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『青淵』No.798 2015(平成27)年9月号
今回は、今秋に渋沢史料館が企画展シリーズ「企業の原点を探る」で開催を予定しています企画展「私ヲ去リ、公ニ就ク―渋沢栄一と銀行業―」の関連シンポジウムをご紹介します。周知のように、銀行業は、渋沢栄一の合本(がっぽん)主義や道徳経済合一説に基づくすべての活動の中心的存在でした。そこで、研究センターでは、まず初夏に、シンポジウム「北区の近代産業ルネッサンス」シリーズで、近世から近代へのお金の移り変わりについて、次のようなシンポジウムを行いました。
――シンポジウム概要――
日時:2015年5月17日(日)午後1時30分~4時30分
会場:北区飛鳥山博物館講堂
パネリスト:石倉孝祐氏(北区飛鳥山博物館 学芸員)「王子と白金を結ぶ 近世後期王子におけるお金と商い」
桑原功一(渋沢史料館 副館長)「渋沢栄一と産業振興―明治前期の『王子製紙会社』をめぐるお金とモノ―」
土井侑理子氏(お札と切手の博物館 学芸員)「偽造を防ぐ ― 近代紙幣の開発」
コメンテ-タ-:木村昌人(渋沢栄一記念財団 主幹<研究>)
司会:久保埜企美子氏(北区飛鳥山博物館 学芸員)
飛鳥山を中心とする北区一帯は、明治期に入ると、印刷、製紙、醸造、人造肥料など新しい産業が次々と勃興し、産業と文化を兼ね備えたルネッサンス期を迎えました。本シンポジウムでは、今秋の企画展に因んで、産業活動に欠かせないお金(金融と貨幣)に焦点を当て、近世から近代への変遷について話し合いました。金、銀、銭、藩札など多様な通貨が流通していた江戸時代の貨幣制度が、明治になり円という新しい通貨にまとまっていく過程が浮き彫りにされました。70名近くの聴衆が最後まで熱心に参加しました。
今秋には三つのシンポジウム開催を予定しています。
シンポジウム(1)では、渋沢栄一がどのようにして西洋の銀行制度を導入し、銀行を通じて何をしようとしたのかを考えます。シンポジウム(2)では、国立銀行を全国に普及させたことの意義、最後のシンポジウム(3)では、グローバル資本主義の在り方が問われている現在、金融、特に銀行に期待されていることについて、渋沢栄一の精神を学びながら、グローカル(グローバルな視野で考え、ローカルな視点で行動する)で長期的視野から議論します。渋沢栄一記念財団ならではのユニークな企画にいたしたいと考えております。
それぞれのシンポジウムの概要は次の通りです。
渋沢栄一は、1873(明治6)年自らが作成した「国立銀行条例」に基づき、第一国立銀行を設立し、江戸時代の多様な地域通貨(金、銀、銅や藩札)を統一し、近代国家にふさわしい貨幣制度(円)の確立に尽力しました。本シンポジウムでは、近世から近代への貨幣・金融制度の移り変わりを、カネ(貨幣)とヒト(銀行員)に焦点を当て説明し、渋沢栄一が果たした役割を明らかにします。また日本が手本とした米国のナショナルバンクなど米国銀行史と比較し、第一国立銀行の特色を論じます。
地方創生は、21世紀の日本を再建するためのカギを握っていますが、金融の果たす役割は大変大きいと考えられます。そこで、近代日本に銀行を導入した渋沢栄一の精神を学び、地方創生への金融の役割について議論するシンポジウムを新潟県長岡で行うことにいたしました。
1873(明治6)年に第一国立銀行が創設されてからわずか5年後の1878年に、新潟県長岡市に第六十九銀行が設立されました。渋沢の指導を受けた旧長岡藩士、三島億二郎、長岡商人岸宇吉らが、士族階級を救済するための金禄公債を資本として同銀行を設立、さらに北越鉄道を敷設し、石油業などの産業を興しました。企業家精神のある人材と旧世代の資産を、長岡の近代化と工業化に活用することができたのです。まさしく合本による地方創生といえます。
2008年のリーマンショック以来、英米を中心とする先進国グループが進めてきたいわゆる「金融資本主義」に対して根源的な批判がおこり、金融業に対しても厳しい目が向けられています。当財団でも数年前から、渋沢栄一の「合本主義」に着目し、21世紀のグローバル社会にふさわしい新しい資本主義の在り方を模索しています。本シンポジウムでは、近代日本に銀行業を導入した渋沢栄一の精神に学び、今日、金融、とくに銀行が、グローバルかつローカルな社会の将来を見据えて、どのような役割を果たせばよいのかについて、内外の専門家に論じていただきます。
皆様のご参加をお待ち申しております。
主幹(研究)木村昌人