史料館だより

77 私と「100年建築・青淵文庫」

『青淵』No.916 2025年(令和7)7月

 旧渋沢庭園がある飛鳥山公園には、季節の移り変わりを知らせ、心を豊かにしてくれる植物たちが多く見られます。濃くなる緑と高い空に本格的な夏の到来を感じるとともに、この緑のオアシスがホッとする涼を与えてくれます。濃い緑の中に建つ白いキューブ状の建物。「青淵文庫」は、飛鳥山の渋沢邸に建設されてから、今年でちょうど100年となりました。

大正建築のデザイン

 青淵文庫が竣工したのは大正時代。まさに建築家が建築様式にとらわれず、自由に、そして豊かに表現をして、また建築様式をアレンジしながら設計を手掛けていた時代です。そうしたなかで、アール・ヌーヴォーやアール・デコという19世紀末から20世紀初頭にかけて ヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動が広まり、建築家たちにも大いに影響を与えました。
 花や植物などの有機的なモチーフはもちろん直線、曲線、幾何学文様の組み合わせなど、従来の様式にとらわれない装飾性が誕生し、また鉄やガラスといった当時の新素材が建築の中でも花開きました。青淵文庫のデザインには、幾何学文様をモチーフとした装飾、また一方で、装飾を排除した機能的・実用的なフォルムが見え隠れするなど、新時代の美意識を見つけることができます。

青淵文庫との出逢い

 私が青淵文庫と初めて出逢ったのは、四半世紀前。渋沢史料館に就職する前のお話です。当時、興味を持っていたウィーンの建築家、オットー・ワーグナーが手
掛けた「郵便貯金局」に似ている建物が、ここ飛鳥山にあると知り、緑豊かな初夏の飛鳥山を訪れました。
 青淵文庫は、ワーグナーの作品の雰囲気に似ていますが、規模感とデザインが異なり、圧倒的な建築美の感じられる美しい外観でした。開口部に施された装飾タイル、外壁表面の石材の加工など、アール・デコを彷彿とさせる期待感があり、内観は想像を超えるものでした。
 たとえば階段。ワーグナーの「郵便貯金局」にも階段は存在し、手摺の幾何学文様はどことなく似ていて、クラシックなデザインでありつつも、優美な空間が存在します。しかし、青淵文庫はこの幾何学文様に曲線を加え、さらにねじりを入れ、複雑に絡み合わせながら、さらに階段美を見せつけながら2階の書庫へ人をいざないます。
 
1階から2階へ昇るときには期待感を、そして2階から1階へ降りるときには落ち着いた閲覧室で書籍を読むという安心感、安定感を、この空間で演出しているのです。初めてこの階段を見たとき、私はこの空間、建物を語りたい、伝えたい、そんな思いに駆られました。そして、縁があり渋沢史料館に学芸員として採用され、いまも青淵文庫を間近で見続けています。

今秋の企画展

 渋沢史料館では今秋、青淵文庫の竣工100年を記念した企画展「渋沢栄一"美事なる図書室"」を開催予定です。いまから100年前、青淵文庫はどのような経緯で建設されることになったのでしょうか。そして渋沢栄一は青淵文庫をどのように利用していたのでしょうか。企画展では、あらためて青淵文庫に注目してみたいと思います。
 企画展で、私が皆さまに最もお伝えしたいのは、青淵文庫の建築美だけではありません。青淵文庫を贈呈した竜門社の人びとの思い。その思いを受け、青淵文庫を大いに活用した渋沢栄一。言葉にしなくても、カタチ、デザイン、そして行動で表現する、先人たちの心意気をご紹介したいと考えています。
 青淵文庫の保存修理工事が完了した2003年に、私は企画展「Message from青淵文庫~麗しき大正建築へのお誘い~」を担当しました。その後も、建物解説会やワークショップ、解説シートの作成など、青淵文庫の魅力を伝える活動を続けています。ずっと心がけているのは、青淵文庫をよく見ること、青淵文庫と対話をすることです。建築をよく見ること、対話をするとは、どのようなことなのでしょうか。これらを今秋の企画展でも表現したいと検討しています。
 渋沢史料館に就職する前から、そして、いまも見続けている私の大好きな青淵文庫。だからこそたくさんの「発見」があります。純粋に青淵文庫が好きだからこそ気づけた「美しさ」もありました。
 今秋、多くの皆さまに当館へお越しくださることを心より願っております。

(渋沢史料館副館長・学芸員 川上 恵)


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