨリ我国ニ同様趣旨ノ協会設立ニ就キ慫慂ヲ受ク。 【p.642-644】
- - - - -   大正11年7月12日
(1922年)
是ヨリ先、小畑久五郎訳「アンドルー・カーネギー自叙伝」出版サル。栄一是ニ序文ヲ付シタリ。
是日栄一、フランク・エー・ヴァンダーリップニ右序文ノ英訳ヲ添ヘ、該書五十部ヲ送ル旨ノ書翰ヲ発ス。 【p.644-646】
- - - - -   大正14年4月13日
(1925年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ロドマン・ワナメーカーニ書ヲ発シテ、ジョン・ワナメーカーノ伝記 Romantic Rise of a Great American ノ翻訳権交付ヲ請フ。ロドマン・ワナメーカーハ秘書フライシュマンヲシテハーバート・アダムズ・ギボンズ執筆中ノ伝記翻訳ヲ奨メ来ル。仍ツテ栄一、是年七月二十五日、同書ニツキ同様翻訳出版ノ許諾ヲロドマン・ワナメーカーニ求ム。 【p.646-648】
- - - - -   大正14年9月16日
(1925年)
是日栄一、アメリカ合衆国カーネギー博物館名誉会長、ダブリュー・ジェー・ホーランド及ビデーヴィッド・エス・ジョルダンニ書翰ヲ送ツテ、ソノ援助ニヨリ脇谷洋次郎ノ著 The Carangoid Fishes of Japan ノ出版セラレタルヲ感謝ス。後、ソノ返書ヲ接受ス。 【p.649-653】
- - - - -   大正15年7月28日
(1926年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国人シドニー・エル・ギューリックハ書ヲ小畑久五郎ニ寄セテ栄一ノ略伝ヲ請フ。仍ツテ是日、栄一自ラ閲歴ノ概略ヲ述ベテコレニ応ズ。 【p.653-658】
- - - - -   大正15年10月13日
(1926年)
是日栄一、堀越善重郎ノ渡米ニ托シ、アメリカ合衆国カリフォルニア州サン・ペドロノフランク・エー・ヴァンダーリップヘ書翰ヲ送ル。 【p.658-659】
- - - - -   大正15年10月14日
(1926年)
是日栄一、アメリカ合衆国人トーマス・エー・エディソンニ御木本幸吉ノ紹介状ヲ発ス。 【p.659-660】
- - - - -   昭和2年11月9日
(1927年)
是日栄一、アメリカ合衆国人ポール・シャーレンバーグニ書翰ヲ送ツテ、近ク渡米スベキ関屋竜吉ニ托シ、ソノ夫人ニハッピー・コートヲ贈呈スベキ旨ヲ通ズ。 【p.660-661】
- - - - -   昭和3年10月8日
(1928年)
是ヨリ先、アメリカ合衆国人デーヴィッド・エス・ジョルダンハ市橋倭ヲシテ栄一ニ関スル記事ヲ執筆セシメ、ワールド・ユニティー誌ニ発表セシム。是日栄一、ジョルダンヨリソノ報知ニ接ス。市橋ノ記事ハ翻訳ノ上翌四年一月ノ「竜門雑誌」ニ掲載シ、ソノ二部ヲジョルダンニ送ル。 【p.661-667】
- - - - -   昭和4年4月8日
(1929年)
是日栄一、アメリカ合衆国人メリー・アール・ローマンヨリスウィート・ピーノ種子六種ヲ送リタル旨ノ来書ニ接ス。栄一、是ヲ播種、開花セシメ、是年十一月二十八日、ソノ押花ト共ニ穂積歌子ノ和歌並ニ自作漢詩ヲ色紙ニ揮毫シテ贈ル。 【p.667-670】
- - - - -   -- 其他 【p.670-695】
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