『渋沢栄一伝記資料』第12巻

公開日: 2006.03.20 / 最終更新日: 2011.11.11

目 次

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第2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 (九)
- 第1部 実業・経済
- - 第3章 商工業(承前)
- - - 第15節 造船・船渠業(承前)
- - - - 第2款 浦賀船渠会社 【p.5-】
- - - - 第3款 横浜船渠株式会社 【p.10-】
- - - - 第4款 函館船渠株式会社 【p.42-】
- - - - 第5款 浦賀船渠株式会社 【p.80-】
- - - 第16節 製綱業
- - - - 第1款 東京製綱株式会社 【p.103-】
- - - 第17節 汽車・自動車製造業
- - - - 第1款 平岡工場 【p.124-】
- - - - 第2款 汽車製造株式会社[汽車製造合資会社] 【p.127-】
- - - - 第3款 日本自働車株式会社 【p.147-】
- - - 第18節 人造肥料業
- - - - 第1款 東京人造肥料株式会社 【p.150-】
- - - - 第2款 日本肥料協会 【p.248-】
- - - - 第3款 肥料取締法問題 【p.250-】
- - - 第19節 製薬業
- - - - 第1款 東京薬品会社 【p.265-】
- - - 第20節 化学工業
- - - - 第1款 日本舎密製造株式会社 【p.272-】
- - - - 第2款 日本醋酸製造株式会社 【p.273-】
- - - - 第3款 日本化学工業株式会社 【p.275-】
- - - - 第4款 堺セルロイド株式会社 【p.278-】
- - - 第21節 瓦斯
- - - - 第1款 東京会議所瓦斯掛 【p.280-】
- - - - 第2款 東京府瓦斯局 【p.364-】
- - - - 第3款 東京瓦斯株式会社 【p.613-】
- - - - 第4款 大阪瓦斯株式会社 【p.717-】
- - - - 第5款 名古屋瓦斯株式会社 【p.733-】
- - - - 第6款 関係瓦斯会社諸資料 【p.736-】

目次詳細(綱文)

第2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年-四十二年 (九)
- 第1部 実業・経済
- - 第3章 商工業(承前)
- - - 第15節 造船・船渠業(承前)
- - - - 第2款 浦賀船渠会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治18年7月10日
(1885年)
是ヨリ先、十七年六月十四日、栄一他十二名連署シテ神奈川県浦賀ニ船渠会社ヲ設立セントシテ農商務卿ニ出願セシモ許サレズ。是日再度、栄一他益田孝・渡部温等十二名連署ヲ以テ農商務卿西郷従道ニ、相州長浦内務省衛生局伝染病消毒所ニ船渠設立ヲ出願ス。同所ハ内務・海軍両省ニテ必要ノ場所ナリトノ故ヲ以テ許サレズ。 【p.5-9】
- - - -
- - - - 第3款 横浜船渠株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治22年6月14日
(1889年)
是ヨリ先明治二十年頃、栄一、益田孝・吉川泰二郎・渡辺福三郎等ト共ニ横浜・神奈川間ノ地ニ船渠会社ヲ計画セシニ、偶々原六郎・原善三郎・来栖壮兵衛・茂木惣兵衛等モ亦横浜ニ横浜埠堤会社ヲ興サントセリ。依ツテ栄一ハ神奈川県知事沖守固ニ宛テ、右横浜組トノ合同提携ヲ欲スル旨ヲ申入レタリ。此ニ於テ両者発起人代表者等ハ合同発起ニテ横浜船渠会社ノ創立ヲ決シ、是年四月二十三日横浜町会所ニ発起人総会ヲ開ク。栄一創立委員ニ選バル。是日栄一外三十二名ノ連署ヲ以テ沖県知事ニ横浜船渠会社創立願書ヲ提出シ、明治二十四年六月四日認可セラル。 【p.10-32】
- - - - -   明治26年12月16日
(1893年)
是ヨリ先、明治二十三年ノ恐慌以来明治二十六年ニ至ルマデ経済界ハ不況ニ沈滞セリ。従テ当会社ノ株式払込ニ支障ヲ来シ、明治二十五年三月二十一日内海神奈川県知事ニ船渠築造並ニ海面埋立起工延期ヲ願出デタリ。然ルニ又船渠ノ設計ニ変更ノ必要ヲ生ジ、且ツ工師エツチ・スペンサー・パーマー病死シタルニ因リ、同二十六年三月二十一日右起工延期ノ再願ヲ為セリ。是日発起人臨時総会ヲ日本郵船株式会社横浜支店ニ開キ、資本金ヲ五十万円ニ減額シ、定款ノ改正・役員ノ選挙其他数項ヲ議決セリ。栄一之ニ関与ス。尋イデ同三十二年五月一日工事漸ク竣功ヲ遂ゲ、第一・第二船渠開渠式ヲ挙ゲタリ。 【p.32-41】
- - - -
- - - - 第4款 函館船渠株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治29年2月27日
(1896年)
是ヨリ先二十八年七月、函館区平田文右衛門外五十名函館港内ニ函館船渠株式会社ヲ創立セントシ、同港改良工事補助金四十万円ノ下付ヲ政府ニ出願シ、其請願運動ノ為メ上京中、栄一等東京実業家ニ謀リタルニ其船渠会社設立発起ノ賛同ヲ得タリ。是日東京築地柳花苑ニ開カレタル東京発起人会ニ於テ栄一創立委員ニ選バレタリシガ、同発起人会ハ補助金下付請願ヲ改メ、資本金百二十万円ノ私設会社ヲ設立スル方針ヲ決議ス。函館発起人会亦其決議ヲ可決ス。尚大阪方面ニモ発起人ヲ勧誘セリ。尋イデ三月十日栄一創立委員長ニ選バル。二十九年四月二十九日農商務大臣子爵榎本武揚・逓信大臣白根専一ヨリ発起申請認可書ヲ下付セラル。 【p.42-53】
- - - - -   明治29年6月13日
(1896年)
是日東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一会長トナリテ議事ヲ処理シ、役員選定ノ結果取締役ニ就任ス。是年十一月七日会社設立申請認可サル。 【p.53-64】
- - - - -   明治36年7月29日
(1903年)
是ヨリ先三十五年七月二十八日、第十一回臨時総会及ビ同年八月五日第十二回臨時総会ニ於テ、栄一等現任役員一同ハ工事費予算不足ノ責ヲ負ヒ辞任セントセシガ、株主ノ希望ニ由リ重任ス。後、栄一取締役辞任ヲ申出デ、是日第十五回臨時総会之ヲ承認シ相談役トナリ、三十七年十月二十六日ニ至リ辞ス。 【p.64-66】
- - - - -   明治39年4月2日
(1906年)
明治三十五・六年以来当会社経営困難トナリ危殆ニ瀕スルヤ、同三十九年一月栄一、近藤廉平等ト共ニ整理委員ニ推サレ善後策ヲ講究ス。是日第十八回臨時総会ニ於テ会社ノ方針定マリ、取締役改選ニ当リ栄一、男爵川田竜吉・川田豊吉ヲ新任取締役ニ指名ス。後同月十二日再ビ相談役ニ就任ス。 【p.66-73】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。 【p.73-79】
- - - -
- - - - 第5款 浦賀船渠株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治35年5月4日
(1902年)
是日、当会社株主総会ハ浦賀港内ナル東京石川島造船所浦賀分工場買収ヲ議決ス。栄一当会社ノ株主ト為ル。 【p.80-92】
- - - - -   明治35年12月29日
(1902年)
是日臨時株主総会ヲ開ク。栄一取締役ニ選バレタルモ辞シテ就カズ。 【p.92-93】
- - - - -   明治36年6月
(1903年)
是月、栄一当会社相談役ニ就任ス。四十年再選、四十二年ニ至ツテ辞任ス。コノ間当会社ノ為メ尽力スル所少ナカラズ。 【p.93-101】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是日栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退決意シ、是日当会社相談役ヲ辞ス。 【p.101-102】
- - - -
- - - 第16節 製綱業
- - - - 第1款 東京製綱株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治20年2月1日
(1887年)
是日、東京製綱会社発起株主ノ集会ヲ第一国立銀行楼上ニ開キ、栄一、益田孝・渡部温ト共ニ委員ニ撰挙サル。尋イデ三月十五日設立届書ヲ麻布区長ニ提出、四月二十一日芝紅葉館ニ於テ開業式ヲ挙行ス。 【p.103-111】
- - - - -   明治26年7月15日
(1893年)
当会社、商法ノ施行ニ因リテ東京製綱株式会社ト改称ス。栄一取締役トナリ、爾後毎期重任シ、明治三十一年七月取締役会長ニ推サル。 【p.111-117】
- - - - -   明治39年12月28日
(1906年)
是日当会社、月島製綱株式会社ノ合併ヲ決シ、尋イデ同四十二年五月日本製綱株式会社ヲ合併シテ資本金百十五万円ニ増額ス。栄一会長トシテ之ニ与ル。 【p.117-120】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。 【p.120-123】
- - - -
- - - 第17節 汽車・自動車製造業
- - - - 第1款 平岡工場
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治23年6月23日
(1890年)
是ヨリ先、元鉄道局技師平岡熙、製工所ヲ設ケ汽車製造業ヲ興サントスルヤ、栄一、平岡及ビ益田孝等ト謀リ匿名組合ヲ組織シ、是日開業ス。後二十七年十月三十一日同組合ヲ解散シ、平岡熙ノ単独経営ニ任スニ至レリ。 【p.124-126】
- - - -
- - - - 第2款 汽車製造株式会社[汽車製造合資会社]
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治29年9月7日
(1896年)
是ヨリ先元鉄道庁長官井上勝、機関車其他鉄道用品等ノ製造ノ民間新設ヲ企画シ、栄一並ニ岩崎弥之助・伯爵井上馨等ニ援助ヲ乞フ。栄一業務担当社員及ビ創立委員ノ一員トナリ、会社創立ニ尽力シ、毛利・前田等ノ旧大藩諸侯及ビ住友・大倉・藤田・今村等ノ実業家ノ出資ヲ得テ是日汽車製造合資会社設立サル。 【p.127-131】
- - - - -   明治32年6月16日
(1899年)
是ヨリ先栄一、帝国ホテルニ於テ伯爵井上馨・子爵井上勝・侯爵蜂須賀茂韶・男爵岩崎弥之助・今村清之助・原六郎等ト屡々会合シ、当会社資本金増額、社長副社長選任ノ件等ヲ議シ、是日臨時総会開カレ、栄一監査役ニ推サル。 【p.131-133】
- - - - -   明治32年7月5日
(1899年)
是日汽車製造合資会社大阪本社ニ於テ開業式ヲ行フ。栄一之ニ臨席シ一場ノ挨拶ヲナス。 【p.133-136】
- - - - -   明治34年6月28日
(1901年)
是ヨリ先、汽車製造合資会社営業不振ノ為メ平岡工場ヲ合併セントス。栄一並ニ伯爵井上馨・今村清之助等之ガ斡旋尽力ヲナシ、是日遂ニ汽車製造合資会社臨時総会ニ於テ合併ノ件決議サル。 【p.136-144】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社監査役ヲ辞ス。 【p.144-146】
- - - -
- - - - 第3款 日本自働車株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治40年1月18日
(1907年)
是日栄一自働車株式会社創立発起人会ニ出席シ創立委員ヲ指名ス。後チ創立委員長ニ推サレ尽力スル所多カリシモ成立ニ至ラズシテ解散ス。 【p.147-149】
- - - -
- - - 第18節 人造肥料業
- - - - 第1款 東京人造肥料株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治20年4月18日
(1887年)
是ヨリ先二月二十八日、栄一東京人造肥料会社創立委員トナリ、是日渋沢喜作・馬越恭平ト連署シテ会社ノ設立ヲ東京府知事高崎五六ニ出願ス。是月二十八日許可セラル。十二月十二日委員長トナル。 【p.150-168】
- - - - -   明治26年5月3日
(1893年)
是日当会社工場焼失ス。株主中之ヲ機会トシテ会社ヲ解散セント説ク者アリ。栄一之ニ反対シ、会社存続ニ努ム。
是年商法施行ニ伴ヒ東京人造肥料株式会社ト改称シ、栄一初代取締役会長トナル。 【p.168-177】
- - - - -   明治31年1月
(1898年)
是月当会社ハ取締役会長タル栄一ノ多年ノ功労ヲ謝シ、金盃一組ヲ贈ル。 【p.177-189】
- - - - -   明治40年1月29日
(1907年)
栄一、爾来取締役会長トシテ尽力スル所多ク、是日新タニ犬丸鉄太郎ヲ専務取締役ニ推挙シ、翌四十一年以後ニ於テ北海道人造肥料株式会社・帝国肥料株式会社等ヲ合併買収スル等当会社ノ発展ニ努ム。 【p.190-243】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞ス。同年七月二十九日開カレタル株主総会ニ臨ミ、栄一辞任ノ挨拶ヲ述ブ。 【p.244-247】
- - - -
- - - - 第2款 日本肥料協会
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治41年12月22日
(1908年)
肥料ノ改良発達ヲ図リ且ツ諸般ノ調査ヲナス目的ヲ以テ日本肥料協会ノ設立ヲ計画シ、是日東京銀行集会所ニ於テ協議会ヲ開催ス。栄一委員長トナル。 【p.248-249】
- - - -
- - - - 第3款 肥料取締法問題
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治41年9月21日
(1908年)
是日栄一、来ル十月一日ヨリ実施セラルベキ改正肥料取締法ニ就キ、重ナル当業者ヲ代表シテ大浦農相ニ陳情ス。 【p.250-264】
- - - -
- - - 第19節 製薬業
- - - - 第1款 東京薬品会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治20年9月
(1887年)
是月、森島松兵衛等東京薬品会社ヲ創立ス。栄一顧問タリシガ後之ヲ辞ス。会社モ亦解散ス。 【p.265-271】
- - - -
- - - 第20節 化学工業
- - - - 第1款 日本舎密製造株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治22年
(1889年)
是年、山口県小野田ニ一般化学薬品ノ製造ヲ目的トシテ日本舎密製造株式会社創立セラル。栄一、柏村信・笠井順八等ト共ニ発起人タリ。 【p.272】
- - - -
- - - - 第2款 日本醋酸製造株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治39年9月
(1906年)
是月栄一、日本醋酸製造株式会社ノ相談役トナリ、四十二年六月六日辞任ス。 【p.273-274】
- - - -
- - - - 第3款 日本化学工業株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治40年5月10日
(1907年)
栄一、大倉喜八郎・馬越恭平等ト共ニ日本化学工業株式会社ノ設立ヲ発起ス。是日当会社創立セラル。 【p.275-277】
- - - -
- - - - 第4款 堺セルロイド株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治41年2月
(1908年)
是月、堺セルロイド株式会社設立計画セラル。栄一、飯田義一・岩原健三等ト共ニ発起人タリ。 【p.278-279】
- - - -
- - - 第21節 瓦斯
- - - - 第1款 東京会議所瓦斯掛
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治7年11月
(1874年)
是月栄一、東京会議所共有金取締ニ推薦サレ、尋イデ八年十二月二十七日会頭並ニ行務科頭取ニ選バル。是ヨリ先、同会議所ハ東京市内ノ瓦斯灯建設ニ従事ス。栄一之ニ与ル。 【p.280-312】
- - - - -   明治7年12月18日
(1874年)
是日、予テ建設中ナリシ京橋金杉橋間ノ瓦斯灯八十五基初メテ点火サル。栄一東京会議所会頭トシテ之ニ与ル。 【p.312-341】
- - - - -   明治9年4月14日
(1876年)
是ヨリ先八年十二月、東京会議所議事ト行務ヲ分界シ、是年四月行務還納ノ内議ヲ伺中、瓦斯局増築ノ議ヲ決シタルニ依リ、是日栄一、東京会議所行務科頭取トシテ右ニツキ東京府権知事楠本正隆ニ意見ヲ上申ス。 【p.341-359】
- - - - -   明治9年5月25日
(1876年)
是ヨリ先、東京府権知事楠本正隆ニ稟請セシ東京会議所行務還納ノ儀、同月二十二日許サレ、是日行務還納ヲ了セリ。依ツテ瓦斯事業モ東京府ニ移管サル。栄一会頭トシテ之ニ与ル。 【p.359-363】
- - - -
- - - - 第2款 東京府瓦斯局
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治9年5月11日
(1876年)
是日栄一、東京府ヨリ瓦斯局事務長ヲ申付ケラル。東京会議所ハ是月二十五日ニ行務還納ヲ了シ、尋イデ六月六日付ノ伺ヲ以テ、瓦斯課ヲ東京瓦斯局ト改称ス。 【p.364-365】
- - - - -   明治9年6月29日
(1876年)
是ヨリ先四月十日、東京会議所ハ瓦斯製造設備増築ニツキ府庁ニ建議スル所アリシガ、其後赤坂 皇居及ビ諸官省ヘ点灯ノ事アリテ会議所再議審案シ、是日栄一会頭トシテ其旨再申ス。 【p.365-376】
- - - - -   明治9年7月10日
(1876年)
是日、先キニ東京会議所ヨリノ建議ニ依リ府庁ハ自今ランプ課廃止ノ旨示達ス。尋イデ本月十三日会議所ランプ課ハ瓦斯局ヘ事務引継ヲナシ、年末ニ至リテ廃停ヲ了セリ。栄一瓦斯局事務長トシテ之ニ与ル。 【p.376-388】
- - - - -   明治9年9月30日
(1876年)
東京瓦斯局ノ瓦斯増産ニ必要ナル鉄管其他器械類ニツキ、曩ニ由利公正・三浦安等ノ山一組ヨリソノ鋳造方出願アリ、是日栄一瓦斯局事務長トシテソノ引合ニツキ東京府権知事ニ上申シ、尋イデ十一月一日ソノ改正案ヲ提出、即日聞届ケラル。 【p.388-397】
- - - - -   明治9年10月10日
(1876年)
是ヨリ先、東京府庁街灯瓦斯ランプ費徴収ニツキソノ賦課方法ノ更正ヲ東京会議所ニ問フ。仍ツテ是日栄一、東京会議所会頭トシテ答議ヲ上申ス。府庁可トナシ、是ニ基イテ賦課スルコトトナス。栄一右答議ト共ニ瓦斯灯ノ儀ニツキ意見ヲ上申シ、建設費ノ処理法ヲ示シ、将来民営工業タラシメン事ヲ目的トシテ処分有リ度キ趣旨ヲ述ブ。 【p.397-405】
- - - - -   明治9年10月24日
(1876年)
是ヨリ先、十月二十一日、東京府庁ハ増瓦斯線路変更ニツキ達ス。是日栄一、瓦斯局事務長トシテ変更線路ノ入費調書並ニ絵図面ヲ提出、尋イデ実地測量シタキ旨十一月七日上申ス。 【p.405-407】
- - - - -   明治9年11月7日
(1876年)
瓦斯局傭仏人技師アンリー・ペレゲレン是年十二月末ヲ以テ傭入契約満期トナル。然ルニ瓦斯製造所増築等ニ因リ同人ヲ更ニ一ヶ年傭継ギタキ旨東京瓦斯局事務長トシテ、是日栄一府庁ニ開申ス。許サル。尋イデ翌十一年モ傭継ギ、明治十二年一月ニ至リ解雇ス。 【p.407-415】
- - - - -   明治9年12月22日
(1876年)
栄一、東京瓦斯局事務長及ビ東京養育院院長トシテ東京会議所行務還納以来無給ヲ以テ事務勉励セシニヨリ、是日府庁、慰労金四百円ヲ給与スベキコトヲ決ス。 【p.415-416】
- - - - -   明治10年2月16日
(1877年)
従来家内引用瓦斯ハ料金一千立方尺ニツキ金三円七十五銭ヲ以テ販売セシガ、其内五十銭ヲ減ジ金三円二十五銭ニ低価スベキコトヲ、是日府庁ニ伺出ヅ。許サレテ其旨市民ニ広告ス。栄一瓦斯局事務長トシテ之ニ与ル。 【p.416-417】
- - - - -   明治10年3月1日
(1877年)
本局開業以来瓦斯街灯費ハ其点火費徴集困難ニシテ到底瓦斯建設原費ヲ減却シ得ザルノミナラズ、共有金ヲ以テ之ヲ支弁シ居タリ。因テ瓦斯供給設備ヲ増設拡張シ以テ点火費ノ低減ヲ図リ、或ハ家内引用瓦斯ノ売却利益ヲ街灯点火費ニ補填センコトヲ画シテ既ニ其増築工事ニ着手セリ。又曩ニ東京会議所ニ諮問シテ点火費賦課方法ヲ更正シタリシガ、是年一月太政官布告第二号公布ニ依リ本局維持及ビ賦課方法ニ支障ヲ生ゼリ。是ニ於テ栄一瓦斯局事務長トシテ瓦斯増築ヲ廃停スベキ事ヲ府庁ニ建言ス。依テ府庁其措置ニ関シテ会議所ニ下議スル所アラントス。然ルニ二月ニ至リ府知事楠本正隆該入費ヲ府税ノ内ヨリ支出センコトヲ内務卿大久保利通ニ伺出デ許サル。仍テ是日以後、民費賦課方法ヲ設クル迄府税ヲ以テ瓦斯街灯費毎月千百三円五十九銭ヲ支出スベキコトヲ達セラレ、以テ該入費ヲ補償セラルルヲ得テ、本局増設工事ヲ継続シ、明治十二年十二月十五日ニ至リテ竣功ス。 【p.417-425】
- - - - -   明治10年3月21日
(1877年)
曩ニ決定セル瓦斯製造供給ノ設備拡張ニ要スル器械買入ノ為メ本局傭技師ペレゲレンヲ欧洲ヘ派遣スルニツキ、右器械代金及ビ其運搬方入費金額下渡サレ度旨、ペレゲレン命令状案並ニ大倉組トノ約定書案ヲ添ヘテ、是日栄一、事務長トシテ府庁ニ伺出ヅ。許サル。 【p.425-430】
- - - - -   明治10年5月14日
(1877年)
本局創業以来家内引用希望者無キハ、寧ロ瓦斯取付費ノ一時多額ノ出金ヲ要スルニヨルモノトナシ、是日栄一、瓦斯局事務長トシテ引用家持費用金百円以上瓦斯使用量一ヶ月二千立方尺以上ニシテ且身元確実ナル者ニ限リ、別ニ瓦斯引用取付入費月賦納付ノ方法ヲ設ケ度旨府庁ニ伺出ヅ。依テ府庁之ヲ認許シ、取付費ノ半額ヲ即納シ余金ハ六ヶ月月賦割ニテ完了スベキコトト定ム。同年八月更ニ右月賦上納証書案ヲ府庁ニ上申ス。其後明治十五年八月之ガ廃止案出タルモ姑ク見合セルコトト決シ継続セリ。 【p.430-437】
- - - - -   明治11年3月28日
(1878年)
本局創業以来共有金ヨリ繰替支出セシ原費ノ消却ハ、家内引用瓦斯ノ利益ヲ以テ之ニ充ツルコトトセシガ、偶々府税ノ内ヲ以テ補助セル瓦斯街灯予算額ト実費トノ間ニ差引余金ヲ生ジタルニヨリ、之ヲ以テ財産目録ニ表レタル損失勘定ヲ填補センコトヲ、是日栄一、事務長トシテ府知事楠本正隆ニ上申ス。然レドモ府庁其理由ヲ認メズシテ却下セリ。 【p.437-438】
- - - - -   明治11年8月6日
(1878年)
是ヨリ先、本局新埋布瓦斯管ノ線路ヲ丸之内ニ延長シ漸次市街ヘ拡張スルノ計画ナリシガ、丸之内諸官衙ノ需用ハ望ミ少ナキ情況ナレバ、府庁ハ本局ヲシテ線路ノ変更ヲナサシメ其線路ヲ再撰シ専ラ市街便宜ノ地ニ延長スベシト令ス。仍テ是日栄一、瓦斯局事務長トシテ細小ノ管ヲ以テ巨大ノ管ト埋替ヘ、増産瓦斯ヲ売捌クベキ見込ニツキ府知事楠本正隆ニ上申ス。 【p.438-441】
- - - - -   明治12年6月13日
(1879年)
曩ニ仏人技師ペレゲレンヲ解雇セシガ、改メテ東京石川島造船所平野富次傭英人技師アーチボールド・キングヲ同年七月ヨリ一ヶ年ノ雇傭契約ヲ以テ一ヶ月三日宛ニテ雇入レタキ旨、是日栄一瓦斯局事務長トシテ府庁ニ上申ス。 【p.441-442】
- - - - -   明治12年6月30日
(1879年)
従来府税ノ内ヲ以テ支弁セラレタル瓦斯街灯点火費ハ是年七月ヨリ、明治十二年度十五区地方税ヲ以テ支弁スベキ経費予算ニ計上シテ支出スル事トナレリ。仍テ是日、其定額ト実費トノ差引余金ヲ営業費並ニ共有金原資消却ニ充テ度旨、栄一瓦斯局事務長トシテ府知事楠本正隆ニ上申シ、許サル。明治十三年度ニ於テハ瓦斯街灯点火費ハ改メテ府地方税費目ニ、更ニ明治十四年度ニ於テ再ビ区部地方税費目ニ加ヘラレ、爾後明治十八年ニ至ル。 【p.442-448】
- - - - -   明治12年8月8日
(1879年)
是日、本局ノ職制ヲ定ム。栄一局長トナル。 【p.448-449】
- - - - -   明治12年10月24日
(1879年)
府下十五区一般ニ係ル共有財産処分ニツキテハ、自今十五区ヨリ選出セル府会議員ノ会議ニ附シ議定セシムベキ布達アリテ、是日初メテ東京十五区会議開カレ、明治十二年度東京瓦斯局収支予算ニツキ議ス。栄一出席シ、十五区共有金及ビ瓦斯局ノ沿革ヲ説明ス。 【p.449-475】
- - - - -   明治12年12月18日
(1879年)
是ヨリ先、本局瓦斯製造設備増築ニツキ傭技師ペレゲレンヲ欧洲ニ派遣シ、ガゾゼン式瓦斯発生窯ヲ購求築造中ナリシガ、同技師ヲ解雇セルタメ築造模様替ヲナシテレトルト式発生窯ニ変更センコトヲ、是年二月二十四日栄一瓦斯局事務長トシテ府庁ニ伺出デ、同年十二月十五日ニ至リ竣成ス。同時ニ京橋迄ノ瓦斯管埋布モ完了シタルヲ以テ、是日、落成祝賀夜会ヲ催セリ。爾後毎年当日ヲ以テ創業記念日トナス。 【p.475-479】
- - - - -   明治12年12月
(1879年)
是月栄一、東京府ヨリ養育院並ニ瓦斯局事務勉励ニツキ慰労トシテ給与ヲ受ク。 【p.480】
- - - - -   明治13年3月22日
(1880年)
是日東京十五区会議ニ於テ、本局ヨリ提案セル瓦斯鉄管延長並ニ埋替及ビ瓦斯料金値下案ニツキ審議ス。栄一出席シテ原案ヲ説明シ、瓦斯需要ノ増大ヲ図ルベキコトヲ説ク。原案可決セラル。翌十四年一月ヨリ瓦斯料金値下実施セラル。 【p.480-491】
- - - - -   明治14年7月27日
(1881年)
是日東京府区部会本局ノ払下ゲヲ決議シ、翌十五年六月ニ至リテ其処分方法ヲ定ム。浅野総一郎等之ヲ廉価ニ払受ケントシタルモ、栄一其議ヲ斥ケテ応ゼズ。為メニ本局払下ゲノ事熄ム。 【p.491-518】
- - - - -   明治14年9月27日
(1881年)
栄一多忙ノ故ヲ以テ毎月二日ノ定式出勤日ヲ定メテ総務ヲ閲シ、且平日ノ庶務ハ幹事ニ分任致度旨府知事松田道之ニ願出デ許サル。 【p.518】
- - - - -   明治14年9月27日
(1881年)
是日本局ノ職制及ビ事務章程改正ノ義ニツキ上申ス。栄一局長トシテ之ニ与ル。 【p.518-530】
- - - - -   明治14年12月8日
(1881年)
曩ニ改定セシ本局事務章程ニ依リ、各家引用瓦斯供給枝管埋布ハ其都度府庁ヘ伺ヲ立テ、允裁ヲ経テ然ル後其工事ニ着手セシタメ、徒ニ日数ヲ経過シ引用家ノ需求ニ即応シ難ク、尚漸ク引用家増加スルノ趨勢ニ際シテ障礙タルヲ以テ其不便ヲ除クベク、是日栄一局長トシテ該枝管埋布入費毎月三百円下附ノ件、及ビ事業上臨時ノ費途至急ヲ要スル場合ニ於テ百円以内ノ小工事ハ区部常置委員会ニ付セズ適宜処置シ得ベキ件ヲ府知事松田道之ニ伺出ヅ。右前件ハ許サレズ後件ノミ五十円以内ノ小工事ニ限リ認許サル。又同年十月二十二日本局職員分担辞令書局長ヨリ相渡度旨伺出デ許サル。 【p.530-533】
- - - - -   明治15年9月27日
(1882年)
是日栄一、瓦斯局長トシテ取扱事務ノ内、副長トノ事務分掌ニツキ府庁ニ上申シ許サル。翌十六年八月二十八日再ビ局長事務分掌ノ儀ニツキ上申ス。 【p.533-536】
- - - - -   明治15年9月29日
(1882年)
是日、瓦斯供給枝管費消却月数ニツキ、従来施行セシ十ヶ月以内ヲ五ヶ月以内ニ縮減センコトヲ府庁ニ伺出デ、許サル。翌十六年十二月ニ至リ瓦斯引用管自費埋布規程ヲ定ム。栄一瓦斯局長トシテ之ニ与ル。 【p.536-542】
- - - - -   明治16年2月6日
(1883年)
是日栄一瓦斯局長トシテ、営業資金並ニ家内瓦斯引用枝管埋布ノ儀ニツキ府庁ニ上申ス。仍テ府庁区部会ニ諮リタルニ前項ノ上申ハ否決サレ後項ノ上申ハ取付費金三千円ハ本局経費定額ノ内ニ組込ムコトニ修正可決サレ、其予算金額ヲ目途ニ取付方ハ都テ本局ニ委任スル旨達セラル。 【p.542-543】
- - - - -   明治16年4月4日
(1883年)
上海瓦斯会社技師英人ヨー日本来遊ヲ機トシ、凡二十日間招聘致度旨副長ヨリ府知事芳川顕正ニ上申ス。又明年一月十一日実地研究ノタメ局員一名ヲ上海瓦斯会社ニ派遣致度旨伺出デ、工事部所谷英敏ヲ派ス。栄一局長トシテ之ニ与ル。 【p.543-548】
- - - - -   明治16年7月7日
(1883年)
瓦斯ノ需要漸次増加ノ趨勢ニアリ、仍テ設備ノ拡張ヲ局長代理藤本精一ヨリ東京府知事芳川顕正ニ上申シ、是日許サル。尋イデ翌年ニ至リ多少該工事ノ模様替ヲナセリ。栄一局長トシテ之ニ与ル。 【p.548-552】
- - - - -   明治16年8月16日
(1883年)
是日本局職制ヲ更ニ改定ス。栄一局長トシテ之ニ与ル。即チ新ニ副長ヲ加ヘ、従来ノ幹事ヲ廃シテ会計・工事両部長ヲ置キ、府庁ノ允許ヲ経テ執行スベキモノハ経費ノ予算、定額外費用ノ支出、定額中各費目ノ流用支弁、瓦斯製造所ノ変換、瓦斯線路ノ変更並ニ新設、瓦斯価格ノ変更、局員賞与、例規ナキ事項ノ契約ニシテ、其他ハ局長直ニ処分スルコトヲ得等ナリ。 【p.552-555】
- - - - -   明治16年11月22日
(1883年)
是日、瓦斯代延滞処分内規ノ儀ニツキ局長代理副長藤本精一ヨリ東京府知事芳川顕正ニ伺出ヅ。明治十七年一月十四日再申ス。 【p.555-558】
- - - - -   明治17年2月20日
(1884年)
是ヨリ先十六年三月二十八日、本局ハ工業会社ト其性質異ナラザルヲ以テ資本金ヲ確定スベク、以テ損益及ビ営業成績ヲ明カニシ、其基礎トナルベキ営業ノ制限ヲ定メ、尚且十六年以降ハ積立金ヲ設クベキ等ノ意見ヲ副長ヨリ府庁ニ開陳セシガ、是日栄一更ニ局長トシテ同趣意ヲ以テ資本金確定ノ儀ニツキ東京府知事芳川顕正ニ上申ス。 【p.558-564】
- - - - -   明治18年3月19日
(1885年)
今ヤ本局経営ノ基礎ヲ固メ相当ノ収益ヲ見ルニ至レリト雖モ、一般ノ瓦斯需用ノ増加ニ応ゼンニハ徒ニ府庁ノ制規ニ拘束セラレ適宜ノ処置ニ出ヅル能ハズ、然ルニ、既ニ本局ヲ公売ニ付スルモ之ニ投ジタル共有金原資ヲ回収スルニ難カラザルニヨリ、之ヲ売却シテ民営ニ移シ斯業ノ伸張ヲ図ルベキ時期ニ到達セリ。是日栄一、本局公売ノ儀ニツキ公売方法ヲモ具陳シテ東京府知事芳川顕正ニ建議ス。仍テ東京府区部会臨時会ヲ開キ本局売却ノ件ニツキ議定シ、是年七月一日、東京府庁本局ヲ所属地所建物諸器械埋布管共払下グベキ旨払下手続ヲ付シテ府民ニ広告ス。 【p.564-602】
- - - - -   明治18年9月30日
(1885年)
東京瓦斯局、東京瓦斯会社ニ払下グルヲ以テ局長以下役員是日限リ廃セラルル旨達セラル。翌十月一日瓦斯局ノ授受ヲ了セリ。栄一瓦斯局開設以来局長ノ任ニ当リ諸事尽力シ功労尠カラザルニヨリ、慰労金三百円ヲ給与セラレ、又蒔絵文箱一個ヲ贈ラル。 【p.603-607】
- - - - -   明治18年9月30日
(1885年)
東京瓦斯局廃セラレタルニヨリ、是日栄一ヲ首メ小林桂・綾部平輔・斎藤熊四郎瓦斯局残務取扱ヲ申付ケラレ、十一月二十八日ニ至リ東京瓦斯局金銭受払調書ヲ東京府知事渡辺洪基ニ提出シタリ。尋イデ十二月十四日残務取扱ヲ免ゼラル。 【p.607-612】
- - - -
- - - - 第3款 東京瓦斯株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治18年10月1日
(1885年)
是ヨリ先、栄一及ビ藤本精一等発起人ヲ募リ東京瓦斯局ノ払下ゲニ応ゼントシ、両名払受人総代トナリテ、七月三十一日払下願書ヲ東京府知事渡辺洪基ニ提出ス。同八月二十八日再願シ許サル。仍テ是日瓦斯局引渡ノ授受ヲ完了シ東京瓦斯会社成立シ、営業ヲ開始ス。栄一委員長タリ。翌年二月当会社資本金八万円ヲ増加シ三十五万円トナス。 【p.613-630】
- - - - -   明治23年3月14日
(1890年)
是日栄一委員長トシテ、浅草千束村百七十三番地当会社支局内ニ瓦斯製造機械設置ノ儀ヲ東京府知事男爵高崎五六並ニ警視総監子爵田中光顕ニ再願ス。許サレズ。仍テ明治二十五年十一月十八日敷地ヲ変更シ北豊島郡南千住町大字地方橋場ヘ設置ノ出願ヲナシ許サレ、二十六年十一月ニ至リ工事落成ス。 【p.630-632】
- - - - -   明治24年9月3日
(1891年)
是ヨリ先、東京市会ハ瓦斯灯電気灯調査委員ヲ設ケ、瓦斯電気両灯ノ光力ヲ比較セシメ、其結果瓦斯灯ヲ採用スルコトニ決シタルガ、コノ間栄一、採算ヲ無視セル競争ヲ避ケシメンガ為メ、是日東京電灯会社幹事皆川四郎ニ書ヲ致シテ注意ヲ促ス所アリ。 【p.632-647】
- - - - -   明治27年1月21日
(1894年)
是ヨリ先、昨二十六年七月商法実施ニ伴ヒ定款ヲ改正シ、社名ヲ東京瓦斯株式会社ト改称ス。是日株主総会ニ於テ栄一取締役ニ選バレ、取締役会長トナル。爾後重任シテ明治四十二年六月三十日ニ至ル。 【p.647-649】
- - - - -   明治30年11月
(1897年)
是月株主総会ノ決議ニヨリ株主総代ヨリ重役・支配人・技術長ヘ花瓶一対ヲ贈リテ多年ノ労ヲ感謝ス。栄一モ亦感謝状ヲ添ヘテ之ヲ贈ラル。 【p.649-650】
- - - - -   明治32年10月2日
(1899年)
東京市街電気鉄道敷設ニ関シ、当会社ニ於テ架空単線式ニ反対ノ陳情書ヲ、是日栄一、取締役会長トシテ内務大臣侯爵西郷従道並ニ逓信大臣子爵芳川顕正ニ提出ス。 【p.650-655】
- - - - -   明治33年3月2日
(1900年)
是日東京市役所ニ市長松田秀雄・助役浦田治平ヲ訪ヒ、瓦斯管埋布ノ件ニツキ談ズ。 【p.655-657】
- - - - -   明治33年7月16日
(1900年)
是ヨリ先四月二十九日、栄一烏森湖月楼ニ開キタル当会社株主協議会ニ出席シ、資本金増加ノ議案ニツキ説明ヲナス。是日神田美土代町青年会館ニ於テ定時株主総会ヲ開キ、原案通リ資本金ヲ倍加シテ四百二十万円トナシ、営業ノ目的ヲ拡充シテ副生物精製販売及ビ瓦斯機械製作販売等ヲ之ニ加フルコトヲ議決ス。 【p.657-660】
- - - - -   明治33年10月1日
(1900年)
是年栄一還暦ニ当ルヲ以テ、当会社ハソノ祝意ヲ表スルタメ、重役及ビ社員ヨリ竜門社ヘ基本金トシテ金一千円ヲ寄贈シ、且栄一ヘ常務取締役大橋新太郎ヨリ当会社ヲ代表シテ賞辞ヲ贈リ、又株主総会ノ決議ニヨリ紫檀厨子ヲ贈ル。 【p.660-661】
- - - - -   明治34年1月16日
(1901年)
是日栄一病気ノタメ当会社株主定時及ビ臨時総会ニ欠席ス。右総会了リテ株主ノ提議ニヨリ、栄一ノ授爵ヲ祝スルタメ、栄一ニ記念品ヲ贈ルコトヲ決議ス。 【p.661-666】
- - - - -   明治35年6月17日
(1902年)
日清戦争後瓦斯ノ需用大ニ増加シタルヲ以テ、当会社資本金四百二十万円ヲ倍額増資シテ八百四十万円トナシ、事業ヲ拡張セントス。而シテ右増加資本ハ之ヲ海外ヨリ輸入セントシタリ。恰モ栄一欧米巡遊ヲ機トシ、是日アメリカ合衆国紐育市ニ於テコンソリデーテツド瓦斯会社社長ブレジート会シテ増資株引受ニツキ直接ノ交渉ヲナセリ。尋イデ数次談合ヲ重ネタルモ協議整ハズシテ遂ニ已ム。 【p.666-673】
- - - - -   明治36年7月16日
(1903年)
是日第三十六回株主定時総会開カレ、終会後引続キ臨時総会ニ移リ、栄一工学博士高松豊吉ヲ常務取締役ニ推選ス。 【p.673-680】
- - - - -   明治38年1月19日
(1905年)
是日及ビ同年七月十八日栄一東京商業会議所ニ開カレタル当会社株主定時総会ニ出席シ、議長トナリテ議事ヲ主宰ス。尋イデ株主ヨリ前監査役西園寺公成ニ十六ヶ年勤続ノ労ニ酬イルタメ金品ヲ贈貽セントノ動議アリ、満場コレヲ容レ、引続キ臨時総会ニテ監査役ヲ改選ス。 【p.680-682】
- - - - -   明治38年11月21日
(1905年)
是日ヨリ三日間ニ亘リ、芝公園内紅葉館ニ於テ当会社創立二十年記念祝賀会ヲ開催ス。栄一出席シテ来賓ニ謝詞ヲ述ブ。 【p.682-694】
- - - - -   明治39年1月18日
(1906年)
是日栄一、東京商業会議所ニ開キタル当会社定時及ビ臨時総会ニ出席シ、議長トナリテ議事ヲ主宰ス。 【p.694-696】
- - - - -   明治39年3月14日
(1906年)
是日英人マクノートン、栄一ノ事務所ヲ訪問シテ、当会社ニ投資ノ件ヲ申出ヅ。是年七月、栄一当会社ニ対スル課税問題ニ関シ尽力ス。 【p.696-697】
- - - - -   明治40年1月19日
(1907年)
是日東京商業会議所ニ於テ当会社定時株主総会ヲ開ク。資本金ヲ一千七百万円ニ増額スルノ決議ヲナシ、定款ヲ改正ス。栄一議長トナリテ議事ヲ主宰ス。 【p.697-700】
- - - - -   明治40年2月14日
(1907年)
是ヨリ先、千代田瓦斯株式会社設立ノ計画アリテ是年一月二十二日東京市長ニ市内道路使用ノ許可ヲ申請シ、二月十三日其許可ヲ得タリ。栄一是日以後東京府知事・東京市長ヲ訪ヒ当会社ノタメ尽力スル所アリ。 【p.700-704】
- - - - -   明治40年3月20日
(1907年)
是日ヨリ東京勧業博覧会上野ニ開会サル。当会社第二会場ニ瓦斯館ヲ特設シ、瓦斯器械及ビ諸製作器ヲ出品ス。七月二日天皇・皇后両陛下台臨ノ栄ニ浴シ、又瓦斯製菓器ノ天覧ヲ賜フ。尚東宮殿下(大正天皇)東宮妃殿下ヲ首メ、皇族ノ台臨並ニ貴紳顕官ノ来館ヲ仰ゲリ。当会社此ノ記念トシテ「美与能飛可利」ヲ編纂シ、栄一跋文ヲ草ス。 【p.705-707】
- - - - -   明治40年7月19日
(1907年)
是日栄一、東京商業会議所ニ開キタル当会社株主総会ニ出席シ、議長トナリテ議事ヲ主宰ス。 【p.707-708】
- - - - -   明治41年2月20日
(1908年)
是日当会社ト従業員トノ協調ヲ図ル目的ヲ以テ設立セル同志会発会式ニ臨ミ、栄一出席シテ一場ノ祝詞ヲ述ブ。 【p.708】
- - - - -   明治41年6月27日
(1908年)
近時発達セル郡部ノ瓦斯需要ニ伴ヒ当会社大森・品川・渋谷方面ニ事業拡張ノタメ、大森字東浜耕地ヲ買収シテ新製造所ヲ設置セントス。是日同所地鎮祭ヲ執行シ、園遊会ヲ催ス。栄一出席シテ来賓ニ一場ノ挨拶ヲナス。同年十二月大森製造所新設工事落成セリ。 【p.708-709】
- - - - -   明治42年6月6日
(1909年)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日当会社取締役会長ヲ辞シ、尋イデ七月二十日株主総会ニ出席シテ告別ノ演説ヲナス。同四十三年一月二十日当会社ハ栄一ヲ浜町常磐屋ニ招キ、在任中ノ功労ヲ謝スルタメ委員及ビ重役列席ノ上目録ニ感謝状ヲ添ヘテ之ヲ贈ル。 【p.709-716】
- - - -
- - - - 第4款 大阪瓦斯株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治34年2月15日
(1901年)
是ヨリ先、明治二十九年十月、小泉清左衛門・松田平八等大阪市西区京町堀通四丁目ニ当会社ヲ創立ス。然レドモ設立準備進捗セズシテ未ダ開業ニ至ラズ。浅野総一郎等之ガ再興ヲ主張シ、是日臨時株主総会ニ於テ栄一監査役トナル。翌三十五年七月之ヲ辞セリ。 【p.717-719】
- - - - -   明治36年8月
(1903年)
是ヨリ先当会社アメリカ合衆国紐育市コンソリデーテツト瓦斯会社社長ブレジーヲシテ出資セシメ、此ノ資本金四百万円トナスニ決定セシガ、此ノ外資輸入ヲ起因トシテ遽ニ大阪市ノ道路使用権ノ拒否ニ遇ヒ、両者ヲ繞リテ激烈ナル紛擾ヲ惹起セリ。藤田伝三郎・原敬・中橋徳五郎等之ヲ憂慮シ調停ニ立ツ。栄一間接ニ調停ノ援助ヲナス。是月ニ至リ当会社大阪市トノ間ニ報償契約ヲ締結シ得テ該問題解決ス。 【p.719-732】
- - - -
- - - - 第5款 名古屋瓦斯株式会社
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - -   明治39年11月
(1906年)
是ヨリ先栄一、奥田正香・服部小十郎・伊藤伝七・小栗富次郎・渡辺甚吉・浅野総一郎・大橋新太郎等ト名古屋瓦斯株式会社ヲ発起設立セシガ、是月相談役ニ就任ス。明治四十二年六月六日辞任ス。 【p.733-735】
- - - -
- - - - 第6款 関係瓦斯会社諸資料
- - - - - 番号 和暦(西暦) 綱  文  【ページ】
- - - - - 1.門司瓦斯会社 -- -- 【p.736】
- - - - - 2.日韓瓦斯株式会社 -- -- 【p.736-738】
- - - - - 3.雑 -- -- 【p.738】
- - - -