史料館だより

37 渋沢栄一と関東大震災

『青淵』No.736 2010(平成22)年7月号

 今年で3回目を迎える渋沢史料館のテーマ展 シリーズ"平和を考える"は、国際親善と世界平和に尽力した渋沢栄一の活動を知ることで、平和を考えるきっかけとしていただくための展示です。
 今年が関東大震災復興80年であることから、今回は、渋沢栄一の関東大震災に関する仕事に注目しました。人々の平和な日常を回復するために、渋沢栄一が行った活動を紹介します。

その時渋沢栄一は!


 大正12年9月1日に発生したマグニチュード7.9の地震は、近代的首都機能を備えた東京、横浜を中心とする関東地方の広範囲に甚大な被害をもたらしました。
 渋沢栄一は、兜町の渋沢事務所でこの瞬間に遭遇しました。書斎で執務をしていた栄一は、激しい揺れでマントルピースの上の大鏡やシャンデリアが落下する中を、事務所職員と共に避難しました。事務所の壁は崩れ落ち、建物は全体に大きく傾いていたと伝えられています。まさに間一髪。栄一は難を逃れることができました。
 栄一は、崩れた渋沢事務所に保管されていた資料などを、翌日運び出そうと考えていましたが、その夜、事務所は火災に遭って全焼してしまいます。この火災による被害は、関係会社・事業の重要な書類ばかりでなく、徳川慶喜の伝記編纂(へんさん)のための資料にも及びました。栄一は、火災についての不注意を悔み、度々その後悔を語りました。

こういう時にこそ

 幸いなことに、飛鳥山の渋沢邸は、部分的な被害を受けるにとどまりました。栄一たちは埼玉県から米を取り寄せ、滝野川町に炊き出しを斡旋(あっせん)し、渋沢邸はその拠点になりました。
 当時栄一は83歳。資産家の家を焼き討ちにするというデマもあり、栄一の身を心配した子どもたちは事態が落ち着くまで故郷深谷への避難を勧めます。しかし、栄一は「わしのような老人は、こういう時にいささかなりとも働いてこそ、生きている申し訳がたつようなものだ」としかりつけて、数多くの震災救護・救援・復興事業を積極的に進めました。

協調会の救済・救援活動

 9月4日、栄一のもとを内務大臣・後藤新平の使者が騎馬で訪れました。午後に内務大臣官邸に来るようにという簡単な書面に記された栄一の肩書は、「協調会副会長」というものでした。協調会は、労働者と資本家の協調を目指した労働団体で、栄一は設立以来その活動に尽力していました。後藤は、罹災(りさい)者の救護・救援活動を協調会に依頼します。その後、栄一は協調会と内務省とを行き来し、収容所、炊出場、情報案内所、掲示板、臨時病院など、罹災者のための施設設置を進めました。

大震災善後会

 9月9日、東京商業会議所に約40名の実業家が集まりました。座長を務めた栄一は、民間有志による救護・復興に関する組織を提案します。同日、これに貴族院・衆議院議員有志も加わって、大震災善後会が結成されました。善後会は、その目的を「罹災者救済及び経済復興」と定め、資金配付が必要な事柄の調査と寄付金の募集を始めます。
 栄一は、民間ならではの迅速さと、苦境に追い込まれた多様な立場の人への細かな配慮が必要だと考え、善後会をその拠点に定めました。そして内外の実業家に寄付を呼び掛け、積極的に資金を集めます。善後会は、孤児院や、労働者のための託児所の設置、罹災外国人への支援など、多くの事業に資金を配分しました。

帝都復興審議会

 9月16日、栄一は山本権兵衛首相から帝都復興審議会委員就任の要請を受けました。国務大臣待遇であると聞いた栄一は、政治に関係しないという主義を伝えてこれを断りますが、首相の熱意に折れて就任を承諾します。
 帝都復興審議会は、政府の震災復興担当部局である帝都復興院の諮問機関として、閣僚、民間有力者などで構成さるものでした。閣外の委員たちは、帝都復興院提案の予算規模について疑問を呈し、審議会は紛糾します。
 この中で栄一は、都市計画中心の復興院案に対して、東京が経済発展するための港湾整備が重要であるという立場をとります。築港への着目は、明治初期の東京会議所時代にさかのぼるものでした。栄一のすべての活動を支え、育ててきたのは、近代都市・東京建設に対する意思と責任であったことがうかがわれます。東京会議所につながる江戸町会所を設置した、松平定信を尊敬してやまない栄一の活動の信念は、当時と変わらないものでした。

精神の復興を

 栄一は、震災復興に対するコメントの中で、東京が未曾有の大災害に襲われたのは、世の中を戒めるためのものであるという、いわゆる「天譴(てんけん)論」を唱えます。そして、国民の心が弛緩し、道徳心の頽廃(たいはい)著しく、贅沢で軽率な世の中になったことを指摘し、質実剛健にして再起することを説きました。

 当館では、テーマ展 シリーズ"平和を考える"「渋沢栄一と関東大震災―復興へのまなざし―」を8月7日から9月23日まで開催いたします。展示資料を通して、震災復興に尽力した渋沢栄一の活動を知っていただければ幸いです。ご来館をお待ち申し上げます。  

(学芸員 永井 美穂)


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