情報資源センターだより

38 渋沢栄一詳細年譜をウェブサイトで公開 ― まぼろしの編年体『渋沢栄一伝記資料』再現

『青淵』No.770 2013年5月号|実業史研究情報センター 専門司書 山田仁美

 2013年3月11日、財団ウェブサイトに渋沢栄一詳細年譜ページを追加しました。同サイトにはこれまでも略年譜が掲載されていましたが、今回新設の詳細年譜は『渋沢栄一伝記資料』の綱文を年月日順に並べ替えたもので、ページ数にして全65ページ、件数にして7308件。栄一誕生の1840年から没後1943年までを対象とした膨大な情報量を持つ年譜となりました。

"編年体『伝記資料』"の再現

 ご存知のように『伝記資料』は事業別に編纂(へんさん)されており、事業を切り口とした調査には便利ですが、日付を切り口とした調査は容易ではありません。例えば「ある日の栄一の動静」を網羅的に調べるには、57冊の1785項目をすべて確認しなくてはなりません。今回詳細年譜が出来たことで、その煩雑な作業は「年」と「月」をクリックする、というアクションに置き換えられました。
 当初、『伝記資料』は編年体で編纂されていたようですが、1937年に編纂主任となった土屋喬雄によって編年体から事業別史料編纂へと方針転換がなされました。土屋は事業別と編年体はいずれも一長一短あるものの、栄一が関与した事業の多様さから「事業別史料編纂が絶対に必要」と述べています(『竜門雑誌』580号p92-93)。
 紙媒体時代には二者択一せざるを得ず「まぼろし」となった編年体『伝記資料』も、媒体がデジタルに移行したことで76年ぶりに詳細年譜としてその姿を確認することができるようになりました。今日、『伝記資料』はウェブ上の事業一覧と詳細年譜により、事業別・時系列のいずれの切り口からでも容易に調査ができるようになりました。

詳細年譜でわかることは?

 詳細年譜で、たとえば100年前、1913年の記録を見てみましょう。5月の欄には11件のトピックがあります。そこには栄一が「帰一協会」「徳川慶喜公伝編纂」「龍門社」「東京銀行集会所、銀行倶楽部」などの集まりに出席したこと、埼玉学生誘掖(ゆうえき)会の刊行物『武蔵武士』を皇太子殿下に献上したことなどが記されています。また11件中、3件は日米親善に関する記事です。「外国人土地法」がカリフォルニアの州法となる5月19日の前後、日米摩擦解消のため奔走する栄一の姿をそこに確認することができます。さらに翌6月に目を向けると、中国興業株式会社の発起人集会が14日、創立委員会が19日に開催され、23日には化学研究所(後の理化学研究所)設立のための協議会と、日米親善と並行してこれらの事業立ち上げの場に足を運んでいたことがわかります。
 このように詳細年譜からは「偉人渋沢栄一の事績」よりも、日々を精力的に生きる「人間渋沢栄一」の姿が実感できるようになりました。

時代を知るスケールのひとつとして

 『伝記資料』を「時間軸」という万人共通のスケールの上に置いたことで、栄一関連情報に新たな可能性が広がりました。例えば同時代の歴史資料、あるいは大河ドラマや小説中の日付を詳細年譜で追えば、そこに栄一の姿を重ねることもできるでしょう。同じ景色でも視点を変えると違った世界が見えるように、情報を重ね合わせることで渋沢栄一について、また史料や史実についても新たな側面が見えるようになるかもしれません。
 詳細年譜が対象とする期間は104年、日本の歴史から見たらほんの一部にすぎません。それでも同じ「日本という空間」に生きる私たちにとっては、この詳細年譜は一つのスケールにもなるように思います。あのとき時代はどう動いていたか。そこで栄一は何をしていたか。さて、みなさんはこの新たなコンテンツの中からどのような発見をなさるでしょうか?
 渋沢栄一詳細年譜が人間渋沢栄一や歴史の新たな側面を再発見する一助となりましたら幸いです。ぜひご活用ください。

渋沢栄一詳細年譜
〔財団サイト>渋沢栄一>年譜>詳細年譜〕
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/kobunchrono.html

(実業史研究情報センター 専門司書 山田仁美)


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