史料館だより

38 学生寄宿舎の世界と渋沢栄一 ―埼玉学生誘掖会の誕生―

『青淵』No.739 2010(平成22)年10月号

 今も育英事業を続ける埼玉学生誘掖(ゆうえき)会は、明治35(1902)年、渋沢栄一を会頭として在京の埼玉県出身学生のための寄宿舎設置、奨学金貸与など育英事業を展開することを目的に誕生しました。
 栄一の教育事業については、商業教育や女子教育などが有名ですが、育英事業との関わりについてはあまり知られていません。そこで、栄一の誘掖会創設への関わり、その永続に尽くす姿や学生たちとの交流を通して、栄一と育英事業との関わりの一端をご紹介したいと思います。

学生たちの寄宿舎設置運動

 明治維新後、立身出世主義の時代を背景に、埼玉県出身の青年たちも大志を抱き、東京で学生生活を送るものが増えていきました。明治22(1889)年、埼玉県出身の在京学生たちが結集し、埼玉学友会を結成し、やがて埼玉県出身学生のための寄宿舎をつくろうと運動を起こしました。栄一は学友会会頭に就任しますが、当初、寄宿舎やそれを運営する育英会創設には消極的でした。そうした栄一の姿勢に対し学生などから不満が出ていたようです。本多静六(日本初の林学博士)によれば、「渋沢さんが冷淡だと云って、私の子分の様な者達が激昂して渋沢をやっつけろ等と云っていきり立」っていたといいます(「本多静六談話筆記」)。

栄一の真意と本多静六

 学生などの不満を抑えつつ、代弁する形で本多静六が動きはじめました。静六は、諸井恒平(日本煉瓦㈱)などにも賛同を得て、竹井澹如(初代埼玉県会議長)を通して栄一に打診を行います。
 そして、明治33(1900)年秋のある夜、静六は深川福住町の栄一邸を訪問します。玄関脇で栄一の帰りを待ちつづけ、夜11時過ぎ、どてらを着て出てきた栄一と初めて面会することができました。しかし、栄一は、静六に新育英会設立について、「元来斯フ云フ事ヲヤルニハ、主ニナツテヤルヒトガ先ヅ以テ自分デ金ヲ出シ然ル後ニ人ニスヽムベキモノダガ、自分デ出サズニ、人ノ所ニノミ勧メニ来ルナゾハ、初メカラ間違ツテ居ル」と言います。静六はすかさず、会設立基金として腹巻に入れてきた自分の年収三分の一にあたる300円を栄一に差出します。栄一は静六の誠意を強く感じ、埼玉県出身学生のための育英団体設立への支援を約束しました(「本多静六自叙伝原稿」)。
 栄一は、当初、新育英会設立を承諾しなかった理由について、「事を創むるは易く、終りを完うするは難きに因ればなり。世の事業を見るに、多くは中途にして失敗に帰し、寧ろ始めより為さざるか如かず」と思ったからと述べています。(『埼玉学生誘掖会十年史』)。また「此会など自分一人の力で立つるは、敢て難事でない。併しそれでは渋沢一人の私有物となってしまう、私は此会を埼玉県人全体の精神の籠ったものとしたいのだ」とも語っています。(斎藤阿具「埼玉学生誘掖会と青淵先生」)。こうした言葉から、栄一はほとんどを自分が出資し、新育英会を創設したところで、多くの人々の関わりや熱意を得ていない事業は、維持、永続するものではなく、かえって悪影響を与えかねないと考えていたと思われます。静六に出資を求めた栄一の真意も、そうした点にあったのでしょう。


栄一、本多静六ら役員と寄宿舎学生たち
大正2(1913)年10月26日(唐澤章氏所蔵)

栄一の決意

 それ以降、栄一は静六などとともに新育英組織である埼玉学生誘掖会創設に向けて尽力していきます。埼玉県知事、各郡長とも連携をとり、埼玉県内、京浜地方在住の同県出身者などにも出資、支援を求めました。明治35(1902)年、誘掖会を発足させ、栄一は会頭に就任します。そのときの心境について「自分ガ引受ケタ其時ニ自分ハ死ヌ其日迄会頭ノ任ヲ退カヌト決心シタ」と述べています(『埼玉学生誘掖会百年史』)。明治37(1904)年には東京市牛込区市谷砂土原町に念願の学生寄宿舎を完成させました。

寄宿舎学生たちへの思い

 栄一は、茶話会、創立記念祭や柔道・剣道大会などの行事の際に寄宿舎を訪れました。多忙でありながら、栄一はそれらの行事には、必ずといっていいほど出席しました。そうしたときには、学生と一緒に夕食を食べ、「噛んで含めるような語調で、諄々(じゅんじゅん)として」講話をしたり、学生の余興を「演壇に近い先輩席の筆頭」で「慈父の如き温容」な様子で見る栄一の姿があったといいます(諸井貫一「青淵先生と青年の指導」)。夜10時、11時頃まで寄宿舎で学生と車座になって語り合うこともしばしばでした。それら行事の打合わせで寄宿舎学生が、早朝、約束もないまま、飛鳥山邸の栄一のもとを訪れることもたびたびありました。学生たちが帰るときに、栄一は玄関まで愛想よく見送ってくれたといいます。行事がないときでも、時間ができたときは寄宿舎に立ち寄り、学生と友に夕食をとりながら語り合うこともありました。栄一は、常に学生たちの育成・指導を思い、学生たちとの交流の機会を大切にしました。

 当館では、平成18(2006)年、財団法人埼玉学生誘掖会より資料をご寄贈いただきました。そうした資料からは、栄一と誘掖会、その寄宿舎学生たちの生活の様子が伝わってきます。さまざまな人々が集まった学生寄宿舎の世界の広がりを、郷土出身の学生たちに対する栄一の思いを通してご覧いただく企画展を10月2日から11月23日まで開催いたします。ご来館をお待ち申し上げます。

(学芸員 桑原 功一)


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