史料館だより

78 渋沢史料館企画展「青淵文庫竣工100年 渋沢栄一の"美事なる図書室"」の見どころ紹介

『青淵』No.919 2025年(令和7)10月

はじめに

 渋沢史料館では現在、企画展「青淵文庫竣工100年 渋沢栄一の "美事なる図書室"」を開催しております。青淵文庫は、「青淵先生」こと渋沢栄一の傘寿と子爵への陞爵を祝い、竜門社(現・公益財団法人渋沢栄一記念財団)から青淵先生に贈られた記念文庫です。渋沢家の家紋をモチーフにしたステンドグラスやタイル、各所にちりばめられた「寿」の装飾には、竜門社の人びとから青淵先生への祝賀と感謝の想いが込められています。

 青淵先生も竜門社に、深く感謝の念を抱きました。当初は「論語」コレクションや『徳川慶喜公伝』編纂資料を収蔵する個人図書館として計画し、のちには賓客接待の場として青淵文庫を大いに活用しました。そして渋沢邸を訪れた賓客からは、"beautiful library"(美事なる図書室)と評されました。

文庫を贈りたい

 記念文庫を贈呈するきっかけは、大正8年に青淵先生が子爵となったことでした。青淵先生を慕う竜門社の人びとは、翌年11月8日の竜門社第28回評議員会で「記念書庫新築の上贈呈する」ことを満場一致で決定します。
 続いて竜門社は同月23日に祝賀の宴を開催し、青淵先生に記念の「文庫」を献呈することを発表しました。竜門社は、青淵先生がこれまで収集、保存していた貴重な文書や書籍を収めるための文庫を建築し、青淵先生にゆっくり読書や研究をしてほしいと願いました。

文庫の完成を待ちわびる

 竜門社が文庫の贈呈を発表した後、青淵先生より内諾を得て、飛鳥山の渋沢邸内に文庫を建設するための準備を進めます。建設工事は順調に進行し、青淵先生と竜門社の人びとは文庫の完成を楽しみにしていました。しかしながら、大正12年9月1日に関東地方を襲った大震災により、完成直前だった文庫は、各所が破損する被害を受けました。文庫は当初の予定から約2年遅れて、大正14年5月18日にようやく竣工しました。

文庫完成の喜びと悲しみ

 竜門社は、大正14年10月25日に「青淵先生八十寿並陞爵祝賀会・青淵文庫献呈式」を挙行し、青淵先生と竜門社の人びとは文庫の竣工を心から喜びました。とくに青淵先生は、自分を敬愛してくれている竜門社の想いに深く感謝をする旨を述べました。
 青淵先生はその返礼として、大正15年11月7日に、文庫贈呈の謝意を表す「青淵文庫寄贈答礼園遊会」を催しました。しかし、青淵先生の胸中はとても複雑でした。なぜなら、青淵先生が大切に収集、保存していた貴重な文書や書籍は、関東大震災の被害により焼失してしまったからです。文庫がもっと早くに完成していたら、どんなに良かっただろうか。そして大震災の被害を受ける前に、資料類を文庫へ収められなかったことを悔みました。

収集した資料

 青淵先生は答礼園遊会において、文庫の完成を楽しみにしていた理由を述べました。
 幼い頃より『論語』に親しみ人生の座右とする青淵先生は、その普及を図りたいと考え、各種の『論語』を文庫に集め、それぞれを関連付けたり、考証したりすることを楽しみにしていたのです。そして、青淵先生は尊敬する徳川慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』を編纂しました。その際には慶喜に関係する資料だけではなく、幕末維新期のさまざまな資料を引用・参考文献として収集しました。青淵先生はこれらの資料類を保存し、のちにゆっくりと読むことをとても楽しみにしていました。

おもてなし

 青淵先生は、渋沢邸への来訪者との面談の場として文庫を活用しました。
 文庫は邸内の入口門付近に建ち、室内は広さもあり大人数の来客対応が可能でした。また「記念品陳列室」と名付けられた部屋には、青淵先生にまつわる品々が展示されていたことから、来客と歓談する場として利用されました。

"美事なる図書室" を堪能する

 青淵文庫は、青淵先生を慕い集った竜門社の人びとの想いがカタチになった建物です。その想いは美しい意匠となり、竣工から100年を迎えた現在もその豊かなデザインに驚かされ、さまざまな気づきを与えてくれます。

おわりに

 この企画展では、青淵文庫に関する当館所蔵資料を通じて、記念の文庫を贈呈した竜門社の人びとの思い、そして青淵文庫を愛した栄一の思いをあらためてご紹介します。そして、何よりも大正モダンあふれる青淵文庫に足をお運びいただけますと幸いです。

(渋沢史料館副館長・学芸員 川上恵)


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