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『青淵』No.918 2025年9月号|情報資源センター
2025年9月24日、一橋大学は創立150周年を迎えます。同校の前身は1875(明治8)年設立の商法講習所。管轄機関と校名を変えながら発展を続け、1949(昭和24)年5月、新制大学となり一橋大学と改称しました。渋沢栄一は商法講習所の設立時より学校の運営を支援、また学校存続の危機にもその阻止に尽力するなど生涯に渡って深く関わりました。今回は同校と栄一に関わるゆかりの地を歩いてみたいと思います。
ここは東京都中央区銀座六丁目。銀座のメインストリート、中央通りに面した商業施設ギンザ シックス(GINZA SIX)は連日買い物客や海外からの観光客で賑わっています。昔は松坂屋銀座店があった場所と言った方がおわかりになる方が多いかもしれません。さて、ギンザ シックス前の植栽脇に記念碑が設置されているのをご覧になったことはありますか?この記念碑は一橋大学の原点の地を示す「商法講習所」碑。1976(昭和51)年11月14日、前年の一橋大学創立百周年を記念して建てられました。スウェーデン産の赤と黒の御影石でできた碑は明治時代の赤レンガの建物をイメージしているそうです。建立から約50年を経た今も、つい最近建てられたかのように美しい姿で整備されています。碑の歩道側の面には次のように記されています。
「商法講習所」碑
"商法講習所
明治八年(一八七五年)この地に
商法講習所を開設す
これ現在の一橋大学の発端なり"
商法講習所は、駐米代理公使であった森有礼(もり・ありのり)らが日本における商業学校の設立を計画したことに端を発しています。この計画を支援することになったのが、本連載の前回記事でも登場した東京会議所。その責任者が栄一でした。商法講習所は、1875(明治8)年9月24日、東京会議所から東京府知事へ開業届が出され、森の私設学校としてスタートすることになります。開校当初、校舎が建設途中であったため、京橋区尾張町二丁目(現・銀座六丁目)の仮校舎で授業が開始されました。それが記念碑のあるギンザ シックス付近といわれています。
なお、碑の車道側には「一橋大学発祥の地」と大学の校章が刻まれています。歩行者天国となる土日祝日に行ってみると両面をしっかり見ることができます。休日の銀ブラルートにぜひ組み込んでみてください。
1876(明治9)年5月15日、商法講習所は尾張町の仮校舎を引き払い、京橋区木挽町(こびきちょう)へ移転しました。木挽町も現在は銀座六丁目に含まれているので、今の地名だと旧尾張町と場所の違いがわかりにくいですが、これから向かう商法講習所の新校舎があった場所は、銀座六丁目スクエア(旧日産本社ビル)の位置にあたります。ギンザ シックスからは歩いて5分ほど、銀座五丁目の交差点からみゆき通りを南に下り、釆女橋(うねめばし)を渡る手前です。道路を挟んだ向かいには新橋演舞場があります。
現在この場所には「東京商工会議所発祥の地」碑が設置されています。その碑文を確認してみましょう。
「東京商工会議所発祥の地」碑
"明治維新の国是をふまえ 欧米諸国の制度文物を採り入れ 時の産業界の指導者が相携えて 明治11年3月12日 商工業発展のための総合的団体として東京商法会議所(東京商工会議所の前身)を創立し その事務所を置いたのがこの地である"
商法講習所(のち東京商業学校と改称)は前述の通り、明治9年に木挽町に移転し、1885(明治18)年9月まで同地にありました。一方、東京商法会議所は、碑文にある通り明治11年3月に事務所を新築し、1891(明治24)年2月、後継団体が南茅場町に移転するまでの間所在していました。つまり約7年半の間、両者は同じ敷地内で隣同士であったのです。栄一は東京商法会議所の発起人で初代会頭でもありました。学校と会議所事務所を行き来することもあったのでしょうか。
1885(明治18)年9月、東京商業学校は東京外国語学校と合併。東京外国語学校の校地であった神田一ツ橋(現・千代田区一ツ橋)に移転しました。一ツ橋には、現在の東京都国立市へと大学本科が移転する1930(昭和5)年まで所在していました。移転後の跡地は株式会社小学館や学校法人共立女子学園が取得しています。
銀座の旧木挽町から一ツ橋へは、東銀座駅から神保町駅まで地下鉄で向かってみましょう。神保町駅からは8番出口から出るのがおすすめ。小学館本社ビルの地下を通って地上に出ると、南側に共立女子学園の一ツ橋キャンパスが見えます。
東京商業学校はのちに高等商業学校、次いで東京高等商業学校と改称。1920(大正9)年4月、旧制大学に昇格し東京商科大学となりました。この間、しばしば財政難や専攻部の廃止に反対するために起こった学生の総退学事件、いわゆる申酉(しんゆう)事件など学校存続の危機に見舞われることもありました。その折々で栄一は事態の収拾に力を尽くし、同校の発展を見守ってきました。また卒業式などでたびたび同校を訪れ、学生たちに向けて講演を行っています。
如水会館ロビー
共立女子学園から一ツ橋交差点を南に渡ると、栄一も訪れたことのある一橋講堂跡に建てられた学術総合センタービル(注1)、その先には一橋大学の同窓会組織である一般社団法人如水会の拠点、如水会館があります。1914(大正3)年11月14日設立の「如水会」の名付け親もまた栄一。中国の古典、礼記の「君子の交わりは淡きこと水の如し」が由来です。栄一は同会主催の式典によく出席しています。1927(昭和2)年の同会創立記念晩餐会では「私の平生主張する道徳と経済とを合一させる其事の実現は如水会を措いてない、此事については切に諸君の御努力を冀ふ次第であります。(注2)」と述べ、会員の成長に期待を寄せ、会の発展を祝しました。1931(昭和6)年に栄一は同会名誉社員に推薦されています。
如水会館は1919(大正8)年6月に開館。現在の建物は1982(昭和57)年に建て替えられたもので、建て替え後は栄一ともゆかりのある株式会社東京會舘に運営を委託しています。一階はレストランフロアとなっており、そのロビーには初代会館の玄関アーチと栄一の胸像が置かれています。
この胸像ははじめ、1917(大正6)年、栄一の喜寿を記念し如水会によって制作されました(注3)。残念ながら1923(大正12)年の関東大震災で如水会館とともに焼失してしまいますが、同館の再建にあわせて再制作され、1926(大正15)年11月14日に除幕式が行われています。栄一は、自身の胸像の除幕式に、初代・二代と出席しました。二代目の除幕式では「此胸像を拝見しますとよく似て居る(中略)私でさへ何方が渋沢か分りませぬ、どうぞお見くらべを戴きたうございます。(注4)」と述べています。ところが、この二代目の像も戦時中の金属供出で失われました。戦後20年の時を経て、みたび復原され、如水会館を訪れる人達に、今もなおそのつながりや歴史を伝え続けています。
今回は現校名の一橋大学になる前の各所在地を時代順に歩きました。創立150周年の機会に同校のルーツを訪ね、また如水会館で食事がてら栄一像に会いに行ってみてはいかがでしょうか。 (掲載写真は2025年6月撮影。)
【注】
1.ビル内には現・一橋講堂があるほか、一橋大学千代田キャンパスが設置されている。
2.『渋沢栄一伝記資料』第44巻321頁。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK440071k_text#DK440071k-0005
3.像の原型は彫刻家の堀進二が担当した。
4.『渋沢栄一伝記資料』第44巻313頁。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK440070k_text#DK440070k-0006
【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第26巻、第44巻
『一般社団法人如水会[案内冊子]』
『一橋大学百年史』(財界評論新社、1975年)
『小学館五十年史年表』(小学館、1975年)
『如水会の歩み』(如水会、1982年)
『共立女子学園百年史』(共立女子学園、1986年)
『東京會舘いまむかし』(東京會舘、1987年)
『商業教育の曙』上巻(如水会、1990年)
『一橋大学百二十年史』(一橋大学、1995年)
【本文未掲載の写真はこちらからご覧いただけます】
・東京都・中央区/千代田区_2025.6(Googleフォト)
https://photos.app.goo.gl/7Mp6xxQDWCo6JaMX9
【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第26巻|東京商法講習所
明治8年11月(1875年) 是ヨリ先九月、森有礼、米国人教師ヲ招聘シテ商法講習ノ私塾ヲ興シタリシガ、幾許モ無ク清国駐箚弁理公使ヲ拝命シ、其経営ニ任ズル能ハザルニ至リ、是月、之ヲ東京会議所ノ管理ニ移ス。栄一、益田孝・福地源一郎ト共ニ其経営委員ニ挙ゲラル。翌九年五月、東京会議所ハ其行務ヲ府庁ニ還納セシヨリ当講習所モ亦府庁ノ管轄トナリ、矢野二郎命ゼラレテ其所長トナル。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK260081k_text
・第44巻|東京高等商業学校 付 社団法人如水会
大正2年6月13日(1913年) 是ヨリ先、当校同窓会会員中ノ有志、新ニ倶楽部ヲ設ケントシテ、其命名ヲ栄一ニ請フ。仍ツテ是日栄一、会名ヲ如水会ト選定ス。翌三年十一月如水会成立、五年八月社団法人トシ、八年ニ至リ如水会館竣工ス。次イデ同年九月二十九日同会館ノ開館式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK440056k_text
・第44巻|東京高等商業学校 付 社団法人如水会
大正6年10月27日(1917年) 是ヨリ先、当校同窓会、栄一ノ寿像ヲ鋳造シ、是日、其除幕式ヲ行フ。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK440063k_text
・第44巻|東京商科大学 付 社団法人如水会
大正15年11月14日(1926年) 是ヨリ先、如水会館復興建築竣工ス。是日、同会創立記念日ニ当リ、同会館ニ於テ開館式ヲ挙行ス。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。式終ツテ如水会ノ鋳造ニ係ル栄一ノ寿像除幕式行ハル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?DK440070k_text
渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・実業教育A〔教育〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/590
マップ上に歩いたおおよそのルートをを示しています。(徒歩約1,000歩)
※本記事は『青淵』2025年9月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。