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『青淵』No.738 2010(平成22)年9月号
2010年度から本格的に開始しました「1910年代研究プロジェクト」についてご紹介します。
渋沢栄一が本格的に国民外交(民間外交)を行うようになったのは、20世紀に入ってからです。1901年の韓国視察と1902年の米欧漫遊は、栄一の国際情勢認識を大きく変えることになりました。とくに、初めて訪問した米国の経済社会のエネルギーにショックを受けました。栄一は、米国は若い国ゆえの危うさもあるが、20世紀の国際社会を動かし、日本の運命に最も大きな影響を与えるのではないかと考えるようになりました。その直後の2度目のヨーロッパ訪問では、成熟したイギリス、フランスの安定感と新興国ドイツの技術力に感銘を受けましたが、栄一の主な関心は、米国と、将来その米国と経済競争の場になる中国、韓国さらにアジア・太平洋全域に移っていきました。
1910年代には、1911年の辛亥革命、1914年の第一次世界大戦勃発、1917年のロシア革命、パリ講和条約締結と国際連盟の誕生など国際社会の構造が大きく変化しました。第一次大戦への参戦、対華二十一カ条要求、シベリア出兵、大戦ブームと戦争成金の登場という流れの中に、渋沢栄一は、日本が世界の新しい潮流とずれているのではないかと危惧するようになりました。幕末・明治初期には、国際情勢を的確につかみ、西欧の植民地にされることなく政権交代を行い、近代化・産業化を推進した当時の日本人に比べて、1910年代のリーダーはふと気がつくと5大国の一員になってしまったためか、すっかりおごり高ぶり、国際情勢や日本の実力を冷静に分析せず、日本の進むべき道を模索しているのではないかと危惧を抱いたわけです。
このプロジェクトの狙いは次の2つです。まず、渋沢栄一の民間外交の背景を探り、その歴史的意義を明らかにすることです。1910年代に国際社会はどのように変わっていったのか、また日本自身もそのなかでどのように変わっていったのか。日本の動きを世界はどのように見ていたのか、などの問題を政治、軍事、経済、経営、文化、社会、思想など多角的な視点から分析し、そのうえで、渋沢栄一が当時の状況をどのように把握し、自らの民間外交を行っていったのかを明らかにすることを目指しています。
もう一つの狙いは、渋沢栄一の国際情勢認識や民間外交の現在的意義を探ることです。2010年代の日本も、成長する中国と、相対的に低下したもののあらゆる分野で世界一の米国と、どのように付き合ってゆけば良いのかが、大きな課題になっています。つまり米中のはざまの日本はいかにあるべきかを考えます。
2008年度から、中心となるメンバー数人で、何度もミーテイングを行い、昨年は第一次大戦ゆかりの地、中国の青島で準備会議を開きました。チームリーダーは、簑原俊洋氏(神戸大学教授)と、ツェキ・ホン氏(ニューヨーク州立大学準教授)のお二人にお願いし、世界各地から30代の若手研究者15人を選びました。東アジア、米国、ヨーロッパで分科会を行い、2012年末までに、論文を書き上げ、2014年にオランダのブリルという出版社から英語で出版することに決まりました。
第1回会議は韓国の済州大学キャンパス(済州島)で開催しました。雨模様の3日間でしたが、参加者の議論は活発で、今後日本・韓国・中国・台湾での渋沢栄一的な実業家の比較研究を行うことができそうです。今秋、神戸大学六甲山荘で第2回会議を行う予定です。参加者は非常にユニークな視角から、1910年代の国際社会の変化を分析していますので、渋沢栄一の民間外交に新たな光をあてることが期待されます。
(研究部 木村昌人)