会期 | 2021年9月25日(土)~2022年1月30日(日) |
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現在、感染症拡大状況を考慮して、1か月ごとに開館方法を定めています。 ※団体・グループでのご見学はお受けしていません。 |
渋沢栄一は安政5年(1858)に、一歳年下の従妹・尾高千代と結婚をしました。幼馴染であった栄一と千代は、強い絆で結ばれ、互いにかけがえのない存在となります。
栄一が郷里・血洗島村を旅立ち、一橋家に出仕して国事に奔走したとき、幕臣としてフランスへ渡ったとき、帰国後に明治新政府の官僚として近代化に奔走したとき、そして第一国立銀行の創立後に実業家として活動したときにも、繁忙極める栄一を支えたのは妻の千代でした。
本展では、当館が所蔵する約30通の、栄一から千代に宛てた書簡を一挙公開し、激動の幕末維新期を生き抜いた二人の絆、夫婦愛に焦点をあてます。
第一章 栄一と千代
第二章 栄一の旅立ち、千代のおもい
第三章 フランスからの手紙
第四章 栄一、千代の明治維新
第五章 近代日本の実業家として、実業家の妻として
渋沢栄一書簡 渋沢千代宛 [慶応2]年8月[日未詳]
第二次長州征討に従軍することになった報告と、千代の上京について取りやめることを述べている。またこの手紙と一緒に、栄一の形見として贈った懐剣について記している。
渋沢栄一書簡 渋沢千代宛 [慶応3]年1月9日
横浜出港2日前に栄一が千代に宛てた書簡。「上様御弟様」(徳川昭武)に付き添い、「フランス国」へ行くこと、また品3種(紙入、小判2枚、巾着)を差し上げるので、渋沢成一郎(栄一の従兄・喜作)より受け取って、内々にしまっておくようにと述べている。書簡の最後には「御身の上御大切ニ御まちなされ度候」と記されており、妻を心配する栄一の気持ちが伝わってくる。
渋沢栄一書簡 渋沢千代宛 [慶応3]年5月15日
パリ到着後に千代に宛てた書簡。「ふらんすのはりすと申都ニ罷在候」と無事にパリへ到着したこと、さらに田辺太一と杉浦愛蔵より非常に親切にしてもらっているなどの近況を報告している。また長期の留守と両親の世話を託し、体を大事にして帰るまで辛抱してほしいと記している。
はゝその落葉
穂積歌子著 竜門社発行 明治33年
渋沢栄一と千代の長女・歌子が、母千代を偲んで綴った文章。第一部の小伝、第二部の様々なエピソードとも、亡き母を想う娘ならではのあたたかな筆致で千代の人となりを今に伝えている。『青淵先生六十年史』第2巻(竜門社発行、明治33年)の「宝光院伝」を抜粋製本して刊行した。
はゝその落葉
穂積歌子著・発行 昭和5年
千代の五十回忌(昭和5年10月)にあたり、明治33年の旧版を改訂し、口語体に直して刊行した。
展示内では、栄一と千代の長女・歌子が、自著『はゝその落葉』の内容をもとに、父母の思い出を語ります。
書簡資料とともに、「歌子さん」の目から見た栄一、千代、家族のエピソードをお楽しみください。
千代に宛てた書簡において、栄一は結びに「あらあら めてたく かしく」と記しています。
一般的に、「めてたく かしく」は女性が手紙の結びに添える表現ですが、栄一は千代に宛てた書簡で、この結びを用いています。栄一がこの結びを用いた意図は分かりません。
この「あらあら めてたく かしく」は、千代宛ての栄一書簡の象徴的なものとして、本企画展のサブタイトルに用いました。
渋沢史料館ミュージアムショップ、オンラインショップで販売予定
展示解説パンフレット 300円
オリジナルペン&一筆箋セット 500円
リーフレット (PDF:表面972KB 裏面990KB)
展示資料目録 (PDF:220KB)