事業名:帝国劇場株式会社
帝国劇場株式会社
千代田区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは現在の帝国劇場の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.107 帝国劇場
画像名:帝国劇場株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区有楽町一丁目一番地
一 目的事業 演劇其他各種演芸の興業並劇場の賃貸
一 創立年月日 明治四十年二月二十八日
一 資本金 壱百弐拾万円(内払込高七拾六万八千円)
一 沿革
当社は明治四十年二月青淵先生、福沢捨次郎、大倉喜八郎、荘田平五郎、西野恵之助諸氏其他三十余名胥謀り、資本金百弐拾万円を以て創立したるものなり、其趣旨たる、演劇は一面に於て一国の文野を反映するものなるに、之を演せしむへき我国在来の劇場は、其構造設備に於て大に欠くる所あり、此の如きは一等国の体面より見て、宜しく改善すへきものなりとの見地より計画せられたるものにして、地を麹町区有楽町馬場先門外に卜し、工学士横河民輔氏工事の設計監督を為し四十一年十二月を以て礎石式を施行し、今其建築中にして全部の完成は本年十二月の予定なり、建坪総計六百三十坪、間口十七間余、中央部二十五間、奥行三十三間、高さ前部五十七尺後部六十六尺、構造は耐震防火的鉄骨煉瓦石造にして、外部は装飾煉瓦を用ひ、洋式は「イタリアンレネーツサンス」に法れるものなりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の発起者創立委員長にして、今現に其取締役会長たり、
一 現任役員
   取締役会長 男爵渋沢栄一  専務取締役 西野恵之助
   取締役 大倉喜八郎  取締役 福沢桃介
   取締役 日比翁助  取締役 田中常徳
   取締役 益田太郎  取締役 手塚猛昌
   監査役 浅野総一郎  監査役 村井吉兵衛
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渋沢ゆかりの地

事業名:帝国劇場株式会社
帝国劇場株式会社
千代田区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは現在の帝国劇場の位置を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.107 帝国劇場
画像名:
帝国劇場株式会社
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市麹町区有楽町一丁目一番地
一 目的事業 演劇其他各種演芸の興業並劇場の賃貸
一 創立年月日 明治四十年二月二十八日
一 資本金 壱百弐拾万円(内払込高七拾六万八千円)
一 沿革
当社は明治四十年二月青淵先生、福沢捨次郎、大倉喜八郎、荘田平五郎、西野恵之助諸氏其他三十余名胥謀り、資本金百弐拾万円を以て創立したるものなり、其趣旨たる、演劇は一面に於て一国の文野を反映するものなるに、之を演せしむへき我国在来の劇場は、其構造設備に於て大に欠くる所あり、此の如きは一等国の体面より見て、宜しく改善すへきものなりとの見地より計画せられたるものにして、地を麹町区有楽町馬場先門外に卜し、工学士横河民輔氏工事の設計監督を為し四十一年十二月を以て礎石式を施行し、今其建築中にして全部の完成は本年十二月の予定なり、建坪総計六百三十坪、間口十七間余、中央部二十五間、奥行三十三間、高さ前部五十七尺後部六十六尺、構造は耐震防火的鉄骨煉瓦石造にして、外部は装飾煉瓦を用ひ、洋式は「イタリアンレネーツサンス」に法れるものなりと云ふ、
一 当社と青淵先生との関係
青淵先生は当社の発起者創立委員長にして、今現に其取締役会長たり、
一 現任役員
   取締役会長 男爵渋沢栄一  専務取締役 西野恵之助
   取締役 大倉喜八郎  取締役 福沢桃介
   取締役 日比翁助  取締役 田中常徳
   取締役 益田太郎  取締役 手塚猛昌
   監査役 浅野総一郎  監査役 村井吉兵衛
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