情報資源センターだより

36 渋沢敬三記念事業が開幕

『青淵』No.764 2012年11月号|実業史研究情報センター長 小出いずみ

シンポジウム「戦時戦後史の立会人 渋沢敬三」開催

 渋沢敬三記念事業実行委員会の主催により、2012年9月15日(土)午後、渋沢史料館において、敬三記念事業の皮切りとして標記のシンポジウムが開催されました。渋沢敬三は、祖父栄一の懇望に従って実業の世界に身を投じ、戦時・戦後には日本銀行総裁、大蔵大臣、金融制度調査会会長などの公職を歴任、日本経済の大変革期に立ち会いました。この時期を中心に経済人としての敬三に焦点をあてて、敬三の思想形成と足跡をたどりつつ、敬三が生きた激動の時代を振り返りました。

由井常彦氏
由井常彦氏

 最初に明治大学名誉教授で渋沢栄一記念財団理事の由井常彦氏が「渋沢敬三の人物と思想」について講演しました。栄一は指針としていた孔子のように先頭に立って天下国家を論じる姿勢だったのに対し、慈悲にあふれ他人を押しのけることをしなかった敬三は、無為自然で老子的だったといえる。敬三は「私は真なるもの、美なるものにひかれる」と書き残し、これはその後の、事実をたくさん集める実証主義につながっている。実証に面白みを感じている一方、「善」については何が善であるのかは難しいからとして語らなかった、と述べました。

武田晴人氏
武田晴人氏
伊藤正直氏
伊藤正直氏
浅井良夫氏
浅井良夫氏

 次に「経済人としての渋沢敬三」と題して東京大学教授の武田晴人氏が報告しました。栄一が実業家であるのに対して敬三は経済人だった。主体的な役割がわかりづらく、どちらかというと受け身の対応に見えるが、実業界・経済界の敬三に対する信頼はとても篤かった。戦時期にはインフレへの警戒感を表明し、戦後財政の再建では大胆な財産税への同意を与え、経済成長を志向する政策に肩入れしたという印象がある。時代の要請に対する方向感覚は鋭敏であった、と分析されました。

 これに対し金融史の視点から東京大学教授伊藤正直氏のコメントがありました。いくつかの戦後金融史論を取り上げその見方に対する再評価が進んでいるところから、敬三の金融論も再評価の可能性がある、との指でした。また、財政史の視点から成城大学教授浅井良夫氏のコメントがあり、幣原内閣で敬三が蔵相を務めたのは占領政策が本格的に始まった時期で、その後対峙した問題が「悪性インフレ」懸念と戦時期の政府債務の処理問題。改めて敬三の仕事を見ると、敬三は立会人ではなく、仕掛け人だったのではないか、と指摘されました。いずれも中身の濃い話で、約50人の参加者は終了後も、聞いた内容をそれぞれ反すうしている様子でした。

 当日の様子はインターネットで中継され、その内容は今でも視聴することができます。

渋沢敬三記念事業実行委員会と渋沢敬三サイト

渋沢敬三サイトのトップページ
渋沢敬三サイトのトップページ

  実業史研究情報センターは渋沢史料館とともに、2009年から財団法人MRAハウスが助成している「渋沢敬三記念事業」に、実行委員会の事務局として協力しております。来年の没後50年に向け記念事業として渋沢史料館はじめ国立民族学博物館や国文学研究資料館、神奈川大学常民文化研究所などで様々な計画があります。今回のシンポジウムはその第一弾です。センターは敬三の資料や情報を集約して提供します。9月初めに開設した敬三サイトもその一つです。サイトについては別の機会に詳しくご紹介します。

(実業史研究情報センター長 小出いずみ)


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