MENU
『青淵』No.907 2024年(令和6)10月号
渋沢史料館で開催中の、新一万円札発行記念企画展「渋沢栄一肖像展Ⅱ 造形作品」では、渋沢栄一の「顔」に親しみを持っていただくために、当館で所蔵する絵画や彫刻、貨幣、紙幣、切手などの渋沢栄一像を紹介しています。
出品作品は、当館開館以前から財団が所蔵しているものも含み、所蔵に至る経緯が判明していない作品も少なくありません。さらにいえば、作者名が判明していない作品も複数点あり、制作経緯が判明しているものはごく一部です。
制作経緯が未詳であっても、現存している作品は貴重です。災害や空襲など、長い年月には多くの作品が棄損、消失する機会があり、銅像に至っては戦時中の「金属類回収令」により多くの作品が供出されるなど、作品が残りにくい時代を経ているからです。
本誌第904号の本欄で紹介している通り、栄一の像は多くの画家、彫刻家によって様々な機会に制作されています。本号では、栄一像の制作者5名について紹介します。
渡辺幽香(1856-1942)は、栄一の二男・渋沢武之助家に伝来した全身像(絹本著色)の作者です。描かれた大礼服と勲章の種類から、制作年代は明治27年~33年であると推察できます。幽香は江戸生まれ。父・五姓田芳柳と兄・義松に洋画を学び、女性洋画家の草分けの一人として活躍しました。明治24年に、栄一が、熊本の第五高等学校に進学した長男・篤二に持たせた、亡き妻千代の肖像画も幽香の作品です。
長沼守敬(1857-1942)は、明治35年に還暦祝いの全身像(ブロンズ)を制作しました。栄一が頭取を務める第一銀行行員一同が制作を依頼し、同年竣工の第一銀行本店中庭に設置されました。関東大震災で同店が焼失すると同行保養施設の清和園に移設、昭和47年に飛鳥山の渋沢邸跡に移され、現在もその姿を見ることができます。長沼は陸奥国一ノ関生まれ。優れた技量と品格で、日本に本格的な彫塑を確立した彫刻家です。
この栄一像については「渋沢さんは人に見られる場所に建てられることを非常に嫌ったから、顔もややうつむき加減に作り、兜町の第一銀行の頭取室のわきの小さな内庭に建てゝあった」と高村光太郎に語っています。(「現代美術の搖籃時代」『中央公論』昭和11年7月号所収)。
小倉右一郎(1881-1962)は、当館玄関の左手にある大きな首像(花崗岩)の作者です。大正5年に東京銀行集会所が喜寿祝として建立した胸像(ブロンズ)を皮切りに、7体の栄一像を制作しています。同14年に東京市養育院に対する功労を記念して建立された座像(ブロンズ)は戦時下の金属回収で台座から降ろされましたが、供出されることなく昭和32年に台座に戻りました。大正15年に帝国ホテル及び同従業員一同の依頼で制作された胸像(大理石)もまた、現在に至るまでその姿をとどめています。当館は、先述の首像の他、東京市養育院創立60周年に際し、同院が長年院長を務めた栄一の遺族に感謝を伝えるために贈られた小座像(ブロンズ)を所蔵しています。小倉は香川県生まれ。人物像を得意とし、ブロンズだけでなく大理石、花崗岩、セメントを素材としました。滝野川彫刻研究所を開設するなど、後進の育成に尽しました。
堀 進二(1890-1978)は、判明しているだけで6体の栄一像を制作しています。当館は大正6年銘の石膏像と、階段設置の胸像(ブロンズ)を所蔵しています。石膏像は、如水会(東京高等商業学校の同窓会)の依頼で制作された喜寿祝の胸像(ブロンズ)の原型です。ブロンズ像は関東大震災で破損し、同15年の如水会館復興に際して原型から再び鋳造されました。なお、再鋳造の像も、太平洋戦争中に同会館に駐屯した部隊により供出されたため、昭和39年に再度原型から鋳造されました。昭和2年に如水会が東京商科大学に寄贈した胸像(ブロンズ)は破顔の像で、堀がカメラの横から指人形「ヒョットコ人形」を登場させて栄一の笑顔を引き出したというエピソードが残っています。この他にも、明治百傑殿や手形交換所のために栄一像を制作しています。当館階段に設置の胸像(ブロンズ)は、同31年に竜門社70周年記念で旧渋沢邸内に建立されましたが、像には昭和10年の銘があり、制作経緯はわかっていません。堀は東京生まれ。太平洋画会研究所で塑像とデッサンを学び、太平洋美術学校の初代校長を務めるなど、後進の育成に努めました。
柳 敬助(1881-1923)は、大正9年に栄一像(油彩)を作成するために、飛鳥山の渋沢邸を何度も訪れました。登場初日2月5日の栄一の日記には「柳敬助氏来ル、肖像画ノ事ニ付商業会議所ヨリノ嘱ニヨル」とあり、制作の依頼者はかつて栄一が会頭を務めた東京商業会議所であることを伝えています。肖像画制作の目的については明らかにできていませんが、東商がこの栄一像を所蔵していたことは、同12年に急逝した柳の追悼展覧会の記録で確認することができます。三越呉服店4階で開催された展覧会は、実質初日となる招待日に起きた関東大震災で出品作品を焼失。東商の渋沢栄一像も灰燼に帰しました。柳は千葉県生まれ。東京美術学校西洋画科で黒田清輝に学び、その後単身渡米。帰国後は肖像画家として多くの作品を手がけました。
企画展「渋沢栄一肖像展Ⅱ」は、11月24日まで開催いたします。皆様のご来館をお待ち申し上げます。
(学芸員 永井美穂)