情報資源センターだより

13 EAJRS参加とヴェネチア国立文書館訪問

『青淵』No.695 2007年2月号掲載|実業史研究情報センター 専門司書 門倉百合子

 昨2006年9月にイタリアを訪問し、ヴェネチア大学で開催された日本資料専門家欧州協会(EAJRS: European Association of Japanese Resource Specialists)年次大会に参加しました。この協会は欧州各地の日本資料コレクションに関わる、司書・学芸員・研究者などの専門家が主なメンバーです。年次大会は1989年以来毎年欧州各地で開催され、今回は第17回目でした。欧米および日本からの70名近い参加者により、先端の研究成果の数々が報告されました。

会議の巨大なバナーがかかる主会場
▲会場のヴェネチア大学入口にて
(中央が筆者)
 ローマのマレガ・コレクション研究、ヴェネチア大学の「正法眼蔵」研究、能面「雪鬼」考など、コレクションそのものに迫る報告はいずれも学術的価値の高い、興味深いものでした。またイギリス・フランス・ドイツ・ノルウェーなどからの報告では、各地の特色ある日本資料コレクションの状況を知ることができました。更に米国からの報告では、米国での日本研究者の状況や、インターネットを駆使した情報処理の様子が伝えられました。そして日本からは国立国会図書館や国立情報学研究所などからの報告があり、日本からの情報発信の最新のニュースを知ることができました。

 私は実業史研究情報センターで作成している「社史索引データベース」について、概要と蓄積データの一端を紹介しました。これまでに所蔵している社史の目次や年表などから採録したデータは34万件を超え、固有名や年代からなど多様な検索が可能です。社史は経営史などの社会科学研究だけではなく、人間を取り巻くあらゆる文化に関わっていますので、今後様々な観点から利用いただけるようデータベースを構築していく予定です。

 なお27の報告のうち、私の報告も含め半分近くが日本語で行なわれました。欧米の専門家も流暢な日本語を話される方が多く、国際会議とはいえかなりアットホームな雰囲気を味わうことができました。更に日本にいてはなかなかお目にかかれない日本人の専門家の方々とも知遇を得ることができ、主催者側の細やかな心遣いもすばらしく、貴重な経験でした。

 大会プログラムに含まれた見学会で、ヴェネチア東洋美術館を訪れることができました。これは19世紀末のヴェネチアの貴族ボルボーネが日本から持ち帰った、江戸後期から明治初期にかけての文物コレクションです。彼は万国博覧会で紹介された日本に興味を持ち、家族・随員と共に1889年の2月から11月にかけて日本に滞在し各地を旅行しました。1906年の没後コレクションはヴェネチア市が買い取り、東洋美術館として公開されています。館内には夥しい量の槍、鞍、鉄砲、刀、掛け軸、陶器、漆器、蒔絵の器、根付、着物等が展示され、コレクションに関連した文書も収集されていて、着物の雛型本、絵本、本仕立ての錦絵、道中記、縮緬本などが含まれています。万博で紹介されたジャポニズムが、このような膨大なコレクションを生み出したことに驚きました。

 このほか4日間の会議の前後には、ローマおよびヴェニスの図書館・文書館をいくつか訪問することができました。いずれも古代ローマからの長い歴史を背景に、文化の蓄積の有り様を如実に示してくれる施設でした。その中からヴェネチア国立文書館をご紹介します。

 ヴェネチア市のほぼ中央に位置する国立文書館には、公文書が全長50kmにおよぶ書架にぎっしり納められています。建物はフランシスコ会の修道院を1815年に文書館に転用したもので、修道士の居室だった2階の各部屋には、種々の文書が部署単位で年代別に番号をふって並べられていました。評決の済んだものは羊皮紙に書かれて綴じこまれ、その案件に関係した紙の文書は、通路の反対側に年月順にファイルが収められていました。「Aqua」という部署のものがたくさんありましたが、これはヴェネチアらしく運河や水道に関するものです。地域ごとの詳しい地図も4000枚ほど、筒状に丸めて置かれていました。ヴェネチア共和国は海運国でしたので、地中海地方を始めとした各地の精度の高い地図を数多く作成していたのがよくわかりました。

 塩野七生著『海の都の物語』によると、ヴェネチア共和国と同時代のライバル国ジェノバでは、情報が漏れるのを恐れて文書をことごとく破棄していたそうです。それに対しジェノバとの戦いで捕虜になったヴェネチア商人マルコ・ポーロは、獄中で『東方見聞録』を執筆し、その後の世界に大きな影響を与えました。「記録」を丹念に残したヴェネチア共和国は、オスマン・トルコやスペイン、ポルトガルなどの台頭に果敢に立ち向かい、1797年にナポレオンに滅ぼされるまでおよそ1000年も栄華を誇ったのでした。

 1871年に日本を出発した岩倉使節団は、米国から欧州に回りこのヴェネチア国立文書館も訪れており、それは日本人が文書館を見た最初と言われています。私は日本から訪問したいと事前に連絡しておきましたので、1585年の天正遣欧少年使節に関する公文書や、一行の伊東マンショがリスボンから出した礼状のファイルも見せていただくことができました。少年使節団をどのように接遇するかの採決結果など、羊皮紙に刻された記録はおそらく岩倉使節団も見たに違いありません。長い歴史の時間を経てきた記録の山に、しばし圧倒されました。

 この文書館訪問及びイタリア滞在に際しましては、ローマ日本文化会館図書館の加治以久子さんに多大なご協力をいただきました。ここに記して御礼申し上げます。

 http://japanologie.arts.kuleuven.be/eajrs/2006_conference_2に抄録掲載(英文)

(実業史研究情報センター 専門司書 門倉百合子)


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