わがまちの渋沢栄一

13 竜門社支部

『青淵』No.923 2026年2月号|情報資源センター

 今、この記事をお読みになっている方の多くは渋沢栄一記念財団の維持会員組織「竜門社」の個人会員、もしくは団体会員であろうかと思います。昨年(2025年)10月に東京・丸の内にある日本工業倶楽部で開催した第221回竜門社会員総会にご参加いただいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。同総会では当財団の事業報告や今後の事業計画のお知らせのほか、竜門社支部の活動についてご紹介いたしました。
 「竜門社支部」とは一体何か。どこにあるのか。総会会場でもご質問いただきましたが、竜門社支部についてご存知ない方も多いかと思います。本連載「わがまちの渋沢栄一」では何度かご紹介した竜門社支部ですが、今回はその生まれた経緯やこれまでの歩みを振り返ってみたいと思います。

「竜門社」の歴史

深川邸書生部屋 渋沢篤二撮影(明治35年頃)(「渋沢栄一フォトグラフ」より)
深川邸書生部屋 渋沢篤二撮影(明治35年頃)
(「渋沢栄一フォトグラフ」より)

 まず竜門社について確認しましょう。当財団の前身である竜門社は1886(明治19)年4月、渋沢栄一を慕い、東京深川の渋沢邸に寄寓していた書生たちが、互いに勉学に努め、成果を発表する会を結成したことに始まります。その指導に当たっていた栄一の従兄、尾高惇忠が、「鯉が滝を登って竜になる」という中国の故事に因み、この会を「竜門社」と命名しました。竜門社は結成まもなく機関誌『竜門雑誌』を創刊していますが、当誌『青淵』はその後身とも言えるものです。
 1888(明治21)年には「竜門社規則」が作られ、その活動は次第に組織的なものとなっていきます。初代社長には栄一の長男、渋沢篤二が就任しました。現在まで続く会員総会(当時の呼称は総集会)の第1回は同年11月3日に王子飛鳥山の曖依村荘で開催しています。
 栄一の活動は実業界にとどまらず、自らが唱える「道徳経済合一説」に基づき、教育、社会福祉、民間外交などの分野にも拡がっていきます。それに伴い多くの人びとの思慕と共鳴を得て、竜門社の活動も年々活発となりました。
 栄一の助言に従って会員一同で協議の末、1909(明治42)年、主義綱領を定め、社則を改め、新しい組織となりました。さらに1924(大正13)年、竜門社は財団法人に改組。竜門社は、栄一の関与する事業の成長と、竜門社を支える人びとの増加と相俟って財政・事業ともに充実し、出版や講演会活動などを通じ、当時の日本経済・文化面に大きく貢献することができるようになったのです。
 1931(昭和6)年、栄一が亡くなると、竜門社はその遺志を受け継ぎ、時代を超えて実践する組織として新たな使命を担うことになります。栄一の事蹟や思想・精神を後世に伝えるための伝記資料編纂事業はこの時期に開始されています。
 その後、戦争等により竜門社は存続の危機に立たされますが、栄一の嫡孫である渋沢敬三を中心に再建され、1946(昭和21)年には、栄一の遺徳顕彰活動を行っていた財団法人渋沢青淵翁記念会と合併。渋沢青淵記念財団竜門社として再出発しました。
 竜門社結成から本年(2026年)で140年。当財団は戦後復興から高度経済成長、バブル崩壊など激動する日本経済・社会において栄一の生涯と事績を伝え、またその思想・精神を社会の中で生かしていく取り組みを行っています。現在、財団の名称は「公益財団法人渋沢栄一記念財団」となっていますが、会員制度の中で「竜門社」の名称は生き続けています。

「竜門社支部」とは

 戦後、未だ復興の途上にあった日本。これまでのあたりまえがひっくり返り、誰を、何を信じて生きてゆけばいいのかわからなくなった時代に竜門社支部は産声をあげます。渋沢青淵記念財団竜門社が発足してから間もない1946(昭和21)年12月23日、横浜商工会議所で地方懇談会が催されました。同会では竜門社役員や地元有力者出席のもと、栄一の活動に関する講演や日本の将来についての談話等がありました。この地方懇談会は「将来特に進出すべき事業の一つ(注1)」とされ、当面の間、竜門社の注力する活動であった事がうかがえます。
 横浜での開催に続いて、翌年には浦和(埼玉)、静岡、千葉、水戸、名古屋、四日市、岐阜、さらに1948(昭和23)年には大阪、京都、神戸、岡山、宇都宮、日光、前橋、伊勢崎、甲府、諏訪(岡谷)、郡山、福島、仙台と全国各地で同様の懇談会が開かれました。この地方都市での活動は好評を博し、地方在住の竜門社会員増加につながります。先に竜門社と合併した渋沢青淵翁記念会には、全国の商工会議所役員が多く所属していたこともあり、地方でのネットワークづくりに役立ったといいます。
 こうして全国各地に生まれた地方会員の集まりが竜門社の「支部」の結成につながっていきます。1948(昭和23)年6月28日、竜門社の寄付行為に6条からなる「支部規定」が加えられ、支部の設立が奨励されました。支部規定第2条には「支部は本社の主義の研究弘布に努め、又会員相互の親睦を図ること」とその目的が記されています。支部設立の世話役は地域の有力者や銀行、商工会議所が担うことが多かったようです。

支部結成の歴史

 支部規定が作られてから約半年後の1948(昭和23)年12月10日、初の支部「埼玉支部」が結成されました。同日、埼玉銀行本店において発会式が執り行われ、明石照男理事長ら財団の役員が出席しています。各支部の結成については『青淵』誌面で報告されますが、埼玉支部については、残念ながら結成時期が『竜門雑誌』終刊と『青淵』創刊のちょうど狭間の期間にあたっており、記事にはなっていません。
 翌1949(昭和24)年には前橋、伊勢崎、諏訪、下諏訪、神奈川県(のち神奈川に改称)の各支部が結成。以後全国各地に竜門社支部が結成されていきました。またしばらくは並行して地方懇談会も継続しています。
 支部の数は年々増加し、年によって増減はあるもののピーク時で北は北海道、南は熊本まで全国に61の支部が活動していたことがわかっています。活動が最も盛んだったのは1960年代から1990年前半までの間で、日本がちょうど高度経済成長からバブル経済の時代にあたり、経済大国として世界に飛躍していく時期と重なります。
 2025年時点では諏訪、京都、仙台、山形、野田、盛岡、秋田、酒田、宇都宮、香取、氷見、岡谷、小諸、海匝、茨城、白河、深谷の全17支部が活動を行っています。

『青淵』にみる支部の活動

 前橋・伊勢崎両支部結成を報じた1949(昭和24)年9月号以降、本誌『青淵』には支部の紹介や活動の記録が掲載されていきます。
 支部の活動が主に紹介されたのは、財団の活動を伝える「竜門社だより」のコーナー(注2)です。コーナー初回には「埼玉県支部総会」と「仙台竜門社会員の集会」の2記事を掲載(注3)。「埼玉県支部総会」については、1951(昭和26)年4月14日午後2時より秩父市産業館で総会を行ったのち、支部と秩父商工会議所の共催による公開講演会を開催。聴衆は約100名であったと記録されています。講師として日本興業銀行頭取、経団連会長に加え、竜門社本部からは渋沢秀雄、明石照男が登壇しています。
 近年の支部活動においても記念講演会を行っている支部が多いようです。以前本連載でご紹介した海匝支部(注4)をはじめ、仙台支部や野田支部、深谷支部などで講師を招いた記念講演会を開催しています。
 講演内容は講師や時代情勢によるところが大きいようですが、栄一の生涯や思想・精神をテーマとするほか、政治経済、労働問題、国際関係、芸術・文化など様々な論題が取り上げられています。
 『青淵』では「竜門社だより」以外でも支部について紹介する場合がありました。1954(昭和29)年6月号(第63号)から1955(昭和30)年2月号(第71号)まで続いた「支部便り」では、各支部の会員が支部結成の由来や近況報告、ご当地の紹介等を執筆しています。記事それぞれは大きなものではありませんが、地域も書く人も違うので特色ある内容が目を引きます。支部の中には結成から70年以上が経過し、会員の世代交代が進んだところも少なくありませんので、各支部の歴史を振り返る際にも貴重な記録です。当情報資源センターでは支部の由来についてお問い合わせをいただくこともあり、「竜門社だより」や「支部便り」は回答に大変役立っています。
 なお、1980年代には「支部だより」というよく似た名前のコーナーが掲載されていました。内容は「支部便り」の時代とほぼ変わりませんが、時代を経て支部や地域の状況の変化などが見られ興味深いです(注5)。

今、支部の価値を見直す

 竜門社支部が数多く生まれた戦後復興期や高度経済成長期に比べて、交通網の発展やインターネットの普及によって地域間の距離は圧倒的に縮まりました。しかし、その経済発展やデジタル化によって日々の生活が便利になった反面、人と人との交流が希薄化し、あふれる情報に翻弄されるようにもなりました。
 人びとや世界の分断と対立が叫ばれる昨今、栄一の志を受け継ぎ、会員相互の親睦を深めることを目的として結成された竜門社支部には、改めてその価値に目を向ける時が来ているように感じます。

※今回をもちまして本連載はいったん休載といたします。ご愛読いただきありがとうございました。


【注】
1.『竜門雑誌』第673号42頁。
2.1951年6月号(第27号)から2005年3月号(第672号)に掲載。
3.『青淵』第27号巻末。
4.『青淵』第892号32-33頁。
5.支部の活動については他に「財団トピックス」内の「支部情報」や支部会員の方の寄稿等でその一端を知ることができる。

【主な参考文献】
『竜門雑誌』第673号-第677号
『青淵』第27号、第397号、第447号、第892号
『渋沢青淵記念財団竜門社百年史』(渋沢青淵記念財団竜門社、1986年)
『竜門社一〇〇年のあゆみ』(渋沢史料館、1986年)
『竜門社の歩み』(渋沢史料館、2006年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第26巻|竜門社
明治19年4月(1886年) 是月、栄一ノ深川邸ニ寄寓セル書生等相謀リテ一社ヲ結ビ名ヅケテ竜門社ト曰フ、尾高惇忠ノ命ズル所ナリ。爾来月次ニ集会ヲ開キ且ツ「竜門雑誌」ヲ発行ス。右月次会ノ外春秋二季ニ総会ヲ開キ、栄一毎会出席シテ社員ヲ指導ス。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK260025k_text

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・修養団体〔道徳・宗教〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/580

沿革|財団概要|公益財団法人 渋沢栄一記念財団
https://www.shibusawa.or.jp/outline/history/index.html

※本記事は『青淵』2026年2月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。


一覧へ戻る