事業名:東京手形交換所
東京交換所交換室前面
中央区
画像1
[撮影日] 不詳 [撮影者] 不詳
[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京交換所(日本橋区阪本町40番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.135 東京交換所
画像名:東京交換所交換室前面
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区阪本町四十番地
一 目的事業 東京組合銀行間に於ける手形小切手及証券類の交換
一 創立年月日 明治二十年十二月一日
一 壱箇年交換高 参拾五億円(四十二年現在)
一 現在組合銀行 三十五行  代理委托銀行 百九十二行
一 沿革
東京交換所は、明治二十四年第一国立銀行外十一行の協議に基き、範を倫敦交換所に探り、之を折衷して組織し、日本銀行を客員として同年三月一日を以て業務を開始せるものなり、先是明治二十年の交第一国立銀行外十五行の申合により、東京手形交換所なるものを設置し、紐育手形交換所の規定を参酌して手形小切手の交換を開始したりしが、其制度完全ならす、今日の如く交換差額を日本銀行当座預金の振替勘定にて決済するの途なく、其結果常に交換所小切手なる一種の勘定を残し、実際の決済を為さんとせは復た小切手の取付を為ささる可らさるの不便を免れさりしを以て、二十四年二月二十八日現在の組織とし、名称を東京交換所と改む、当所は初め東京銀行集会所内に交換室を設け、以て日々一定の時間を限り、持出手形の交換を為したりしが、後明治二十九年日本銀行の新築落成と共に、同年五月より同行楼上に転し、同三十一年十一月更に日本橋区両替町一番地日本銀行第二建築楼上に移転せり、当所現在の組合銀行数は三十五行にして代理交換銀行は百九十二行の多きに上り、明治二十一二年の交にありては一箇年の交換高僅かに千二百万円乃至二千万円に過きさりしもの、今や進んて参拾五億円の多きを算するに至り、経済社会に於ける枢要の一機関たるに至れり、
一 当所と青淵先生との関係
青淵先生は、明治十年択善会(銀行団体の嚆矢)設置の当時より、小切手、手形取引を奨励して交換所設置の必要を唱道し、遂に第一国立銀行外十五行の賛同を得て交換所の創立を劃し其委員長となり、明治二十年東京手形交換所を設置せり、而して同所が明治二十四年東京交換所となるに迨ひ、引続き推されて委員長となり、明治三十八年迄其任にありしが、同年病の故を以て之を辞し委員となり以て今日に及へり、
一 現任役員
   委員長 豊川良平  委員 池田謙三
   委員 男爵渋沢栄一  監事 山中譲三
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渋沢ゆかりの地

事業名:東京手形交換所
東京交換所交換室前面
中央区
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[ マップ上の位置情報について ]
ピンは当時の東京交換所(日本橋区阪本町40番地)周辺を示す。
『渋沢栄一伝記資料』中の関連情報
出典:
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』(青淵先生七十寿祝賀会,1911)p.135 東京交換所
画像名:
東京交換所交換室前面
文献に記載されている解説文等:
一 所在地 東京市日本橋区阪本町四十番地
一 目的事業 東京組合銀行間に於ける手形小切手及証券類の交換
一 創立年月日 明治二十年十二月一日
一 壱箇年交換高 参拾五億円(四十二年現在)
一 現在組合銀行 三十五行  代理委托銀行 百九十二行
一 沿革
東京交換所は、明治二十四年第一国立銀行外十一行の協議に基き、範を倫敦交換所に探り、之を折衷して組織し、日本銀行を客員として同年三月一日を以て業務を開始せるものなり、先是明治二十年の交第一国立銀行外十五行の申合により、東京手形交換所なるものを設置し、紐育手形交換所の規定を参酌して手形小切手の交換を開始したりしが、其制度完全ならす、今日の如く交換差額を日本銀行当座預金の振替勘定にて決済するの途なく、其結果常に交換所小切手なる一種の勘定を残し、実際の決済を為さんとせは復た小切手の取付を為ささる可らさるの不便を免れさりしを以て、二十四年二月二十八日現在の組織とし、名称を東京交換所と改む、当所は初め東京銀行集会所内に交換室を設け、以て日々一定の時間を限り、持出手形の交換を為したりしが、後明治二十九年日本銀行の新築落成と共に、同年五月より同行楼上に転し、同三十一年十一月更に日本橋区両替町一番地日本銀行第二建築楼上に移転せり、当所現在の組合銀行数は三十五行にして代理交換銀行は百九十二行の多きに上り、明治二十一二年の交にありては一箇年の交換高僅かに千二百万円乃至二千万円に過きさりしもの、今や進んて参拾五億円の多きを算するに至り、経済社会に於ける枢要の一機関たるに至れり、
一 当所と青淵先生との関係
青淵先生は、明治十年択善会(銀行団体の嚆矢)設置の当時より、小切手、手形取引を奨励して交換所設置の必要を唱道し、遂に第一国立銀行外十五行の賛同を得て交換所の創立を劃し其委員長となり、明治二十年東京手形交換所を設置せり、而して同所が明治二十四年東京交換所となるに迨ひ、引続き推されて委員長となり、明治三十八年迄其任にありしが、同年病の故を以て之を辞し委員となり以て今日に及へり、
一 現任役員
   委員長 豊川良平  委員 池田謙三
   委員 男爵渋沢栄一  監事 山中譲三
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