研究センターだより

9 引越、新メンバー/鶴見太郎さんを迎えて/2007渋沢北米セミナーの事前準備会議

『青淵』No.696 2007(平成19)年3月号

引越、そして新メンバー

 渋沢財団は昨年10月に新しい常務理事を迎えましたが、それに伴い研究部にもいくつかの変化がありました。まず12月に、これまでの南麻布のオフィスから財団本部がある飛鳥山に引っ越しました。今後は研究会なども財団本部で行いますし、会議のために南北線に乗って麻布から移動することもなくなりました。また研究部の事業を手伝って下さるメンバーがひとり増えましたのでご紹介します。総務部の所属です。

 −自己紹介−(総務部・加藤 晶)
 2006年12月より財団に勤務しております加藤晶と申します。研究部では今後国際的な事業のコーディネーションなどを担当する予定です。国際NGOや日本と海外の国際交流を推進する団体での勤務経験を活かして、貢献してまいりたいと思います。

それでは前回の「研究部だより」をお届けしてからの主な出来事についてご報告いたします。

鶴見太郎さんを迎えて(副部長・楠本和佳子)

 昨年12月4日、定例の研究会を開きました。今回の講師は、思想史の観点から民俗学に携わった人々の足跡を追う仕事を続けていらっしゃる鶴見太郎さん(早稲田大学文学部、近現代史)です。柳田国男とその周辺の人々についての著作をご存じの方も多いことと思いますが、最近では「『家』はいかにして戦争に対峙するか」(『岩波講座アジア・太平洋戦争 第3巻 動員・抵抗・翼賛』、2006年)という論考において、渋沢敬三とアチック・ミューゼアムについても分析なさいました。

 当日のお話は「戦時下の渋沢敬三―民俗学への現代的課題―」と題され、「果たして帝国日本に"学知"などあったのか」という問いかけに対し、敬三の植民地へのまなざし、そして民俗学を守ろうとする姿勢を「学問に対するすぐれて実践的な営み」と評価し、敬三の存在を「戦前の日本に辛うじて"学知"はあった」とする根拠として論じられました。

 個人の軌跡を歴史の流れの中に置きつつ語る鶴見さんらしいお話を聞かせていただいたわけですが、研究会の翌日のメールのやりとりで、「いまや渋沢敬三を直接知らない人の方が、自由にその人柄や学問の良い部分に近づき、それらを実践面で役立てることができるということもあるのではないか」と書いていらっしゃいました。これは、前回(2006年10月)の研究会で佐藤健二さん(東京大学大学院人文社会系研究科、社会学・文化資源学)が柳田国男について仰っていたこととも重なります。佐藤さんは柳田国男を神格化する人々が作り上げた柳田像や、柳田自身が語った柳田像のみが真実ではないのだと仰いました。様々な柳田国男があり、様々な渋沢敬三がある。いろいろな角度から照射することで、私たちはより客観的に、より深く彼らの仕事を理解することが出来るのです。

 私は海外でアカデミック・トレーニングを受けたこともあり、テリトリーにこだわらず仕事をすることを願ってきました。トピックや分野や国の違いで徒党を組んだり組まなかったりするよりも、問題意識を共有する人々とのゆるやかで自在なつながりを大切にしていきたいと思っています。その方が遙かに楽しいですし、またそれこそが(鶴見さんの言葉を借りれば)「実践的学問の営み」であると思うからです。今年度の研究会は人類学、民俗学、歴史学をキーワードに、それらの重なるところを巡って来ました。間接的なやり方のようですが、それは渋沢敬三の"実業史"的発想を踏襲する試みでもあったわけです。今後もそれは続けるつもりですが、同時に、上記3つのフィールド以外でも、財団の事業に益する情報や知識、方法論や問題意識を提供してくださる研究者・識者にお話ししていただくこともあるでしょう。既存の枠組みに囚われない、しかし確とした問題意識を持つ研究を支援する会でありたいと思います。

香港で2007渋沢北米セミナーの事前準備会議をおこないました(部長・木村昌人)

 1月13日(土)・14日(日)の2日間、香港の新界沙田にある香港中文大学歴史学部にて日米中三国の起業家行動の歴史に関する会議を行いました。本年6月15〜17日に米国ミズーリ州セントルイス郊外のシダークリーク・セミナーハウスで開催される。2007年渋沢北米セミナー(テーマ:『日米中起業家行動の比較』)では、4つの部会が設定されています。今回の会議は、そのなかの"歴史部会"のメンバーが、お互いの論文内容を検討するために開いたものです。香港中文大学会議室で、由井常彦(文京学院大学、日本経営史)、David Sicilia(メリーランド大学、アメリカ経営史・技術史)、David Faure(香港中文大学、中国経済・経営史)の三教授が各自の論文についての中間報告をし、それに対してMan Bun Kwan氏(シンシナティ大学、経済・経営史)が論評を加えました。

 2日間の議論では、1990年代以降現在に至る時期の起業家行動を考えるには、いつまで遡ればよいかが大きな話題になりました。中国は、世界中でもっとも豊かであった16世紀の明の時代から、日本は江戸時代から、アメリカは植民地時代からということになり、意外にも三国とも16〜17世紀に現代企業家行動のルーツがありそうなことがわかってきました。このほかにも「1990年代以降のグローバリゼーションが起業家行動に与えた影響は何か」など興味深い論点が提示されました。

 新界の山腹に広がる中文大学キャンパスは、カリフォルニアを思わせるような暖かで明るい雰囲気でした。中国返還から10年が経過し、香港にも北京・上海などの大都市と同様、高層ビルが乱立し、表面的にはイギリス色が消え去りつつありますが、政治システムや法曹界には英国の慣習がまだまだ残っているとのことです。


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