事業名:北海道炭礦鉄道株式会社
北海道炭礦汽船株式会社東京支店
中央区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京支店(京橋区上柳原町1番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.44 北海道炭礦汽船株式会社
画像名:北海道炭礦汽船株式会社東京支店
文献に記載されている解説文等:
 同社は元北海道炭礦鉄道株式会社と称し、政府より鉄道及び炭礦の払下を受け、株金総額六百五十万円を以て明治二十二年十一月の創立に係る。爾来年を累ぬること二十年、其間新線路の敷設、設備の改良等、鉄道の経営に多大の力を致すと共に、石炭の増掘、販路の拡張に努め、更に骸炭製造、船舶回漕山林経営等の業を起して北海道の拓殖に資し、国家に貢献したるもの尠からず。今や社運隆昌を加へ、現在の資本金二千七百万円(内二千二十五万円払込済)積立金三百二十二万八千円に達せり。
 明治三十八年英国に於て社債一千万円(英貨一百万磅)を募集せしが、内四百万円は三十九年鉄道の国有と共に政府の継承する所となりしを以て、今尚ほ同社に六百万円を有す、是れ外資輸入の嚆矢也。
 明治三十九年十月一日社有の鉄道は政府に買収せられたるを以て、社名を北海道炭礦汽船株式会社と改め、定欵を改正し、従来の営業種目の外更に鉄鋼並に諸機械製造販売、鉄鉱採掘、砂鉄採取、電灯、煉瓦製造販売等の業を開始し、益々事業の発展を期せんとす。尚ほ製鋼事業経営の既往に鑑みる所あり、四十年六月専務取締役井上角五郎氏自ら英国に渡りアームストロング及びヴヰツカース両会社と共同出資するの契約を締結し、茲に株式会社日本製鋼所を室蘭に創設するに至れり。
営業種目
 同社の営業とする所は石炭採掘販売、骸炭製造販売、回漕業、製鋼並に諸機械製造販売、鉄鉱、砂鉄其他鉱物採掘採取の権利所有、電灯営業、煉瓦製造販売、山林経営、製材販売等なり。
所有炭礦並に採掘量
 同社所有の炭礦は明治二十三年の開坑に係る夕張第一礦、同三十八年開坑の夕張第二礦、同二十三年開坑の空知礦、同十六年政府の開坑して二十二年同社の有に帰せし幌内礦、同十八年政府の開坑して二十二年同社に属せし幌内礦幾春別派出所等の六箇所にして、最近五箇年間に於ける採掘量は総計約五百万噸の多きに達し、一箇年平均九十八万余噸を産出す。
所有汽船
  胆振丸 二、五三一噸
  空知丸 一、七七九噸
  手宮丸 二、九四二噸
  札幌丸 一、五九九噸
所有山林
  雨竜山林 一四、五一六町歩
  栗山山林 一、四九八町歩
  植苗山林 一、四二三町歩
  二股山林 二、五一六町歩
営業所
  本店 北海道胆振国室蘭町大字札幌通二○八、二二七番地
  支店 東京市京橋区上柳原町一番地
売炭所
  横浜売炭所 横浜市尾上町一丁目七番地
  小樽売炭所 小樽区手宮町番外地
  函館売炭所 函館区真砂町七番地
  札幌売炭所 札幌区北六条西四丁目二番地
 其他青森、新潟、直江津、伏木、四日市等枢要の地に取引店を設け、浦塩斯徳、満韓方面、香港、上海、新嘉坡、濠洲、米国等に輸出販売す。
重役氏名
  専務取締役 井上角五郎
  取締役 団琢磨
  取締役 雨宮敬次郎
  取締役 田中平八
  取締役 田中新七
  取締役 田島信夫
  取締役 渡辺甚吉
  取締役 大島六郎
  監査役 波多野承五郎
  監査役 植村澄三郎
  監査役 山本盛秀
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渋沢ゆかりの地

事業名:北海道炭礦鉄道株式会社
北海道炭礦汽船株式会社東京支店
中央区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京支店(京橋区上柳原町1番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.44 北海道炭礦汽船株式会社
画像名:
北海道炭礦汽船株式会社東京支店
文献に記載されている解説文等:
 同社は元北海道炭礦鉄道株式会社と称し、政府より鉄道及び炭礦の払下を受け、株金総額六百五十万円を以て明治二十二年十一月の創立に係る。爾来年を累ぬること二十年、其間新線路の敷設、設備の改良等、鉄道の経営に多大の力を致すと共に、石炭の増掘、販路の拡張に努め、更に骸炭製造、船舶回漕山林経営等の業を起して北海道の拓殖に資し、国家に貢献したるもの尠からず。今や社運隆昌を加へ、現在の資本金二千七百万円(内二千二十五万円払込済)積立金三百二十二万八千円に達せり。
 明治三十八年英国に於て社債一千万円(英貨一百万磅)を募集せしが、内四百万円は三十九年鉄道の国有と共に政府の継承する所となりしを以て、今尚ほ同社に六百万円を有す、是れ外資輸入の嚆矢也。
 明治三十九年十月一日社有の鉄道は政府に買収せられたるを以て、社名を北海道炭礦汽船株式会社と改め、定欵を改正し、従来の営業種目の外更に鉄鋼並に諸機械製造販売、鉄鉱採掘、砂鉄採取、電灯、煉瓦製造販売等の業を開始し、益々事業の発展を期せんとす。尚ほ製鋼事業経営の既往に鑑みる所あり、四十年六月専務取締役井上角五郎氏自ら英国に渡りアームストロング及びヴヰツカース両会社と共同出資するの契約を締結し、茲に株式会社日本製鋼所を室蘭に創設するに至れり。
営業種目
 同社の営業とする所は石炭採掘販売、骸炭製造販売、回漕業、製鋼並に諸機械製造販売、鉄鉱、砂鉄其他鉱物採掘採取の権利所有、電灯営業、煉瓦製造販売、山林経営、製材販売等なり。
所有炭礦並に採掘量
 同社所有の炭礦は明治二十三年の開坑に係る夕張第一礦、同三十八年開坑の夕張第二礦、同二十三年開坑の空知礦、同十六年政府の開坑して二十二年同社の有に帰せし幌内礦、同十八年政府の開坑して二十二年同社に属せし幌内礦幾春別派出所等の六箇所にして、最近五箇年間に於ける採掘量は総計約五百万噸の多きに達し、一箇年平均九十八万余噸を産出す。
所有汽船
  胆振丸 二、五三一噸
  空知丸 一、七七九噸
  手宮丸 二、九四二噸
  札幌丸 一、五九九噸
所有山林
  雨竜山林 一四、五一六町歩
  栗山山林 一、四九八町歩
  植苗山林 一、四二三町歩
  二股山林 二、五一六町歩
営業所
  本店 北海道胆振国室蘭町大字札幌通二○八、二二七番地
  支店 東京市京橋区上柳原町一番地
売炭所
  横浜売炭所 横浜市尾上町一丁目七番地
  小樽売炭所 小樽区手宮町番外地
  函館売炭所 函館区真砂町七番地
  札幌売炭所 札幌区北六条西四丁目二番地
 其他青森、新潟、直江津、伏木、四日市等枢要の地に取引店を設け、浦塩斯徳、満韓方面、香港、上海、新嘉坡、濠洲、米国等に輸出販売す。
重役氏名
  専務取締役 井上角五郎
  取締役 団琢磨
  取締役 雨宮敬次郎
  取締役 田中平八
  取締役 田中新七
  取締役 田島信夫
  取締役 渡辺甚吉
  取締役 大島六郎
  監査役 波多野承五郎
  監査役 植村澄三郎
  監査役 山本盛秀
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