会期 | 2018年7月12日(木)~2019年3月31日(日) ※好評につき会期延長 |
---|---|
後援 | 越生町教育委員会、渋沢栄一記念館、飯能市教育委員会 |
渋沢平九郎(1847~1868)は、渋沢栄一の養子となった人物です。本年は鳥羽伏見の戦いを機に戊辰戦争がはじまってから150年、平九郎没後150年になります。
平九郎は弘化4年(1847)、武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市)の尾高家に生まれました。慶応3年(1867)、幕臣となっていた栄一は、将軍名代の徳川昭武に随行して渡仏しました。その際、平九郎は栄一の養子となり江戸で幕臣の子としての生活をはじめます。
翌年には新政府軍が江戸へせまるという事態に直面します。そして平九郎は彰義隊結成に参画し、そこから分離した振武軍に参加して飯能(現・埼玉県飯能市)において新政府軍との戦いに臨みました。
本展では、20歳で亡くなった平九郎が幕末維新の激動期にどのような決断をして行動したのかを、その想いとともにご紹介いたします。
第1章 誕生と生い立ち
第2章 江戸へ出府―幕臣・栄一の養子となる―
第3章 彰義隊結成に参画
第4章 振武軍結成と飯能戦争―二十歳の決断―
第5章 没後の「平九郎」―栄一のもとに帰る―
第6章 栄一の想い―「平九郎」の顕彰―
平九郎が、叔父・渋沢市郎右衛門(栄一の父)に添削を依頼する俳句の下案をまとめたものであると兄・惇忠が書き残している。
江戸の新政府軍がせまるなか、フランスにいる栄一に宛て、先を見通せない心境を伝えてる。
銀行の諸集会に出席するため越生町に行ったおりに、黒山・全洞院に立ち寄った際の写真。
● リーフレット 表面 (PDF:384KB)、裏面(PDF:627KB)