情報資源センターだより

76 「渋沢栄一フォトグラフ」の公開 写真でつながる・写真がつながる

『青淵』No.884 2022年11月号|情報資源センター 井上さやか

 2022年3月16日、ウェブサイト「渋沢栄一フォトグラフ」【図1】[1]が、渋沢栄一記念財団も参加した研究プロジェクトの成果として正式公開されました。これは、渋沢栄一に関する約700点の写真を収めた書籍『渋沢栄一伝記資料』別巻第10を、インターネットで公開・活用するデジタルアーカイブで、2つのサブサイトで構成されています。

1. 「『渋沢栄一伝記資料』別巻第10」...デジタル化された書籍を見る・読む
2. 「みんなで古写真【渋沢栄一伝記資料】」...市民参加型のデジタルアーカイブ

「渋沢栄一フォトグラフ」TOPページ
【図1】「渋沢栄一フォトグラフ」TOPページ

 インターネットでなにかを調べる時、デジタルアーカイブに触れる機会は少なからずあるかもしれませんが、作ることに参加する機会はあまりないのではないでしょうか。「フォトグラフ」の「みんなで古写真」は、公開された情報を自由に検索・閲覧できるだけではなく、皆さん自身が写真について調べ、情報を付与することに参加できます。皆が参加者となり、デジタルアーカイブを育てていこうという試みです[2]。今回は「みんなで古写真」でできることをご紹介します。

 「みんなで古写真」では、※印の五種の情報を、以下のメニューから簡単な操作で付与することが可能です。

(1) 概要 『伝記資料』別巻第10に記載されている写真の基本情報、改変不可、情報の付与に参加をしなくても検索したり見たりすることが可能
(2) 人物 ※ 写っている人物の顔を選択して名前を登録、人物を特定
(3) 場所 ※ 写っている場所を現在の地図上で指定、場所を特定
(4) 翻刻 ※ 写っている文字を選択して、文字起こし(翻刻)
(5) 写真 ※ 写っている場所の現在の様子を撮影して投稿
(6) 参考文献 ※ 写真を調べる時に参考にした書籍やインターネット情報等を記入

 このほか、途中まで調べたけれど結論に至らない、付与した情報の真偽を他の参加者に確認したいなどの場合に、メッセージを書き込む (7) 議論 という機能があり、調べものの続きや誤りの修正を参加者同士で補いあうことができます。付与した情報はデジタルアーカイブに反映され、もちろん議論があっても、なおそれらの真偽には注意しなければなりませんが、誰でも参考にすることができます。参加者自身の知っている・調べた《この写真に関する情報》は、まだ誰も知らない情報であるかも知れず、誰かが知りたかった情報のヒントになるかも知れないのです。

 さて「みんなで古写真」収載の写真「665 肖像(撮影年次未詳)」【図2】に情報を付与してみた事例をひとつご紹介します。この写真は、渋沢栄一の肖像として、どこかで目にしたことがあるのではないでしょうか[3]

「みんなで古写真」の「人物」機能
【図2】「みんなで古写真」より
「665 肖像(撮影年次未詳)」(2)人物 メニュー

 この写真の基本情報には「肖像」とあるのみで、実は名前の記載がありません。渋沢栄一であることは確実ですので、最初に (2) 人物 メニューで「渋沢栄一」を登録しました。

 続けて「(撮影年次未詳)」とありますが、白髪の度合いからみてなかなかの年嵩、蝶ネクタイ姿で記念撮影のようです。栄一の晩年から人生を遡りつつ記念撮影を行った機会を書籍などでたどってみると、『子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録』([子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会], [1928])の口絵「子爵渋沢栄一閣下ノ近影」と同じ写真[4]であることがわかりました。口絵の撮影要領には、撮影者はオリエンタル写真工業の「菊地東陽」、日時「昭和三年九月二十一日」、場所「滝野川町子爵邸」とあります。そこで、渋沢栄一の日記および日程表を公開しているサイト「渋沢栄一ダイアリー」[5]で栄一の日程表を確認してみると、1928[昭和3]年9月21日に「午前九時」「オリエンタ会社員来約(〃〃[飛鳥山])」とありました。更に、オリエンタル写真工業の社史『オリエンタル写真工業株式会社三十年史』(オリエンタル写真工業, 1950)を開くと、この日、菊地は同社の新製品乾板ブロマイド完成の報告に栄一邸を訪れた際に撮影を行ったようで、その写真は栄一の米寿祝賀会に飾られたとの記述がありました。滝野川町子爵邸、飛鳥山とも、当時の渋沢栄一邸(曖依村荘、現在の東京都北区飛鳥山)を指します。写っている場所が判明したので、(3) 場所 メニューで地図情報を付加しました。写真を調べる際に役立った書籍などの情報は、誰でも新たなに付与した情報の出所や真偽を確認できるよう (6) 参考文献 に記入しました。

 ところで前述の社史には、栄一逝去の折、菊地が「中央霊前に掲げる大写真を献じた」ともあって、これは「みんなで古写真」収載「697 邸内祭壇 1」に写る栄一葬儀の遺影のことかもしれません。遺影は「665 肖像」と同じ写真に見えないでしょうか。ご興味をお持ちの方は、「みんなで古写真」にアクセスしてお確かめください。1枚の写真に付与した情報は、別の写真へとつながり、また新たな情報の連鎖を引き出す可能性を秘めているようです。

 写っている人物は誰なのだろうか、写っている文字はなんと読めるのだろうか。写真をじっくり観察し、最初にひとつの情報を付与するところから、このデジタルアーカイブを育てることが始まります。是非、気軽に挑戦してみてください。

【注】(URLは、全て2022年11月1日確認)

[1] 渋沢栄一フォトグラフ URL: https://denkiphoto.shibusawa.or.jp/。2021年度 国立歴史民俗博物館総合資料学奨励研究「市民参加型プラットフォームによる写真資料のデータ構築と活用」の研究成果として、2021年12月ベータ版公開。その構築と公開は、『青淵』878号(2022.5) p.10-12 金甫榮, 橋本雄太「写真でつながる渋沢栄一 「渋沢栄一フォトグラフ」公開まで」に詳説。
[2] 参加するにはログインが必要です。先行例として、市民参加型翻刻プロジェクト「みんなで翻刻」 URL: https://honkoku.org/
[3] 国立国会図書館の電子展示会「近代日本人の肖像」 URL: https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/104/。使われている写真は、『近世名士写真. 其2』(近世名士写真頒布会, [1935]) 「渋沢栄一閣下」 URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3514947/71 など。
[4] 『子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会記念録』(子爵渋沢栄一閣下米寿祝賀会, 1928) URL: https://tobira.hatenadiary.jp/entry/20150904/1441353371。同写真は、『フォトタイムス』6(1) (フォトタイムス社, 1929.1) URL: https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1898410/10 にも「別刷口絵写真版 渋沢子爵近影 菊池東陽」として掲載されている。フォトタイムス社は、オリエンタル写真工業企画宣伝課内に設置された出版社。
[5] 渋沢栄一ダイアリー URL: https://shibusawa-dlab.github.io/app1/


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