研究センターだより

40 1910年代研究プロジェクト/経営史学会50周年記念大会

『青淵』No.789 2014(平成26)年12月号

今回は、9月にパリで開催した1910年代研究プロジェクト成果報告会と、経営史学会50周年記念大会での渋沢栄一に関係するセッション報告についてご紹介します。

1. 1910年代研究プロジェクト

今年は、第一次世界大戦が勃発してから100年になります。日本ではそれほど大きな話題になっていませんが、ヨーロッパでは、西欧の没落が始まった要因として、大きく取り上げられています。特にフランスでは、戦死者の数が第二次世界大戦より第一次世界大戦のほうが多かったので、パリのシャンゼリゼ通りには当時の写真が展示され、人々の関心の高さを示しています。

渋沢栄一は、この大戦後には、今までとは違った現代世界が誕生すると直感しました。「日本は五大国の一員」という言葉の響きの快さと大戦景気に浮かれている大正時代の日本社会の危うさを深く憂い、将来の日本の立ち位置について、思想、宗教、国際関係、技術開発など様々な分野で研究調査を行う組織を次々と立ち上げるため奔走しました。帰一教会、理化学研究所、協調会、日米関係委員会などです。そこまで栄一を駆り立てた1910年代とはどのような時代だったのでしょうか。

1910年代研究プロジェクトでは、チームリーダーの簑原俊洋先生(神戸大学教授)と一緒に、米、英、ポーランド、スウェ-デン、トルコ、韓国、台湾などの近現代史研究者を集め、約5年にわたって研究会を世界各地で行い、その研究成果を、The Decade of the Great War: Japan and the Wider World in the 1910s, edited by Tosh Minohara, Evan Dawley, and Tze-ki Hon, Brill, 2014として刊行しました。オランダのブリル社は、社会科学、人文科学の分野ではヨーロッパ有数の出版社です。この成果を9月7日(日)にEuropean Network in Universal and Global History (ENIUGH) 研究大会で、9月9日(火)には国際交流基金パリ日本文化会館で、それぞれパネル報告を行いました。

前者は、歴史研究者が中心の学会ですので、1910年代をどのように理解すればよいか、当時のヨーロッパと日本との関係や第一次世界大戦が日本に及ぼした影響などについて突っ込んだ議論がなされました。また後者は、フランス人の討論者を含めて7ヵ国の研究者による国際色豊かでユニークな視点からの第一次大戦を含む1910年代全体についての議論に、約70名の聴衆が熱心に聞き入っていました。当時の日本とヨーロッパ、イスラムなどとの関係は新鮮に映ったらしく、次々に質問も出され盛り上がりました。

2. 経営史学会50周年記念大会

9月11日(木)から13日(土)の3日間、文京学院大学本郷キャンパスで、経営史学会50周年記念大会が開催され、内外から400名近い研究者が参加しました。当財団は4つの英語セッションを企画しました。まず、「英米資本主義を超えて」というセッションです。2008年のリーマンショックによる世界同時不況を引き起こした英米資本主義が、世界中で貧富の格差をますます広げ、国際社会の根底を揺るがしています。最近フランスの経済学者ピケティの資本主義批判などグローバル資本主義に対する批判が次々に登場しましたが、それにとって代わる経済思想や経済体制は見えていません。そこで渋沢栄一の思想や行動は、新しい資本主義を創造するときに何らかの示唆を与えるのではないか、という問題意識からこのセッションを設けました。

ジャネット・ハンター(ロンドン大学教授)、パトリック・フリデンソン(パリ社会科学高等学院名誉教授)、ジョン・セイガーズ(リンフィールド大学准教授)、田中一弘(一橋大学教授)諸先生が、渋沢栄一の合本主義や道徳経済合一説について報告を行い、英米資本主義とは一味違う側面を紹介しました。

次に技術移転プロジェクトのチームメンバーが、2つのセッションを設けました。技術移転には、狭い意味でのハード面の科学技術だけでなく、社会制度や組織に対する知識といったソフト面も含まれます。まず、同プロジェクトのリーダー、ディビッド・シシリア先生(米国メリーランド大学准教授)が、19世紀において、技術移転は西洋から日本へという単線的な流れだけではなく、中国、朝鮮、日本三国間を行きつ戻りつ、米国を含む太平洋地域でもループ状に移転していたなど、その重層的な構造を明らかにしました。

こうした枠組みの中で、デイビッド・ウィットナー先生(ユーティカ大学教授)が、大阪紡績と富岡製糸場を取り上げ、栄一が技術導入に果たした役割を明らかにしました。また金明洙(キム・ミョンス)先生(啓明大学校助教授)は、栄一に師事し漢城銀行を韓国に設立した韓相龍(ハン・サンジュ)に焦点を当て、日韓両国の銀行設立を巡る興味深いエピソードも紹介しました。今秋、関西大学で栄一についての論文で博士号を取得された梁紫蘇(リアン・シスウ)先生(華中師範大学渋沢栄一研究センター研究員)は、栄一の国際認識が欧州、米国、中国、韓国の訪問を通じて、どのように形成されてきたかについて報告しました。これらの渋沢栄一に関係する報告に対して、日本人研究者ばかりでなく、外国人研究者が大変関心を持ち、次々に質問が出され、4つのセッションとも活発な議論が行われました。

経営史学会年次大会で、これほど多くの外国人研究者が参加し、10を超える英語セッションが組まれたのは初めてでした。2012年パリでの日本・ヨーロッパ合同経営史学会を皮切りに、今年3月フランクフルトでの世界経営史学会準備大会と米国アジア学会4月の経営史学会関東部会に加え、今回の一連のセッション報告により、渋沢栄一についての各国の研究者の理解は格段に深まったことを確信しました。今後、各国に新しい渋沢栄一研究者が続々と登場する日も遠くないことを感じました。

(研究部・木村昌人)


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