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『青淵』No.895 2023(令和5)年10月号
渋沢史料館では今秋より「新一万円札発行記念企画展 渋沢栄一肖像展Ⅰ」を開催いたします。2024年度に発行される新一万円札の肖像は、栄一が古希(数えで70歳)を迎えるときに撮影された肖像写真を参考に描かれたものです。新一万円札の「顔」となった栄一が、これから皆さんの日常生活のなかで親しまれていくことを期待しています。
栄一を思い浮かべるときに、どのような「顔」がイメージされるでしょうか。栄一の姿は写真や映像、絵画や彫刻などの作品で今も目にすることができますが、まだまだ広くは知られていないようにも感じます。そこで渋沢史料館では、栄一が肖像となった新一万円札が発行されることを記念して、計2期にわたり、栄一の「顔」を伝える作品や資料をご紹介します。そして本年10月から開催する企画展の第Ⅰ期では、栄一の肖像写真に注目します。
栄一が生きた江戸時代末から昭和初期は、写真技術が海外から日本に伝えられ、そして写真が一般に広く普及する時代でした。栄一が「写真」を初めて知ったのは、いつのことであるのかは分かりません。現在、当館で確認できる最も若い時期に撮影された栄一の肖像写真は、髷・和装のいわゆる「サムライ姿」のものです(写真1)。
この写真は、栄一が慶応3年に将軍名代の徳川昭武に随行して渡仏した時に撮影されたものと思われますが、撮影年月日が判明していません。徳川昭武一行の記録「御用日記」には、日本からフランス・パリへ向かう途中、マルセイユにて「朝御写真被為取」(慶応3年3月1日条)、さらに「朝十時頃公子をはしめ御附添一同写真を被為取」(同4日条)との記述があり、昭武の肖像写真、昭武一行の集合写真(写真2)とともに、この時には随員たちも単身の肖像写真を撮影したと考えられます。
写真3は、栄一がフランス滞在中に撮影したものと考えられます。撮影年月日は未詳ですが、栄一が髷を切ったのは、徳川昭武一行がスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスなど欧州巡歴を終えた後、慶応3年12月頃だったと回想しており、おそらくその頃に撮影したのでしょう。
栄一は髷を切った洋装の写真をさっそく手紙に同封して、日本にいる妻・千代へ送りました。しかし、写真を見た千代は、栄一の洋装にとても驚いたようで、「御前様ハ先頃とハ事かわり、何ゆへの御事ニて、あさましく見る目もつらきよふニ存られ、いかなる御髪付(中略)もとの御かたちに成せられ召よふ願上奉候(ママ)」と、洋装が「あさましく」見るのも辛いので、元の髪形に戻してほしいと、栄一に返事を書きました。
栄一は自分の洋装を褒めてほしかったのかもしれませんが、千代には受け入れられなかったようです。千代からのクレームを受けた栄一は返事を書き、「お前の言うことは尤もだけれども、フランスに行って、そこで生活をするのだから、西洋人と同じ身なりをするのは仕方のないことである」と言い訳をしました。
明治時代以降、日本では写真技術が急速に普及していきます。そして栄一も人生の節目、記念行事、慶事、弔事、新聞・雑誌の依頼など、さまざまな場面や目的で肖像写真を撮影します。
渋沢史料館では新一万円札に描かれる肖像の参考とされた七〇歳の写真だけでなく、青年期から晩年における栄一の肖像写真を数多く所蔵しています。
本企画展では、威厳のある顔、すました顔、やさしい顔、きびしい顔、おだやかな顔など、写真にうつる栄一の「顔」をじっくりとご覧いただきます。あらためて渋沢栄一を身近に感じていただく機会となれば幸いです。
(学芸員 関根 仁)
・掲載写真はすべて渋沢史料館が所蔵するものです。
・本企画展は2023年10月7日(土)から11月26日(日)まで開催します。そして同年12月1日(金)から2024年1月31日(水)まで整備工事のため休館した後、一部展示替えを行い、同年2月3日(土)から6月2日(日)まで開催予定です。
・本企画展の詳細は、当館ウェブサイトをご覧ください。