事業名:鐘淵紡績株式会社
鐘淵紡績株式会社東京本社工場
墨田区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の本社工場(向島隅田村)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.355 鐘淵紡績株式会社
画像名:東京本社工場
文献に記載されている解説文等:
本社 東京市外向島隅田村
営業部 神戸市東尻池
 同社は明治二十年の創立にして、当時の資本金一百万円、錘数僅に二万九千錘、即ち今の東京本社第一工場に過ぎざりしが、爾後二十六年同第二工場を起し、二十八年に兵庫支店(今の同支店第一工場)を設け、三十二年九月に上海紡績株式会社(今の兵庫支店第二工場)を合併し、同月又河州紡績株式会社(今の住道支店)を買収し、同十月更に柴島紡績株式会社(今の中島支店)を買収し、十二月には又淡路紡績株式会社(今の洲本支店)を買収し、三十五年十月には九州紡績株式会社(今の三池、久留米、熊本の三支店)及び中津紡績株式会社(今の中津支店)を合併し、更に翌月博多絹棉紡績株式会社(今の博多支店)をも合併し、遂に資本金五百八十万三千四百円、錘数二十一万八千八十錘を算するに至れり。三十八年八月兵庫支店構内に織布試験工場を起し、翌年七月更に東京本店第三工場(瓦斯糸工場)新設の議を決し、四十年一月資本金を倍加すると共に、京都(絹糸紡績)高砂(棉糸太糸工場)の二店を増設するの議を決したり。今や東京本店の瓦斯糸工場は将に作業せんとし、京都絹糸紡績は既に営業を開始し、高砂の棉糸太糸工場は建築準備中なりと云ふ。而して四十年十月更に二百四十万円を増資し、日本絹棉紡績株式会社を合併したり。是に於てか現在の状況は
資金総額 一千四百万六千八百円
現在工場 十五個所
 東京二 関西六 九州七
現在錘数及織機
 棉糸 二十一万八千八十錘
 絹糸 一万三千五百六十錘
 織機 一百台
の盛況を呈せり。
而して建設中に係る錘数及び織機は
 棉糸太糸 二万八千八百六十錘
 同 細糸 二万七百八錘
 同瓦斯糸 三万三千七百十二錘
 絹糸 六千三百六十錘
 織機 三百台
を算すべし。若し夫れ此等の工事完成するに至らば、
 棉糸工場 十七個所 三十万一千三百六十錘
 絹糸工場 二個所 一万九千九百二十錘
 合計 十九個所 三十二万一千二百八十錘
 織機工場 二個所 四百台
を有すべし、亦盛んならずや。
本社は東京市外隅田村に在り。営業所は神戸市東尻池に在りて一切の業務を此に処弁す。(四十一年四月調)
画像2

渋沢ゆかりの地

事業名:鐘淵紡績株式会社
鐘淵紡績株式会社東京本社工場
墨田区
画像1
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の本社工場(向島隅田村)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
副島八十六編 『開国五十年史附録』(開国五十年史発行所,1908)p.355 鐘淵紡績株式会社
画像名:
東京本社工場
文献に記載されている解説文等:
本社 東京市外向島隅田村
営業部 神戸市東尻池
 同社は明治二十年の創立にして、当時の資本金一百万円、錘数僅に二万九千錘、即ち今の東京本社第一工場に過ぎざりしが、爾後二十六年同第二工場を起し、二十八年に兵庫支店(今の同支店第一工場)を設け、三十二年九月に上海紡績株式会社(今の兵庫支店第二工場)を合併し、同月又河州紡績株式会社(今の住道支店)を買収し、同十月更に柴島紡績株式会社(今の中島支店)を買収し、十二月には又淡路紡績株式会社(今の洲本支店)を買収し、三十五年十月には九州紡績株式会社(今の三池、久留米、熊本の三支店)及び中津紡績株式会社(今の中津支店)を合併し、更に翌月博多絹棉紡績株式会社(今の博多支店)をも合併し、遂に資本金五百八十万三千四百円、錘数二十一万八千八十錘を算するに至れり。三十八年八月兵庫支店構内に織布試験工場を起し、翌年七月更に東京本店第三工場(瓦斯糸工場)新設の議を決し、四十年一月資本金を倍加すると共に、京都(絹糸紡績)高砂(棉糸太糸工場)の二店を増設するの議を決したり。今や東京本店の瓦斯糸工場は将に作業せんとし、京都絹糸紡績は既に営業を開始し、高砂の棉糸太糸工場は建築準備中なりと云ふ。而して四十年十月更に二百四十万円を増資し、日本絹棉紡績株式会社を合併したり。是に於てか現在の状況は
資金総額 一千四百万六千八百円
現在工場 十五個所
 東京二 関西六 九州七
現在錘数及織機
 棉糸 二十一万八千八十錘
 絹糸 一万三千五百六十錘
 織機 一百台
の盛況を呈せり。
而して建設中に係る錘数及び織機は
 棉糸太糸 二万八千八百六十錘
 同 細糸 二万七百八錘
 同瓦斯糸 三万三千七百十二錘
 絹糸 六千三百六十錘
 織機 三百台
を算すべし。若し夫れ此等の工事完成するに至らば、
 棉糸工場 十七個所 三十万一千三百六十錘
 絹糸工場 二個所 一万九千九百二十錘
 合計 十九個所 三十二万一千二百八十錘
 織機工場 二個所 四百台
を有すべし、亦盛んならずや。
本社は東京市外隅田村に在り。営業所は神戸市東尻池に在りて一切の業務を此に処弁す。(四十一年四月調)
画像2