史料館だより

58 田辺淳吉と晩香廬

『青淵』No.808 2016(平成28)年7月号

《企画展を終えて》

 今春開催した企画展「渋沢栄一と清水建設株式会社」が終了してから、2ヵ月が経つ。無事に会期を終えられたことに安堵しつつ、展示にあたって新たに生じた課題と反省をどのように次へ活かすかを考え、新たな調査を開始している。その1つは、清水建設株式会社が施工した渋沢邸に関する館蔵資料の徹底調査だ。
 渋沢栄一は、清水組(現・清水建設株式会社)に4ヵ所の住宅及び附属屋の施工を依頼した。そのうち、現存する住宅は1件で、現在は青森に移築されている。また渋沢が晩年に過ごした飛鳥山には、住まいではないが、晩香廬と青淵文庫という渋沢に贈られた記念建築がある。
 渋沢に関するその他の建物は、関東大震災や戦災により失われており、往時の姿や渋沢・家族・子孫の想いを知ることができるのは、写真、文書、映像、オーラルヒストリーなどの資料に拠らなければならない。
 渋沢邸について、今後どのような調査を進めていけばよいのか、様々に思いを巡らし、まず調査に着手したのが、飛鳥山邸の晩香廬だ。晩香廬は2017年に、竣工から100年を迎え、改めてその存在をアピールしたい建築である。また本年は、設計者・田辺淳吉が没後90年を迎えたことから、読者の皆様に、是非とも建築家・田辺淳吉を改めて紹介したい。

《田辺淳吉を知りたい》

 晩香廬を見て思う。一体、設計者の田辺淳吉とはどのような人物であったのかと想像をしてみる。この小さな空間に、明治期に日本を席巻した西洋建築の技術、様式、知識を受け継ぎ、大正時代に象徴される「自由」と「新しさ」への探究心を溢れさせ、細部に至るまで緻密に造形する。さらに、使い手=渋沢をイメージしながら、統一的な世界観で、家具などの工芸品を室内に構成し、晩香廬を非常に「完成度」、「質」の高い建築に仕上げている。そうした建築家・田辺淳吉の思考はどこから生まれたのだろうか?
 田辺は1879年、文人の町として知られる東京の本郷西片町に生まれた。田辺の父・新七郎は福山藩士で維新後は宮内省の役人となり、書画を好む人物であった。そうした影響からか、田辺淳吉も若いころから茶道、謡、小鼓を好むなど豊かな趣味を持ち、芸術的才能に優れていた。また学問では、東京帝国大学工科大学建築学科に進学し、田辺の同期には、佐藤功一、佐野利器、大熊喜邦など、のちにエリート建築家となる者たちと学びを共にした。
 1903年、田辺はトップ・アーキテクト組織を誇る清水組に入社し、大阪瓦斯株式会社、株式会社東海銀行本店や、渋沢が創業にかかわった澁澤倉庫株式会社(共同設計)などを手がけ、その後、清水組五代目技師長となる。

《晩香廬を手掛ける》

 晩香廬は、田辺が清水組技師長として、まさに活躍していた時期に設計した建物である。
 それより以前の話。技師長に就任する前、田辺は欧米視察のチャンスを得ている。渋沢が団長を務めた渡米実業団の随行員に選抜されたのだ。1909年、30歳のときであった。田辺は渡米実業団に随行しながらアメリカの先進的な建築技術を見る。しかしそれだけは満足できなかったのだろうか。アメリカ視察後に、単身でヨーロッパへ渡り、欧州各地の建築を視察し、そして多くの建築や建設現場などを写真に収めている。この田辺旧蔵の写真アルバムは、当時の田辺が海外の建築や建築場から何を得ようとしていたのかをうかがい知ることのできる貴重な資料となっている。
 このときに田辺が見た欧米の建築、そして視察経験は、帰国から7年後に設計を任された晩香廬に活かされている。欧米で撮影した写真の中には、晩香廬の外観・雰囲気のよく似た山小屋風の建物が数点ある。その建物は、イギリス・チェスター市内の中心部に、一九世紀に馬車宿として建設されたThe Coach House Innだ。現在も、ホテルとして活用され、イギリスの伝統料理を提供するなど多くの旅行者や地元の人々に利用されている。田辺はここを訪れ、将来これから手掛けるであろうまだ見ることのない自らの作品への参考にするため、これらの建物の外観やパーツなどを記録撮影している。
 晩香廬は、木造平屋建ての赤色桟瓦葺屋根で、まさにヨーロッパの山小屋を彷彿とさせるような素朴な外観だ。渋沢に贈呈される記念の建物であり、贈呈者の清水組の意向や、さらに渋沢が好む造りとしなければならなかったのは当然である。その一方で、自らの欧米視察の経験と新たに培った技術や知識を見事に調和させ、建築家・田辺淳吉の芸術的センスを存分に発揮したことも事実であろう。
 その後、田辺は1920年に清水組を退職。恩師の中村達太郎と共同で、中村・田辺建築事務所を立ち上げる。渋沢を記念する建物として晩香廬とともに現存する青淵文庫(1925年竣工)の設計を手掛け、それが最後の作品となった。

《惹き込まれる建物―晩香廬》

 晩香廬は外観だけでなく、室内にもこだわりが見える。材料、意匠、ディテールなどに凝り、細かく吟味されている。しかしながら、設計者の自己主張ばかりではない。使い手=渋沢への配慮も非常に大切にしている。それは、談話室の家具、建具などに手斧はつりの面取りが施され、応接家具の傍に置かれた火鉢は、椅子に座ったまま使用できるなど、喜寿を迎えた渋沢が使いやすいような、高さの配慮がなされている。こうした作り手の創意が何とも心憎く、贈呈された渋沢が、晩香廬を接待接客の場所として利用し、心から愛した理由がうかがえる。
 ただ、改めて強調したいのは、晩香廬は、建築家・田辺淳吉の妥協のない仕事ぶりがうかがえる「粋」な建物なのだ。ぜひ、田辺の豊かな才能が開花した建物「晩香廬」をご覧いただき、建築家・田辺淳吉を知っていただければと思う。

(学芸員・川上 恵)


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