研究センターだより

6 中欧へ旅して/"実業史"の分野では.../第5回比較思想史研究会

『青淵』No.687 2006(平成18号)年6月号

中欧へ旅して(部長:木村昌人)

 3月8日から25日までの18日間、中欧のチェコ・スロバキア・ハンガリーを歴訪しました。3カ国合わせても日本の半分強の面積で、人口は約2,600万人ですから、プラハやブダペストといった大都市の中心部から車で15分も走ると田園風景に変わります。中欧特有のなだらかな丘陵地帯は、例年に無い寒さのため白一色の雪景色でしたが、中世のたたずまいを残す村や町が点在し見飽きることがありません。

 出張の主な目的は、笹川平和財団中欧基金の現代日本紹介講座設置プロジェクトの一環として、チェコのカレル大学とスロバキアのブラチスラバ経済大学で集中講義を行うことでした。両大学での計12回の講義では、アメリカで製作された現代日本についてのビデオを鑑賞しながら、(1)明治維新の光と影、(2)1940年代―第2次大戦とアメリカの占領がもたらしたもの―、(3)戦後日本社会の歩み―「日本株式会社」の功罪―について議論しました。学生たちの主な関心事は、なぜ日本が第2次大戦で散々な目にあったにもかかわらず世界第2位の経済大国になり、冷戦後の激動期を経て現在でもその地位を保持しているのかということにあります。この理由を説明するのは大変なことですが、近代日本社会を創造した具体的な人物として渋沢栄一の思想と行動を紹介すると学生たちは熱心に聴いてくれました。日本人から直接話を聞くチャンスが少ないというので、帰国の前日、カレル大学の学生たちと伝統的なパブで夜遅くまで語り合いました。構造改革や少子高齢化への取り組み・移民の受け入れの可否・格差社会への対応といった難問題から、漫画、アニメ、日本食ブーム、ワールドカップドイツ大会の予想まで話題は多岐に渡りました。

 今回の中欧訪問を通じて痛感したことは、グローバル資本主義社会における新しいルール作りの必要性です。中欧諸国は米ソ冷戦後、民主化と市場化を同時に進めてきましたが、21世紀に入り社会は落ち着きを取り戻し、念願のEU加盟も果たしました。しかし前途に対する希望と不安が交錯しているのも事実です。たとえばプラハはいまや世界で最も人気のある都市のひとつとなり、旧市街は世界各地からの観光客があふれ、夏はなかなかホテルの予約がとれないほどです。その一方で2度の大戦でも破壊されなかった中世以来の建築物が開発のため無造作に取り壊される光景を目にします。自由競争の活力を生かしながらも、弱肉強食に陥らないためにはどのようなルールを作ればよいのか。これは日本のみならず、中欧でも焦眉の急となっています。

"実業史"の分野では...(副部長:楠本和佳子)

 渋沢敬三と実業史研究をきっかけに新たな出会いの多い春でした。

 2月27日に実業史研究会が開かれ、ノリコ・アソウ氏(カリフォルニア大学サンタクルズ校・歴史学)に"Where the Folk Meet the Father of Capitalism: Shibusawa Keizo's Museum of Mixed Economies"というタイトルでお話し頂きました。渋沢敬三が実業史博物館の構想を具体的に書き綴った「ひとつの提案」という文章がありますが、アソウさんは、それをもとに、祖父栄一の生涯を顕彰する為に博物館を建設するという敬三の発想の独創性と複雑さを指摘。今回のお話は、推敲され、6月下旬のAsian Studies Conference Japan(於:国際基督教大学)、7月下旬のSociety for East Asian Anthropology(於:香港中文大学)の各学会で発表される予定です。これらの学会では渋沢敬三の業績を様々なアングルから分析するパネル発表を行いますので、次回の「研究部だより」でその様子をお知らせしたいと思います。

 また今春は2度のフィールド調査に出かけました。まず3月に、アラン・クリスティ氏(カリフォルニア大学サンタクルズ校・歴史学)と佐藤健二氏(東京大学・社会学/文化資源学)と一緒に、青森の古牧温泉渋沢公園と十和田湖を訪ねました。古牧温泉には、初代社長の杉本行雄氏が敬三のアドバイスに基づき収集した民俗資料を収蔵する小川原湖民俗博物館が、十和田湖には、やはり敬三のアドバイスをもとに設立された十和田科学博物館があります。それらを訪ねて関係者にお話を伺うと共に、渋沢農場跡も見学しました。渋沢史料館長井上さんにご紹介いただいた櫻庭俊美氏(前小川原湖民俗博物館々長)には大変お世話になりました。

 4月初旬には大阪の国立民族学博物館を訪ね、渋沢敬三研究で業績を上げていらっしゃる近藤雅樹氏にお目にかかり、民博におけるアチック・ミューゼアム資料の歴史と現況を教えて頂きました。また民博初代館長の梅棹忠夫氏にお目にかかり、渋沢敬三との交流についてお話を伺う貴重な機会を得ました。梅棹先生は、すでに色々な所で敬三について書いていらっしゃいますが、直接お話を伺うと、敬三に対して感じていらした精神的な絆というものを感得することが出来、心を打たれる経験でした。

 せっかく近畿まで行ったので、足を伸ばして和歌山を訪ねました。ここはもう一人の民俗学の雄、南方熊楠と縁の深い土地です。白浜市では「南方熊楠記念館」を訪ね、田辺市では、行政と市民が共に参加する「南方熊楠顕彰会」の活動について、関係者から興味深いお話を伺うことが出来ました。5月には念願の「南方熊楠顕彰館」が旧邸の隣にオープンする為、顕彰会の皆さんは大忙しでしたが、熊楠研究のクリアリング・ハウス、顕彰館、イベント開催者としての機能を備えた施設という展開は、渋沢財団とも通じるところがあります。今後の活動に大いに注目したいと思います。渋沢敬三がミナカタ・ソサエティ設立に尽力したことを「渋沢さんにはお世話になって...」と語る口調に、皆さんの熊楠への愛情を感じました。

 こうした出会いのひとつひとつが、新たな研究や事業の礎となる可能性を秘めています。研究とは、種を蒔いて育てるかのごとく、時間がかかり地味な作業ですが、また大きくなっていくのを見ることは喜びでもあります。他組織との連携への機運が芽生えてきたことも心強く、今後の展開が楽しみなところです。

第5回比較思想史研究会(木村昌人)

 3月6日(月)夕刻より南麻布の研究部で、酒井一臣氏(日本学術振興会特別研究員)が、「田口卯吉の天孫人種白人論 経済人の現実外交路線」というテーマで報告を行いました。田口卯吉【1855〈安政2〉―1905〈明治38〉】は自由主義経済の立場から、実業家・経済学者・政治家・言論人として多方面で活躍した異色の人物で、渋沢栄一とも『東京経済雑誌』 の発行や東京株式取引所の運営などで接点がありました。報告では、一見突飛とも言える「日本人白人人種論」の背景にある田口の現実主義な外交論について興味深い解釈を提示され、議論が大いに盛り上がりました。


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