研究センター事業成果報告 詳細

以下の内容は、事業当日の記録をもとに、渋沢栄一記念財団研究センターがまとめたものです。発表・配布資料は発表者の許諾を得て公開していますが、著作権は各発表者に帰属します。著作権、利用の範囲等については「このサイトについて」をご覧ください。

「論語とそろばん」ウィークエンド・セミナー(2016年度)

事業概要 渋沢栄一の「論語とそろばん」の思想について理解を深めるとともに、21世紀の日本社会のあるべき姿と企業経営について考える「論語とそろばん」セミナーの、週末一日集中講座。
事業実施日/期間 2016年12月17日(土) 10:00~17:00
開催地 渋沢史料館(午前、見学会)、北区飛鳥山博物館講堂(午後、セミナー)
主催 公益財団法人渋沢栄一記念財団、東京商工会議所
協賛 みずほ総合研究所株式会社
協力 三省堂書店有楽町店、筑摩書房、日本経済新聞出版社、平凡社(順不同)
プログラム PDFファイル
関連リンク

企画・セミナー等情報:
https://www.shibusawa.or.jp/research/project/seminar/post2016_04_15_71563.html

セミナー1

「世界史の中の渋沢栄一」
講師:守屋 淳 氏(作家)

セミナー2

「渋沢栄一から学ぶ~21世紀の日本のグローバル・エンゲージメント」
講師:渋澤 健 氏(コモンズ投信株式会社 会長)

セミナー3

経営者インタビュー「カフェの魅力、日本の魅力」
講師:楠本 修二郎 氏(カフェ・カンパニー株式会社 代表取締役社長)
聞き手:守屋 淳 氏、渋澤 健 氏

開催レポート

「論語とそろばん」ウィークエンド・セミナー事業成果報告「論語とそろばん」ウィークエンド・セミナー事業成果報告
セミナー1:世界史の中の渋沢栄一~講師:守屋淳(作家)

セミナー1では、渋沢栄一が生きた時代の世界情勢と、その影響を受けつつも日本独自とも言える経済社会開発事業を数多く手掛け、日本の近代化に尽力した栄一の行動や思想をヒントに、現代を生きる我々にとっての重要な要素である「持続性」および「多様性」に関する問題提起をしたい。

世界の経済システムに学んだ渋沢栄一

渋沢栄一は、ちょうどアヘン戦争が勃発した1840年に生まれ、満州事変が起こった1931年に亡くなった。1840年以降、世界では、1853年にヨーロッパでクリミア戦争が、1861年にアメリカで南北戦争が勃発し、日本では、幕末維新の志士により明治維新をへて近代化の一歩を踏み出した頃であった。

日本の近代化の背景には、渋沢栄一が実業界を育成し、国としての経済力を盤石なものにしたことが挙げられる。なぜ栄一は分厚い実業界の源泉を築きあげることができたのか。一つには、栄一が28歳の時に徳川昭武の随員として渡仏した際、西欧の経済システムに学ぶことができたためである。1844年にイギリスで準則主義に基づいた会社法が整備され、フランスでは、1852年に本格的な投資銀行が設立されるなど、世界には既にひな型となる経済システムが存在していた。栄一は渡仏の際、ナポレオン3世の統治下で初めて国として総合的な経済政策をうち成長を目指したフランスで、インフラ整備、金融整備、および人材育成の方法を目の当たりにしたのである。

栄一は渡仏経験での学びを活かし、金融機関が自らの「信用」で回す経済を築いていった。その際、栄一は、江戸時代以降に日本の信用基盤にあった『論語』の教えを重視し、同時に利の追求も重視した。たとえ利だけを追求することが目的でも、その事業が正しいものである限り、結果として国家や社会のためになると考え、また、栄一自身の信条に賛同しない人でも、結果的に社会のためになるのであれば積極的に事業に参加してもらうという立場をとったため、市場には多様性が確保され、こうして分厚い実業界の源泉が築きあげられていった。

さらに、栄一は、実業界を育てあげていくなかで、協調と競争の均衡を重視した。当時、日本の実業界は脆弱で企業どうしの互助が必要であり、業界団体の結成や企業の全国的な組織化に努めていった。同時に、上下関係を重んじ「和」の秩序を大切にする中国ほど「和」を重視しすぎず、競争のないところは進歩がないと考え、ヨーロッパで見られたような競争原理を取り入れ経済の持続性を確保していった。

晩年の栄一による民間外交

栄一は晩年、アメリカとの関係改善に乗り出すことになる。1880年頃のアメリカは、開拓が進み国土を開拓済みの東部と未開拓の西部に2分するフロンティアが消滅したことで、経済成長促進のための市場拡大ができず大不況に陥ってしまう。そして、貧富の差が拡大し、機会均等・門戸開放の精神も喪失されていった。換言すれば、経済市場に新規参入する隙がなく、社会的流動性の確保が難しくなってしまった。

社会的流動性が低くなる中で、アメリカに日本人の移民が安い労働力として流入したため、移民流入が、富裕層とそれ以外の人々との格差を助長しているととらえたアメリカ政府は、日本人排斥を始める。同排斥問題解決のため、栄一は4度の渡米を重ね、また人形交換等による日米関係改善のための民間外交に奔走するも結実しなかった。

現在の社会課題に関する問い

ここで問題提起したいのは、まず一つ目に、バブルやリーマンショックが象徴しているように目先の利益追求に走りがちで、かつ栄一のような突出した指導者が不在である現在、日本は、栄一が築いた信用を基礎とし協調と競争のバランスを保ち発展してきた経済システムを、果たして維持していくことができるのか、という「持続性」に関する問いである。この点については、セミナー2の渋澤健氏の講演にヒントを見出したい。

二つ目に、新しいものを生むために必要な要素である「多様性」に関する問いである。前述のアメリカでの日本人排斥問題に象徴されるように、異質なものは簡単には受け入れがたく、反発やいさかいも生みやすい。現在の日本の、特に経済界においても議論の焦点となる「多様性」に関し、どのようにとらえるべきかについて、セミナー3の楠本氏の講演にヒントを見出したい。


セミナー2:渋沢栄一から学ぶ~21世紀の日本のグローバル・エンゲージメント~講師:渋澤健(コモンズ投信株式会社 取締役会長)

渋沢栄一に学ぶ、現代に生きる思想

渋沢栄一は『論語と算盤』の中で、「合理的の経営」すなわち「経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されない」と述べ、また、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することがない。したがって、論語、算盤というかけ離れたものを一致させることが今日極めて大切な務めである」と指摘している。

ここで重要なのは、「論語と算盤」の「と」の力である。「論語か算盤」というように「0か1か」「白か黒か」でものごとを判断して進めていくことは、効率を高めるうえで絶対不可欠な力だが、それだけでは新しいもの生まれて来ない。「と」の力とは、一見矛盾して見えるものも想像力を使って角度や視点を変えて掛け合わせ、そこから創造性のヒントを見出し、「持続性」を確保していくことである。

また、「と」の力は経営力そのものと言えるのではないか。経営判断という言葉がよく使われるが、経営者は、「判断」ではなく、さまざまな決断―現在と不確実性の高い未来との間の矛盾する事項に対しての「決断」をしなければならないものである。さらに、従業員、顧客、株主、企業が置かれている社会といった異なる要求をもつ矛盾だらけのものに対し決断をくだし、矛盾を合わせて企業価値を作っていく、それが経営者に求められる力であると考える。すなわち「包括性(インクルージョン)」が経営者に必要な視点と言えるだろう。

グローバル資本主義の目指すべき姿

資本主義の主役である資本家は、辞書上では「資本を使用し、労働者を使役する」となっているが、渋沢栄一が思い描いていた資本主義は、果たして本当にこういう形なのかということを考察したい。

渋沢栄一は、1873年に日本初の銀行(第一国立銀行。国有銀行ではなく民間出資の銀行)を創設したが、当時は、日本人にとって見たこともないベンチャービジネスにすぎなかった。栄一はベンチャーである銀行という存在を当時の日本人に伝えるために、「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わらない。せっかく人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない」と説いた。栄一は、日本の経済発展のことを考え、当時も資源であった散らばった資金を集め、それを銀行が未来に向かって産業発展を支えていくという大きな流れを作ったと言える。

現在、コモンズ投信の「社会起業家フォーラム」を通して、多くの若い社会起業家を応援しているが、テラ・ルネッサンスというNGOを立ち上げ、カンボジアの地雷除去やウガンダの元子ども兵の社会復帰を支援する鬼丸昌也氏の言葉が印象に残っている。同氏は「我々は微力であるかもしれない。けれども、決して無力ではない」と言う。無力とはすなわちゼロである。同士を足し算しても、掛け算しても答えは無力、すなわちゼロに過ぎない。しかし、微力は確かに異なる。微力同士は足し算、掛け算によって、いずれ勢力になれる。これは、渋沢栄一が云う、微力な「ポタポタ垂れている滴」が、勢力ある「大きな河」になることと同じ構図である。

自分は、資本主義の原点は、「共感」により寄り集まり、「共助」によってお互いが不足しているところを補う足し算の後に、それらをかけ合わせさらに新しいものを作る「共創」であると考え、我々は、このような資本主義の原点に回帰しなければならないと考える。資本主義は悪だ、あるいは悪で暴走するから国家がそれを制圧するというのではなく、いま一度、原点に立ち返り、本来の資本主義の道を見出していく必要があるのではないか。

21世紀の日本のグローバル・エンゲージメント

日本政府は、グローバル・ファンドという三大感染症(エイズ、マラリア、結核)への支援を継続しているが、この三大感染症になぜ支援をするのか。結局のところ、自分とは直接関係がないかもしれない自国から遠い国の問題を、「想像力」を駆使し「我がコト感」という当事者意識を抱きつつ対処するためである。このことは、先進国から途上国に対してということではなく、先進国自身も自分たちの「持続性」を保つために、こうした支援が重要となるである。なぜなら、貧困の問題はすなわち雇用問題であり、雇用問題が解決されないと失業者等による各地での紛争につながるといったことから、翻って自国に関係してくる問題への対処、支援が重要であるためである。

グローバル・エンゲージメントとは、こうした世界で起こっている地球的課題に対し、政府だけではなく民間企業が自らの持続的な成長を果たすために、様々なステークホルダーと対話し協働し共創することであろう。企業の大小にかかわらず、先ほどの「論語と算盤」が示す「持続性」と「包括性」を備えつつ、世界的課題に対し自らの事業で関与できる部分を発揮していくことである。


セミナー3:経営者インタビュー「カフェの魅力、日本の魅力」~講師:楠本修二郎(カフェ・カンパニー株式会社 社長)

カフェの魅力―コミュニティ型社会の実現を目指して

2001年6月に渋谷と原宿の間のキャットストリートにカフェを作ったのが当社の起源で、現在100店舗を超えた。ただ、多店舗展開を目指す外食産業企業を作ろうと思って始めたのではなく、社名であるカフェ・カンパニーのCAFE:Community Access For Everyoneという造語に象徴されるとおり、コミュニティを時代時代に合わせて作り、それを継続的に運営することを目指し事業を始めた。今は、カフェだけではなく、さまざまな形態での飲食店等を経営し、2017年4月にはコミュニティ型のホテルを開業する。

事業では、先ほどの渋澤氏の話のように、一見矛盾と思われることもすべてポジティブにとらえ掛け合わせる場づくりを目指してきた。コミュニティが多層になるような、つまりダイニングでもあり、キッチンでもあり、リビングルームでもあり、書斎でもあり、オフィスでもあるような場があれば、利用する人々の用途や世代の違いを越え、そこに存在する共感性により空間と時間の共有が可能であるとある時気づき、その空間のアトモスフェア(雰囲気)がつながるような場づくりに注力してきた。

クリエイティブの源泉

コミュニティの場を作っていく中で、違う価値観の人たちの協働により、新しい発見や気付き、大げさに言えばイノベーションが生まれてくることも分かってきた。同時に、(消して費やす消費者改め)生あるものを活かす生活者が、知恵あるものを生む生産者から得たものをどう生かし循環させるかが重要だと改めて気づいた。森羅万象、自然と戦いながら、状況に応じて対処方法を変化させている農家の方々など、まさに生産者にクリエイティブの源泉があるのであって、生産者を大切にし、生活者と生産者をつなぐコミュニティ作りを目指して様々な事業に取り組み始めている。

また、もともとは文化的な価値観をもとに、今では暮らしや健康、農に関する事業にも取り組んでいるが、その中でのさらなる気づきとしては、グローバルの時代というのは多角化の時代ではなく、多様性の時代であるということである。先ほどの守屋氏のアメリカのフロンティアの話にもあったが、境界線がずっとあり続け新規市場開拓ができる時は多角化が可能だが、最終的に市場占有が行きつくところまでいった末に非常に苦労する。多角化というのは角度がたくさんあり、どこまで行っても交わらない。

他方、多様性というのは、要するに様が多いということで、左右別々の方向に行く矛盾や対立軸が存在しても、(それらが一周して)出会ってしまったりするということである。よって、様々なコンテクスト(脈略、状況、前後関係)があるなかで、それらを未来に対して何をどうつなげて、今、そのために何を布石としておくべきなのかということを常々考える必要があるのだろう。

日本の魅力

最後に、ハーモニーフードという話について。和食の和はハーモナイズという意味であり、ハーモナイズド(調和)された食が和食なのだと考える。「和をもって尊しとなす」という聖徳太子の言葉があるが、「何々を以って為す」が転じて「おもってなす」というのが「おもてなし」。ハーモナイズすることを受け入れ尊重する。つまり、多様な価値観を八百万に、神仏混合のようにすべて受け入れるということがおもてなしの原点である。このことは、二次元対立を超える、対立軸を作らないということであり、すべてを受け入れてよりよいものへと編集していくことである。

自分は、コミュニティの場、つまり空間を作ることに重きをおいてきたが、空間を作るためには、間(ま)、余白というものが非常に大事である。効率的な時代にはそういった余白力や間がどんどん無くなっていくものだが、だからこそ重視しなければならない。そして、これからの時代は、間の取り方を中心に据えて、どういうふうに遊ぶかということが要となるのではないだろうか。

例えば、日本の人口減少について。日本の人口は、100年後には5000万人を切ると言われているが、これをどうとらえるか。出生率は変わらないとのことなので、つまり一人当たり国土倍増計画と言える。一人当たり国土が倍増になるということは、遊びも含めた営み方、住まい方、暮らし方が、所得の高低にかかわらず、とても豊かな国になる可能性を秘めているとも言える。空き家だらけという現実に対し、余白力をもってどう遊ぶかということに発想を切り替え、新しいイノベーションを生み出していくチャンスだと考えている。


守屋氏、渋澤氏、楠本氏の経営者インタビュー

(守屋)Q. 以前、楠本氏への取材時に「言葉というのは基本的に違いや差というものを生み出しやすいものだ。カフェはそういう対立軸のようなものを飲み込むアトモスフェア(雰囲気)を作ることが出来る」とお話されていたのが印象的だった。では、どのようにすればその雰囲気は作ることができるのか。

(楠本)A. 結局のところ、オーナーの思い次第であるが、魂はディテール(詳細)に宿るというように、カフェあるいは喫茶店の店内に座ってみて、ここでどういう会話が展開されるか、座席を置く角度はこうしたらいいんじゃないか、このパーソナルスペースはあえて狭くしてみようといったように、風景を具体的に想像しながら、いかにすれば心地良いかということを考えるか否かが、(対立軸をも飲み込む雰囲気づくりの)決め手になるのではないか。

(渋澤)Q. 先ほどコンテクストを未来に対してつなげていく話があったが、自分自身が仕事を通じて、そういうコンテクストのつながりを作りたいと思いながら、なかなかつながらない。何か工夫をしているのか。

(楠本)A. 自分なりのトレーニングをしている。理屈ではつながることがあっても腑に落ちない時があるが、そういう時はまずうまくいかない。試行錯誤を重ねて、腹落ちする事例を何度も作っていくというトレーニング継続している。

(守屋)知人で、つなげるのが上手な人に共通しているのは、顧客を喜ばせるための価値観があるということである。例えば、キヤノン電子社長の酒巻氏の価値観は、500件以上の特許を持っているが、自ら技術者であり、顧客に「ありがとう」と言ってもらいたいこと。会計士の田中靖浩氏の価値観は人から「面白い」と言ってもらいたいこと。会計士をやりながら、落語家の人とイベントを開き、それが功を奏して仕事が結構来ている。渋沢栄一もその意味では「日本を強くする」という価値観で行動していたのだろう。

(渋澤)渋沢栄一に会ったことがないので、面白い人物だったのか、ただの頑固おやじだったのかはわからないが、おそらく国家のためという思いが強いだけでなく、信用力があった人なのではないか。信用がなければ(自分の話を)聞いてもらえない。

(楠本)さらに、渋沢栄一は凄い未来が見えていたのだろう。予言者という意味ではなく、「確信的にこうするのだ」という未来が見える人物。おそらくディテールが見えていたのであろう。

<受講者の声>

  • 豊かさとは、考えること、悩むことをやめないことであると感じた。(40代)
  • 一時的成功と永続的幸福との違いが明確になった。(60代)
  • 発想がグローバルで豊か、さまざまな可能性が感じられた。多様性やネットワークの重要性を再認識した。(70代、男性)

文・写真:渋沢栄一記念財団研究センター

〔了〕

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