研究センターだより

21 平成の渡米実業団―四〇代企業家・経営者たちが見た、いまのアメリカ

『青淵』No.732 2010(平成22)年3月号

平成の渡米実業団―四〇代企業家・経営者たちが見た、いまのアメリカ

1909年に渋沢栄一率いる実業家の視察団「渡米実業団」が実施されてから100年目を迎えるのを記念し、渋沢栄一記念財団では昨年11月「平成の渡米実業団」を派遣しました。渋沢栄一から100年後の今日、若手企業家らがアメリカで何を見、何を感じてきたのか、団長と団員1名による報告をご紹介します。

*平成の渡米実業団 団員

青野仲達 株式会社GABA 設立者・前代表取締役社長
片山淳一郎 環境機器株式会社 代表取締役社長
栗原一博 フェニックスアソシエイツ株式会社 取締役副社長
渋澤健(団長) コモンズ投信株式会社 会長
下妻慶悟 下妻液化ガス株式会社 石油事業部長
田端陽子 株式会社太新 代表取締役
蜂谷真弓 坂口電熱株式会社 代表取締役
吉村俊之 株式会社豊島屋本店 代表取締役社長

日 程 2009年11月15日(日)〜22日(日)
訪問地・訪問先 【ニューヨーク】11月15〜17日
現地ビジネススクール学生との懇談会(在NY日本総領事館主催)、企業訪問(IBM, Coach, Deloitte)、日本クラブ訪問、ジャパン・ソサエティにて米若手企業家とのラウンドテーブル、ロックフェラー・アーカイブ・センター訪問
【ワシントン】11月17〜19日
政府関係者らとの懇親会、NGO・財団訪問(Environmental Defense Fund, Ashoka Foundation, S&R Foundation)、企業訪問(Microfinance International Corporation)、現地企業家との懇親会
【シアトル】11月19〜21日
ワシントン大学訪問、在シアトル日本総領事館主催夕食会、NGO・財団訪問(Social Venture Partners International, Fare Start)、現地日系企業訪問(宇和島屋、ECORE Global)、現地企業家との懇親会

「平成の渡米実業団」帰国報告(渋沢 健)

100年前の日本では、維新という時代の大変革が既に40年前の歴史のものとなっていました。日露戦争を終えて、西洋社会に追いついたという驕りも一部にあったかもしれません。ただ、現在のように情報媒体が発達していない時代であったため、日本人が米国へ実際に足を踏み入れた際に、想像を超える実態が五感を刺激したことでしょう。当時では最大規模の民間視察団であった「渡米実業団」。51名が、3ヵ月間かけてアメリカ大陸を往復し、53都市の市民との民間交流を図りました。
100周年を記念するために派遣された「平成渡米実業団」の団長として、11月中旬に七名の団員とともにアメリカ大陸を横断しました。今回は、一週間で3都市に留まりました。全員が働き盛りの40代の経営者であったため、それ以上の期間、仕事から離れることは難しかったからです。ただ、毎日の日程はぎっしり詰まっており、交換した多彩な名刺を帰国して数えたら80枚を超えていました。
少人数ではありましたが、団員の構成は多用な人材に恵まれました。IPO(新規株式公開)を成功させた起業家がいれば、設立400年の家業を守る16代目経営者もいる。ニッチの技術力を誇る製造業からエッジを持つサービス産業まで。そして、女性経営者も2人参加してくれました。訪問先では次々と質疑を交わす積極的な団員であり、面談中の気まずい沈黙とは無縁で、相手にも喜んでいただいた様子でした。8名全員が、何かを探すために日常生活から離れて渡米しました。実際に何を持ち帰ることができたかは、全員が消化している最中でありますが、自分自身には特に三つの印象が残りました。

1 伝統と革新の融合は「平均」では生じない

ニューヨークで面談したルー・フランクフォート会長がバッグの名ブランドであるコーチ社に入社した一九七九年には、同社は年間売上が約6億円のオーナー系の皮製品製造の中小企業でした。30年後になっても同じビルに本社を構え、伝統を大切にする会社ですが、同会長は売上3000億円を超える著名ブランド企業へと革新の指揮を執った凄腕の経営者です。30年という長い年月で変化した事業環境に適応し、大発展を成し遂げた勝組の秘訣は、高品質の伝統を守りながら、皮バッグだけに縛られることのないデザインの革新で、若者の新顧客層を開拓したことでした。
ただ、革新の飛躍に「付いてきてくれなかった、付いてこられなかった人材は、ベテラン層の幹部であってもチェンジして」、会長は心を痛めたそうです。また、失敗もありました。しかし、失敗の共通点は「勇気が足りず、判断できなかった」ときであると会長は振り返っていました。つまり、現状からはみ出すことに躊躇し、平均点で満足したときです。平均点で合格するようでは、30年かけた事業の長期投資が500倍になることはありえません。

2 Output, Outcome, Impactの違い

シアトルを本部とするSVP International (ソーシャル・ベンチャー・パートナーズ)は、NPOの事業化などを通じて社会的活動の持続性を促進する世界的な活動ですが、この面談ではアカウンタビリティ(説明責任)について考えさせられました。
活動の結果としての「Output」(サービスの供給)は、定量化された出力値であり、PDCA(プラン=計画、ドゥ=実行、チェック=点検、アクション=改善)のチェック機能として大切な要素を果たします。しかし、定量分析だけでは、「Outcome」(成果)を正確に把握することはできず、定性分析の要素も必要になります。そして、社会活動が図っていた目標は本来「Impact」(影響)でありますが、出力値や成果と比べると、影響は時間軸が定かではないため、把握し難い面があるのです。
時間軸を含む総合的な影響が把握し難いからと現在の出力値だけに着眼してしまうと、「アカウンタビリティを示すこと」自体が仕事になり、本来の仕事の目標の障害になってしまう恐れがあります。アカウンタビリティとは人的資産の活性化につながるのか、それとも縛り付けるものになるのか。真の日本的経営とは、職人性の良心のマネジメントです。縛り付けるだけでは、職人性の育成は難しいでしょう。

3 Stewardshipという責任

マンハッタンから北部へ、ハドソン河を見渡す広大な高地のロックフェラー家邸宅(カイカットKykuit)のスケールの大きさは想像を超えます。ただ、ジョン・D・ロックフェラーは熱心な慈善家としても名を遺し、自分が築いた巨万の富の半分を寄付したといわれています。この大庭園に隣接するロックフェラー・アーカイブ・センターでのブリーフィングでは、この寄付の行為は免税のインセンティブ(動機付け)ではなく、Stewardship(社会に対する責務)から生じているという話を伺いました。つまり、ロックフェラーは自分が築けた富は神さまからの恵みであり、それをお返しするということは当然であるという信念です。Stewardshipを宗教観と片付けるのではなく、単なる「説明責任」でもなく、「実行責任」であるという気づきが一人ひとりの日本人に芽生えることが、日本が世界においてキラリと光る存在へと革新するカギになると考えさせられた次第です。
平成渡米実業団に参加したことによって、この三つの観点が印象に残りましたが、私にとって最大の「お持ち帰り」は、間違いなく、1週間同じ釜の飯を食った新しい仲間たちとの絆です。数ヵ月前には面識がなかった者同士ですが、決して「平均的」ではなく、個性的で「Impact」があり、「Stewardship」も意識している彼らには色々な可能性を感じ、一生のご縁を築くことができたと期待しています。

ソーシャル・アントレプレナーシップの胎動(青野 仲達)

昨年11月、渡米実業団の一員として、米国3都市の企業・財団を訪問する機会を得た。今回の渡米で最も印象に残ったことは、近年日本でも注目を集めている「ソーシャル・アントレプレナーシップ」の胎動である。この言葉は「効率的な事業運営の手法を取り入れて、社会問題の解決を図ること」を意味する。
訪問先の一つであるEDF(Environmental Defense Fund)は、40年以上の歴史を持つ環境保護団体の草分けで、現在はフェデックス等の企業や著名買収ファンドとも提携し、環境問題の解決に取り組んでいる。活動の発端は、野鳥の観察中に生態系の異変に気づいた科学者のグループが原因を究明し、殺虫剤のDDTを禁止する運動を主導したことにさかのぼる。「バードウォッチャー」が国の法律を変え、大企業と対等のパートナーシップを組み、世の中を変革する。そのダイナミズムに感銘を受けた。
一般に、教育・環境・福祉等の社会問題は「政府の仕事」と考えられがちである。ところが、そもそも政府に効率的な事業推進の能力はない。一方、通常の企業は短期の利益創出に縛られるため、問題解決に手を出せないことが多い。宙に浮いた社会問題を、政府でも従来の企業体でもない「民間」の手で解決しようという機運が高まっている。世界中で四半世紀にわたり2000人以上の社会起業家を支援してきたアショカ財団(Ashoka Foundation)は、その担い手を「市民セクター」と名づけている。
今回の一連の訪問を通じて、政府や国家といった既存の枠組みを超えて、「自分たちの手で未来を創ろう」というグローバルな社会のうねりを体感することができた。ソーシャル・アントレプレナーシップは「草の根の慈善活動」を超えた「起業家による社会変革活動」であり、そのための仕掛けや仕組みの構築を目指す一大ムーブメントと考えることができる。先年ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行は、その好例である。革新的なアイデアは、官僚的な組織や思考からは生まれない。
新しい市民セクターの構築は、日本においても急務である。このグローバルな動きに乗り遅れることはできない。幸い、日本社会にはソーシャル・アントレプレナーシップの血脈が流れている。明治期に渋沢栄一翁が500の企業とともに600の社会事業を興したことや、戦後に名だたる起業家群が勃興したことは、この国の潜在力を如実に示している。
他力本願ではない、個々人の起業家精神が明日の社会を創造すると確信する。


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