社史にみる渋沢栄一

2 『東京ガス百年史』(1986年3月)

『青淵』No.924 2026年3月号|情報資源センター 若狭正俊 / 村橋勝子(社史プロジェクト監修者)

 『東京ガス百年史』は、東京瓦斯株式会社(以後、東京ガス)創立前から1985(昭和60)年までの歴史を詳細に記録した1,014ページに及ぶ本格的な社史だ。本書の編纂には『渋沢栄一伝記資料』の編纂主任である土屋喬雄が協力している。本文や資料編は産業史としても価値が高く、分かりやすい目次、巻末の詳細な年表、17ページにわたる丁寧な索引は、膨大な情報へのアクセシビリティにも優れている。この「百年史」は、多くの大学・公共図書館に所蔵され、国立国会図書館デジタルコレクションにも収録されている。(注1)同社は定期的に社史を刊行しており、「百年史」までを紙の書籍として、続く120年史はCD-ROM版として制作している。

 東京のガス事業は、1874(明治7)年1月に東京会議所の事業として始まり、同年12月18日、東京で最初のガス燈が点火された。
 『渋沢栄一伝記資料』によると、渋沢栄一は同年11月に東京会議所の共有金取締となり、ガス事業に関わるようになる。翌年4月には同委員、12月には会頭並びに行務科頭取に就任した。(注2)
 1876(明治9)年5月にガス事業は東京会議所から東京府に移管され、東京府瓦斯局となる。栄一は事務長(のち局長)として引き続き事業を率いた。
 その後、民間移管論が台頭し、1881(明治14)年7月の東京府通常会議で瓦斯局の売却決議が成立する。4年後の1885(明治18)年7月1日の新聞に瓦斯局払い下げの告知が出されると栄一は、浅野総一郎、安田善次郎、大倉喜八郎、前島密などと民間の払受け同盟を結成し、払下願いを渡辺洪基東京府知事に提出。結果、同盟への払い下げが承認されて、同年10月1日、民間会社・東京瓦斯会社が創立した。資本金27万円、本社は東京府芝区浜崎町3番地(現・東京都港区海岸1丁目)、需要家343戸、街燈数400本、従業員61名。これが東京ガスのはじまりで、栄一は委員長に選出された。1893(明治26)年7月には株式会社に改組、「東京瓦斯株式会社」は現在まで続く商号となった。この時経営体制は委員制から取締役制に変更され、栄一は取締役会長に互選された。
 栄一は、東京瓦斯会社の創立から1909(明治42)年6月に辞任するまでの25年間、東京会議所から通算すると35年間にもわたってガス事業を指導し、大きな足跡を残した。その源泉は、1867(慶応3)年、パリ万国博覧会のため渡欧した徳川昭武(幕府民部大輔)に随行中、上海でガス燈を初見、さらにパリで劇場のガス照明を見てともに感嘆し、ガス燈についての知識が集積されていたことにある。
 ガス燈事業として出発した東京瓦斯会社は、1886(明治19)年7月開業の東京電燈会社に燈火源の座を奪われそうになったが、電気への転換はきわめて緩慢で、むしろガス燈は明治30年代、40年代に全盛期を迎えた。ガス燈が長い間電燈に対抗できた最大の要因は、ガスの火口にマントル(発光装置)を装着したことだった。マントルは、当初輸入に頼ったが、1901(明治34)年頃から国内で製造されるようになり、同社でも独自の製品を製造・販売した。
 ガス需要の漸増に伴う供給不足解決のため、1893(明治26)年から1910(明治43)年にかけて、橋場支所(のちに第二製造所)、深川区猿江町(現・東京都江東区猿江町)の第三製造所、大森製造所、砂村製造所と、瓦斯製造工場を設置。1897(明治30)年9月には、本社新社屋を芝浜崎町から神田区錦町(現・千代田区神田錦町)に移転した。
 ガス燈が一層の普及を遂げている間に、同社は新分野に着々と進出していった。1897(明治30)年6月に欧米ガス事情調査から帰国した中川五郎吉技師長の「燃料用ガスこそが今後の主流事業になる」との報告を受けて、家庭用ガス器具開発に全力を挙げ、1902(明治35)年2月ガス炊飯竈の専売特許を取得、さらにガス燈火器、ガス点燈附属器具、ガス七輪、湯沸器、風呂用器具、ガス煖炉と次々に開発して、生活文化の近代化を図っている。
 1923(大正12)年9月の関東大震災による被害は甚大であったが、埋没ガス管の被害が比較的小さかったこと、火災が各地に発生してからは、圧送機の停止によりガスの輸送が中断されたため、心配されたガス漏れは幸いにも少なかった。
 昭和のはじめ、わが国の経済は慢性的な不況にあえいでいたが、そのなかで同社は、東京府郡部における住宅の急増を背景に需要の拡大を図り、1928(昭和3)年2月に最新式の設備を備えた鶴見製造所を新設、既存各工場のガス製造設備も大幅に増強して需要家の大拡張を実施、1938(昭和13)年には契約数100万件を突破した。
 戦後、環境への配慮と技術革新によって、ガスの原料は石炭から石油系エネルギー、そしてLNG(液化天然ガス)へと転換してゆく。東京ガスは世界に先駆けてLNGへの転換を進め、1969(昭和44)年11月より導入を開始した。

 この「百年史」を読むと、どの時代も「社会課題への挑戦」が軸になっており、その時々の日本の社会がガス事業を通じて紡ぎ出されているようである。(M)

 東京ガスは2025(令和7)年、創立140周年を迎えた。『東京ガス百年史』の刊行から40年、時代は昭和から平成、令和へと移り、同社とガスを取り巻く状況もまた大きく変化してきた。
 地震発生時に自動でガス供給を遮断するマイコンメーターの開発、熱と電気を同時に生み出しエネルギーを効率よく利用するコージェネレーションシステムの採用、省エネと二酸化炭素削減に貢献する家庭用燃料電池「エネファーム」の販売など安全面、環境面への対策を強化。2016(平成28)年の電力自由化に伴い、新電力分野へも参入した。その主な電源は東京ガスが世界に先駆けて導入したLNGである。
 現在同社は、栄一らが東京瓦斯会社を創立した「第一の創業」、LNGを導入した「第二の創業」に次ぐ「第三の創業」として、エネルギーの安定供給とカーボンニュートラル社会の実現に向けて挑戦を続けている。(W)

渋沢栄一こぼれ話

栄一筆 美与能飛可利部分
栄一筆 美与能飛可利部分(「渋沢栄一フォトグラフ」より)(注4)

 1907(明治40)年3月から7月まで、上野公園で開催された東京勧業博覧会において、東京ガスはパビリオン「瓦斯館」を建設し、様々なガス器具等を展示。全館に「花ガス」(宣伝のための装飾性の高いガス燈)などでイルミネーション装飾を施し、夜も来場者の目を楽しませた。会期中の7月2日には、明治天皇が瓦斯館へ来臨、ガス器具やその使用法について説明を受けた。この天皇行幸を記念し、同社ではガスを賛美した歌61首を収めた歌集『美与能飛可利(みよのひかり)』を編纂。1910(明治43)年10月1日、創立25周年の日に刊行した。前年に同社会長を退任していた栄一が跋文を寄せている。(注3)(W)




【注】
1. 東京瓦斯百年史 : 1890-1990〔国立国会図書館デジタルコレクション〕(2026年3月26日確認)
  https://dl.ndl.go.jp/pid/11953643
2. 『渋沢栄一伝記資料』、第12巻280-281頁
3. 同上、第12巻705頁
4. 栄一筆 美与能飛可利部分〔みんなで古写真【渋沢栄一伝記資料】|渋沢栄一フォトグラフ〕(2026年3月26日確認)
  https://denkiphoto.shibusawa.or.jp/annotate/photo/c1f04e99-89eb-4f10-b176-a02b0de684ab/info

【主な参考文献】
『東京ガス百年史』(東京ガス、1986年)
『渋沢栄一伝記資料』第12巻


【参考リンク】
渋沢社史データベース
・東京瓦斯(株)『東京ガス百年史』(1986.03)
https://shashi.shibusawa.or.jp/details_basic.php?sid=14200

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・瓦斯A〔商工業:ガス〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/031

デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第12巻|東京会議所瓦斯掛
明治7年11月(1874年) 是月栄一、東京会議所共有金取締ニ推薦サレ、尋イデ八年十二月二十七日会頭並ニ行務科頭取ニ選バル。是ヨリ先、同会議所ハ東京市内ノ瓦斯灯建設ニ従事ス。栄一之ニ与ル。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/?DK120036k_text
・第12巻|東京瓦斯株式会社
明治40年3月20日(1907年) 是日ヨリ東京勧業博覧会上野ニ開会サル。当会社第二会場ニ瓦斯館ヲ特設シ、瓦斯器械及ビ諸製作器ヲ出品ス。七月二日天皇・皇后両陛下台臨ノ栄ニ浴シ、又瓦斯製菓器ノ天覧ヲ賜フ。尚東宮殿下(大正天皇)東宮妃殿下ヲ首メ、皇族ノ台臨並ニ貴紳顕官ノ来館ヲ仰ゲリ。当会社此ノ記念トシテ「美与能飛可利」ヲ編纂シ、栄一跋文ヲ草ス。
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/?DK120094k_text

※本記事は『青淵』2026年3月号に掲載した記事をウェブサイト版として一部再編集したものです。


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