史料館だより

43 開館30周年に思う

『青淵』No.754 2012(平成24)年1月号

 新年明けましておめでとうございます。
 今年は渋沢史料館が開館して30周年の節目の年を迎える。30年前、今日の充実した史料館の姿を誰が想像できたであろうか。開館当初からいた者として感じるところは、多くのものを得たことは間違いないが、あえて失ったものをあげるとすると、「ゆとりの時間」ということになるのであろうか。いずれにしても、この30年の間の大きな変(へん)貌(ぼう)ぶりには目をみはるものがあった。
 博物館の発展には諸段階あると言われている。蔵として、展示施設として、そして生涯学習機関としてという流れであったが、日本の博物館が第3世代の博物館への変貌を遂げようとしていた時期に1世代前の博物館として産声をあげた渋沢史料館であった。ただ、施設の拡充とともに、スタッフ等の体制も整備され、事業の幅も広がり、急速な変貌を遂げてきた。
 そして、渋沢史料館は、さらにその先を目指して動いているのである。
 これまでの7〜8年の間、「可能性を求めて」ということで、事業の拡大化路線が図られ、個々の事業の充実度が増した。そこで1つ目指したのは、それまで絵に描いた餅でしかなかった「情報資源化」の実現であった。着手して、軌道に乗せるということでは、ある程度、やれることはやったといっても過言ではないだろうと思われる。あとを受けて、この状況をどのよう育てていくかといったことを考えているところである。
 それは、渋沢敬三の学問分野での仕事にみられた、資料を整備することによって研究を支援するということを、大きな特徴として継承するものであったといえる。例えば『渋沢栄一伝記資料』の編(へん)纂(さん)については、「伝記の編纂と資料の収集とを截(せつ)然(ぜん)区別し、伝記編纂を側近者に於いてなすことは適当にあらざる為めこれを止め、専ら資料の蒐集に努力する」と敬三は述べ、将来書かれるであろう栄一の伝記のために資料を集成することが目的として位置づけられた。また集積された資料が語るものを引き出しやすくするために、集められた資料を情報化するのも、いくつもの博物資料コレクションを蒐集した敬三の仕事の特徴であった。つまり、資料の「情報資源化」を行ったわけで、これは、さまざまな資料を索引化したり、あるいは絵引きを作成したりした渋沢敬三の方法論であった。文化機関の役割が「啓蒙」「啓発」から「参加」を重視する時代を迎えた現代にあって、ふさわしいものであった。財団として実業史研究情報センターが中心となり取り組んだ、渋沢栄一関係の情報整備、社史関連の情報資源構築、錦絵を使った情報資源作りが、その具体相である。そして今、2011年以降の中期計画を実行に移しているが、そこでも大きな柱をなしているのが、「情報資源化」プロジェクトである。そこで、次の5年ほどの期間、さらにその先を見越した計画として、このプロジェクトがどのようなものかを簡単にご紹介したいと思う。
 1つは「棚卸し」と称してのワーキングである。これまで、当財団・史料館で蓄積され、収蔵されてきた資料・情報にどういうものがあり、それがどのような形として存在しているのかを悉(しっ)皆(かい)調査し、把握するものである。そこで得られた情報を資源として残し、有効活用できるようにするものである。
 次は、企画展ワーキングである。先に示した「棚卸し」によって得られた成果を活かした史料館30年の歩み展、没後50年を迎える渋沢敬三の記念展を間に挟むが、企業の原点を探るとして、渋沢栄一も創業から深く関わった企業で、日本のその業界においては源流をなすいくつかの企業を取り上げる「企業の原点を探る」というテーマを設定してのものである。狙いは、将来の史料館再構築に向けて、さらに、情報資源の具体的な成果物としての渋沢事典に向けての基礎づくりにつなげることである。次に、財団事業の融合化、財団内情報の共有化につなげる。意思伝達系統の浸透。そして、21世紀の資本主義、渋沢栄一の思想が現代社会に有効であることの個別検証成果の普及につなげるというものである。
 その企画に際しての留意点としては、プロジェクトチームを結成する(テーマ企業・団体の担当者等にも参加してもらう)、伝記資料が基本で、デジタル伝記資料を活用する。史料館所蔵資料以外の各企業等の資料調査、所在確認、活用許諾を将来を視野に入れて行っておく。デジタルコンテンツの開発を図り、出来る限り1つは展示の中に組み込む。人間・栄一(敬三)の事業遂行に際しての苦悩・葛藤・迷いなどを盛り込む。国際比較の視点を入れる。各企業を取り上げる際には第一銀行との関係・関与を考える。というようにしている。このように具体的なテーマで考えていく中で、史料館再構築のワーキングにて、「情報資源館」となる渋沢史料館の次なる姿を検討するのである。
 今、MLA(ミュージアム・ライブラリー・アーカイブ)連携からMLAK(Kは公民館)連携 が論じられているが、我々が目指すのは、このMLAKの特徴ある機能を連携から一歩進めて融合させた新たな博物館である。そのためにも、今、財団の3事業部の融合化も図る必要があるのである。渋沢栄一の事績に感じられる、情報の集積・分析・発信の重要性を受け継ぐものであると思っている。
 渋沢栄一とその周辺を通じて、日本の近代化を伝え・受け継ぐ情報発信基地となることを期すのである。そうすることによって、昨年1月の本欄で述べた、「見えない栄一」を「見える栄一」へと試みることになるかと思う。
 高度成長を目指す渋沢史料館にご期待をよせていただき、暖かく見守っていただければと存じます。

(館長 井上 潤)

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