史料館だより

39 「見える」渋沢栄一へ

『青淵』No.742 2011(平成23)年1月号

 新年明けましておめでとうございます。

 昨年が生誕170年、そして今年が没後80年を迎える渋沢栄一。まさに歴史上の人物ですが、その過去の人物へのここ数年続いている注目が、今なお衰えを知りません。なぜ、ここまで注目されるのかについては、昨年1月の本欄でお伝えした通りです。渋沢栄一の原著の復刻版や現代語訳の出版が続き、また、数多くの講演依頼や、それらへの参加者数の多さなどからも実感させられています。昨年9月に宇都宮で開催した「企業家精神再発見」事業の盛り上がりなどにもそのつながりが感じられます。
 巻頭の、渋沢理事長の年頭ご挨拶にもありますように、リーマンショック以降、世界的に経済が困難な状態に陥り、この先も見通せない状態が続くようです。実は、渋沢栄一が注目度を増す時というのは、1990年頃のバブル経済崩壊以降、世の中の状態が悪い場合が多いのです。そういった意味からも、渋沢栄一への注目度が増し続けている現状にあっては、世の中の困難な度合いもはかり知れないところなのでしょう。
 渋沢理事長の年頭ご挨拶では、このような状況下での、当財団の事業運営のあり方にも触れられています。昨年9月に公益財団法人への移行が済み、新法人としての2011年以降の中期計画の策定に取りかかっていますが、現在の経済状況の中にあって、どのような運営をなすべきかを模索し、本年3月の理事会・評議員会で決定される予定です。
 これまでの7〜8年の間、「可能性を求めて」ということで、事業の拡大路線がはかられ、個々の事業の充実度が増しました。着手して、軌道にのせるということでは、ある程度、やるべきことはやり遂げたといっても過言ではないでしょう。あとは、この状態をどのように育てていくかといったことを考えなければならないと思います。そこで、次の5年程の期間、さらにその先を見越した計画として、どうすべきかを少し考えてみたいと思います。
 博物館には、その顔ともいうべき「展示」があります。残された史資料を活用し、関連する様々な情報とともに、よりわかりやすく見せるものです。つまり伝えたいテーマを「見える」ようにするのです。出版物などとは違った表現方法によって、身体全体で感じ、理解を深めることが出来たりします。渋沢史料館でも、13年前に現在の常設展示を公開し、毎年、様々なテーマを絞った企画展などで、皆様に渋沢栄一の事績を中心に、その背景や関連事象といったことをお伝えしてきました。時の流れに応じてその見直しも試みてきました。
 また、当財団では、これまで持ち得なかったり、知り得なかったりした史資料・情報の収集につとめ、所蔵する史資料・情報のデータベース化、デジタル化を推進。さらには、財団スタッフのみならず、外部の研究者たちとのネットワークが構築され、あらゆる角度から考察を加え、例えば、「渋沢栄一が生きていたら...」という視点からの提言を導き出すことなどにも挑んできました。このような整備の進んだ機能が相重なり、渋沢栄一の「見えない」とされてきた部分も「見える」ようになってきたのです。
 現在の注目度増加の要因の一つには、これらの成果もあげても良いでしょう。
 ところで、私たちは、渋沢栄一という「人物」を伝えるという大きな目的を持っています。先に示したような事業を通じて非常に多くのものが「見える」ようになりましたが、さらに「見えない」部分をどのように探っていくかということが、次の大きな命題となると思います。
 例えば、渋沢栄一が事業を起こす、事業体を維持する、それらの際の苦悩、葛藤、迷いなどに加え、晩年の自分の位置づけや、公人と私人との狭間での気持ちの揺れなどが考えられます。このようなものを「見える」ように出来れば、本当の意味で「人物」を伝えることになるのでは-と思ったりします。
 また、博物館の立場でいえば、これらのことが、展示にはなかなか置きかえられないものとされてきた中で、その可能性を求めて模索してみる、検討を重ねてみてはどうだろうかと思います。そのためには、これまでにも試みてきたことでもあるのですが、まず、生きた時代背景をしっかりと捉えなくてはなりません。そして残された史資料を幅広い領域から重層的に、体系的に、多角的に分析し、よく言う資料の行間を読み解かなければなりません。そのような積み重ねから見えてくるようになると思います。
 世界的に経済が困難な状況にある影響を受け、見通しの立たない中で、当面の事業の縮小、経費等の削減をはかりながら、渋沢史料館としては、財団事業の大きな柱である博物館事業を粛々と遂行しつつも、その博物館を進化させ、新たなる博物館像として世に問えるよう、考えをめぐらす貴重な時間として使って行きたいと思います。
 先に述べた、「見えない栄一」を「見える栄一」をと試みたいかと思います。この試みに向けての基盤が、この7〜8年の間に整ったことは、先に述べた通りです。さらにこれらの機能を高め、そして一つに融合させていくことが必要になると思います。
 2011年以降の5年程は、少しゆとりある時間を過ごすことになるかもしれませんが、その時間は成長にむけての意義ある充電期間となることでしょう。
 渋沢栄一の事績・思考を見直し、その評価を広い視野に立ち、幅広く耳を傾け、その時の状況をしっかりと把握しつつ、適切なプラン構築に繋げる力をも養っていきたいと思っています。「企業家精神再発見」ではありませんが、渋沢栄一、渋沢史料館、渋沢栄一記念財団の再発見につながることに期待をよせて見守って頂ければと存じます。                                                                  

(館長 井上 潤)


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