研究センターだより

49 渋沢栄一に関する3冊の本

『青淵』No.816  2017(平成29)年3月号

今回は、最近刊行されました渋沢栄一に関する3冊の本をご紹介いたします。

1 周見著(西川博史訳)『渋沢栄一と近代中国』現代史料出版、2016年

本書は、2015年に中国の社会科学文献出版社から刊行された『渋沢栄一近代中国』を日本語に翻訳したものです。

著者の周見(しゅうけん)氏(現在中国社会科学院世界経済と政治研究所教授、経済学博士〔神戸大学〕)は、「中国の渋沢栄一」といわれる張謇(ちょうけん 1853~1926年)と渋沢栄一の比較研究の著書を中日2ヵ国語で刊行された(i)中国における渋沢栄一研究の第一人者です。

まず、日本の中国経済進出の中で渋沢栄一がどのような役割を果たしたかについて詳細な分析が行われています。日露戦争後、渋沢は孫文と「日支経済同盟論」や「正義王道」に対して共通認識を持ち中日実業株式会社を創設し、日中の共同事業を進めました。中国への経済進出の旗振り役となった渋沢栄一の思想や活動を様々な事業展開や三井物産の活動を絡めながら論じています。今日の中国市場への日本企業の進出に際しても、渋沢栄一の思想や活動は示唆深いものがあります。また中国における渋沢栄一研究の動向を紹介し、今日の中国経済界で渋沢栄一が大変注目されていることがよくわかります。(ii)

2 宮本又郎編著『渋沢栄一 日本近代の扉を開いた財界リーダー』(PHP経営叢書 日本の企業家1)PHP研究所、2016年

本書は、PHP研究所創設70周年記念シリーズ「日本の企業家」(iii)の第1巻として第2巻『松下幸之助』と同時に発売されました。第1部「詳伝」では、桑原功一(渋沢史料館副館長)が、渋沢栄一が日本の経済制度づくりや数々の主要企業の設立と経営に奔走した明治時代に焦点を当てています。特に第一国立銀行と王子製紙と渋沢栄一とのかかわりについて、「企業の原点を探る」シリーズでの史料館企画展の担当者として関係資料を丹念に読み込み、渋沢の活動と苦悩を浮き彫りにしました。

第2部「論考」では宮本又郎氏が、合本主義、財界リーダー、道徳経済合一説の三つの視点から、渋沢栄一の客観的な評価を行っています。なかでも、公益とは何かについて興味深い論点を提起されています。つまり、公益と国益の違い、公益の多様化、公益の中身などについて、より突っ込んだ分析が必要ではないかと論じています。

第3部では渋沢雅英理事長と宮本氏との対談と、同時代人の渋沢評価を収録し、渋沢栄一の人間像に迫っています。今まであまり知られていない栄一や、栄一の後継者渋沢敬三についてのエピソードが語られ、興味をそそります。

3 町泉寿郎編著『渋沢栄一は漢学とどう関わったか―「論語と算盤」が出会う東アジア近代―』(渋沢栄一と「フィランソロピー」1) ミネルヴァ書房、2017年

本書は、前回の研究センターだより(『青淵』第813号、平成28年12月号)でお知らせしましたシリーズ出版『渋沢栄一と「フィランソロピー」』の第1巻です。

2014年から始めた当財団の研究プロジェクト「二松學舎と渋沢栄一」(プロジェクトリーダー町泉寿郎氏〔二松學舎大学教授〕)の2年間にわたる研究成果をまとめた論文集です。漢学は日本の近代化を阻害したどころか、伝統的な学知が下支えをしたことを、渋沢栄一と漢学塾・二松學舎に焦点を当て再評価しています。二松學舎の創設者、三島中洲(ちゅうしゅう)と渋沢とのあまり知られていないエピソードが紹介されています。渋沢が三島亡き後、なぜ二松學舎の理事・舎長に就任し、専門学校に昇格させ、中学校の国語漢文教員の育成に努めたのかがよくわかります。その他にも、若き日の渋沢栄一が、頼山陽の『日本外史』の影響を強く受け、悲憤慷慨の士であったこと、栄一の主著『論語と算盤』が「国民の古典」としての『論語』となったという文化史的な意義、同時代の中国や朝鮮で渋沢栄一の漢学思想や漢学への関わりがどのように見られていたのか、などについて興味深い指摘が数多くなされています。執筆者10人のうち4人が中国と韓国の研究者であることも国際的な広がりを感じさせます。

以上からお分かりのように、渋沢栄一の理解にさらなる広がりや深みが増す著作ですので、是非お読みくださいますようお願いいたします。

主幹(研究)木村昌人


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