研究センターだより

46 米国経営史学会での報告/国際関係史学会での報告

『青淵』No.807 2016(平成28)年6月号

今年に入ってから、内外の学会で渋沢栄一に関係する報告をいくつか行いました。今回はその中から2つ選び、最近の渋沢栄一研究の動向をお知らせいたします。

1 米国経営史学会(Business History Conference: BHC)での報告

4月1日(金)・2日(土)に米国オレゴン州ポートランド市で開催されました米国経営史学会2016年次大会で、TTP(技術移転プロジェクト)「19世紀欧米・東アジア地域間の技術交流の諸相」の研究成果を二つのパネルで報告しました。

従来から西欧の先進技術(ハードとソフトの両面)の導入が、東アジアの近代化に大きな役割を果たしたといわれていますが、その移転は西欧から東アジアという一方的な流れだけではなく、東アジア間で輪になって広まってゆくというルーピング現象も見られたのです。またその際、中央と地方政府の官僚、技術者、お雇い外国人だけではなく、東アジア実業家のリーダーシップが重要であったことがTTPを通じて明らかになりました。

一つ目のパネル(4月1日〈金〉)では、ディビッド・シシリア氏(メリーランド大学教授・TTPのプロジェクト・リーダー)の司会により、ディビッド・ウィットナー氏(ユ-ティカ大学教授)が、渋沢栄一が富岡製糸場、大阪紡績などの設立と技術移転に果たしたリーダーシップについて、またジェファー・デイキン氏(ポートランド・コミュニティ大学専任講師)は、世界初のロンドン万博(1851年)、栄一が参加したパリ万博(1867年)に続く様々な都市で開催された万国博覧会が技術移転に果たした役割についてそれぞれ報告し、ジュリア・ヨング氏(法政大学教授)がコメントや質問を出しました。

二つ目(4月2日〈土〉)のパネルでは、ジャネット・ハンター氏(ロンドン大学教授)の司会により、まず木村が、渋沢栄一に焦点を当て、第一国立銀行をはじめとする銀行制度の確立と渋沢のリーダーシップについて、金明洙(キム ミュンス)氏(啓明大学校助教授)が、中世にさかのぼる韓国の簿記制度の歴史を踏まえて、韓相龍(ハンサンリヨン 1880~1947)が、どのようにして日本の第一銀行で銀行の制度や実務を学び、韓国で漢城銀行を設立したかについて、また于臣(ウ シン)氏(横浜国立大学准教授)が、張謇(ちょうけん 1853~1926)は、清国の高級官僚であったが、1903年の日本訪問により衝撃を受け、帰国後日本の近代化の手法を取り入れ、南通を中心とした長江(揚子江)流域に、銀行や諸産業を発展させるとともに人材育成のために師範学校を設立したことを報告しました。これら三つの報告について、近代日本の金本位制度の成立に関する研究書を上梓したマーク・メツラー(アリゾナ大学教授)が、グローバル・ヒストリーの視点から渋沢、韓、張三人の関係や彼らの歴史的な役割について質問がありました。

フロアーとの質疑応答を行う中で、渋沢、韓、張は、西洋から東アジアまた東アジア内でのルーピングを行うという水平的な技術移転だけでなく、伝統的な商習慣や儒教の教えをどのように近代化の中に取り入れるかという過去から現在そして未来へつなぐ垂直的な技術移転も行っていたことが明らかになってきました。

2 国際関係史学会(Conference for History of International Relations: CHIR)での報告

本学会は、主に渡辺啓貴氏(東京外国語大学教授)が中心となって年に数回開催されている日本国際政治学会員による研究会です。今回は4月23日(土)午後、立教大学池袋キャンパスで開催されました。飯森明子氏(常磐大学講師・渋沢研究会編集委員)が構成した「戦前日本の国際交流―日米民間外交とメディア―」と題するセッションで、大中直氏(桜美林大学准教授)の司会により、木村が「日露戦争後の実業家交流とメディア」について、渋沢栄一と高峰譲吉に焦点を当て報告しました。研究会には40人近い参加者がありました。

20世紀に入り、日米の実業家はアジア太平洋地域へ積極的に出かけ、貿易、資本移動、技術移転を通じてビジネスを拡大する一方で、民間人同士の交流を通じて、平和な国際関係の維持に尽力しました。特に日露戦争後、満州開放問題、海軍軍拡、日本人移民排斥などを巡り、日米関係に陰りが出始めたとき、両国の経済関係の順調な拡大を願う日米実業家は相互交流を活発化させました。彼らはその過程で、良好な日米関係を構築するためにメデイアの果たす役割の重要性に気づいたのです。つまりメディアのセンセーショナルな記事により形成された間違った相互イメージや日米間に生まれた感情的なわだかまりを取り去り、逆にメディアを活用して、前向きの相互認識を持たせようと尽力しました。

具体的には日米両国が強い関心を持つ中国を中心とする東アジア地域の実態をいかに正確に伝えるか、また日本が満州を中心に中国大陸に野心を抱いていることに対して日本の立場を明確にする、米国内で発生した日本人移民排斥の原因などを冷静に伝達することなどでした。報告では、最近の研究を踏まえて、こうした困難な課題に対して地道に取り組んだ日本の実業家、特に渋沢栄一と高峰譲吉に焦点を当て、彼らが日本の情報発信機能の強化のために日米両国にまたがる重層的な人的なネットワークを形成し、それを活用しながら自らがとった行動について明らかにし、その効果と限界について分析しました。

コメンテーターの牧田東一氏(桜美林大学教授)と飯森明子氏から、メディアと日本政府との関係をどのように考えているのか。メディアを通じての渋沢や高峰の日米両国政府への影響力はどの程度あったのか。日本のエリート層と在米日本人社会が抱く米国内の日本人移民に対する認識にはどのような相違点があったのか。日露戦争後の実業家交流は第二次大戦後の日米関係にどのような影響を及ぼしたのかなどの質問が出され、活発な討論を行いました。

主幹(研究)木村昌人


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