研究センターだより

26 東日本大震災への研究部の取り組み

『青淵』No.747 2011(平成23)年6月号

今回は東日本大震災への研究部の取り組みを紹介します。3月11日に東日本を襲ったマグニチュード9.0の大震災は、日本社会のみならず、人類の生活のありかたを根本から改めさせるほどのショックを全世界に与えました。大地震・大津波・原発損傷による放射能汚染のトリプル・パンチは、産業革命以来、人類が物質的豊かさや経済的な効率を最優先してきた歩みを見直さざるを得ない状況に追い込んだのです。私たちは、この未曽有の危機を乗り越え、新しい日本社会を創造し、世界に対して貢献することができるかどうかが問われています。

この長期的な課題を克服するのは容易なことではありません。国家財政が火の車の政府に多くを期待することはできません。震災復興の大方針は政府が示さなければなりませんが、復興事業を実質的に支えるのは、"民"の力になると考えています。公益を追求する強い意志と新しい社会を創造しようという企業家精神を合わせ持った"民"が主役になります。まさしく日本のシビル・ソサエティーの実力が試される時という認識を持って、研究部の活動を進めていきます。

関東大震災と渋沢栄一

このような時、約90年前の関東大震災で活躍した渋沢栄一が真っ先に思い出されます。

ご承知のように、渋沢も震災被災者の一人でした。日本橋の事務所と膨大な歴史的資料を焼失しましたが、すぐに気を取り直し、家族の制止を振り切って、震災復興に挑戦しました。震災直後、日本橋から飛鳥山へたどり着く間に、渋沢は壊滅した東京の状況を見ながら、被災者の救済と民心の安静のために何をすべきか、首都東京をどのような都市に復興させるか、その時民間人はなにをするべきか、さらには復興の精神的支柱をどこにおくか、などをさっそく考え始めました。彼は緊急時の対応から、中期(半年から2年)の施策、長期(10年)の復興計画を瞬時に整理し、行動を開始したのです。

壮大な震災復興計画を打ち出した内務大臣後藤新平を助け、渋沢は労使双方に影響力のある協調会を通じて被災民の救済を、また実業家と政治家有志による大震災善後会を創設し、義援金集めに奔走しました。彼が長年にわたって築き上げた国際人脈を活用して、海外からの協力も求めました。その結果、渡米実業団を含め4回訪問した米国からは、予想をはるかに上回る義援金と救援物資が届き、渋沢は感激しました。震災後約1年間、渋沢は自ら避難場所を見舞い、被災民を激励すると同時に、被災状況の把握に努め、政府では対処できない、きめ細かい活動を続けました。83歳とは思えないほどの行動力でした。

一方で渋沢は、首都東京をどのような都市として復興させるかという長期の課題に取り組みます。1874(明治7)年以来、東京会議所会頭として、道路補修、養育院設置等、東京の近代化に深くかかわり、東京の復興には彼独自のビジョンを持っていました。

渋沢は東京を、徳川時代からの江戸城を中心する軍都から、近代日本を支える経済の中心としての商業機能を重視した都市に再生しようと考えていました。震災復興は、長年の夢を実現する機会と捉え、渋沢は「政府には入らない」という主義を曲げて、あえて帝都復興審議会の政府委員を引き受けたのです。審議会で渋沢は、東京湾築港と京浜運河の採用を提案し、商業都市として東京を復興させようと試みました。彼の提案は、復興予算の縮小と伊藤巳代治などの反対などにより、このときは実現しませんでした。しかし現在の東京は、まさしく渋沢の夢見た商業都市として、世界に誇る首都圏に成長しています。また東京港も拡大の一途を遂げているのです。

さらに渋沢は、「精神の復興」を強調しました。大正時代に入り、しきりに「道徳経済合一説」や「論語と算盤」の精神を唱えた渋沢は、急速な近代化と第一次世界大戦中に発生したバブル景気の影響で、仁義道徳がすたれたと感じていました。また政争に明け暮れる政治家や公益を忘れ、私利私欲に走る実業家を強く戒めていたのです。渋沢は関東大震災を天譴と捉え、近代化の一翼を担った自らも含めて、日本のリーダーを戒め、危機を克服するための精神論を説きました。震災復興の長期的な目標は、徳のある社会を作り出すことであり、物質と精神の復興がなされてこそ、人々が安心して日常生活を送ることのできる社会になると考えたわけです。

震災復興に向けて

関東大震災後の渋沢栄一から学ぶ最大の教訓は、経済界や民間財団が"民"の力を結集して、次々とビジョンやアイデアを提案し、政府を後押ししながら、自らが新しい日本を築くという強い責任感を持って行動することです。研究部では、"震災復興への知的貢献"を目標にして、今後中長期にわたって新たなプロジェクトを立上げ、活動していきます。

ところで、今回の大震災は研究部の活動にも影響を及ぼしました。第2回早稲田-ポートランド合同寄付講座(8月3日〜10日・早稲田キャンパス)は、1年延期となり、2012年に早稲田大学、2013年にポートランド州立大学で開催します。東京大学のヘボン=渋沢記念講座(7月27日-8月5日)と関西大学での公開講座(7月23日開催)は予定通り行います。

3月中旬以降、米国、カナダ、中国、韓国などで大震災についての特別シンポジウムに参加し、渋沢栄一の関東大震災後の活動を紹介しました。6月8日には東京商工会議所と共催で、東日本復興シンポジウム「渋沢栄一の経験から考える、いま「民」にできること」を開催しました。今後も復興の状況を見ながら、被災地での復興へ向けてのシンポジウムやセミナーを順次開催していく予定です。

最後に東日本大震災に対して、今まで研究部活動に参加した研究機関や研究者からお見舞いや激励のメッセージをいただきました。心からお礼申し上げます。今後も、日本の復興状況を随時お伝えしたいと考えています。同時に、国内外識者の見解や世論の動向を学び、今後の研究部活動への示唆を得たいと考えています。

(研究部・木村昌人)


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