史料館だより

17 はじめまして

『青淵』No.676 2005年(平成17)7月号

 4月1日から渋沢史料館で学芸員として勤務しております、永井と申します。専門は日本民俗学です。歴史ある財団の博物館で働く機会をいただいたことを、幸せに思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 渋沢史料館で民俗学ということに対して、違和感をおぼえられる方もいらっしゃることでしょう。そこで今回は、渋沢史料館で民俗学の学芸員に何ができるかを、実業史と渋沢敬三という視点から考えてみたいと思います。
 渋沢敬三は、1930年代から40年代にかけて「日本実業史博物館」を建設する構想を持っていました。日本実業史博物館とは、栄一の生誕100周年を記念して当財団の前身である財団法人竜門社によって計画された博物館で、栄一の偉業の顕彰と近世経済史の展観とを目的としたものでした(同博物館については「渋沢史料館だより」222号、248号で紹介されています)。建設予定地は飛鳥山の渋沢邸内。敬三と竜門社のもと、資料蒐集や建物設計などの準備は着々と進められましたが、戦時下の経済統制の影響から、同博物館の建設はかないませんでした。
 同博物館のために蒐集された資料は、主に近世経済史展観室のためのものでした。これらは錦絵や番付などの刷物類、地図、貨幣、写真、書籍の他に、道具などの器物資料等、江戸後期から明治までの経済史の各部門の変遷と発展とを示すものです。これらの資料は文部省史料館(現在の国文学研究資料館)に寄託、その後寄贈されました。文部省史料館ではこの資料群を「日本実業史博物館準備室旧蔵資料」として受け入れ、現在に至っています。
 当財団でも、敬三の「日本実業史博物館」構想の再評価がなされています。昨年度セントルイスで行われた展覧会『日米実業史競』や、実業史研究情報センター、研究部の実業史関連プロジェクトなどはその一環です。
 さて渋沢敬三は経済人としての活動の傍ら、私費でアチックミューゼアム(以下アチックと略す)を主宰していました。物心ともに同人たちの活動を支え、民俗学、民族学の発展に尽くしたことで知られています。民俗学の分野において、柳田国男、折口信夫と並ぶほどの功績を認められているのです。
 アチックでの活動は、文書などの文献資料と同じように有形の民俗資料の資料性を認めて調査蒐集するという、画期的なものでした。最も活動が盛んだったのは1930−40年代。この時代、敬三はアチックの活動の中で、実業史の一つの側面である、日本の近代化を支えた人たちについての優れた記録を残しています。

吉田三郎と渋沢敬三 秋田天王村にて1953年8月(渋沢史料館蔵)
■吉田三郎と渋沢敬三 秋田天王村にて
1953年8月(渋沢史料館蔵)

 農業を営む吉田三郎による『男鹿寒風山麓農民手記』、漁師の進藤松司による『安芸三津漁民手記』は、1930年代にアチックの彙報として刊行されたものです。吉田も進藤も学歴は小学校卒業まで。しかしその内容は、実際に携わったものでなければ書けない意味あるものでした。敬三は『安芸三津漁民手記』の序文で「実際本書は進藤君の血と汗とで書かれたものなのだ。単なる資料でもなければ外来者の観察でもない。同君多年の苦心の結晶であり、漁撈家としての現実の叫びであり、また同君の体験を通じて吐露された瀬戸内漁民の理想と希望でもある」と記し、これらが現実の「経験的記録」といえるような貴重なものであると記しています。農業、漁業を営む中での経験としての知識や改良の様など、まさに実業の記録です。

 今後、民俗学の立場から、敬三が行った活動の中にある日本の近代化を支えた人たちに対するまなざしをとらえ、分析していくことが必要になってくることと思います。いや、必要となるのは民俗学だけではないでしょう。渋沢敬三という人物を、よく理解することが重要です。
 当館では栄一関連のみならず、敬三に関する資料も多数所蔵しております。今後、学んできたことを生かしながら敬三に関する資料を活用し、当館の事業に反映していきたいと思います。

 さて、渋沢史料館には教育普及、日本近代史、日本民俗学という異なった分野の学芸員が3人揃いました。学芸員という同じ職種であっても、それぞれ違う視点を持っており、日々刺激を受けあっています。専門が違うからといって、各自が全く別の資料に向かうのではなく、同じ資料群に対して意見を交換することができることはとても面白く、勉強になります。
 とはいっても、それぞれが専門とする分野を持っているわけですから、渋沢史料館という場の中での役割を見つけて動いています。さらに、お互サポートしあうことによって、それぞれの専門性を伸ばすことができるのではないかとも思っています。
 当館学芸の現場を支えてきた井上館長の下、お互いに専門性と経験とを十分に生かしながら連携をはかり、博物館としての渋沢史料館について深く考えながら形にしていくつもりです。私たちの活動は、展覧会やイベント、本誌を通じて、皆様にお伝えできることと思います。ぜひ、渋沢史料館に足をお運びください。

(学芸員 永井 美穂)


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